山極寿一のレビュー一覧
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ネタバレサルやチンパンジー、ゴリラなどの霊長類や類人猿における集団生活の特徴や、人の進化の過程における特徴から、現代の希薄な人間関係、社会問題、戦争について論じる本。
印象に残った内容は、人の集団間での争いは、人間特有の文化や文明が登場してから顕著に増えてきた、と言う内容。
人は、信頼を前提とした共生社会を作りながら進化をしてきた経緯がある。
集団間の戦いについては、遥か昔に首長制がはじまったことや、定住、所有の概念が深まり、その運用が拡がったことが影響しているとのこと。
人が共生社会を作りながら進化してきた点を知り、人は捨てたものでは無いと思えた。自分は、人は戦いが本能にあり、共生や信頼と言う言葉はあまり意味を成していなかったと思い込んでいたから。どちらかと言えば、戦いのみで進化してきたと思い込んでいた。
また、戦争は決して必要な行為ではないと、より一層感じた。
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ネタバレ老いの思考法
(How to Think About Aging)
著者:山極寿一
発行:2025年3月27日
文藝春秋
語り下ろし(「あとがき」と下記の二節を除く)
初出:
「人間の老年期とは何か」(『高校生と考える 21世紀の突破口』2023年、左右社。「思春期とは何か ゴリラからの提言」を改題、改稿)
「自然の時間を取り戻す」(『現代思想』2024年1月号、青土社。「人間と動物の境界はどこにあるのか?人間は時間を止めて文明を作った」を改題、改稿)
「あとがき」をのぞき、他は語り下ろし
ご存じ山極寿一さんは、霊長類学者であり、人類学者でもある。とはいえ、ゴリゴリの理系学者ではなく、哲学にも精通し、人間の特徴が「共感力」だと強調しながら、人間として老いを生きる価値を語っていく。一見、特に専門であるゴリラなど類人猿の生態を例にあげて、人間が本来忘れてしまった、失ってしまった部分を取り戻そう、回帰しよう、という話かなと思えるが、そうではなかった。あくまで、類人猿にも、サルにもない、人間だからこうだ、という面にスポットを当てて、老いて生きることをバックアップしていく本である。
見境のない性欲を「獣のように」と表現するが、これは全くの逆だそうである。
性暴力、とくにレイプが起きるのは人間だけで、動物はこの面で礼儀正しい。メスが発情しなければ、オスは発情できないので、レイプはない。獣からしたら「人間のように」が正解の表現となる。
これだけでも、ああそうか、意外、と思えるが、考えたら当然かも。動物たちは、繁殖力がなくなったら死んでいくのに、人間だけはそうでなくなっても生きている。子育てを手伝うためだ、とよく解説されるが、堅苦しくいうと「共同保育」というそうである。そして、その根本は二足歩行にあるそうである。
二足歩行となり、前足が手として自由を得た代償として、人類は難産という宿命を背負った。歩行しやすいように骨盤がコンパクト化し、産道を拡げにくくなった。その結果、出産は命がけの一大事となり、経験のあるおばあちゃんの力を借りることが欠かせなくなった。さらに、一度に多くの子を産むのが難しくなり、次の妊娠ができない授乳期を早く終わらせ、出産間隔を短くして多産しないといけなくなった。だから、おばあちゃんの子育て、つまりは共同保育が非常に重要となってきた。多の動物が数年ある授乳期が終わると、普通の食事をするのと違い、人間だけが1年ほどの短い授乳期を終え、離乳食という特有の食生活をするようにもなった。
この共同保育を通じ、人間は家族という集団と、共同体という集団の両方に所属することになる。類人猿もサルも、自分に利益がなければ集団を離れるが、人間だけはそうではなく、他の人や集団の利益になるためにそこに属し、力を貸す。そこに、相手の気持ちをおもんぱかる「共感力」があるからだという。
