あらすじ
なぜエリートはこぞって落語をききたがるのか!?
和製チャーチルと称された吉田茂元首相が愛した、落語。
あのピーター・ドラッカーが絶賛した実業家・渋沢栄一が愛した、落語。
落語は
●大物政治家や経営者が「人の心をつかむ術」を身につけるツールとして
●ビジネスエリートが「日本の文化・価値観」「人間の変わらない本質」を知るツールとして
長年親しまれてきました。
そんな“教養としての落語”を
立川談志の弟子であり、
慶應義塾大学卒、元ビジネスマンという異色の経歴の持ち主である立川談慶氏が
教えます。
また、本書は落語だけでなく、
日本人として知っておきたい日本の伝統芸能から、世界の笑いまで!
これ1冊で学べます!
これを読めば、誰かに話したくなること間違いなし!
(誰かに話せば一目置かれる本書の内容↓↓)
・パーティーで落語演目「一眼国」が絶賛された理由
・落語は人間の失敗図鑑である
・落語の原点は、仏教の聖書的存在!?
・78歳の昭和名人が最後の高座で放ったシビれるひと言とは!?
・なぜ人間国宝は歌舞伎役者に多くて、落語家に少ないのか!?
・神田松之丞さんで有名な講談と落語の違いは武士か庶民か
・古典落語に「忠臣蔵」がないわけ
・言えると一目置かれる「芝浜だけに」の意味
・不倫ネタは落語の世界でもたくさん存在する
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
落語は、正直分からない、強いて言えば笑点を観ていた時があるくらいだろうか。
寿限無・まんじゅうこわい・時そば・目黒のさんま・芝浜。代表的な落語の題名を聞いてもピンとこない...が、読んでみるとみんな聞いたことがあるものばかり、落語が実は身近な存在だったことに気づかされたのと同時に、自分の無知さにも気付かされる。
落語にハマりそう。
Posted by ブクログ
落語。興味のあったジャンルなので拝読。
落語の内容から落語家の人物像ら来歴等が書かれており初心者でも楽しく読むことができた。
落語以外でも歌舞伎や能などの伝統芸能との対比を描かれており相対的に情報を知ることができる。
落語のことをよく知らない人でも試しに一度みにいこうと思えることができる作品。
Posted by ブクログ
1247
195P
おねげいしますとかとか喜び勇んでとか落語でしか聞かない言い回し好き。
歌舞伎はクラシック、落語はジャズ
立川談慶(たてかわ・だんけい)
1965年、長野県上田市(旧丸子町)生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、株式会社ワコールに入社。3年間のサラリーマン体験を経て、1991年に立川談志18番目の弟子として入門。前座名は「立川ワコール」。2000年に二ツ目昇進を機に、立川談志師匠に「立川談慶」と命名される。2005年、真打ち昇進。慶応大学卒業の初めての真打ちとなる。 著書に『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』(大和書房)、『大事なことはすべて立川談志に教わった』(KKベストセラーズ)、『「めんどうくさい人」の接し方、かわし方 』(PHP文庫)などがある。
ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語
by 立川 談慶
「子ほめ」とは、「若く見えると言われれば誰でもうれしい」という、人の心理をついた話です。 落語というのは、決して古臭い話ではなく、仏教になじみのない多くの衆民にも興味を持ってもらうために策伝が知恵を絞って考えた「笑い話」なのです。そして、現代にも通ずる普遍的なテーマを取り扱っているからこそ、伝統文化でありながら、現在も絶大な人気を誇っているのです。策伝がもし現代に生きていたら、流行作家、もしくはテレビやラジオの構成作家として大活躍をしていたかもしれません。
