立川談慶のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
読みたい小説が多すぎてなかなかこういったジャンルにまで手が出せないでいる。
まず 私の小さな物差しでは測りきれない というか測ってはいけない濃密な師弟関係がそこにはあった。
弟子入りとは
人を愛し、その芸を信じる。
いや、愛し抜き、信じ抜く。
それは「長期的思考」そのものです。
落語は昨今主流の出オチのような「キャラクター芸」などではありません。
すべて、伏線なのです。
そしてすべて伏線ということは、すべて回収するまで、つまりオチがつくまではその善悪や成否、正誤などはまるっきりわからないものなのです。─
(本書より抜粋)
これは本書の最後のほうにあった文章だが この 人生にも通じるような文章にはとても納得いくものがあった。
こういう文章を書ける談慶さんもスゴイし長い伏線を耐えたワコールさんもスゴイ。
笑えて 最後は少し泣けて …
立川談志という巨星のほんの一部分かもしれないけれど垣間見ることができた本でした。
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落語を知ったら、悩みが消えた
- カート
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試し読み
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落語を知ったら、悩みが消えた
- カート
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試し読み
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Posted by ブクログ
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立川 談慶
落語家。1965年、長野県上田市生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、株式会社ワコールに入社。3年間のサラリーマン体験を経て、1991年に立川談志18番目の弟子として入門。前座名は「立川ワコール」。2000年に二ツ目昇進を機に、立川談志師匠に「立川談慶」と命名される。2005年、真打ち昇進。慶應大学卒業の初めての真打ちとなる。著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』(ベストセラーズ)『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』(大和書房)『人生を味わう古典落語の名文句』(PHP文庫)『ビジネスエリートがなぜか身につけている教養としての落語』(サンマーク出版)など多数。
落語はこころの処方箋 NHK出版 学びのきほん
by 立川 談慶
談志の偉業の一つが、落語を「人間の業の肯定」と定義したことです。簡単に言いますと、「業」とは、人間のダメな部分ですね。「酒を飲むな」と言われても飲んでしまう。「 博打 をするな」と言われてもやってしまう。落語には、そういうダメな奴ばかり出てきます。
談志自身は、「業の肯定」を「世の常識に対するその逆の非常識を認めてやること」(『本』二〇〇三年四月号) と言っています。世の常識からすれば、しくじった奴、ダメな奴でも、「しょうがねえなあ」と笑いにしてくれるのが落語の世界です。失敗しても、「まあ、そういうもんだよ人間って」と認めてくれるので、落語を聞くと、なんとなくほっこりした気分になれるもんです。だから今、世の中に落語が求められているんじゃあないでしょうか。
こうして仏教から派生した落語は、今も仏教と重なる部分が多くあります。談志は落語を「人間の業の肯定」と言いましたが、仏教も実は同じです。人間の弱さを許し、手を差し伸べるのが仏様の慈悲深さですよね。落語の噺も、仏教の説法も、訴えていることは一緒であり、兄弟みたいなもんです。できの良い堅物の兄が仏教で、やんちゃな弟が落語と思っていただければよろしいかと。