人間社会だけにある「離乳期」「思春期」「老年期」。これが形成された根源である二足歩行。なるほどと思える理論だった。そのまま、ずるずると引き込まれる一冊。
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Ⅰ章
人間だけが長い時間をかけて老いと向き合う。動物は基本的に繁殖能力がなくなったら死ぬので長い老年期がない。
人間社会は「離乳期」「思春期」「老年期」という固有の三要素から成り立っている。
(動物にはなし)
介護を人類の進化史にたどると、最古の例は180万年ぐらい前。
介護は猿や類人猿にはない人間に特異な行為。
人間は700万年前に二足で立ち、産道を拡げられなくなった。
200万年前には脳が大きくなり始めたが、産道が狭くて小さな脳で生まれ、生後1年で脳が倍になる。ゴリラの4倍の速度。
人間にとって、出産は命がけの一大事となり、一人では子を産めなくなったため、これを手伝う「おばあちゃん」たちの助けが必要になった。
また、人間は一度にたくさん産めないので、離乳期の子供をみんなで育てる必要が生じた(次を産むため出産間隔を縮める)。おばあちゃんが手をさしのべてくれた。
ゴリラは老いるほど美しくなる。
老齢のオスは、年を取ると背中が白銀色に染まって、シルバーバックとなる。頭頂部も突出して堂々と。白銀色の毛が腰や脚にまで広がったオスは、群れの先頭に立って暗い森を移動するときも、仲間を迷わせない。白銀色に光り輝くため。
ゴリラは父親が子育てする
ゴリラの赤ちゃんが離乳したら、母ゴリラは父ゴリラに預け、育児を任せる。子供たちは一日中父親の後をついて回る。かたや母ゴリラは、育児から解放されて発情し、次の子供をつくる。メスは別のオスのもとへ走る場合もあるが、子供たちは父ゴリラのもとに残る。
育児をするとイケメンになる
名古屋の東山動物園で、世界的に有名になったイケメンゴリラのシャバーニは、10歳ごろにオーストラリアの動物園から来たが、当時はどうしようもないヤクザなゴリラだった。だが、子供ができて育児するようになると、がらりと変わってカッコよくなった。
*現在、家族と暮らすゴリラのオスは日本に3頭のみ(京都、名古屋、東京)。
集団の違い
ゴリラは家族的な集団しか持たず、複数の家族で集まらない。
チンパンジーは家族がなく、共同体的な集団しかない。
人間だけが「家族」と「複数の家族を含む共同体」という重層構造の社会を作った。人間だけが相手の側に立って考えられるから両立できるようになった。
自己主張
ゴリラのドラミングは宣戦布告ではなく(相手と自分が対等だという)自己主張。メスはしばしば興奮しているオスをなだめる。
チンパンジーは胸を叩く代わりに周囲を叩いたり、足を踏みならしたりする。
人間は歌舞伎の見得というポーズがそれに当てはまる。
ゴリラは負けない
負けるポーズが存在しない。
オス同士がぶつかりそうになっていると、別のオスやメスが割り込んできて、対立する仁藤のオスの軌道修正をする。双方がメンツを保って引き分け。
ニホンザルの勝ち負け
互いの強さを非常に意識して暮らす。対立が起こりそうになると、弱い方が必ず先に退き、勝ち負けがすぐにつく。勝つことと、負けないことは違う点が重要。
「離乳期」
人間は一度にたくさん子を産めないため、出産感覚を縮めて多産多子にするため、赤ちゃんを早く乳離れさせる必要があった。類人猿と比べて驚くほど早い。人間にしかない「離乳期」が発生した。
・乳離れ:ゴリラ3-年、チンパンジー4-5年、オランウータン7-8年
「思春期スパート」
人間は脳の成長が異様に早い。生後1年で2倍。ゴリラは4歳で2倍になり止まる。
人間はその後も12~16歳まで脳が成長し、摂取エネルギーの大半を脳の成長に回す。
それが止まると今度は身体の成長→「思春期スパート」が始まり脳の成長に体が追いつく。
「長い老年期」