極論すると、江戸時代とは「死と隣り合わせのストレスフルな時代」だったと言えるでしょう。 そのような時代背景があるわけですから、反動として「宵越しの銭は持たない(その日に得た収入は、当日中に使い果たす)」という刹那的な気性になる庶民も多かったのではないでしょうか。 つまり、過酷な環境下で生き抜くために、少しでも楽しく笑いながら過ごすために、落語という娯楽が広く庶民に求められ、愛されたというわけなのです。
多くの落語家たちがカバーする対象、「古典落語」の噺の数は約300あると先ほどお話ししました。 もちろん、マイナーな噺から上演回数の多い有名な噺まで、人気の差はあります。それら全てをかきあつめても、「わずか300しかない」という見方ができるでしょう。 なぜなら、それらをカバーする落語家たちの数は、1000人近くもいるからです。 「現役の落語家1000人が、その3分の1以下の数である300の噺をカバーして活動している」
たとえば、ポップスや演歌などの歌謡曲のジャンルで、このような状況は起こりえません。 多くの歌手は、自分独自のオリジナル曲で勝負に出ようとします。 「他人の曲をカバーして勝負しよう」という歌手はすでにベテランで余裕があるか、ごく少数派であるはずです。 言い換えると、古典落語の噺は、いずれも完成度が高く、普遍性があり「時代を超えても受け入れられる力をもっている」ということです。
まず最大の違いは、「発祥した場所」です。 「上方落語」とは、「上方」、つまり商人の町として繁栄していた大阪や京都などで生まれた落語を指します。 江戸時代まで天皇は京都に住んでいましたので、そのため京都を中心とする関西を「上方」と呼んでいました。 もともと関西地方で行われる落語は、「大阪落語」「京都落語」などと称されてきましたが、1932年に発行された『上方』という雑誌で初めて「上方落語」という語が使われ、それ以降、その呼び名が定着しています。
「上方落語」に対して、「江戸落語」とは、文字通り江戸でできた落語をいいます。江戸といえば、幕府のお膝元ですから、100万人程度の人口の半分ぐらいが侍でした。「江戸落語」は彼らの間で「お座敷芸」として発展を遂げていきます。
私の名前は「 立川 談 慶」ですが、「立川」は名字ではありません。 落語の世界では「立川」「林家」「桂」などの名前の名字にあたる部分は、「 亭号」や「屋号」という呼び方をします。 落語家の名前は、弟子入りした師匠の亭号をそのままもらい、下の名前は師匠につけてもらいます。
例‥「あくび指南」 ある男が、「あくびの仕方を教える学校」に付き添いで行きます(そもそも、この学校の存在自体がナンセンスで面白いところです)。 そこで展開される授業の退屈さに、付き添いで行った男が思わずあくびをしたところ、講師に感心されてしまいます。 「この人はなんと器用なんだ。手本を見ただけで、いいあくびを覚えてしまった」 (※この講師の勘違いが、オチです。「授業に退屈をしてあくびが出たこと」を「あくびの授業を受けた結果、うまくあくびが出せた」と勘違いしているところに面白みがあります)
与太郎は、落語で最も愛されているキャラクターの一人です。 彼は、もう成人といってもいい年齢に達しています。それにもかかわらず、頼りなく、世間一般の常識には無頓着で注意力も散漫なので失敗ばかりしています。それどころか、失敗しても気にすることなく、同じ失敗を何度も繰り返します。定職に就いていない、という設定も多くあります。もしかすると、せわしない現代であれば、与太郎は生きづらさを感じるかもしれません。でも、落語の世界ではいきいきと、ひょうひょうと生きています。 与太郎が登場する噺は非常に多く、それらを「与太郎噺」と称します。
落語家が師匠に弟子入りし、「一人前の落語家」と呼ばれるまでに、通常は十数年間もの歳月が必要です。 サラリーマンの世界も同じかもしれませんが、落語界には確固とした「階級制度」があり、誰もがそのコースから逃れることはできないのです。 ただしカンのいい人の場合、速いペースで出世していくこともあります。 平たく言うと、落語家はまるで出世魚のように名前(身分) を変えながら、進化していきます。
