仲正昌樹のレビュー一覧
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ドイツフランクフルト学派のアドルノの「判りにくさ」の擁護とその根拠の展開。ハンナ・アーレントの「全体主義」と「人間性」の読み取りが、適度な深度で述べられている。その展開は、極度な人間性の尊重などという人権左翼好みのものではない。人間性の総体は、それが全体の縛りとなれば「全体主義」が成立するということであろう。アウシュビッツの元親衛隊員であったアイヒマンは、大悪党なイメージで語られるものとは違って、どこにでもいる平凡な役人であり、悪人の顔つきではないとするアーレントの言辞を取り上げて、悪は、ごく平凡な役人こそが、役人的根性で行うことで、成立するものであるとしている。尚、アイヒマンは、モーシェ・
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アホなので中盤くらいからよく分かってないがとりあえず最後までは読んだ。色々とガタが来ていたアメリカ的なリベラルを立て直すためにロールズの正義論があって、そこにリバタリアニズムやコミュニタリアニズムから反論があって…みたいな流れやった気がするけど、コミュニタリアニズムくらいから色んな人が色んなことを言いだしてもう分からない。思想をまとめるというのは大変なことです。
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まあでもリベラルとかネオコンとか、言葉しか知らんものがなんとなく分かったのは良かった。貧乏な白人が何にキレてるのかも分かった気がするし、フェミニズムとかそういう運動にリベラルな人たちとラディカルな人たちがいるのも勉強になった。 -
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ウェーバー読んだ事ないし、哲学とかほとんど読んだ事ないし大丈夫かなと思いながら、でも入門書だし、と思って手に取った。はっきり言って難しかった。調べながら1日4、50ページとかの超スローペースで読んでなんとか理解できた。
ウェーバーの論考を読んで感じたのは、彼の思想が単に過去を分析するものではなく、現代社会の本質を鋭く捉えているということ
合理化や価値の多元化といったウェーバーの概念が、今の私たちが直面している問題と深くつながっていると思った
本に含まれるのはウェーバーの考えの一部分だけど、とても鋭くて柔らかい考えだと思った。めちゃくちゃ頭いいし、著者も言ってたけどバランス感覚が抜群というの -
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人間が世界の在り方について語るには、常に何らかの形而上学的前提に頼らざるを得ない。その点では、マルクス主義もキリスト教もポストモダンも共通しているという。仲正昌樹は、この「〈宗教〉化する現代思想」の中で、先人の形而上学的な思考枠組みを克服するつもりが自らもその形而上学的な思考枠組みに陥ってしまう過程を延々と描いている。
この循環を脱する方法は著者曰く存在しない。このような状況の中で私たちはどのようにしたらよいのだろうか。著者は哲学・思想において重要なのは結論ではなく、その思考過程にあるとする。無意識レベルの形而上学的な前提を「適度に」疑いつづける「相対主義者」であることを著者は勧めているように -
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ーー東大入学とほぼ同時に、統一教会に入った著者は、11年半にわたる入信生活の後、脱会して学者の道へ。気鋭の哲学者がその数奇な半生をつづり、みずからの宗教体験を振りかえる。ーー
佐藤典雅「ドアの向こうのカルト」はエホバの証人から脱退ものでしたが、こちらは統一教会。
かなり赤裸々に告白しているので読み応えあります。
まず、統一教会の教義の基本は、「救い」と「思想」の2本立て。
「救い」の内容とは、キリスト教がイエスが死んで肉体がなくなり霊的な働きかけしかできなくなったという「不完全さ」を克服し、地上の新たなメシア(文教祖)によって完成されるというもの。
「思想」とは勝共理論(唯物論的なマルクス主 -
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現代哲学の主要なテーマをコンパクトに解説している本です。ロールズの『正義論』とそれに対する批判などを皮切りに、承認論、自然主義、心の哲学、そして新しい実在論(形而上学)の五つのテーマがとりあげられています。
著者は、作品社から刊行されている「講義」シリーズのように、さまざまな思想家の議論の背景にある哲学史的系譜をじっさいに解きほぐして読者の前に示すような入門書を多く執筆しています。本書の「はじめに」でも、「アラカルト式の入門書は、一般教養とし哲学の基礎知識がほしいという人には役に立つだろうが、本格的に「哲学」を学びたい人、つまり過去の哲学者たちの思考を参考にして、自らも哲学的に思索したい、と -
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ヘーゲル哲学は、現代思想のさまざまなシーンにおいて、肯定・否定の両面において議論の対象となっています。本書は、そうした多様な解釈と評価において姿を現わす、ヘーゲル哲学の多面性を紹介している本です。
フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』と、そのバックボーンになっているアレクサンドル・コジェーヴのヘーゲル解釈からはじまって、ハーバーマスやアドルノ、チャールズ・テイラーやロバート・ブランダム、スラヴォイ・ジジェクやジュリス・バトラーといった思想家たちが、ヘーゲルについてどのような解釈を提出しているのか、簡潔に論じられています。
ヘーゲル哲学の現代的な解釈の諸相を概観することができるという意味で -
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・一度「存在」への問いに囚われると、そこから完全に逃げ出すことはできなくなり、「存在」を気遣い続けることになる。逆に言えば、「気遣」っているからこそ、「現存在」は「実存」として「存在」しているのであり、「気遣い」しなくなった時、「現存在」はもはや「存在」しない
・「死」をもって、自分の現存在の全てが顕わになるが、その瞬間を自分で経験することはできない。「死」の瞬間に、経験する主体である自分自身が消滅するからである。「死」をもって、各人のそれまでの各種の気遣いや、自明視してきた有意義性の連関も消滅する(ように思える)。「世界」がその後も”存在”し続けるかどうか分からないし、たとえ”存在”し続けた -
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プロローグによると、日本とドイツの戦前の思想は「意味のある比較」をすることができる、ということらしい。個人的にはドイツのような変な国と比較されるのは嫌なのだが、意味があるのであれば仕方がない。
内容は、国民国家としての両国の誕生から挫折するまでの歩みを両共同体の思想史を通じて読み解く、といったタイトル通りの内容。少し物足りなさは感じるくらいサッパリしていて読みやすいが奥は深い。そして闇も深い。
興味深い箇所は多々あるのだけど、特に興味を引いたのは「日本的なもの」という曖昧な概念を「台風の目のように中心が空洞になっていて、周辺の空気の運動を吸収して次第に膨張していく」として、これがファシズム