離乳期や思春期スパートといった不安定な時期は、親だけでは子が支えられないために共同保育という行為が発生する。
「メンタライジング」
人間は25歳ぐらいまで社会的認知能力が発達する。メンタライジング。他者の心の状態を推論・解釈。3者間、4者間の社会交渉でそれぞれが何を考えているかを推し量る。共感力を働かせて仲間を助ける行動が得意なのは高齢者。
「ゴリラはボケる」
認知能力の衰えの「ボケ」ではなく、遊び心の「ボケ」。
ゴリラもボケる。テレビカメラを意識してわざとやらなかったりする。
人が言葉を話すはるか以前から、音楽があり、踊る身体が発達した。人間は長らく生身の身体の共鳴を大事にする社会を形成してきた。
Ⅱ章
野生動物に鬱はない。例外として、動物園ではゴリラが鬱になることがある(人目にさらされすぎて)
「サルに猿真似はできない」
猿まわし芸は行為を誘導されて繰り返しているだけで、真似ができているわけではない。サルには猿真似ができない。
学習して真似る=「まねぶ」ことができるのは人間だけ。
人間は、サルにはない「スカフォールディング」(足場かけ)という能力を持っている。子供たちがここを切り抜ける能力がないというのを大人が見定めて、先を読んで必要な手助けをして、サポートしてあげる教育的能力のこと。
(サルは自分と子供の能力を同一視している)
「冗談関係」という概念
文化人類学の概念。父母は子供からすると叱られたり罰せられたりする恐い存在であり、本来、親は教える立場には立ちにくい。一段階上の高齢者は、直接の子供ではないし、年齢も離れているから、保護者的な存在でありながら遊び相手になれる。冗談が通じ、性的な冗談も言えてしまう。
ゴリラは豪快に笑う
お腹をボコボコと振動させながら笑う。ゴリラの腹はパンパンに張っているように見えて、実はグニャグニャ。全身に力が漲る時だけパンパンになる。
「共感力」が家族と共同体の二重構造を成立させた
家族は見返りを求めずに奉仕しあう組織、共同体は自分が何かをしてもらえば恩返しが必要な組織。編成原理の異なるこの二つを両立させたのは「共感力」。相手の立場に立って物事を考えたり、長い時間軸の中で自分も身体が動かなくなったり困ったりすることを想像し、自己利益を求めずに相手のために尽くそうと共同体のために働くのが人間。
他の類人猿でもサルでも、利益が落ち始めたら他の集団に移り、元の集団のアイデンティティは失う。人間は自分の不利益を承知で仲間に尽くすことができる。元の集団のアイデンティティを保ったまま他の集団に入れるし、自分がハブになることすらできる。
動物の社会では性交渉はオスとメスを結びつけない。
Ⅲ章
26年ぶりでもゴリラは覚えていた
1980年にルワンダで調査をしたマウンテンゴリラ6頭の中の1頭、オスのタイタン、6歳。彼はよく山極氏に遊びをしかけてきたので仲良くなった。約2年間、ゴリラのなかで暮らした。
テレビの企画で26年ぶりに会いに、2008年に現地へ。研究者としてではないので、8メートル以内には近づかない、観察は1時間以内。
会ってもポジティブ反応なし。2日後にもう一度会いにいくと、真っ直ぐ近づいてきて、まじまじと顔を見つめた。著者が発したあいさつ音に同じように応え、顔がみるみる子供っぽくなった。そして、突然仰向けになって、腕を頭の後ろにして寝転んだ。昔、よくやっていたポーズ。覚えていた。彼は34歳、人間なら70歳。
ゴリラの記憶のなかには、時系列で何かが並んでいるわけではなく、ランダムに過去の記憶がしまい込まれていて、体の感覚と連結しているのだろう、とのこと。
老年期の大きな楽しみの一つは、身体に眠っていた過去の記憶との再会ではないか、と著者はつくづく思った。
ゴリラは引き分けルール
群れ生活をする霊長類は、餌や交尾相手を巡って必ずトラブルが起きる。
集団生活のためにはルールが必要。
優越を基準に社会をつくるニホンザルは弱い方が譲る。単独で生活しているサルは離れあうことでトラブルを防げる。
