仲正昌樹のレビュー一覧
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みそ汁をしばらく放っておくとみそが沈んでしまいますよね。アイデアやイメージがその沈んでしまったおみそだとすると、この本は、そのみそ汁をお箸でくいくいっとまぜるような読みものです。
ちゃんと言うと、あたまのなかに沈澱し(そしてある意味では安定化し)たイメージやアイデアを掘り起こして思考する意欲を刺激してくれるような本です。あまりたくさんの知識を与えてくれる本ではありません。むしろ、映画の予告編のように、いろいろ考えたく、知りたくなる本だと思います。
ご本人もあとがきで言っておられますが、けっこう毒舌で、譲歩やカッコ書きのあたりにユーモアやアイロニーが見え隠れしています。けっこう笑えます。 -
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現代思想の解説本をはじめ多くの著書がある著者の新刊。
思想と死の関係、という切り口から10人の大思想家について解説している。そして、それは同時に「生き生きと」思想を語る人々への批判でもある。
まずもって読み物として非常に面白かった。
かなり探し歩いて、念願かなってという感じで手に入れたこともあり、夢中になって読んでしまった。
そして、解説としてもわかりやすかった。
神を殺して、頼るところのなくなった人間。
いかにして倫理は存在できるのか。
そして、人間は「人間」をも殺すことになる。
彼らの本を読んだことなどあまりなく、まして彼ら自身であるわけでもないのに、解説としてわかり -
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ネタバレ「みんな」という非常に馴染み深いが、何だかよくわからない概念に対して、鋭く迫って分析している著者の議論の進め方はお見事という他ないだろう。
没個性的になるのを嫌がって他人と自分を差別化したがり、そのために奮闘すればするほど没個性的になっていくというアイロニカルな逆説を著者は「客観的」に指摘しているようだ。
しかし、著者に言わせれば、他者を対象化しながら検証している自分自身でさえも、実は「みんな」の呪縛からは逃れられずに「わたし」と「みんな」の間を行き来して、袋小路に陥っているらしい。
「みんな」という存在に私達は否応なしに関わらざるを得ないようだ。 -
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帯の「現代思想の入門書」という文句とユニークなタイトルに惹かれて買って読んでみたが、私が以前に読んだ仲正氏の日本とドイツの思想比較をテーマにした新書よりも抽象度が高く、理解が及ばない箇所が多々あった。
この本は、アドルノ、ベンヤミン、アーレント、デリタ、ハイデガー、フーコー、マルクス、ニーチェ、ラカン、スローターダイクの10人の思想を章に分けて、著者のテーマに合わせて引用しつつ解説・解釈して話が展開していく形式をとっている。
私としては不十分な理解なりにも、ニーチェの「超人」に関する思想をバカボンのパパを題材にして論じている章が、妙に説得力があるように思われ楽しめた。 -
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ネタバレ『日本とドイツの二つの戦後思想』の続編?という位置づけにあたるようだ。前作の戦後思想に関するもののように、活発に議論されるテーマでなかったせいか、著者独自の見解というものが極力示されておらず、1870年代~1930年代までのドイツと日本の思想の変遷を順を追って比較し、論じるにとどまったものになっている。
前作の続編に位置づけられるのに、時代は遡っているという極めて異様な本書であるが、読み進めていくうちにこの後編を読むことによって、前作の理解がより深まっていくように感じた。
戦前から戦後と順を追っていくよりも、戦後の結果を踏まえた上でより理解が深まるものであると計算して、このシリーズを書 -
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ネタバレ日本とドイツ―戦後の対外政策においてよく比較の対象とされる両国であるが―では、よく「ドイツは周辺諸国にちゃんと謝罪したが、日本はアジアの国々に謝罪しない。けしからん」という主張が展開される。そうなるのはなぜなのか?、という素朴な疑問から出発している。
著者によると、日本とドイツの戦後政策は地政学的要素・政治的要素・文化的要素などから、単純比較はできないし、すべきでないという指摘・批判が鋭くなされていた。メディアで展開されるような単純な比較の問題とは異なり、議論に深みがあり説得力を持ったものだった。
ただ、途中のマルクス主義の日独比較あたりから、私の不勉強による教養の欠如が原因で、十分に -
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[ 内容 ]
プラトン以降の西欧哲学・思想史において、“すぐれた哲学・思想”と思われているものが、いかに擬似宗教(形而上学)化の危険性と隣り合わせにありそのことが哲学者・思想家によってどのように問題化され、論じられてきたのか。
本書では、現代思想に特に強い影響を与えたハイデガー、アーレント、デリダなどの論考をてがかりに、思想史の概観を試みる。
新興宗教体験を持つ著者だからこそ、現代日本の思想業界に、“生き生きとしたラディカルな思想”を中心とした「真の共同体」を求めるかのような、擬似宗教化の風潮が生じていることが分かるのである。
[ 目次 ]
序章 擬似宗教化する現代思想と「私」
第1章 「真 -
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ネタバレ[ 内容 ]
国民性か?