演者の言葉、表情、上半身の動きだけで、「今、八っつぁんのところに、 熊 さんが来たんだな」「熊さんは怒っているけど、ありゃあ内心笑っているな」などと、お客さんが想像して間を補ってくださるからこそ、落語が成り立ちます。江戸っ子は「忖度気質」が強かったからこそ、落語を聞くセンスに 長けていたのではないでしょうか。
落語と同じく、江戸時代に人気を得た話芸に「講談」があります。「パンパンパパンパン!」と 張り扇 で 釈台 を叩きながら、独特の調子をつけて軍記物などを語るアレですね。題材は、源平合戦や戦国武将の武勇伝などの歴史物語、名工や名医、力士などの偉人伝。落語がほぼ会話で構成されているのに対して、講談はストーリーに注釈をつけながら一人語りをするのが特徴です。
講談というのは、講談師が張り扇で釈台をパンパンと叩いて、自分のしゃべりに調子をつけます。あの音で「私はしゃべる人」「あなた方は聞く人」と、かっちり分断しているような感じがしませんか。私はするんです。 セパレートするのが講談ならば、お客さんとの「共感ありき」が落語。この落語の共感力が、現代の私たちに求められる力だったりするのですが、この話はあとのお楽しみということで。
それは、古典落語が作品として完成度が高く、普遍性があるからです。落語家は、その名作を自分なりにアレンジして、オリジナルの話芸に昇華させて 披露 します。だから、同じ噺でも人によって、時によって違う作品として楽しめる。これも落語の特徴ですな。
「宵越しの銭は持たねえ」は、江戸っ子の潔さを象徴する、まさに博打的な気質です。本当は江戸っ子だって、「ちゃんと貯金をして落ち着いた暮らしをしたい」と思っていたでしょう。でも、貯め込んでいることを知られたら、「アイツは江戸っ子の 風上 にも置けねえ奴だ」と言われますから、「てやんでえ、こちとら江戸っ子でえ!」と、博打的に生きなくてはなりません。前章でお話ししましたように、長屋暮らしの連中は周りの目を常に気にしていますから、精一杯カッコつけていたんでしょう。これはこれで、大変だったでしょうな。
そんな見栄っ張りな江戸っ子気質から、「宵越しの銭は持たねえ」というポリシーが生まれ、お金を使い果たした結果、江戸の経済が回り続けたという面もありました。江戸時代は、何度か大不況もあり、米騒動なんかもありましたが、政権を 覆すような暴動は長らく起きませんでした。それは、江戸っ子が宵越しの金を持たず、経済を回していたからかもしれません。
人とは違う自分の居場所を見つけて、そこで頑張っていれば、何しろ、比べる相手がいませんからね。良い意味で「お山の大将」になれるわけです。 人との差が気になって仕方がない人は、自分の居場所を見つけて、自分だけの山に登ればいいのではないでしょうか。みんなが登る山に登っても、「上だ下だ」と比べて疲れますし、他人に決められた頂上にたどり着いたら降りるしかありません。 みんなが「自分だけの山」に登って、「自分のお山の大将」になればいい。そうすれば、「勝ち負け主義」から「引き分け主義」に変われます。自分だけの山には、頂上がなく、いつまでも登り続けることができます。なんと言っても、自分だけの山に必死で登っていれば、悪口言ってる 暇 なんてないですからね。
日本では、休みなく働くことが長らく美徳とされてきました。働くことが社会貢献、働かないのは何もしていないダメな奴、という価値観が根強くあったわけです。いわば「働くこと」の正当性を追求しすぎて、社会が息苦しくなっているのではないでしょうか。 そんな現代日本の病理とも言える「働くこと」への 呪縛 を見直す、そのヒントとなるのが、これまた落語なのです。 落語の舞台である江戸時代には、当たり前ですが、正規雇用とか非正規雇用とかいう概念がありませんでした。あとで詳しくお話ししますが、「働く」という概念が今とは違い、「働く・働かない」を明確に分けていなかったのではないかと思います。
そして落語に出てくるのは「人間の業」ですから、誰もが「そうそう、人間ってダメなんだよね」と共感できます。だから落語を聞いていると、自然と共感力が身に付くんです。 共感力は、分散力でもあります。何か困ったことがあっても、共感すれば分散できます。「今日は暑いですねえ」「暑いねえ」「ホント、暑いよねえ」と言い合うことで、暑さが 和らぐことってありますよね。共感し合うことで、困難も分散して、やり過ごせるんです。そういうやり過ごし方、折り合いのつけ方を、落語は語り続けてまいりました。
