山極寿一のレビュー一覧
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著者は、霊長類学者としてゴリラ研究の権威である。
今西錦司氏が創始した日本の霊長類研究は、「猿になりかわって彼らの社会や歴史を記録せよ」つまり、猿の群れの中に入り込み、自らが猿のような暮らしを味わい、コミュニケーションの輪に参加して、彼らの社会の仕組みを理解せよ、という。
研究のために観察をする著者に、最初は逃げたり攻撃してきたゴリラたちも、しばらくすると著者を敵視しなくなり、群れの中で観察することを許すようになったという。それでも、ゴリラは人間の行動に常に目を配り、彼らの気にさわることをすると必ず叱って行動を改めさせたという。そうやって、自分達のルールを教えていくのだろう。
ゴリラの研究をするようになってから、人間社会について疑問に思うことがでてきたと言う。
私が最も興味を持ったのは、
なぜ、人間は集まって一緒に食べようとするのか。という箇所だった。
猿は群れで暮らすけれど、食べるときは分散してなるべく仲間と顔を合わせないようにする。数や場所が限られている自然の食物を食べようとすると、どうしても仲間と鉢合わせしてけんかになるからだ。
いままで、人間が家族ともしくは友達と一緒に食べることに疑問を持ったことがなかった。
当たり前に行っていることに素朴な疑問を持ち、それについて歴史や行動を深く考えてみる。
外国人が日本の良さを認識することで、日本人が自らの良さを再発見したように、人間を外から考えてみるのは興味深い。
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ジャングルの知性。
山極先生は、ジャングルがすべての生物のコモンズ、だという。
「ゴリラの社会で暮らしてみて私が感じた人間の本質とは、150人以下の小規模な社会で顔見知りの仲間とともに、自己犠牲の精神を発揮して助け合う能力であった。」
けれど、定住化、技術の発展を通して、社会が急速に拡大し、人口も増大。
大きくなった集団間で領土や所有権を競うようになった帰結が、争いの絶えない人間界となってしまった。
この時期、平和を考えるうえでもとても大事な示唆を与えてくれる本です。
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・言葉こそ文明、ではない。
例えば、人間の脳はゴリラの3倍の大きさだけれども、この脳はだいたい40万年前にすでに発展していて、そのさらにあとの7-10万年前に言葉が生まれた、らしい。
人間以外の霊長類を比較すると、
集団のサイズが大きいと脳も大きいことが分かる中で、
言葉は集団サイズを拡大することには貢献しなかった、という。
なぜなら、ダンバーという研究者によれば、現代人の脳の大きさは150人ぐらいの集団サイズに匹敵し、これは現代人が登場する約8万年前にはでき上がっていた。
150人という規模は、現代でも食料生産をせずに暮らす狩猟採集民の村の平均サイズ。
そしてその後に言葉が生まれても、1万2000年前に農耕-牧畜という食料生産が始まるまでは、このサイズを維持していたと言える。
言葉はシンボルの中でも抽象化の進んだものだという。
言葉には重さがなく、気持ちは伝えない。
「共感力は身体の共鳴によってしか発揮されない」。
では言葉は何をもたらしたのか。
たぶん気持ち以外のことを伝えることには大きく役立ち、知らない人やモノについても想像力をベースに情報を増大させたのだろうと思う。
ユヴァル・ノア・ハラリでは、言葉を基とする認知革命により、虚構の世界が発展していったことが論じられている。そのことにも触れつつ、著者は言葉が持つ分断の影響も指摘する。
・共食にたどる社会性。
人間が社会性を発展させていった進化の過程を論じられていてとても興味深かった。
直立二足歩行は、身体能力も低下させるし、出産についても不利な側面がある中で、
手で食物を運んで食べさせる、という行為を可能にした。
共同保育し、共食する。
食べ物を持ち帰り、分け合うことを通してつながっているのが人間の進化の特徴となったと論じられています。
「人間の子どもはエネルギーの大半を脳の成長に回すので、身体の成長が遅れる。人類の祖先は類人猿から引き継いだ長い長期をさらに延長させ、分担して食物を運んで共食をすることによって脳の拡大を実現したのである。