歴史の必然か?
近代化の陥った罠を思想史から俯瞰する。
[ 目次 ]
第1章 近代化とナショナリズム(「国民」という思想 「国民」の“人為”と“自然” ほか)
第2章 二つの社会主義(「労働者」の誕生と社会主義 国民国家と社会主義 ほか)
第3章 市民的自由と文化的共同性(二つの戦間期 ワイマール共和国の大衆民主主義 ほか)
第4章 全体主義と西欧近代の超克(脱西欧化と新保守主義革命 脱西欧化とアジア主義 「生存圏」の思想 「近代の超克」論 ロマン主義と「近代の超克」)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆ -
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[ 内容 ]
グローバル化の進展につれて、何かにつけて「自己決定」が求められるようになってきた。
その背景には、人間は「自由な主体」であるという考え方がある。
しかし人間は、すべてを「主体的」に決められるわけではない。
実際、「自由な主体」同士の合意によって社会がつくられるという西欧近代の考えは、ほころび始めてきた。
こうした「ポスト・モダン」状況にあって我々は、どう振る舞えばいいのか?
そもそも「自由な主体」という人間観は、どう形成されたのか?
こうした問いを深く追究した本書は、近代社会の前提を根底から問い直す、新しい思想の試みだ。
[ 目次 ]
第1章 「人間は自由だ」という虚構(現代思 -
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再読した。多岐にわたる話題。
特に興味を感じたのは、イマジナリーな領域の権利の話題
自由とは、自己決定できることだとして
この自己を自己決定する権利の話題。
まさに自分の問題意識。
デュルシラ・コーネルが参照されている。
あと、アーレントとハバーマスのコミュニケーション。
違いは経済活動の捉え方。
アーレントは、自己の利害などが入ったコミュニケーションは否定するが、ハバーマスは肯定。
アーランは、ポリス、西欧的な出自を持つコミュニケーションの限界を意識している?
正義なりを確信したときの排他性。
悪の本質とは、自分で考えることをやめたこと -
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普遍的真理を探究し、誰にでも分かるように証明する「哲学・思想」には、もともと疑似宗教的な共同体を作り上げる傾向が付随する。ある一定の真理を得られたとしてもそれをもまた吟味して問い続ける営みが哲学なのだが、哲学が疑似宗教にはまってしまう危険性を、いかにして思想家(とくに現代思想家)たちが問題化としてきたのかを本書では思想史を概観しながら取り上げている(とはいえ、ハイデガー、ハンナ=アーレント、デリダがメインだが)。
西洋哲学・思想史の流れとして、万物を遍く普遍的真理を探究し、その真理の名の下に世界や人間のあるべき姿や政治、科学などを説く、ソクラテスやプラトンに代表されるギリシア思想の流れと、 -
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ドイツフランクフルト学派のアドルノの「判りにくさ」の擁護とその根拠の展開。ハンナ・アーレントの「全体主義」と「人間性」の読み取りが、適度な深度で述べられている。その展開は、極度な人間性の尊重などという人権左翼好みのものではない。人間性の総体は、それが全体の縛りとなれば「全体主義」が成立するということであろう。アウシュビッツの元親衛隊員であったアイヒマンは、大悪党なイメージで語られるものとは違って、どこにでもいる平凡な役人であり、悪人の顔つきではないとするアーレントの言辞を取り上げて、悪は、ごく平凡な役人こそが、役人的根性で行うことで、成立するものであるとしている。尚、アイヒマンは、モーシェ・