今の世の中は、SNSを見てもわかるとおり、「俺が、俺が」という自己主張があふれています。まあ、SNSは自己アピールの場ですから、「俺が、俺が」が当たり前です。しかし、それがギスギスしたマウントのとり合いになることは、先にも述べたとおりです。
一方、江戸の町というのは、薄っぺらい壁の長屋がぎゅうぎゅうにひしめき合っておりまして、「俺が、俺が」なんて自己主張をしていたら、「お前、ちょっと黙ってろ」と怒られてしまいます。そこで、自己主張するよりも、「世間様」の顔色を見て、「お互い様」と譲り合って、ぶつかり合いを避ける知恵が必要だったのではないでしょうか。
前にも述べましたが、談志は「与太郎はバカじゃない。非生産的な奴だ」と言いました。確かに、自己主張をせず、周りの言うことを素直に受け入れ、結果的に助けられているのは、ある意味、非常に「賢い」振る舞いです。「俺が、俺が」と主張するのではなく、「呼ばれたら行く」というしなやかさは、周りと調和するための高度な 叡智 とも言えましょう。
ついでに言えば、与太郎は怒ることがありません。江戸っ子というのは短気で、落語にも誰かが怒る場面がよくありますが、与太郎に関して言うと、どの噺を聞いても、怒っているシーンが見当たらない。それほど優しい男だからこそ、みんなに愛されていたんでしょう。
与太郎も同じです。バカの強みで、目の前のことを一生懸命、愚直に行います。ひたすら愚直に親孝行していたら、町奉行の目に留まりました。そして、無茶ぶりをされても、愚直に唄って飴を売り歩いていたら、その飴が大ヒット商品となりました。 おそらく与太郎は、周利槃特のように雨の日も風の日も、ひたすらコツコツと飴を売り歩いていたと思います。そんなことしても、売れるかどうかわからないのにもかかわらず。売れるかどうかは天に任せて、一生懸命、囃されたら踊るのが与太郎の才能です。
この「愚直にコツコツ」という姿勢も、江戸にあって現代にないものでしょう。その対極にあるのが、現代の「コスパ」という言葉です。この言葉が頻繁に聞かれるようになってから、日本はさらに世知辛くなったように思うのですが、どうでしょう?
つまり、落語は時代を超越しているのです。設定は古くとも、そこには現代が表現されているだけではなく、未来が予言されているとも言えるのです。 未来の人間も酒でしくじったり、女性で失敗したり、賭け事に狂ったり、知ったかぶりして恥をかいたり、そそっかしいミスをして謝ったりと、きっと過去や現在と同じようなパターンでつまずくはずです。 -
Posted by ブクログ
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おねげいしますとかとか喜び勇んでとか落語でしか聞かない言い回し好き。
歌舞伎はクラシック、落語はジャズ
立川談慶(たてかわ・だんけい)
1965年、長野県上田市(旧丸子町)生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、株式会社ワコールに入社。3年間のサラリーマン体験を経て、1991年に立川談志18番目の弟子として入門。前座名は「立川ワコール」。2000年に二ツ目昇進を機に、立川談志師匠に「立川談慶」と命名される。2005年、真打ち昇進。慶応大学卒業の初めての真打ちとなる。 著書に『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』(大和書房)、『大事なことはすべて立川談志に教わった』(KKベストセラーズ)、『「めんどうくさい人」の接し方、かわし方 』(PHP文庫)などがある。
ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語
by 立川 談慶
「子ほめ」とは、「若く見えると言われれば誰でもうれしい」という、人の心理をついた話です。 落語というのは、決して古臭い話ではなく、仏教になじみのない多くの衆民にも興味を持ってもらうために策伝が知恵を絞って考えた「笑い話」なのです。そして、現代にも通ずる普遍的なテーマを取り扱っているからこそ、伝統文化でありながら、現在も絶大な人気を誇っているのです。策伝がもし現代に生きていたら、流行作家、もしくはテレビやラジオの構成作家として大活躍をしていたかもしれません。
