仲正昌樹のレビュー一覧
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ネタバレ主に社会思想史を研究する仲正氏による日独戦後思想史の概説書。
出版された2005年は、小泉政権下で自民党が衆院選挙で大勝した年である。
この本は、第二次大戦中の同盟関係から戦後の清算に至るまで類似した道をたどった(と一般的に思われている)日独が、実は、思想史的には質的に異なる道を辿ってきたことを主題として語っている。
また、日本における戦後思想は思想史的な主流を持たないまま、曖昧模糊とした「右と左」の二項対立に終始している点も指摘している。
具体的には、以下の4点において比較分析が行われている。
(第1章)戦争責任を誰が負うのか
(第2章)戦後ナショナリズムの形成過程とその内容
(第3章)戦後の思想界におけるマルクス主義の扱い
(第4章)日独における従来的知識人とポストモダンの受容
ごく一般的な戦後論をイメージしている人は、第1章と第2章までを読めば十分満足できるはず。
・・・というよりは、第3章と第4章があまりにも思想史の専門的議論に立ち入っている。それは、門外漢にとっては「戦後思想」の話であることを時々思い出しながら読む必要があるくらい込み入っている。
3,4章は単なる思想史の日独比較として読めば十分面白いので、戦後思想史と近現代思想史のそれぞれを日独で比較したものだと思って読めばよい。
<以下、重要と思われるポイントの引用とコメント>
「当時生まれていなかった人たちに先人の犯した罪についての告白をするよう強いることはできないが、彼らもまた、先人の遺産、「過去からの帰結」に関わっているので、その帰結に対して「政治的責任」を負わなければならない」(pp42-43. 1985年のヴァイツゼッカー大統領による「荒れ野の40年」という演説から)
⇒「今の人が責任を負う必要があるのか」「何の責任を負うのか」という、戦後責任論における二つの根本的な問いに答えている。このような発言を生れてこの方政治家(ましてや首相レベルの人間)の口から聞いた覚えはない。
「少なくとも形のうえでは、国家としてゼロからの出発となったドイツ連邦共和国に比べると、天皇制の下でソフトランディングな体制の転換を通して誕生した日本国は、本当に大日本帝国とは全く別個の国家であると言えるのか疑問に思えるところが多い」(p.69)
⇒したがって、その帰結に対して政治的責任を負わなければならない。
「大日本帝国の「国体」は公式的にはいったん解体されたものの、天皇制を核として文化的・宗教的なレベルでは生き残り、それが「国民国家」としての日本国の統合の象徴として―政治的にも―機能しているので、右にとっても左にとっても、自分たちの立っている足場が見えにくくなっているのである。」(p. 129)
⇒アメリカ追随なのに改憲したい右と、アジアとの協調と志向しつつ護憲派の左という「ねじれ」が存在するのも、根っこはここに起因している。 -
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仲正先生の本、久しぶりに読みました。
おもしろすぎて頭が変になりそうでした。
帯には
高校生もわかる「思想」入門
なんて書いてあるんですが、
こんなの高校生のときに読んでたら、頭破裂していた気がしますよ僕は。
それは良いことかもしれないし、悪いことかもしれないし、そこは分からないんだけども。
政治やメディアの場でなぜかよく使われるようになっている、哲学・思想用語を取り上げ、
学術上の意味や文脈を自身の考えを織り交ぜながら解説していきます。
その「仲正先生の考えを織り交ぜながら」の部分がだいぶ乱暴です。いい意味で。
一つの項を読み終わって、そのキーワードに対する理解が頭の中ですっきりするなんてことはなくて、
むしろ頭をざわざわにしていってくれるんです。
こわい。たのしい。
メディアに触れてるとホントに良く見る言葉ばかりですし、
誰しも関係ある(ようにメディアで強烈に見せる)キーワードなので(いや実際みんな関係あるんですけどね)、
どれか一つでも関心ある人はその項だけでも読んでみるとなかなか面白いと思います。
例えば自分が何かしらのwebサービスに携わり、
それを通じてメッセージを発するとき、
そのメッセージがどんな意味を持っているのか、持ちうるのか、
うまくコントロールはできないにしても、