特に秋に演じられる、人気の噺です。この噺の知名度から、「さんま」がご当地・目黒の観光素材になっており、目黒では今でも年に一度、広く一般にさんまが無料で振る舞われるイベントが行われています。 そもそも、この噺を理解するには当時の「魚」のランクなど、「食」についての予備知識が必要です。さんまは「低級な魚」として扱われており、江戸初期は庶民でも好んでは食べなかったようです。江戸中期以降、ようやく庶民の味として浸透しました。そのような魚を殿様に食べさせるのは、とても勇気がいることだったはずです。 この噺は特に 三遊亭 金 馬 師匠(三代目) が得意としました。
しかし、殿様が食べてみると大変においしく感じられたのです。殿様はさんまという魚の存在を初めて知り、同時に大好きになってしまったのです。 それから殿様は、「また機会があればさんまを食べたい」と思うようになります。 ある日、好きな食べ物を要望できる機会に恵まれた殿様は「余はさんまを所望する」と伝えます。 しかし庶民の魚であるさんまなど、用意されているはずがありません。供は、急いで日本橋の魚河岸にさんまを買いに走りました。
そして供は、さんまの脂をすっかり抜いて焼くことにします。さんまを焼いたときに出る脂は「体に悪い」とされているからです。また、「骨がのどに刺さっては一大事」と、骨を1本1本抜き去ります。 おかげで、さんまはグズグズになってしまいました。
「世間知らずの殿様の無知を嘲笑することで、庶民が溜飲を下げる噺」という解釈もありますが、本当にそうでしょうか。身分制度などを超越した「人間そのものが持つおかしさ」に焦点を当てるのが、落語本来の醍醐味。だから「殿様の味覚の正直さを称える噺」と定義すべきでしょう。たとえば「とんかつは薄いほうが美味い」「メロンパンは安いもののほうが美味い」など、庶民の味は絶対的においしいものが多いのですから……。
次の「二ツ目」になると、いよいよ高座で本格的に噺を披露できるようになります。「楽屋での労働力」というポジションから脱却し、「自分のファンを作り、集客をすること」に取り組むことになります。 もちろん、効率よく稼げる司会業などをアルバイトと割り切って続ける落語家はいます。しかし目先のお金を稼ぐだけではなく、真打ち昇進に向けて芸を磨いたり、ファンづくりをしたりする努力も重要になってきます。
この章では落語以外の日本の伝統芸能を解説していきます。 数ある日本の伝統芸能の中で教養として知っておいてほしいのは、「歌舞伎」「能」「狂言」「文楽」「講談」です。これらの伝統芸能を落語と比較しながら説明していきます。 日本の伝統芸能は大きく「演劇」「音楽」「舞踊」「演芸」の4つのジャンルに分かれます。「歌舞伎」「能」「狂言」「文楽」は演劇、「落語」と「講談」は演芸のジャンルになります。
女性たちによる「 女歌舞伎」、遊女屋で広がった「 遊女歌舞伎」、少年たちによる「 若衆歌舞伎」。 ところが、それらはいずれも「風紀を乱す」という理由で、当時の幕府に禁止されてしまうのです(江戸時代以降に強くなり始めていた「男尊女卑」の風潮も関係していたようです)。 そこで、次に出てきたのが成人男性を中心とした「 野郎歌舞伎」です。「成人男性だけで演じるのなら、文句はないだろう」というわけです。 ただ、メンバーが男性だけですから、物語のヒロインも男性が演じなければなりません。そこで「女性を演じる男性」である「 女方」が生まれ、今の歌舞伎の原形ができました。
「世間の常識にとらわれない」というのも、初期の歌舞伎の大きな特徴です。 そもそも、歌舞伎の語源は「 傾く」という言葉にあります。これは、「 傾く」という意味から転じて「人目につくような変わった身なりや行動をすること」という意味です。 流行の先端をいく装いや、奇抜な格好、保守的な慣習や常識を無視した 扮装 で、「ショー」を演じ、人々を楽しませる。それが歌舞伎のルーツである「かぶき踊り」のコンセプトでした。
今でいうところの〝国民的アイドル〟級の影響力、集客力はあったでしょう。その証拠に、本来は観覧を禁じられていたはずの上流階級の人たちまでもが、身分を隠したり偽ったりして、「お忍びで芝居小屋へと通った」と言い伝えられています。