極論すると、江戸時代とは「死と隣り合わせのストレスフルな時代」だったと言えるでしょう。 そのような時代背景があるわけですから、反動として「宵越しの銭は持たない(その日に得た収入は、当日中に使い果たす)」という刹那的な気性になる庶民も多かったのではないでしょうか。 つまり、過酷な環境下で生き抜くために、少しでも楽しく笑いながら過ごすために、落語という娯楽が広く庶民に求められ、愛されたというわけなのです。
多くの落語家たちがカバーする対象、「古典落語」の噺の数は約300あると先ほどお話ししました。 もちろん、マイナーな噺から上演回数の多い有名な噺まで、人気の差はあります。それら全てをかきあつめても、「わずか300しかない」という見方ができるでしょう。 なぜなら、それらをカバーする落語家たちの数は、1000人近くもいるからです。 「現役の落語家1000人が、その3分の1以下の数である300の噺をカバーして活動している」
たとえば、ポップスや演歌などの歌謡曲のジャンルで、このような状況は起こりえません。 多くの歌手は、自分独自のオリジナル曲で勝負に出ようとします。 「他人の曲をカバーして勝負しよう」という歌手はすでにベテランで余裕があるか、ごく少数派であるはずです。 言い換えると、古典落語の噺は、いずれも完成度が高く、普遍性があり「時代を超えても受け入れられる力をもっている」ということです。
まず最大の違いは、「発祥した場所」です。 「上方落語」とは、「上方」、つまり商人の町として繁栄していた大阪や京都などで生まれた落語を指します。 江戸時代まで天皇は京都に住んでいましたので、そのため京都を中心とする関西を「上方」と呼んでいました。 もともと関西地方で行われる落語は、「大阪落語」「京都落語」などと称されてきましたが、1932年に発行された『上方』という雑誌で初めて「上方落語」という語が使われ、それ以降、その呼び名が定着しています。
「上方落語」に対して、「江戸落語」とは、文字通り江戸でできた落語をいいます。江戸といえば、幕府のお膝元ですから、100万人程度の人口の半分ぐらいが侍でした。「江戸落語」は彼らの間で「お座敷芸」として発展を遂げていきます。
私の名前は「 立川 談 慶」ですが、「立川」は名字ではありません。 落語の世界では「立川」「林家」「桂」などの名前の名字にあたる部分は、「 亭号」や「屋号」という呼び方をします。 落語家の名前は、弟子入りした師匠の亭号をそのままもらい、下の名前は師匠につけてもらいます。
例‥「あくび指南」 ある男が、「あくびの仕方を教える学校」に付き添いで行きます(そもそも、この学校の存在自体がナンセンスで面白いところです)。 そこで展開される授業の退屈さに、付き添いで行った男が思わずあくびをしたところ、講師に感心されてしまいます。 「この人はなんと器用なんだ。手本を見ただけで、いいあくびを覚えてしまった」 (※この講師の勘違いが、オチです。「授業に退屈をしてあくびが出たこと」を「あくびの授業を受けた結果、うまくあくびが出せた」と勘違いしているところに面白みがあります)
与太郎は、落語で最も愛されているキャラクターの一人です。 彼は、もう成人といってもいい年齢に達しています。それにもかかわらず、頼りなく、世間一般の常識には無頓着で注意力も散漫なので失敗ばかりしています。それどころか、失敗しても気にすることなく、同じ失敗を何度も繰り返します。定職に就いていない、という設定も多くあります。もしかすると、せわしない現代であれば、与太郎は生きづらさを感じるかもしれません。でも、落語の世界ではいきいきと、ひょうひょうと生きています。 与太郎が登場する噺は非常に多く、それらを「与太郎噺」と称します。
落語家が師匠に弟子入りし、「一人前の落語家」と呼ばれるまでに、通常は十数年間もの歳月が必要です。 サラリーマンの世界も同じかもしれませんが、落語界には確固とした「階級制度」があり、誰もがそのコースから逃れることはできないのです。 ただしカンのいい人の場合、速いペースで出世していくこともあります。 平たく言うと、落語家はまるで出世魚のように名前(身分) を変えながら、進化していきます。
