仲正昌樹のレビュー一覧
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相変わらず驚異的な編集能力・要約能力を持ち合わせておられる。
題名の通り、この本で20世紀の哲学の要点は大体掴むことが可能でしょう。
単なるすぐれた要約にとどまらず、初学者が疑問に思うような点(例えばロールズの正義論の何が画期的だったか?というように)に視点を向けようと努力している点も素晴らしく、その意味で痒いところに手が届く感触があります。
また個人的には思弁的実在論については無知だったのでとても勉強になりました。
しかし、ある程度の前提知識を要求するような面があると思われ、全くの初心者がこの本を読んで理解できるかどうかは分かりません。
著書もこの点に関しては本書の中で釘を指しています。
いずれにしても、20世紀の哲学・思想を大雑把に把握する上で抜きん出た書物であることは変わりありません。 -
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E Oウィルソンの『知の挑戦』が解説される哲学関係の書籍というのはただそれだけで満足を得られたりする。
期待して読んだのは第4章「心の哲学 「心」はどこまで説明可能か?」
自分としては(大雑把にいって)自由意志と行動主義が同時に存在する感覚を、今ここで感じられること(事)が「こころ」と呼ばれるものだと思ってるのだけど、どっちかでないとダメみたいなところで議論しているみたいで、なんで両立しないのかが気になった。
あと、たとえば視神経の2つの異なる系の存在や、そうした神経と脳の関係が生物の進化の過程でどのように獲得されてきたのかというあたりは哲学ではあまり考えていなくて、純粋な思考によって「こころとは何か」「主観を客観で説明できるか」というあたりの話が中心なんだなという感想。
そのあたり、眼球の構造や視覚の研究をしていた科学者としての「デカルト」から、心の哲学はどんどん離れていくんだなという寂しい印象もある。
こころというものは現実にはどこにも無いのだけど、こころが自分の中に存在すると感じたり、そした信念を持つことによってその人が救われるのであればそれでよいと思う。こころとは私のことである、でもいいと思う。
でもなんかそうなると宗教になってしまうような気もするし、道具的な「こころ」ってどうなの?とか。いろいろ考えさせられはするのだけど。 -
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第二次世界大戦中にドイツからアメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレント。彼女が執筆した『全体主義の起原』をはじめとした著書を通して、ナチズムやホロコーストを推し進める背景にあった社会の流れや大衆心理を説いていく。
『蠅の王』(ウィリアム・ゴールディング)や『一九八四年』(ジョージ・オーウェル)を読んだときに感じた背筋がヒヤリとする感覚は、本書を通してかなり補完されました。
ヒトラーが大衆心理を熟知し巧みに操り、自身の「法」に従うよう扇動していたのはその通りです。アーレントはさらに歴史的惨事が起こった時代背景として、政治や社会が混沌とし敵味方の見通しがつきにくい、将来が不安定、蔓延した閉塞感などを挙げています。そのような不穏な世の中にいると大衆は求心力のある「分かりやすい」対象・イデオロギーを求めるメンタリズムが働くと説きます。当時ドイツは近隣国から今まで経験のない圧を受け、国はそれに一丸となって対抗する必要がありました。連帯感・仲間意識を維持強化するための安易な近道は「敵」をつくること。つまり当時のドイツ政府は早急に国民の統制を取らねばと考え、その格好の対象となったのが国内の社会コミュニティのなかで異分子でもあったユダヤ人でした。彼らを大衆の憎悪の対象に仕立て上げ“排除”しようとすることで国民の足並みを揃えようとし、未曾有の殺戮へと繋がります。
分かりやすくレッテルを貼り自分達の存在や立場を正当化する、善良性を証明しようとする行為は大小さまざまな規模で起こっています(子供のケンカから戦争レベルまで)。おそらく自分が自分らしくあるために人間に備えられた安全装置なのだと思います。無くなることはないでしょう。