今では、能楽や文楽と並び、歌舞伎も「ユネスコ無形文化遺産」に登録され、日本が世界に誇る伝統芸能であると認められています。 歌舞伎が庶民に熱狂的に愛され、支持されてきた点は、落語と非常に通底していますね。
歌舞伎と落語を、音楽にたとえると、次のような図式に当てはめることができます。 「落語はジャズ、歌舞伎はクラシック」 なぜなら、「古典落語と、それを自己流にアレンジして再現する落語」と「スタンダードジャズと、それをアレンジして再現するジャズ」は、相似形であるからです。
噛み砕いていうと、噺のオチも筋もわかっているのに何度聞いても面白い「古典落語」は、スタンダードジャズと共通する部分があります。 実際、ジャズ好きで玄人顔負けの知識を持つ落語家も存在します。
歌舞伎はイケメン、 落語は三枚目
江戸時代から、歌舞伎役者とは「イケメン」「絶対的な二枚目」と相場が決まっていました。それは「見た目が端整である」という外見的な意味だけに限りません。 彼らは、骨の髄まで、つまりメンタリティーまで「イケメン」なのです。平たくいうと「自分がスターであること」に照れがないのです。 そのような精神性は、歌舞伎の演出の一つであるいわゆる決めポーズ「 見得」にも表れています。
この人数の差を見るだけでもわかりやすいですが、もっとも、このような「差」が生まれる背景には、いくつかの理由があるのです。 一つ目は「落語は技の細分化が難しい」という点です。 歌舞伎の場合は、「立役」(劇中の中心的な存在)、「女方」(女性役)、「脇役」などと役柄で分類ができるため、「歌舞伎」という1ジャンルの中でも数多くの分類ができることになります。 かたや、落語の場合は「江戸落語」「上方落語」という分類しかなく、認定の対象になりにくいのです。 二つ目は、「落語に人気があったため、保護の対象ではない」と見なされてきたことです。人間国宝の認定が始まった1950年代、落語は大衆芸能として非常に勢いがありました。皮肉な話ですが、そのような状況が「人間国宝へのなりにくさ」を招いたのです。
このような歌舞伎界と比べると、落語界が牧歌的なものに思えてきます。 「売れる」「売れない」は別として、とりあえず「落語家になる」ためのハードルは、限りなく低いものです。 「生まれで差別はしない」という公平性、大衆性こそ、「落語」という芸能の本質をよく表しています。
次に、「能」「狂言」と落語を比べてみましょう。 落語は「庶民の間で支持されてきた大衆演芸」で、能と狂言は「時の支配者に支持され発達した歴史もある高尚な〝芸術〟」といえます。
落語は〝庶民の娯楽〟、 講談は〝武士の講義〟
最後に紹介するのは、落語に一番近い伝統芸能「講談」。 近年、講談の世界に再び注目が集まっています。 その理由の一つとして、独演会で定員数百人の会場を満員にする講談師・神田 松 之 丞 さんの人気が挙げられるでしょう。
落語と講談の違いは、次のようにも表現できます。 落語とは「人間って、本来ダメなものだし、ダメでいいんだよ」と説いてくれるもの。人間の業(人の欲求や「不合理」とわかっていても行ってしまう行為) を肯定したり、心を癒やしたり、楽しませてくれたりする演芸。 講談とは「精神一到何事か成らざらん(集中して行えば、何事も成就できないことはない)」という精神で、人間を啓蒙し、鼓舞してくれる演芸。 つまり、「落語はユルくて、講談は真面目で立派」なのです。
歴史を振り返ると、講談とはそもそも「徳川家康など先人の武勲を称えるもの」として発展してきました。 象徴的な教えが「武士は食わねど高楊枝」です。
すると志ん朝は「兄さん、俺は実力でなったから」と言い返したのです。 それから談志は、志ん朝師匠と張り合うように落語家として独自の路線を模索し始めます。 「噺の忠実な再現」だけにとらわれず、落語の本質を理詰めで追求し、多数の落語論を著すなど、「志ん朝が手をつけていないジャンル」を果敢に開拓し、第一人者となっていきます。 つまり、全く毛色の異なる志ん朝と談志が、昭和の後半から平成にかけて落語界を牽引していったのです。