特に秋に演じられる、人気の噺です。この噺の知名度から、「さんま」がご当地・目黒の観光素材になっており、目黒では今でも年に一度、広く一般にさんまが無料で振る舞われるイベントが行われています。 そもそも、この噺を理解するには当時の「魚」のランクなど、「食」についての予備知識が必要です。さんまは「低級な魚」として扱われており、江戸初期は庶民でも好んでは食べなかったようです。江戸中期以降、ようやく庶民の味として浸透しました。そのような魚を殿様に食べさせるのは、とても勇気がいることだったはずです。 この噺は特に 三遊亭 金 馬 師匠(三代目) が得意としました。
しかし、殿様が食べてみると大変においしく感じられたのです。殿様はさんまという魚の存在を初めて知り、同時に大好きになってしまったのです。 それから殿様は、「また機会があればさんまを食べたい」と思うようになります。 ある日、好きな食べ物を要望できる機会に恵まれた殿様は「余はさんまを所望する」と伝えます。 しかし庶民の魚であるさんまなど、用意されているはずがありません。供は、急いで日本橋の魚河岸にさんまを買いに走りました。
そして供は、さんまの脂をすっかり抜いて焼くことにします。さんまを焼いたときに出る脂は「体に悪い」とされているからです。また、「骨がのどに刺さっては一大事」と、骨を1本1本抜き去ります。 おかげで、さんまはグズグズになってしまいました。
「世間知らずの殿様の無知を嘲笑することで、庶民が溜飲を下げる噺」という解釈もありますが、本当にそうでしょうか。身分制度などを超越した「人間そのものが持つおかしさ」に焦点を当てるのが、落語本来の醍醐味。だから「殿様の味覚の正直さを称える噺」と定義すべきでしょう。たとえば「とんかつは薄いほうが美味い」「メロンパンは安いもののほうが美味い」など、庶民の味は絶対的においしいものが多いのですから……。
次の「二ツ目」になると、いよいよ高座で本格的に噺を披露できるようになります。「楽屋での労働力」というポジションから脱却し、「自分のファンを作り、集客をすること」に取り組むことになります。 もちろん、効率よく稼げる司会業などをアルバイトと割り切って続ける落語家はいます。しかし目先のお金を稼ぐだけではなく、真打ち昇進に向けて芸を磨いたり、ファンづくりをしたりする努力も重要になってきます。
この章では落語以外の日本の伝統芸能を解説していきます。 数ある日本の伝統芸能の中で教養として知っておいてほしいのは、「歌舞伎」「能」「狂言」「文楽」「講談」です。これらの伝統芸能を落語と比較しながら説明していきます。 日本の伝統芸能は大きく「演劇」「音楽」「舞踊」「演芸」の4つのジャンルに分かれます。「歌舞伎」「能」「狂言」「文楽」は演劇、「落語」と「講談」は演芸のジャンルになります。
女性たちによる「 女歌舞伎」、遊女屋で広がった「 遊女歌舞伎」、少年たちによる「 若衆歌舞伎」。 ところが、それらはいずれも「風紀を乱す」という理由で、当時の幕府に禁止されてしまうのです(江戸時代以降に強くなり始めていた「男尊女卑」の風潮も関係していたようです)。 そこで、次に出てきたのが成人男性を中心とした「 野郎歌舞伎」です。「成人男性だけで演じるのなら、文句はないだろう」というわけです。 ただ、メンバーが男性だけですから、物語のヒロインも男性が演じなければなりません。そこで「女性を演じる男性」である「 女方」が生まれ、今の歌舞伎の原形ができました。
「世間の常識にとらわれない」というのも、初期の歌舞伎の大きな特徴です。 そもそも、歌舞伎の語源は「 傾く」という言葉にあります。これは、「 傾く」という意味から転じて「人目につくような変わった身なりや行動をすること」という意味です。 流行の先端をいく装いや、奇抜な格好、保守的な慣習や常識を無視した 扮装 で、「ショー」を演じ、人々を楽しませる。それが歌舞伎のルーツである「かぶき踊り」のコンセプトでした。
今でいうところの〝国民的アイドル〟級の影響力、集客力はあったでしょう。その証拠に、本来は観覧を禁じられていたはずの上流階級の人たちまでもが、身分を隠したり偽ったりして、「お忍びで芝居小屋へと通った」と言い伝えられています。