こういった人類独自の進化の歴史の中で新たな社会性が発達した。それは、共感力を高めて仲間のために尽くすという性質である。そもそも熱帯雨林を出た初期の人類が草原を遠くまで歩き回って食物を探し、それを安全な場所に持ち帰って共食を始めたとき、仲間のことを思う気持ちが芽生えたはずである。類人猿は食物がある場所でしか分配しない。」
現代でも、日本ではとくになのか、お土産などでお菓子を買ってきて同僚や知り合いに分ける習慣がありますが、これは人間が発展させ、維持してきた社会性の延長なのかな。
慣習化されて半強制になってしまうと、無意味な伝統だ、と思ってしまいがちですが、
なにもとくに圧力がなかったら、逆にあげたいひとにあげたくはなると思う、と気付いたり。
まさに、つながりたい、つながるための行為なのですね。
・食と性の融合。
いかに食物を確保、摂取するか、
いかに交尾、子孫を残すか。
生物の命題、でもあり、これは人間も同じだと。
生物学的な理由もなく、社会的な理由のみが働いている規範を「ゼロタイプの制度」というそうです。
例えば、人間に見られる性に関する行動規範、服を着ること。
それをしないと生きられないわけではないのに、社会的に通念として決まっていること。
最近は一人で食事をすることも問題ない、という流れではありますが、やはりそこにもともとあるのは、ごはんは一緒に食べるものであるということ。
「料理は愛の表現であり、それを食べることは愛を受け入れて一体化することにつながる」。
それが家族であり、親しい人であり。
「パートナーとだけの愛の受け入れは性交渉になる」。
なるほど、と思いました。
関わりたくない人とは一緒に食事をしたくない。
一方、家族ってなに、って考えると、一緒に食事を重ねてきた人、たとえ食べる時間がずれてしまったとしても、食べ物、冷蔵庫や食器を共有してきた人、なのかもしれない。
親や近しい人が買ってきたり作ったりしたものを食べることは、食料なだけではなく愛も受け取っているということなのかもしれない。
だからこそ、時に重く感じてしまうこともあるのかもしれない。
食べものの持つ力、すごいかもな。
・争い
本来人間は、自己犠牲の精神を持っている、という。
そして著者は、この精神は、言葉の登場以前に確立されていたと考え、「自己犠牲は道徳というより、美徳と呼ぶにふさわしい行為」なのでは、と述べられています。
ではなぜ分断が進んでいるのか。
日本の思想家の一人、関係性と流れに注目した「自然学」を提唱された今西綿司さんは、すべての生物が社会を持つ、と論じられています。
日本の哲学の特徴の一つとして、
自分の溶けこんだ世界観。
これに対比されるのが、西洋の自分と切り離される世界観。
西洋哲学では、自然を人間が客観的にみる視点があり、これが自然を科学する、というアプローチになっている。そこには、他生物に対する利他も感じられます。
欧米でもユクスキュルの環世界といった、人間が自然の一部である考え方もあったが、主流としては広がらなかった。でも最近では、Bioregionalismというような、生態系の中に人間を位置づけるような姿勢も重要視されるようになってきたと言っています。
たしかに、自分も生態系の一部であり、手段の一部であったら、他者を攻撃することは自分への攻撃を意味するよなー。
生態系が悲鳴を上げ、人は殺し合いをやめない今日。
山極先生は、客観的でも抽象的でもない、生身で自然の動きを感得することの大事さを強調されています。
「人間は共感と同情を基調にした利他的な社会力を強め、それを道徳として社会の規模を拡大したのである。しかし、道徳が通用する範囲はいまだに共同体の内部に限られている。国や民族や宗教の境界を超えてはあまり働かない。それが、戦争の世紀を終わらすことのできない私たちの課題である。」
美徳が他集団に対して使われる。
今一度、私たちが育んできた共感の関わり合い方に立ち返ることで、
小規模な内部だけではなく、自分もその一部である多様な人間社会と生態系の恵み全体に対して、友情も愛情をも向けられる姿勢を持つことができる。
そんな壮大で重大な希望を現実にしたい。 -
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霊長類研究者の山極先生が京都大学の総長時代に執筆された著書。
ゴリラやチンパンジー、サルなどの生態と人間の生態を比較しながら、現代社会で我々が直面する様々な課題について言及しており、大変興味深い内容でした。
今更後戻りはできないですが、グローバル化も進んで人間社会の規模が大きくなりすぎて生きづらくなっているんだろうなとゴリラの群れの話などを読んでいて感じました。
