立川談慶のレビュー一覧
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落語の世界=江戸時代の町人の暮らしと現代の生活を対比させながら、現代で失われてしまった大切なものは、落語の世界に見つけることができるのではないかと、筆者は主張する。
だから、落語を聞いて価値観をシフトチェンジさせることで、息が詰まる現代も、より楽に生きていくことができる、つまり、落語は「こころの処方箋」になると提言している。
筆者の視点は鋭く、それでいて全体を通して噺家特有の柔らかい口調で語られているので、読みやすく、かつ気付きがたくさんあった。
特に、落語は「人間の業の肯定」であるという定義がとても印象的だった。(噛み砕くと"ダメなやつでも、しょうがねえなあと許容する世界"だろうか)
現代の"コスパ至上主義"や、「成功/失敗」の二元論で片付けがちな価値観によって失われたおおらかさのようなものは、落語の世界を知ることで回復させることができる、という筆者の考えはとても新鮮で、そういう視点を持って落語を聞いてみたいと思った。
これまで僕にとって落語は、「興味はあるけれどどこか高尚な気がして、どこから入ればわからない」ものだったが、この本を読むことで、落語の世界に一歩踏み込んでいけそうな気がしている。
落語の世界への架け橋となる、とてもいい一冊だと思う。 -
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立川談志という人が教えた、人の、落語の在り方を談慶さんというフィルター越しに教えられた本でした。直にその熱量に晒されれば自分ならひとたまりもないだろうと思うので、本という間接的な方法で知ることができてよかったです。
長い下積みを経て二ツ目になった談慶さんですが、その人にとって必要だからこそ、師匠も通例と違う長い期間をかけたのだろうと思います。しくじりエピソードは自分もやってしまいそうな、やったことがあるようなそんな共感と共に読みました。同時に、この間違いがあったからこそ今の談慶さんがあるわけで、「失敗をするかもしれないから失敗する前に回避する」現代のやり方が本当に合っているのか、必要な時間も必要な手数も必要な失敗も人によって違うのに、とも思いました。
気遣いとはなんぞや、こういうところに目を向けるのだという勉強になりました。 -
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自分は関西なので、落語といえば上方落語。出囃子に合わせて見台を使い、小拍子を打ちながらテンポよくボケとツッコミを繰り広げる、派手で勢いのある芸風が個人的には好きだ。一方、この作品で紹介されていたのは江戸落語だった。
江戸落語にはこれまであまり興味がなかった。言葉の違いもあるのだろうが、この本を読んで、江戸落語は大笑いさせるというより、思わずニヤッとして心が温かくなるような笑いなのだと感じた。こうした粋で相手を不快にさせないユーモアは、ビジネスの場でも人間関係を円滑にする大きな武器になるんだろう。
印象に残ったのは、冒頭で紹介される吉田茂とマッカーサーの会話だ。個人的にも米国外資系企業で働いた経験から、日本人が欧米人と仕事をする上では、場に応じて気の利いた冗談やウィットのある返しができることが非常に重要だと感じてきた。吉田茂の受け答えは、そのいい例で、小泉進次郎のスピーチが上手いのも納得できる。
落語は単なる古典芸能ではなく、人との距離を縮める話し方や教養を学べるものなのだと知った。これを機に、江戸落語も実際に聴き、寄席にも足を運んでみたいと思った。 -
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落語家直伝うまい! 授業のつくりかた: 身振り手振り、間のとりかた、枕とオチ…落語は授業に使えるネタの宝庫
著:立川 談慶 監修:玉置 崇
先生と子どもたち、落語家とお客さんというように、ひとり対大勢という構図も同じ。落語と授業には、実は共通点が多い。
本書は、わかりやすい話し方や間のとり方といった会話のテクニックのポイントから、授業にのぞむための心がまえ、子どもとのコミュニケーション方法まで、授業に応用できそうな落語のエッセンスをたっぷりと紹介している。