今では、能楽や文楽と並び、歌舞伎も「ユネスコ無形文化遺産」に登録され、日本が世界に誇る伝統芸能であると認められています。 歌舞伎が庶民に熱狂的に愛され、支持されてきた点は、落語と非常に通底していますね。
歌舞伎と落語を、音楽にたとえると、次のような図式に当てはめることができます。 「落語はジャズ、歌舞伎はクラシック」 なぜなら、「古典落語と、それを自己流にアレンジして再現する落語」と「スタンダードジャズと、それをアレンジして再現するジャズ」は、相似形であるからです。
噛み砕いていうと、噺のオチも筋もわかっているのに何度聞いても面白い「古典落語」は、スタンダードジャズと共通する部分があります。 実際、ジャズ好きで玄人顔負けの知識を持つ落語家も存在します。
歌舞伎はイケメン、 落語は三枚目
江戸時代から、歌舞伎役者とは「イケメン」「絶対的な二枚目」と相場が決まっていました。それは「見た目が端整である」という外見的な意味だけに限りません。 彼らは、骨の髄まで、つまりメンタリティーまで「イケメン」なのです。平たくいうと「自分がスターであること」に照れがないのです。 そのような精神性は、歌舞伎の演出の一つであるいわゆる決めポーズ「 見得」にも表れています。
この人数の差を見るだけでもわかりやすいですが、もっとも、このような「差」が生まれる背景には、いくつかの理由があるのです。 一つ目は「落語は技の細分化が難しい」という点です。 歌舞伎の場合は、「立役」(劇中の中心的な存在)、「女方」(女性役)、「脇役」などと役柄で分類ができるため、「歌舞伎」という1ジャンルの中でも数多くの分類ができることになります。 かたや、落語の場合は「江戸落語」「上方落語」という分類しかなく、認定の対象になりにくいのです。 二つ目は、「落語に人気があったため、保護の対象ではない」と見なされてきたことです。人間国宝の認定が始まった1950年代、落語は大衆芸能として非常に勢いがありました。皮肉な話ですが、そのような状況が「人間国宝へのなりにくさ」を招いたのです。
このような歌舞伎界と比べると、落語界が牧歌的なものに思えてきます。 「売れる」「売れない」は別として、とりあえず「落語家になる」ためのハードルは、限りなく低いものです。 「生まれで差別はしない」という公平性、大衆性こそ、「落語」という芸能の本質をよく表しています。
次に、「能」「狂言」と落語を比べてみましょう。 落語は「庶民の間で支持されてきた大衆演芸」で、能と狂言は「時の支配者に支持され発達した歴史もある高尚な〝芸術〟」といえます。
落語は〝庶民の娯楽〟、 講談は〝武士の講義〟
最後に紹介するのは、落語に一番近い伝統芸能「講談」。 近年、講談の世界に再び注目が集まっています。 その理由の一つとして、独演会で定員数百人の会場を満員にする講談師・神田 松 之 丞 さんの人気が挙げられるでしょう。
落語と講談の違いは、次のようにも表現できます。 落語とは「人間って、本来ダメなものだし、ダメでいいんだよ」と説いてくれるもの。人間の業(人の欲求や「不合理」とわかっていても行ってしまう行為) を肯定したり、心を癒やしたり、楽しませてくれたりする演芸。 講談とは「精神一到何事か成らざらん(集中して行えば、何事も成就できないことはない)」という精神で、人間を啓蒙し、鼓舞してくれる演芸。 つまり、「落語はユルくて、講談は真面目で立派」なのです。
歴史を振り返ると、講談とはそもそも「徳川家康など先人の武勲を称えるもの」として発展してきました。 象徴的な教えが「武士は食わねど高楊枝」です。
すると志ん朝は「兄さん、俺は実力でなったから」と言い返したのです。 それから談志は、志ん朝師匠と張り合うように落語家として独自の路線を模索し始めます。 「噺の忠実な再現」だけにとらわれず、落語の本質を理詰めで追求し、多数の落語論を著すなど、「志ん朝が手をつけていないジャンル」を果敢に開拓し、第一人者となっていきます。 つまり、全く毛色の異なる志ん朝と談志が、昭和の後半から平成にかけて落語界を牽引していったのです。
近年ではファッション性に富んだ女性用の製品も登場し、多くの人に知られる存在となりました。その起源は、 三遊亭圓遊(三代目) が創始した「ステテコ踊り」にまでさかのぼります。「ステテコ踊り」は1880年、コレラが大流行した翌年に誕生しました。踊りの歌詞は次のようなものです。 「人のことなどかまっちゃいけない 自分のことだけせっせとおやり」 「あんよをたたいてしっかりおやりよ そんなこっちゃ、なかなか真打ちにゃなれない、ステテコ、ステテコ」