類人猿は「力の弱い方が譲る」という優越中心のルールとは別に、第三者が入って勝ち負けをつけずに、お互いのメンツを護って引き分けるルールを作っている。
シルバーバックは振り返らない
ゴリラのリーダーはまず振り返らない。そのために白銀色の背中(シルバーバック)がある。暗闇に浮き上がるそれについていく群れは安心。「背中で語る」。
Ⅳ章
「ダンパー数」
人間のネットワークの基本は1.5人から始まる。多くの人にとって、極めて親しいパートナーが1人いるので、1.5人が最小単位。
その3倍数ごとにそれぞれの集団のまとまり方や機能が変わる。
・1.5×3=4.5→5人:音楽のバンドなどちょっとしたチームの単位、すぐに行動できる
・5×3=15人:小回りはきかないが多様な意見を取り入れて新しいことができるチームの規模
・15×3=45人(約50人):組織としての構造が必要になり、重要な役割を果たすのが経験知を持っているある程度年配のリーダー。
・50×3=150人:ここまでが、ルールを厳格に作らなくて民主的に回していける組織で、1人のリーダーでギリギリ回せる規模
*ロンドンで100年以上続いている老舗会社の多くは300人以内
*日本では100年以上が4万社を超え、世界で最も多い。その9割以上が中小企業。小規模は組織としてマネジメントしやすく存続しやすい。
「獣のように」は完全に逆
性暴力、とくにレイプが起きるのは人間だけ。靴に発情したりするようなフェティッシュな性的欲望も人間だけ。逸脱した性行動を「獣のように」と表現するが、これは完全に逆。
動物は礼儀正しい。メスが発情しなければ、オスは発情できないので、レイプはない。獣からしたら「人間のように」がぴったりの表現。
・260万年前:世界最古の石器が現れる
・100万年前:火の使用が始まる
*火の周りで人は集い、歌い、踊ることにより団結力を高め、現世とは違う世界へと想像力を拡大した。音楽的コミュニケーションにより、仲間と共有する時間を自ら作ることができるようになった
・7~10万年前:言葉が現れる
・約1万2000年前:農耕・牧畜を初めて食糧生産革命
・18世紀の終わり:産業革命 -
Posted by ブクログ
ゴリラ研究から日本人の老いについて書かれていて、人間と異なる点は相手に共感し、相手のことを想像して、行動するコンパッションにあるといいます。
また、良い老いの3条件に、松下電気創業者の松下幸之助氏のリーダーの3条件を上げていました(愛嬌があること、運が良さそうに見えること、背中で語ること)。
その内の運が良さそうに見えることとは、皆んなに惜しみなく分け与える振る舞いこそが、運の良さそうな人に現れる資質であり、自分が持っているものにこだわらないという境地こそひとつの老いの力という言葉に、余裕があるのは様々な経験を積んで生まれた境地なのかなと思いました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ・対面のコミュニケーションには言葉だけでなくノンバーバルな部分で補っているものがたくさんある。今はSNSに代表されるようなテキストメッセージの誕生によってノンバーバルを削ぎ落とした単なる言葉がコミュニケーションに使われている。
・単なる言葉は文脈や意図すらも割愛してしまうことがあるから言葉が暴走してしまう。
・生の会話をもっと大切にしようというのがこの本の趣旨であった。
以下覚書
・目の前で起こっている状況よりもスマホの画面越しに見た世界にリアリティを感じてしまう。要するに当事者性が失われている。
・言葉は使われた前後関係やどの作品に使われたのかで意味が変わってくるが、最近は意味を画一的に捉えようとする人が多い。
・話し言葉が無味乾燥なテキストになることで本来伝えたかった思いや熱量が削ぎ落とされる。
・アニミズム
動植物だけでなく無生物にもそれ自身の霊魂が宿っており、諸現象はその働きによるとする世界観。
問いを立てる能力が人間の特徴。