せめて敏感でいたいな、とは思っています。
(webサービスじゃなくてもそうですが)
あとがきで、言及してますが、
「カリスマ」「セカイ系」「リア充」など他の候補たちの術語集もものすごく読んでみたい。
続編に期待したいんですが、出ないかなあ。
扱われているキーワード
「正義」「善」「承認」「労働」「所有」「共感」「責任」「自由意志」「自己決定/自己責任」「「心の問題」」「ケア」「QOL」「動物化」「歴史(=大きな物語)の終焉」「二項対立」「決断主義」「暴力」「アーキテクチャ」「カルト」「イマジナリーな領域への権利」「「人間」」 -
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みそ汁をしばらく放っておくとみそが沈んでしまいますよね。アイデアやイメージがその沈んでしまったおみそだとすると、この本は、そのみそ汁をお箸でくいくいっとまぜるような読みものです。
ちゃんと言うと、あたまのなかに沈澱し(そしてある意味では安定化し)たイメージやアイデアを掘り起こして思考する意欲を刺激してくれるような本です。あまりたくさんの知識を与えてくれる本ではありません。むしろ、映画の予告編のように、いろいろ考えたく、知りたくなる本だと思います。
ご本人もあとがきで言っておられますが、けっこう毒舌で、譲歩やカッコ書きのあたりにユーモアやアイロニーが見え隠れしています。けっこう笑えます。 -
Posted by ブクログ
現代思想の解説本をはじめ多くの著書がある著者の新刊。
思想と死の関係、という切り口から10人の大思想家について解説している。そして、それは同時に「生き生きと」思想を語る人々への批判でもある。
まずもって読み物として非常に面白かった。
かなり探し歩いて、念願かなってという感じで手に入れたこともあり、夢中になって読んでしまった。
そして、解説としてもわかりやすかった。
神を殺して、頼るところのなくなった人間。
いかにして倫理は存在できるのか。
そして、人間は「人間」をも殺すことになる。
彼らの本を読んだことなどあまりなく、まして彼ら自身であるわけでもないのに、解説としてわかりやすかった、などと言ってしまう。なぜなのか。きっと、読めば分かります。
ニーチェの章や、あとがきは圧巻だった。
こんな本を「生き生きした」ものとして感じてしまう私は変わり者なのでしょうか。w
この本を生き生きと批判する人がいればいたで面白い構図。ネットイナゴの皆さんや、院生なんかのみなさんには是非頑張って頂きたいですw -
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ネタバレ「みんな」という非常に馴染み深いが、何だかよくわからない概念に対して、鋭く迫って分析している著者の議論の進め方はお見事という他ないだろう。
没個性的になるのを嫌がって他人と自分を差別化したがり、そのために奮闘すればするほど没個性的になっていくというアイロニカルな逆説を著者は「客観的」に指摘しているようだ。
しかし、著者に言わせれば、他者を対象化しながら検証している自分自身でさえも、実は「みんな」の呪縛からは逃れられずに「わたし」と「みんな」の間を行き来して、袋小路に陥っているらしい。
「みんな」という存在に私達は否応なしに関わらざるを得ないようだ。 -
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帯の「現代思想の入門書」という文句とユニークなタイトルに惹かれて買って読んでみたが、私が以前に読んだ仲正氏の日本とドイツの思想比較をテーマにした新書よりも抽象度が高く、理解が及ばない箇所が多々あった。
この本は、アドルノ、ベンヤミン、アーレント、デリタ、ハイデガー、フーコー、マルクス、ニーチェ、ラカン、スローターダイクの10人の思想を章に分けて、著者のテーマに合わせて引用しつつ解説・解釈して話が展開していく形式をとっている。
私としては不十分な理解なりにも、ニーチェの「超人」に関する思想をバカボンのパパを題材にして論じている章が、妙に説得力があるように思われ楽しめた。 -
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ネタバレ『日本とドイツの二つの戦後思想』の続編?という位置づけにあたるようだ。前作の戦後思想に関するもののように、活発に議論されるテーマでなかったせいか、著者独自の見解というものが極力示されておらず、1870年代~1930年代までのドイツと日本の思想の変遷を順を追って比較し、論じるにとどまったものになっている。