至って平凡に生まれ平凡に育ってきたと自覚している自分でさえ、大衆の渦に飲まれたときに冷静でいられるかと問われると自信がありません。
本書を読む前は「歴史」に触れるつもりで手に取りました。しかし読み進めるほど本書で書かれていることは歴史ではあるけれど過去ではない、そして他人事ではないと痛感します。むしろ国内外問わず社会情勢としては当時の状況下とかなり共通点が多いのでは……と邪推するのは考えすぎでしょうか。
memo:ハンナ・アーレント『全体主義の起原』『エルサレムのアイヒマン』など -
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本日第3章「大衆は「世界観」を欲望する」に読み架かりました。
白眉は大衆を定義した箇所。
政治的に中立の態度をとり、投票に参加せず政党に加入しない生活で満足している
投票を棄権する人(大衆)は、平素はとりたてて不満がなく
「ま、ひどいことにはならないだろう。」
と楽観し、実際に(多少ズルをする人がいるかも知れないが)気楽に生きていく程度には不自由がないのだろうと思います。
しかし、彼ら(大衆)が、世の中に不満を持ったとき、全体主義の再来が懸念される
と言うことなのでしょう。
日本では選挙のたびに、低い投票率が嘆かれますが、
無理に投票に行かせると、極端な主張をしている左派か、右派のどちらかに投票することになることが、前回の参議院議員選挙であきらかになったと思います。
いざ選挙になってから「投票に行け」と言うのはまずいと思いました。
不満があるときに、誰かの陰謀論にすがりつきたい気持ちは僕にもあるし、それが人気になるのもわかります。
でも、実際の所、不満を解消するには、自分なりの工夫や、ある程度の努力が必用。
例えばカネが欲しければ、自分が働くことが、最も確実な方法です。
それ以外の方法で金を生み出そうと知恵をひねると、いろいろな陰謀とターゲットを決めて搾取することになります。
むろん、そんなことをしても根本的には解決しません。
少し考えれば、そう思い至ります。
そんなことを考えながら、読み進んでいます。 -
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ハンナ・アーレントの重厚な著作は、存在こそ認知しているものの手に取ったことがない。
気にはなっている、しかし手に取るには様々な意味で重たい。しかし気にはなっている…
そんな自分にとっては実にありがたい一冊だった。
強烈なリーダーシップを発揮する独裁者が全体主義を作るのか?ここでは明確に「ノー」という答えが提示される。
大衆の動きが作り出すものであり、またそのメカニズムに組み込まれた大衆はそのシステムから求められる行動が、規範が悪であるのかはもはや判定不可能になる。なんとも恐ろしい話であるし、遥か昔に片付いた話というわけではない。全体主義は隣で、自分の中で息づいているのだ。
立ち止まって物事を捉える、Whyを問いかけ続けることの重要性に気付かされる一冊だ。 -
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タイトルが変だから読み控えていたけど、読んでみたら面白かった。
タイトルからして世の中の「みんな」に不満をぶつけて「こいつらほんとバカだよな(笑)」等感じなのかと思ってたけど、仲正昌樹なので当たり前だけど、そういう内容でなかった。
まず「みんな」って誰? という定義から入って、「赤信号」や例をもとにして、日本における「みんな」とは誰かを説明しつつ、西欧思想史における「みんな問題」(全体主義など)を説明。「みんなの責任」とか、その中での主体のあり方(ない方)など、みんなみんなで一冊。監獄の誕生。
「責任とは応答すること」で、「みんなが」とか「みんなやってるのに」という応答から「主体意識の解体」を読み取るなど、保身が危うくなると「みんな」とうキーワードを使うのはなぜか、とか、ほんと面白かった。 -
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戦後60年、海外ではイラク戦争が起こった2005年に書かれた日本とドイツが辿った戦後思想についての本。こちらも『日本とドイツ 二つの全体主義』と同じく、思想史について手際よくまとめられている。目次は以下の通り
第一章:二つの戦争責任
第二章:「国のかたち」をめぐって
第三章:マルクス主義という「思想と実践」