近年ではファッション性に富んだ女性用の製品も登場し、多くの人に知られる存在となりました。その起源は、 三遊亭圓遊(三代目) が創始した「ステテコ踊り」にまでさかのぼります。「ステテコ踊り」は1880年、コレラが大流行した翌年に誕生しました。踊りの歌詞は次のようなものです。 「人のことなどかまっちゃいけない 自分のことだけせっせとおやり」 「あんよをたたいてしっかりおやりよ そんなこっちゃ、なかなか真打ちにゃなれない、ステテコ、ステテコ」
コレラの余波で客が激減した落語界でしたが、圓遊のこの踊りのおかげで、にぎわいが戻ってきました。圓遊は本業の落語を披露する間もなく、ステテコ踊りだけで1日 30 軒以上の寄席を回ったと言い伝えられています。このブームがきっかけで「 股引」が「ステテコ」と呼ばれるようになった、というのが定説です。
世界中のジョークを見渡したとき、落語のように、人間の「弱さ」や「駄目さ」をテーマにしたものは、どこの国にも共通して存在していることがわかります。 たとえば「酒のしくじり」などの「ドジ話」の類です。 落語のように、「人間の業を描いて、それを笑い飛ばす笑い」は、やはり普遍的な〝型〟の一つなのです。
そんな「生きづらさ」を感じさせる隣国、中国ですが、実は長い「笑い」の歴史を誇ります。専門用語で言うと、「滑稽本」「滑稽文学」の流れです。その代表格といえば、明の時代の末期に 編纂 された笑話集『笑府』でしょう。『笑府』は「笑い話の倉庫」という意味で、多様なジャンルの笑い話を 13 巻にまとめたものです。
芸人の世界では「図々しいヤツ」を別名「佐平次」と呼び習わしますが、それはこの落語が由来になっています。 よく考えてみると、「弁が立つ」「お調子者である」「気配りができる」というコミュニケーションの根底にあるのは、佐平次のような「図々しさ」ではないでしょうか。痛快な人間はみなおしなべて「図々しい」ものです。映画やドラマやアニメの主役は「図々しい」キャラがほとんどです。 フーテンの寅さん、『こち亀』(『こちら葛飾区亀有公園前派出所』) の両津勘吉、『サザエさん』など、枚挙にいとまがありません。 しかし、佐平次含め、彼らはみな図々しさを武器に「めんどうくさい難局」を乗り越えてしまうのですから、たくましい「トラブルシューター」とも言えるのです。
Posted by ブクログ
初めて落語と触れた書だったのでとても新鮮で印象に残ることが多かった。
伝統芸能としての落語のポジション変化、時代を作ってきた名人たちのストーリー、現代にも生きる落語の用語。
ビジネスパーソンにも学びになる演目。
芝浜、100年目を見てみようと思う。
Posted by ブクログ
ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語
著:立川談慶
落語は日本の「文化」、日本人特有の「価値観」を教えてくれる。それは落語が単なる「娯楽」にとどまらず、伝統芸能としての側面があるからである。
国内外を問わず、自国の文化・伝統芸能はビジネスエリートにとって共通言語になりえる。「落語」を知るということは、日本の文化・伝統芸能を知り、日本人の価値観を知るということである。落語は、日本各国を旅せずとも、日本について深くしることができる最強のツールである。
本書の構成は以下の7章から成る。
①これだけ知っておけば間違いない落語の「いろは」
②噺の構造と落語家の出世
③ニュースや会話によく出てくる名作古典落語
④落語と比べると理解しやすい日本の伝統芸能
⑤これだけは知っておきたい落語界のレジェンド
⑥世界の笑いと落語
⑦これを知っていればあなたも落語通!使える落語
テレビで眺める程度で、あまり触れてこなかった「落語」という世界。本書はその導入部分のみの紹介かもしれないが、その入り口でさえ惹きつかれるものがあった。
日本古来から伝わる文化芸能である落語は、今の世の中のプレゼンテーション。伝えるのも用件ではなく、笑いとその背景の道徳などの心を伝えるという点では非常に参考になる。