以下の5章から構成されている。
①なぜ落語が授業に役立つのか
②授業にのぞむ心がまえ
③授業テクニック
④学校生活をスムーズにするコミュニケーション
⑤日常生活でコミュニケーション力アップ
たしかに、落語は学校の授業に活用できる。多くの制約の中でお客さんに楽しく伝えるというコミュニケーションは、学校のみならず、職場や家庭でも活用できることも多い。
一対多という場面で伝えるというケースでは、日本古来から磨き続けてこられた「落語」にはコミュニケーション・人を心と共に動かすメソッドがたくさん詰まっている。
「落語」におけるコミュニケーションも、相手・お客さんあってのことという相手軸の相手視点は何よりも一番最初の前提して取り上げられている。そして、守(修)・破・離の概念においても、腑に落ちる内容で落語との関連性がきれいに説明されている。
礼儀・礼節・マナーお互いの思いやりは「落語」においてもコミュニケーションの一丁目一番地であり、大切な基本から本書では漏れることなく、気づかせてくれている。 -
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私は人事部門で長く働いているが、特に最近感じているのが、「人を育成・成長させるには、デジタルツールでは成り立たない」ということだ。
本書を読むと、特にそのことを確信してしまう。
最近「学校の先生は不要で、動画教育だけでよいのでは?」という議論もされている。
私個人はそれには反対である。
未来の人材を育てるのは、結局人からの継承が必要で、師弟同士がぶつかり合わないと成立しないと思う。
古い考えなのかもしれないが、教えることは技能だけではないし、人間性や考え方、その人物の背景にある部分が重要だったりする。
育成の根幹の話になるが、「ダメな上司が、部下を優秀な人材に育てられる訳がない」と思う。
当たり前のことであるが、この理屈で言えば逆もまた真なり。
「自分が優秀な人材として育ちたければ、天才に教えを乞うしかない」
立川談慶氏の著作を読んだのは2冊目だ。
今回は、師匠である立川談志氏と、ご本人との関係性について余すところなく記載している。
私が見ていた立川談志氏は、子供の頃だったということもあり、テレビタレントという認識だ。
落語家としてどれだけ天才だったのかというのは、もちろんリアルタイムでは体験していないのであるが、本書を読むとその非凡ぶりに改めて気付かされる。
談慶氏は師匠からなかなか合格が出ずに、出世が遅れた苦労人。
本人も自分自身の至らなさに気付いていつつも、それを甘やかす師匠談志であるはずがないことも分かっている。
今令和の時代には失われてしまった人間同士の関係性が、この2人の間には確実に存在している。
確かにスマホやSNSは、人同士の繋がり方を変えたかもしれない。
遠く離れた人と、簡単に連絡が取れるようになったことは、良いことなのかもしれない。
しかしながら、育成の観点で見ると、デジタルツールはあまり役に立っていない気がする。
むしろ害悪であるとすら感じてしまう。
談志氏は「落語とは、人間の業の肯定である」という考え方の持ち主だったそうだ。
これは非常によくわかる。
古典落語に出てくる登場人物は、ほとんどが市井の人々。
それも大抵がだらしない人々だったり、ズルをしたり、ごまかそうと考えたり。
つまり、人間とは心の弱い存在であり、全員が徳のある人物には、なかなかなれないものである。
「酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ」という名言も談志氏のもの。
談慶氏は師匠談志氏から徹底的に厳しくされる訳であるが、ここまで追い込まれなければ、きっと中途半端な芸になってしまっていたのだろう。
それがどうしても認められなくて、自分に許せなくて、合格を出せなかった。
弟子の芸もまた、自分の作品の一部であるのだから、そこは妥協が出来なかった。
気持ちは理解できるのだが、今の時代ではここまですることは、許されないのかもしれない。
それはハラスメントだったり、コンプライアンスだったり、人権デューデリデンスだったり、働き方改革だったり。
様々な規制が出てきて、それが弱い立場の人々を守ることになっているのは間違いないが、極めて高いレベルを求めなければいけない仕事も、レベルを落とさなくてはいけないのだろうか。