第四章:「ポストモダン」状況
第一章と第二章では、日本とドイツで戦争責任についてどう考えられていたのかが書かている。「一億総懺悔」で自国の被害者性を強調して、他国への加害者性が最近まで思考がいかなかった日本と、周辺諸国と隣接する領土を失い、東西に分割されてしまって新たに「国家」として出発したために、改めて「ドイツ」とは何かを考えざるを得なかった戦後ドイツの思想状況が対比的に描写されている。第二章の「憲法愛国主義」の立場を取るハバーマスと、日本の「護憲平和主義」の日本のリベラル左派との対比が興味深かった。個人的な感想だが、戦後ドイツでハバーマスらが参加した歴史論争に比べると、日本で90年代に行われた「敗戦後論」論争は後にほとんど何も残さないしょぼい論争だったなあと感じざるを得ない。
第三章では、日本のマルクス主義とドイツフランクフルト学派との比較がされている。この章自体、フランクフルト学派の紹介として良くできており、ネットでフランクフルト学派=極左と短絡的に思っている人たちには是非とも読んで欲しい。マルクーゼは、当時の学生運動の近い立場だけど、アドルノは直接行動に否定的で、日本で云えば丸山真男の立場に近い。なので、日本でフランクフルト学派を敵視する右派は、マルクーゼの印象に引きずられ過ぎだろう。
第四章では、目次の通りに70年代以降のポスト構造主義以降の思想的状況について書かれている。紙面の都合か、この章はやや駆け足気味にその後のポストモダン状況について論じられている。ドイツの現代の思想界の動向について全く知らなかったので、ドイツポストモダン派 vs フランクフルト学派の話は大変勉強になった。あと、東浩紀一人勝ち史観のように感じられたが、日本のゼロ年代の思想のまとめとしては手堅いと感じた。
日本とドイツが「国民国家」として成立後に、現在までどのような思想史が形成されたかが概ね流れとして把握できるので、『二つの全体主義』、『二つの戦後思想』の二冊を続けて読む事をお勧めする。
評点:8.5点/10点。 -
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前年に出版された『日本とドイツ 二つの戦後思想』の続編だが、発売順ではなく、こちらの新書から読んだ。本書では、第二次世界大戦時に枢軸国側として参戦した日本とドイツが「国民国家」として成立する、1870年代から第二次大戦に突入する1930年代までの戦前の思想史を描いている。
目次は以下の通り。
第一章:近代化とナショナリズム
第二章:二つの社会主義
第三章:市民的自由と文化的共同性
第四章:全体主義と西欧近代の超克
本書では、非常に手際よく日本とドイツの戦前の思想史の比較がされており、ある程度、哲学と思想史を学んだ人にとっては頭の中の知識が再構成、整理されていく良い本だと思う。(個人的には哲学、思想史関連の知識がほとんどないので読み進めるのにちょっと手間取った。)日本の戦前の左翼思想について、松尾匡「新しい左翼入門」を昔に読んだ事があるので、ある程度知識があり、話題に馴染みのある第三章が一番読んでいておもしろかった。
内容がちょっと詰め込み過ぎだと感じられた嫌いがあるが、これを起点に戦前の思想について書かれた本が連鎖して読むことができると感じられて、読んで良かった。第二章は松尾匡「新しい左翼入門」(講談社新書)に、第三章は、竹内洋「教養主義の没落」(中公新書)と続けて連鎖的に読めばさらに理解が深まるであろう。
評点:8.5点/10点。 -
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専門分野が多岐に渡るマックスウエーバーについての入門書という難しい問題に対して、その著書を読むことを通じて当たられた本書の挑戦が見事に当たっていると思います。本来、ウエーバーを学ぶには相応の覚悟が必要だと思いますが、その知識の一部でも正確に知る事ができる本書は有難かったです。
著者も序で書かれているように、やはり専門的な内容にもなるので、学生になって講義を受けているような姿勢で読まなければならない面があります。私は第3章が少し難しく感じました。
第1章・・・キリスト教の各宗派の思想と、資本主義の関係について
第2章・・・政治を扱う人の種類や、政治形態としての官僚制について
第3章・・・学問として社会科学をどのように行っていくべきか
第4章・・・学者、教授としての姿勢