笑いという側面でみても、子どもを笑わせるために多用する顔芸や、妻に良かれと思ってくりだす「ダジャレ」(失笑される)、ではとうに限界がきており、ジャパニーズユーモアという、飽きのこない、伝えられる側のとんち的思考も借りながらの笑いの提供というある意味新鮮な笑いのキャッチボールの仕方を学ばせてもらった。
古典的落語の同じ題目は演者によって、大きく変わる。そしてそれは同一人物であっても同じ演者であっても、毎回違った顔を見せてくれる。生き物のようなもの。
古典落語といっても、カチっと変わらないものではなく、時代によってアレンジや解釈や演じ方が変わる。伝える側も伝えられる側も成長することでその題目は時代と共に進化し、生き残っている。
奥が深い落語。簡単ではないかもしれないが、演じる側として落語を触れる等違ったことにもチャレンジしてみたい。
Posted by ブクログ
古典落語はその名の通り「古典」なのであって
知っているのと、知らないのでは会話も弾まな
い事は明らかです。
要はその古典の話を知っているというのは、あ
る種の教養とも言えます。
昨年開業した高輪ゲートウェイ駅の名称公募で
第3位に入っていたのは「芝浜」です。
結果はご存知の通りですが、ネットでは「やっ
ぱり夢だったか。芝浜だけに」と多くの人が書
き込んだといいます。
落語演目の「芝浜」のオチを知らないと何のこ
とだか分からないですよね。
今、落語はブームです。落語だけではないです。
講談や歌舞伎だって盛況なのです。
この本では落語というものが、日本の古典芸能
の中でどういう位置づけであるのか、歴史から
学ぶことができます。
つまりネタを知ることだけではなく、まさに落
語のすべてを教養のごとく学べる一冊です。
Posted by ブクログ
この本は、落語について詳しく知らなかった私でも基礎知識から有名な噺まで知ることができ楽しく読み通せました。
母国の伝統芸能を知るという意味でも落語について知っていることは有用だと思いますが、落語は単純に楽しめるコンテンツであり、楽しみながら教養を身に付けることができます。
本書の最後に落語のYouTubeが紹介されていますが、これを機に落語をYouTubeで見てみようと思います。
Posted by ブクログ
全くの落語初心者におすすめ。何が面白いのか、落語とは昔はどの身分が楽しんでいるものなのかがよくわかり、他の日本芸能との比較をされているのでどういう目線で落語を楽しむのかがわかる。
著書にもYouTubeで簡単に見ることができると言っているほどに、生で観なくてもその良さを伝えられているのでハードルが下がって楽しむことができる。
日本人の嗜みとして必要だし、落語を深く知ることによって知的な冗談を言うことができるかもしれないと期待している。
Posted by ブクログ
これを読んで落語の知ったかぶりはできないけれど、落語聞いてみたいという気持ちを高めたくなる本。この本の上澄みをすくって、有名な話の名台詞を会話に混ぜたりするようではウザい上司になりかねないので注意(笑)。有名な話をかいつまんで説明してくれる章や、落語以外にも日本の伝統芸能をさらっと説明してくれる章、さらには有名な落語家まで紹介してくれて導入には最高。
Posted by ブクログ
勉強になりました。
タイトルがなんかヤラシイ感じで、
まあ、それにつられて読んだわけですが。
そんなビジネスエリートとか教養とか関係なく、
初心者にとってとても分かりやすい内容でした。
少し興味わいたかな。
落語の基礎知識が身に付く
落語の歴史からはじまり、落語の仕組みなどの説明もあり、教養っぽい知識は付く内容にはなっている。
個人的には、落語家の名前には漏れ無くふりがな付いてるとより親切だったけど、、予備知識があまりないので読み方に不安が。。
また、ちょっと大げさかな?と思う記載もあるけど、その辺りはご愛嬌ってことだろう。
一読の価値はある。
落語を聴きに行きたくなる。。
Posted by ブクログ
先日、友達に立川談春さんの落語に連れて行ってもらいました。
