頭木弘樹のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
カフカの日記や創作ノートに記された断片の編訳。
カフカは断片が面白いといわれる。平凡社ライブラリーにも『夢・アフォリズム・詩』という似た趣旨の本がある。
抽象的に書かれた短い文章ほど、読者はその空白に想像を働かせて深く考えてしまいがち。俺にはカフカの断片はもどかしい。中野孝次の感じた「いらいら」と通じるかもしれない。
「自分が生きていることが、自分の道をふさいでいるのだと、彼は感じている。/そしてまた、自分の道がふさがれていることによって、自分が生きている証を得ている。」
こういう矛盾の表現がいかにもカフカって感じがする。
本書には収録されていないが「鳥籠が鳥を探しに行った」というアフォリズムが好き。「俺は殴り役だから殴るんだ」という『審判』の殴り役や、帰宅しても制服を脱がない『変身』の父親のように、官僚制・資本主義の内面化を連想させる。 -
Posted by ブクログ
著者である頭木弘樹さんの、弱い者に寄り添うような穏やかな語り口が好きで、コロナ禍ぐらいからX(旧Twitter)をフォローしている。東日本大震災の直後だった本書の刊行当時、ネガティヴな言葉は禁句とされていて、「絶望」という言葉を目にしたくない、そんな本は手に取りたくもないとまで言われたそうだが、その後ベストセラーになった。
人間って本当に辛いときは、ポジティブな励ましの言葉より、その心情に寄り添うようなネガティブな言葉や、力強い罵倒や悪口に救われることもある。私も断然そっち派だ。
実際、悲しみや落ち込みから回復していくプロセスでは、いきなり前向きな言葉をかけるより、まずはネガティブな感情に寄り添い、それを受け止めたうえで、少しずつポジティブな方向へ気持ちを切り替えていくほうが効果的だ、という研究もあるらしい。
カフカは、徹頭徹尾ネガティヴで自己肯定感が低く、自分と他人を比べては絶望し、自分の運命を呪い続ける。とりわけ父親への劣等感が強いようだ。結婚や子どもを持つことへの憧れが人一倍強く、幸運にも婚約してくれる相手がいたのに、自信のなさからマリッジ・ブルーを拗らせて、自らそのチャンスを手放してしまう。しかも三度も。
自身の体型や、健康に対するこだわりも強い。痩せていることを気にしているのに、食べることを忌避し肉は食べない。健康のために酒やタバコもやらず、新鮮な空気を吸うために冬でも暖房もつけずに窓を開け放っていたという。そんな徹底した節制(?)にもかかわらず、34歳で結核を発症してしまい、40歳でその短い生涯を閉じた。
興味深いのは、病気になったことに対して絶望するどころか逆に生き生きとして、長年悩まされた不眠も一時的に解消していることである。心理学の言葉では「疾病利得」と呼ぶそうだが、病気になることで仕事を休めたり、周囲に心配してもらえたり、「できない自分」でいることに言い訳ができるようになる。カフカはこれを最大限に享受したようだ。
生前はほとんど無名だったカフカだが、彼の作品を後の世に遺そうと奔走した友人のおかげもあり、今では世界的巨匠としての評価をほしいままにしている。
そのことを、絶望してばかりだったカフカに伝えたら、どんな反応をするだろうか? -
Posted by ブクログ
20歳で難病にかかった著者が、
自分に疲れることありませんか?と問いかけ、
数々の本の引用と共にその原因を探る本。
そもそも 自分 とは、体 なのか 心 なのか
から始まり、
体や心がコントロールできないのはどんな時なのか、
心と体はどうつながっているのか、など
細かく紐解き、
自分に疲れる原因は他者との関係も影響するという
別視点からのアプローチから、
最終的に分けて考えてきた 心 と 体 の
「あいだに」あるものを大事にすることの大切さを説いている。
5章が特に印象的で、
共に食べることを苦にする人がいること
漏らしてしまうことの罪悪感の話が心に残りました。
(多数派が優先され、少数派は辛い思いをするという話)
安部公房の本は大学生の時に買ったままになっているので、久しぶりに読んでみようかと思いました。
-
Posted by ブクログ
「痛い人」と「痛い人のそばにいる人」のために(人はたいていこの2種類に分けられる)、「痛い人」の立場から、文学的アプローチをもとに書かれた本。
私は「痛い人」の方として読み進めた。そして「痛い人」になってみて初めて、「痛みというのは孤独なもので、誰にもホントの痛みはわかってもらえないのだなぁ」と思った経験がある。なので、この本に書いてあることは、非常によくわかった。痛みを言語化するのって、難しいのよね……。
そして、「痛い人」に対して、かけてはいけない言葉。気の持ちよう的なやつ……! ホントそれ。法律で使用禁止にしてほしい。たまに医師でも使う人がいるから、油断できない。
それはさておき、痛がる人を非難する人は、いつか自分にも振りかかるかもしれない痛みを怖がる気持ちが根底にあるのではという考察には、納得させられた。
痛みとともに生きる人が、なんとか言語化しようと生み出した言葉から生まれる文学もある。それでもやはり痛みなんて、どんな人にもなければいいのにと思う。