コレラの余波で客が激減した落語界でしたが、圓遊のこの踊りのおかげで、にぎわいが戻ってきました。圓遊は本業の落語を披露する間もなく、ステテコ踊りだけで1日 30 軒以上の寄席を回ったと言い伝えられています。このブームがきっかけで「 股引」が「ステテコ」と呼ばれるようになった、というのが定説です。
世界中のジョークを見渡したとき、落語のように、人間の「弱さ」や「駄目さ」をテーマにしたものは、どこの国にも共通して存在していることがわかります。 たとえば「酒のしくじり」などの「ドジ話」の類です。 落語のように、「人間の業を描いて、それを笑い飛ばす笑い」は、やはり普遍的な〝型〟の一つなのです。
そんな「生きづらさ」を感じさせる隣国、中国ですが、実は長い「笑い」の歴史を誇ります。専門用語で言うと、「滑稽本」「滑稽文学」の流れです。その代表格といえば、明の時代の末期に 編纂 された笑話集『笑府』でしょう。『笑府』は「笑い話の倉庫」という意味で、多様なジャンルの笑い話を 13 巻にまとめたものです。
芸人の世界では「図々しいヤツ」を別名「佐平次」と呼び習わしますが、それはこの落語が由来になっています。 よく考えてみると、「弁が立つ」「お調子者である」「気配りができる」というコミュニケーションの根底にあるのは、佐平次のような「図々しさ」ではないでしょうか。痛快な人間はみなおしなべて「図々しい」ものです。映画やドラマやアニメの主役は「図々しい」キャラがほとんどです。 フーテンの寅さん、『こち亀』(『こちら葛飾区亀有公園前派出所』) の両津勘吉、『サザエさん』など、枚挙にいとまがありません。 しかし、佐平次含め、彼らはみな図々しさを武器に「めんどうくさい難局」を乗り越えてしまうのですから、たくましい「トラブルシューター」とも言えるのです。 -
Posted by ブクログ
『天才論 立川談志の凄み』
面白かった。
やっぱり、外からのイメージ通り、談志さんはかなり乙女チックな要素が強い人だったらしい。
弟弟子から、
「師匠が、"ワコール(前座の頃の芸名)のバカ"と言ってます」
と聞かされるみたいな、少女漫画に出てくる乙女みたいな言動が多くて普通に笑える。
談志さんが気に入るような好みの弟子のタイプって、自分の趣味に理解があり、かつ自分に無い要素も持ち合わせている人という感じがするので、やはり師弟の間柄は恋愛関係に近いなと思った。
似てる部分と、違う部分の両方を他人に求めるのは皆そうだろうけど、その割合の配分バランスが人それぞれというか。
だから、談志さんは、自分自身と瓜二つの人間と一緒にいても絶対同族嫌悪を起こすと思う。かつての若い頃の自分が談志の弟子になったとしたら、すぐに揉めて破門にしている様子が目に浮かんで容易に想像つく。
実際に立川談志と松ちゃんはかなり似ている部分が多いと思うけど、この二人が同じ場所で共演したのはM-1の審査員の時の一回きりで、それも直接の絡みは無かったし、やはりお互いに近寄ると揉めるとわかってるから一定の距離を置いてた雰囲気が漂っている。
片や、上岡龍太郎と談志さんは仲良かったらしいけど、上岡さんは何だかんだ引くところは引いて、その辺りのさじ加減とか上手かったんだろうなと。
大人なジェントルマンと乙女爺でとても相性が良さそう。
もう、このご両人ともこの世にはいないんですねー。
#読書 #読書感想 #立川談志 #天才論 立川談志の凄み #立川談慶 -
Posted by ブクログ
ネタバレひょい、と。
ときどき一緒に落語に行く同僚が、「読んでみ」と渡してきた。
ゆる〜い生き方を進める立川談慶さんのエッセイ。
落語の魅力、共感させる力、勝ち負けではない、働かない人もそれなりに近所と共存していた江戸時代の人々と気質、人情•••。
いいなぁ。
ここ数ヶ月、落語のYouTubeを子守唄代わりにしている僕。
効率を重視し過ぎて、近年、仕事もプライベートも息が詰まりそうだもんな。
ありがとう、とてもいい本だったよ、とても面白かったよ。
礼を言って同僚に本を返すと、
同僚は、「私はそんなにいいとは思わなかったけど•••」
なぜ、そんな本を推してきた?