本書の談慶氏のような苦労も、成長のためには必要ではないかと思ってしまう。
人事部門で働いていて、日々葛藤の連続である。
規制は規制で必ず守る必要がある。
一方で、人材が育っていないのも確かである。
(落語家ではなく、会社の中で、である)
これからの時代に合った人材育成とは何なのか。
未だに最適解は見つかっていない。
一つ言えることは、天才と言われる師匠に師事することが、成長の近道である。
結局二流の人に教わっても、しかも厳しくされずに甘やかされたら、技を磨けるはずがない。
人間はそもそもダメな存在である。
しかし、芸が超一流な人は、希少ながら存在する。
談慶氏は幸せだと思う。
結局のところ、人生の価値とは、誰と出会うかで決まる。
人事担当としては、そういう素敵な出会いのサポートをできたらと思っているが、果たしてそれだけでよいのだろうか。
仕事の中でも技の継承が課題になっている。
一方で、テクノロジーの進化によって、仕事は大きく変化している。
かつては一流の技が必要だった仕事が、機械に代替されて、誰でもできる仕事になってしまう。
そんな時代に、人材の育成は本当に難しい。
試行錯誤しながらだが、見つけていきたいと思っている。
(2025/6/18水) -
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資本主義には"オチ"がある
■概要
資本論を解説するのではなく、「落語と結びつけるとこう理解できるのでは、現代社会に活かせるのでは?」という落語家の筆者からの提言。
・人間の業を肯定する資本主義と落語
>そんな談志の理念の一つが、「落語とは人間の業の肯定である」 という歴史的な落語の定義であり、 これをはじめとするいくつもの落語の理論化を打ち出しました。 マルクスと談志、落語と『資本論』。 まったく異質なものですが、あえて無理やり共通項を見出そうとすると、「人間のシステム エラー大全」ではないかと思います
・資本主義のオチ (解釈の解釈)
まず資本主義社会は、産業革命初期から格段に良くなっており、ましてや封建主義や奴隷制に戻りたいわけではない。ただ良くなっているから、資本主義を全肯定していいのかという前提がある。
資本主義の弊害、労働疎外〜これは個人の労働力を商品として売買するから?〜や環境、自然への影響が挙げられる。これらはまさに人間の業であり、個別事象をみると「いやいやそんなアホな」という"オチ"がある。ところが"全体最適?"という社会全体を元に話が進むと、"アホな"みたいなトホホなオチが落語の様に資本主義にも待っている、すでにそんな話がいくつもある...
■感想
イノベーションの扱いが雑だし、考察が甘い点が気になったけど、それ以外は良かった。
○マルクスと資本主義
マルクスは社会主義者で古い、というのが誤った考えであるが、学生時代の教科書の浅はかな理解だとそうなりがち。あくまで資本主義の不完全さを解いたのが資本論であり、社会主義革命に影響を与えたのは共産党宣言なのでは?
○資本主義の捉え方
そうすると資本論とは社会主義マンセーではなく、資本主義をみなおす上で大変示唆に富むはずだし、資本主義か社会主義かの二項対立はおかしい。"社会主義が失敗したから現代資本主義は正しい"ということはなく、資本主義の先にある我々人間の活動、業との向き合いを考えなければならない。そういう意味では本書も哲学書である。その哲学の部分を落語噺や談志師匠の言葉でイメージをつけてくれた。
○資本は虚数iの様に抽象概念で実態がない
特定の資本家、金持ちが搾取するというフランス革命前の様な封建主義と違い、資本は実態がない。なのに全てを、特に人の労働力を「商品」にするし、労働者からは搾取する。※これもブラック企業の様な明らかな悪ではなく、目に見えない抽象概念。最終的には我々を「包摂」していく。フランス革命と異なり倒すべき相手が居ないからこそ余計にタチが悪い
○敵はわが内にあり!?
やはり自らを「商品」ではなく、資本を活かす「生産者」であると捉えるしかないのか。山口さんのいう「コンサマトリー」、内なる心の声に従い何かを成そうとする、その過程において資本をうまく使えるのか、やはり資本に包摂されるてしまうのか。そこがポスト資本主義への分水嶺だと思う