その時、彼女が紹介してくれた本。
はじめにから…
吉田茂元首相の話が、面白いです。
立川談春さんの落語も、すっごく面白かったです。
Posted by ブクログ
落語をわかりやすく解説してくれており落語への理解を深められました。最近落語に関心を持ちました。落語の歴史、噺の構造、名作古典落語の紹介などの内容で落語の基本を知ることができます。落語を知りたいと思う方にはわかりやすくて良いと思います。
Posted by ブクログ
寄席に行くようになって、体感として落語の面白さを発見している。それに携えるかたちで本書を読むと、奥行きを見つけられるようになってくる。
落語の歴史や構造、初心者の楽しみ方もわかりやすい。
タイトルが最近の「教養としての」みたいな野暮ったなのが残念。
Posted by ブクログ
有名な落語のあらすじ、楽しみ方。
落語の用語など、分かりやすく書かれていておすすめです。今は動画で気軽に観られるので、解説を読んでから視聴すると理解しやすいです。
Posted by ブクログ
何気に読んだ「落語」の本ですが、落語の歴史等今まで殆ど関心の無かった「落語」について、とても興味が湧きました。
YouTube等で落語を聞いてみたいと思います。
落語に殆ど接点のない人が多いと思いますが、是非読んで落語に興味を持ってもらいたいと思います。
Posted by ブクログ
落語の基本から始まり、面白さ、特徴、歴史的背景を理解できた
試しに時そばを聴いて面白さに驚いた
音源を聴いただけですが映像もしくは実際に寄席に興味がわいた
Posted by ブクログ
上手に負ける、どっちもどっちという話が多いのだとか。
落語は江戸時代に大きく開花した娯楽。
落語は古典落語と新作落語の2種。
演目の作者が明らかになっていないものが古典落語。
落語家は好きに演じて良い。
新作落語は現代の落語家が作ったもの。
つまり、新作落語はオリジナルソング。
古典落語はカバー曲。
Posted by ブクログ
寄席に行く様な人にとっては本書の内容の多くは既知かもしれません。
ただ、ある程度は新たに知ることもあると思います。
ビジネスと落語を結びつけるのはやや強引な面もある様に感じました。
落語に興味が出てきた人にとっての入門書としてはいいと思います。
そしてぜひ寄席に出かけてみてください。楽しめると思います!
Posted by ブクログ
落語の基礎を学び、これから色々聞いてみようと思わせてくれる良作。ビジネスにつながる点については、本の中ではやや無理矢理感はあるが、落語そのものを聞くことで、自身の仕事に通ずるところを見出すことができると考えると、落語を聞くきっかけとして十分な情報が盛り込まれている。
Posted by ブクログ
雑学として知っておこうと思い購読。
落語のいろんな噺のあらすじだったり、他の伝統芸能との違いを知ることができた。
落語は最近は見た覚えがないが、人を惹きつける話し方や、お笑いに似た面白さはあると思うので、YouTubeで見てみようと思った。
寿限無や時そばなどの有名な噺を改めて聞いてみたい。
Posted by ブクログ
落語の観点でビジネスを語るという難しいテーマは著者にはうってつけなのでしょう。
題名はちょっと無理にこじつけた感はあるけど、我々ビジネスマンには「落語を聴こう。これを(落語ではなく知識を)現場で披露しよう。という気持ちになります。
Posted by ブクログ
※以前に読んだ本の登録
ざっくりメモ
落語について学べる本。
落語は、日本の伝統、文化について知るツールになる、人間の変わらない本質を教えてくれる、人の心を掴む術を身につけさせてくれるものとして重要な教養である。日本人として知っておくこと、そして楽しみたい文化の一つである。
Posted by ブクログ
落語という言葉や、そういう芸能があることは多くの人が知っていると思う。その歴史背景や面白味を知っている人は少ないと思う。私もその1人として、一気に落語に興味が湧いた。YouTubeで早く見たい!と思わせてくれる良書。