「道徳は自分が属したい共同体があってこそ成り立つ。それがなければ、道徳は心に宿らないのである。道徳の低下は、現代の日本人が急速に孤独になったことを示している。」と書かれており印象に残りましたが、小中学校で「特別の教科」として位置づけられるようになった道徳の授業では現在どんなことを教えられているのか気になりました。 -
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絶対読むべき。これからの時代をどう生きていくのが幸福に繋がるのかを教えてくれた。
スマホを使うのは最終手段であり、現実世界での人と人との繋がりを大切にするべきという筆者の主張は素晴らしいと思った。たしかに、人と人との繋がりは大切であり、誰とも話さずに1日過ごすのはストレスを感じるし、それが数日続くと心が荒んでくる。昔は便利な連絡手段が無いから直接対話をするしかなかった。しかし、そこで生まれる会話は実に貴重である。そういう意味では、メールやSNSが無かった昭和に生まれた人が「昔は良かった」というのは否定できないと感じた。だからこそ、昔の良い所と今の良い所を上手く融合させることが大事だと思う。そのためにはスマホから離れることは必須であり、そうするためにはこのように本を読んで知識を吸収し、繋がりを求めるようになることが良いのだろう。 -
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山極先生と小原先生の対談がメイン。
狩の現場で獲物をそのまま食べずに仲間が持ち帰った食物を分けて食べるのはホモ・サピエンスだけらしい。仲間を信頼するという能力があるからこそできる行為なんだという山極先生の主張。
それと、長期間グループを離脱していた仲間が帰ってきて受け入れることができるのもホモ・サピエンスだけなのだが、そこには不在者に対する倫理が存在する。現在の不在者、過去の不在者、未来の不在者の倫理という小原先生の考え方も大変示唆に富んでいて面白かった。
宗教に対してステレオタイプな見方をするだけではなく、その意味を考える機会にもなるかと思う。
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生まれた時から、言葉が当たり前にある環境だから、言葉ですべての物事を定義してしまうこと自体の意味や、不可解さについて考えたことなかったな
言葉遣いなど、言葉に達者な人でありたいなあとは思っていたけれど、そのマイナス面についてもあるのね、やっぱり物事って全て両面性がある。。当たり前って危険ね
普段よく人間で(笑)話題になる恋愛、結婚、親子関係その他、人間も動物の一種と考えるとなんだか単純化された
今は特に戦争について考えさせられることが多いから、争いのテーマの部分も納得しながら読みました
共存、想像力は私にとって永遠のテーマ!
戦争が存在する理由:言葉 死者 共感性 (トーテム 農耕社会 科学 アイデンティティ 宗教)
ーそれがなぜ本性のように語られるかというと、人間が言葉によって比喩の能力を手に入れたから。
ーその簡単さが不気味です。簡単であればあるほど、こちらの都合によっていくらでも操作できる。誇張もできるし、嘘もつける。
ーA=B.B=A コップという言葉とコップそのもの、テロリストとイスラム教徒
本来間違っている理論をすんなり通してしまう通路
ーもともと違うものを、同じ価値基準でまとめ上げる〜言葉を使うというのは、世界を切り取って、当てはめて、非常に効率的に自分の都合のいいように整理しなおすってこと
ー現代の人間は、その一体感が進むあまり、集団の中に自分を没入させて尽くすような意識に行きついてしまいました。他者のためとは違う、集団のため。これは動物には絶対にない心の在り方です。
言葉の網ですくい切れないものが溢れている世界に、つい最近まで人間は他の動物と一緒に暮らしていた。言葉に頼れば頼るほど、僕たちの世界はそれ以前に獲得した豊かな世界から離れていく。それは生物としての人間にとってあまりにももったいない損失なのではないか。〜長い進化の歴史を通じて鍛え上げてきた感性の中に言葉を調和させることで、より幸福な世界を手にすることができるのではないか〜
それぞれの生物に与えられた時間があり、それをあるがままに生きるのが生命の営みというものだ。それぞれの生物は持って生まれた能力に従って世界を構築している。〜