言葉は時空を越える。
・言葉は自分が体験していないことを疑似体験することができるけど、結局体験しないと削ぎ落とされている思いや熱量はわからないから、興味を持ったら体験しに行け。
・対話は白黒つけるのが目的ではなくわかりあうこと。
資本主義は世界を制覇した現代の宗教。
・食べ物はもともと争いの原因だった。だから人と一緒にご飯を食べることは争い関係ではないという証明にうってつけである。
・言葉にした時点で言葉の範囲内に感情が押し込められてしまう。
・会話をする時には相手は自分と違うんだということを前提にしなきゃ始まらないが最近は相手と自分が同じだという前提でコミュニケーションを取ろうとする。
・伝える技術を学ぶより理解したいと思われる人間になれ。
・コミュニケーションは共感と関心。 -
Posted by ブクログ
ゴリラの専門家(霊長類学者)の山極寿一さんと、小説家の小川洋子が、ひたすら対談する。対談集なので、徹底的に突き詰めるというより、ふわっと終わった感がある。学者は、霊長類のゴリラの特性から、人間との共通点、違う点、なぜ違いが出たかについて語る。小説家は、なぜ人間界にだけが戦争や暴力や強姦が起きるのかを考えている。山極さんは『言語』、それによるメタファー、そして死の記憶等の、他の動物にはない人間特有の特性だとする。それは人間が文明を築き上げた源でもあり、それがまた、戦争、暴力をも引き起こす源でもあるのか。個人的には、ゴリラの子殺しの話が興味深い。自分の子どもを殺した男ともつながれる。それは死の記憶がないから?ゴリラと人間の大きな違いは、罪の意識の有無かもと思ったが、それも言語による幻想なのか?資本主義が効率化を善とする風潮を生んだが、子育ては効率化できないもの。ゴリラを見習って共同で育てるべきと言うが、言うは易しだわなあ・・・。
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Posted by ブクログ
『動物たちは何をしゃべっているのか?』というシジュウカラの言語を研究している鈴木俊貴さんとゴリラ研究家の山極さんの共著がこの度出版されると聞き、山極さん関連でこちらの対談本を思い出し読んでみた次第。
まず、タイトルと装丁が良い。とてもシンプルでド直球。
そして出だしのプロローグから対談がいきなり始まっている。助走無しのスタートダッシュ。
それでいてストイックに生物学的な話だけが語られるかと思えば、社会論、教育論、日本人論などに話が及ぶ。タイトルに反して、人間について語ってることの方が多い。最早何でもあり。
虫やゴリラに関する知識を通して、我々人間を見つめ直す対談。ご年配のお二人だからか、「今の若い人は…」「今の世の中は…」と嘆き節が多く飛び出す。でも、知の巨人が子ども教育を憂えている姿は、その真剣な眼差しは、老人の戯言のように扱っていい類のものでは無い気がする。
これはなかなか予測のつかない本だった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ養老先生は虫を観察して人間を考える。
山極先生はゴリラとともに体感し人間を考える。
地球上にいる生命の祖先はどのように生きたか、何億年単位で生命の先輩たちを調べたお二人が情報共有しながら、人間の立ち位置を整理した内容でした。
江戸時代にマタギによって根絶やしにされたサルの話しや、洗剤による鎌倉の川の汚染では下水道を整備して水がキレイになったら、元々居なかったフナを放流した話しなど、今の時代では信じ難い問題がなかったかのような日本なんですね。
日本文化は述語的な文化、西洋文化は主語的な文化。日本特有の生き方も考えさせられます。
ひとつ気になるのが、車社会は環境に良くないまではいいのですが、その代わりに水上交通と上空交通の提案は、結局、海の環境も空の環境も良くないのでは?と思いました。でもたくさん研究されてきた生き物については参考になりました。