共感さえもないオチやんか。
でも、僕には心に響くエッセイだったな。 -
Posted by ブクログ
ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語
著:立川談慶
落語は日本の「文化」、日本人特有の「価値観」を教えてくれる。それは落語が単なる「娯楽」にとどまらず、伝統芸能としての側面があるからである。
国内外を問わず、自国の文化・伝統芸能はビジネスエリートにとって共通言語になりえる。「落語」を知るということは、日本の文化・伝統芸能を知り、日本人の価値観を知るということである。落語は、日本各国を旅せずとも、日本について深くしることができる最強のツールである。
本書の構成は以下の7章から成る。
①これだけ知っておけば間違いない落語の「いろは」
②噺の構造と落語家の出世
③ニュースや会話によく出てくる名作古典落語
④落語と比べると理解しやすい日本の伝統芸能
⑤これだけは知っておきたい落語界のレジェンド
⑥世界の笑いと落語
⑦これを知っていればあなたも落語通!使える落語
テレビで眺める程度で、あまり触れてこなかった「落語」という世界。本書はその導入部分のみの紹介かもしれないが、その入り口でさえ惹きつかれるものがあった。
日本古来から伝わる文化芸能である落語は、今の世の中のプレゼンテーション。伝えるのも用件ではなく、笑いとその背景の道徳などの心を伝えるという点では非常に参考になる。
笑いという側面でみても、子どもを笑わせるために多用する顔芸や、妻に良かれと思ってくりだす「ダジャレ」(失笑される)、ではとうに限界がきており、ジャパニーズユーモアという、飽きのこない、伝えられる側のとんち的思考も借りながらの笑いの提供というある意味新鮮な笑いのキャッチボールの仕方を学ばせてもらった。
古典的落語の同じ題目は演者によって、大きく変わる。そしてそれは同一人物であっても同じ演者であっても、毎回違った顔を見せてくれる。生き物のようなもの。
古典落語といっても、カチっと変わらないものではなく、時代によってアレンジや解釈や演じ方が変わる。伝える側も伝えられる側も成長することでその題目は時代と共に進化し、生き残っている。
奥が深い落語。簡単ではないかもしれないが、演じる側として落語を触れる等違ったことにもチャレンジしてみたい。 -
Posted by ブクログ
このシリーズの「役に立つ古典」で、「俳諧」が笑いを表すものだと知った。そこから笑いは日本の文化に根差した奥深い何かがありそうだと、本書を手に取った。
「落語とは人間の業の肯定である」
落語家立川談志のこの言葉は落語の本質をついていると筆者は言う。
人間は業の塊で、落語はその人間のだめなところ、弱さを明るくテンポよく伝えてくれる。それをみた観客は「自分にもそういうことがあったなあ」「誰でもだめなところはあるよなあ」と弱さを受け入れてくれる落語を聴いて安心する。勝ち負けの二元論が蔓延り失敗できない窮屈な社会にいるわたしたちを、リラックスさせてくれる。だから落語の笑いはほっとした笑いなんだそう。
自分を受け入れてくれる場があることで自尊心が高まり、相手と比べることのない自分らしい道を歩むことができる。そんな力が落語にはあったのだと読み進めるにつれ感激した。落語のようなほっと一息つくような場がこの時代には必要だ。
私も自分より頭がよかったり活動的な人をみて自尊心が損なわれることがある。でも他人と比べてばかりでは仕方がない。やはり、週に一度は課題も仕事もしない日を確保し、自分の山を登り続けること、自分らしさを磨き続けることを人生の軸にしたい。
落語の作品を紹介しながら今の日本人が学ぶべきテーマについても書かれており、助け合いが当たり前だった長屋の地域コミュニティについて特に関心を抱いた。人が地域の人に甘えられるにはどうしたらいいだろう? -
Posted by ブクログ
古典落語はその名の通り「古典」なのであって
知っているのと、知らないのでは会話も弾まな
い事は明らかです。
要はその古典の話を知っているというのは、あ
る種の教養とも言えます。
昨年開業した高輪ゲートウェイ駅の名称公募で
第3位に入っていたのは「芝浜」です。
結果はご存知の通りですが、ネットでは「やっ
ぱり夢だったか。芝浜だけに」と多くの人が書
き込んだといいます。
落語演目の「芝浜」のオチを知らないと何のこ
とだか分からないですよね。
今、落語はブームです。落語だけではないです。
講談や歌舞伎だって盛況なのです。
この本では落語というものが、日本の古典芸能
の中でどういう位置づけであるのか、歴史から
学ぶことができます。
つまりネタを知ることだけではなく、まさに落
語のすべてを教養のごとく学べる一冊です。