前作の続編に位置づけられるのに、時代は遡っているという極めて異様な本書であるが、読み進めていくうちにこの後編を読むことによって、前作の理解がより深まっていくように感じた。
戦前から戦後と順を追っていくよりも、戦後の結果を踏まえた上でより理解が深まるものであると計算して、このシリーズを書いていたのであれば、読者に自らの主張を伝えるという点において、著者の仲正昌樹氏は非常にすぐれた学者なのではないかと感じさせられた。
また、本書は前作の補助的な役割にとどまらず、単体としても十分一読の価値があると思う。 -
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ネタバレ日本とドイツ―戦後の対外政策においてよく比較の対象とされる両国であるが―では、よく「ドイツは周辺諸国にちゃんと謝罪したが、日本はアジアの国々に謝罪しない。けしからん」という主張が展開される。そうなるのはなぜなのか?、という素朴な疑問から出発している。
著者によると、日本とドイツの戦後政策は地政学的要素・政治的要素・文化的要素などから、単純比較はできないし、すべきでないという指摘・批判が鋭くなされていた。メディアで展開されるような単純な比較の問題とは異なり、議論に深みがあり説得力を持ったものだった。
ただ、途中のマルクス主義の日独比較あたりから、私の不勉強による教養の欠如が原因で、十分に理解できなかったのが残念である。しばらくしてから、また読み返す必要がありそうだ。
最後に、巻末に年表とそれに対応する参考文献一覧が載っているのがありがたく感じた。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
プラトン以降の西欧哲学・思想史において、“すぐれた哲学・思想”と思われているものが、いかに擬似宗教(形而上学)化の危険性と隣り合わせにありそのことが哲学者・思想家によってどのように問題化され、論じられてきたのか。
本書では、現代思想に特に強い影響を与えたハイデガー、アーレント、デリダなどの論考をてがかりに、思想史の概観を試みる。
新興宗教体験を持つ著者だからこそ、現代日本の思想業界に、“生き生きとしたラディカルな思想”を中心とした「真の共同体」を求めるかのような、擬似宗教化の風潮が生じていることが分かるのである。
[ 目次 ]
序章 擬似宗教化する現代思想と「私」
第1章 「真理」の「共同体」
第2章 「比喩」と形而上学
第3章 キリスト教と西欧哲学
第4章 「疎外」と「エデンの園」
第5章 「私」という幻想
第6章 「内面性」の形而上学
第7章 「形而上学」と共存する
[ POP ]
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読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
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ネタバレ[ 内容 ]
国民性か?
歴史の必然か?
近代化の陥った罠を思想史から俯瞰する。
[ 目次 ]
第1章 近代化とナショナリズム(「国民」という思想 「国民」の“人為”と“自然” ほか)
第2章 二つの社会主義(「労働者」の誕生と社会主義 国民国家と社会主義 ほか)
第3章 市民的自由と文化的共同性(二つの戦間期 ワイマール共和国の大衆民主主義 ほか)
第4章 全体主義と西欧近代の超克(脱西欧化と新保守主義革命 脱西欧化とアジア主義 「生存圏」の思想 「近代の超克」論 ロマン主義と「近代の超克」)
[ POP ]
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[ 内容 ]
グローバル化の進展につれて、何かにつけて「自己決定」が求められるようになってきた。
その背景には、人間は「自由な主体」であるという考え方がある。
しかし人間は、すべてを「主体的」に決められるわけではない。
実際、「自由な主体」同士の合意によって社会がつくられるという西欧近代の考えは、ほころび始めてきた。
こうした「ポスト・モダン」状況にあって我々は、どう振る舞えばいいのか?
そもそも「自由な主体」という人間観は、どう形成されたのか?
こうした問いを深く追究した本書は、近代社会の前提を根底から問い直す、新しい思想の試みだ。
[ 目次 ]
第1章 「人間は自由だ」という虚構(現代思想における「人間」 よき人間と悪しき人間 ほか)
第2章 こうして人間は作られた(人間的コミュニケーションの習得 コミュニケーションの「普遍性」と「特殊性」 ほか)
第3章 教育の「自由」の不自由(「人間性」教育としての「生きる力」論 「ゆとり」から「主体性」は生まれるか? ほか)
第4章 「気短な人間」はやめよう(主流派としての「リベラリズム」 挟撃される普遍主義 ほか)
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再読した。多岐にわたる話題。
特に興味を感じたのは、イマジナリーな領域の権利の話題
自由とは、自己決定できることだとして
この自己を自己決定する権利の話題。
まさに自分の問題意識。
デュルシラ・コーネルが参照されている。
あと、アーレントとハバーマスのコミュニケーション。
違いは経済活動の捉え方。
アーレントは、自己の利害などが入ったコミュニケーションは否定するが、ハバーマスは肯定。
アーランは、ポリス、西欧的な出自を持つコミュニケーションの限界を意識している?
正義なりを確信したときの排他性。
悪の本質とは、自分で考えることをやめたこと -
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普遍的真理を探究し、誰にでも分かるように証明する「哲学・思想」には、もともと疑似宗教的な共同体を作り上げる傾向が付随する。ある一定の真理を得られたとしてもそれをもまた吟味して問い続ける営みが哲学なのだが、哲学が疑似宗教にはまってしまう危険性を、いかにして思想家(とくに現代思想家)たちが問題化としてきたのかを本書では思想史を概観しながら取り上げている(とはいえ、ハイデガー、ハンナ=アーレント、デリダがメインだが)。
西洋哲学・思想史の流れとして、万物を遍く普遍的真理を探究し、その真理の名の下に世界や人間のあるべき姿や政治、科学などを説く、ソクラテスやプラトンに代表されるギリシア思想の流れと、唯一の超越的な神による無差別無償の愛を受けることができる、かけがえのない存在としての人間観を説くキリスト教(ユダヤ教)の流れがある。両者ともに<理想とすべきモデル/不完全な現実>との二項対立を描き、いかにして理想に近づくために物事を行うべきかを主張する形而上学が展開された。中には民を扇動しようとするものが表れるが、その実践家の考えにそぐわないものは即座に異端の扱いを受けてきた。特に時代が進むにつれてそれが顕著になったのがマルクス主義思想やナチス思想で、自らの理想のユートピア(Utopia)の建設のために(=言わば「神の思し召しに従って」)異端と見なしたものを次々と処刑・粛清していった。マルクス主義のような思想も実はキリスト教的世界観の考え方に満ち溢れていて、形而上学が抱える二項対立から逃れることはなかった。
このように、著者は哲学が抱える形而上学という疑似宗教性の危険性を踏まえなければいけないことを説く。ここから著者の悪口めいた毒舌(特にサヨクに対して)が出る。著者曰く、こうした西洋哲学・思想の伝統や背景を知らずに思想家の論を展開する日本の論壇(「ウヨク・サヨク」)も、自分たちには関係ないと思っている疑似宗教化に見事にはまっていて、他の人たちを自分たちの考えにそぐわないと判断したら即座に強烈に敵対し完膚なきまでに叩き潰そうとする。ここら辺の毒舌がちょっと本書に占める割合が高く、むしろ書かないほうが本書のクオリティが高かったと思う。とは言え、毒舌は本書の重要な部分ではないのでスルーして全く問題ない。この部分を抜けば面白い本である。