【感想・ネタバレ】天才論 立川談志の凄みのレビュー

あらすじ

世に天才といわれる落語家は、何人かいたかもしれない。しかし凄みを伴った天才は、立川談志だけだ――。本書は立川談志18番目の弟子である著者が、正面切って挑む談志天才論。没後10年が経ち、談志の言葉の真意がようやくわかるようになってきた今、談志の本当の凄さに迫る。著者は談志の天才性を「先見性、普遍性、論理性」の三つに凝縮して分析。さらに独特の身体性や立川流を創設した理由、師匠談志と志ん朝師匠のライバル関係などについて論じる。後半では「談志は談慶をどう育てたか」と題し、入門後二つ目に昇進するまでを振り返る。後輩の談生(現・談笑)が自分より先に二つ目に昇進した悔しさ、談春兄さんと志らく兄さんの話、妻からの衝撃的かつ的確なアドバイス……。通常4~5年とされる前座業を9年半経験してようやく二つ目に昇進した男が、自らの苦悩や師匠を疑問視した日々をさらけ出し、その上で「師匠こそがハートウォーマーだった」と語る。

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Posted by ブクログ

『天才論 立川談志の凄み』⁡⁡

⁡⁡
⁡面白かった。

やっぱり、外からのイメージ通り、談志さんはかなり乙女チックな要素が強い人だったらしい。⁡

弟弟子から、
「師匠が、"ワコール(前座の頃の芸名)のバカ"と言ってます」
と聞かされるみたいな、少女漫画に出てくる乙女みたいな言動が多くて普通に笑える。

談志さんが気に入るような好みの弟子のタイプって、自分の趣味に理解があり、かつ自分に無い要素も持ち合わせている人という感じがするので、やはり師弟の間柄は恋愛関係に近いなと思った。
似てる部分と、違う部分の両方を他人に求めるのは皆そうだろうけど、その割合の配分バランスが人それぞれというか。

だから、談志さんは、自分自身と瓜二つの人間と一緒にいても絶対同族嫌悪を起こすと思う。かつての若い頃の自分が談志の弟子になったとしたら、すぐに揉めて破門にしている様子が目に浮かんで容易に想像つく。

実際に立川談志と松ちゃんはかなり似ている部分が多いと思うけど、この二人が同じ場所で共演したのはM-1の審査員の時の一回きりで、それも直接の絡みは無かったし、やはりお互いに近寄ると揉めるとわかってるから一定の距離を置いてた雰囲気が漂っている。

片や、上岡龍太郎と談志さんは仲良かったらしいけど、上岡さんは何だかんだ引くところは引いて、その辺りのさじ加減とか上手かったんだろうなと。
大人なジェントルマンと乙女爺でとても相性が良さそう。
もう、このご両人ともこの世にはいないんですねー。⁡
⁡⁡
⁡#読書 #読書感想⁡ #立川談志 #天才論 立川談志の凄み #立川談慶

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2024年02月11日

Posted by ブクログ

私は人事部門で長く働いているが、特に最近感じているのが、「人を育成・成長させるには、デジタルツールでは成り立たない」ということだ。
本書を読むと、特にそのことを確信してしまう。
最近「学校の先生は不要で、動画教育だけでよいのでは?」という議論もされている。
私個人はそれには反対である。
未来の人材を育てるのは、結局人からの継承が必要で、師弟同士がぶつかり合わないと成立しないと思う。
古い考えなのかもしれないが、教えることは技能だけではないし、人間性や考え方、その人物の背景にある部分が重要だったりする。
育成の根幹の話になるが、「ダメな上司が、部下を優秀な人材に育てられる訳がない」と思う。
当たり前のことであるが、この理屈で言えば逆もまた真なり。
「自分が優秀な人材として育ちたければ、天才に教えを乞うしかない」
立川談慶氏の著作を読んだのは2冊目だ。
今回は、師匠である立川談志氏と、ご本人との関係性について余すところなく記載している。
私が見ていた立川談志氏は、子供の頃だったということもあり、テレビタレントという認識だ。
落語家としてどれだけ天才だったのかというのは、もちろんリアルタイムでは体験していないのであるが、本書を読むとその非凡ぶりに改めて気付かされる。
談慶氏は師匠からなかなか合格が出ずに、出世が遅れた苦労人。
本人も自分自身の至らなさに気付いていつつも、それを甘やかす師匠談志であるはずがないことも分かっている。
今令和の時代には失われてしまった人間同士の関係性が、この2人の間には確実に存在している。
確かにスマホやSNSは、人同士の繋がり方を変えたかもしれない。
遠く離れた人と、簡単に連絡が取れるようになったことは、良いことなのかもしれない。
しかしながら、育成の観点で見ると、デジタルツールはあまり役に立っていない気がする。
むしろ害悪であるとすら感じてしまう。
談志氏は「落語とは、人間の業の肯定である」という考え方の持ち主だったそうだ。
これは非常によくわかる。
古典落語に出てくる登場人物は、ほとんどが市井の人々。
それも大抵がだらしない人々だったり、ズルをしたり、ごまかそうと考えたり。
つまり、人間とは心の弱い存在であり、全員が徳のある人物には、なかなかなれないものである。
「酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ」という名言も談志氏のもの。
談慶氏は師匠談志氏から徹底的に厳しくされる訳であるが、ここまで追い込まれなければ、きっと中途半端な芸になってしまっていたのだろう。
それがどうしても認められなくて、自分に許せなくて、合格を出せなかった。
弟子の芸もまた、自分の作品の一部であるのだから、そこは妥協が出来なかった。
気持ちは理解できるのだが、今の時代ではここまですることは、許されないのかもしれない。
それはハラスメントだったり、コンプライアンスだったり、人権デューデリデンスだったり、働き方改革だったり。
様々な規制が出てきて、それが弱い立場の人々を守ることになっているのは間違いないが、極めて高いレベルを求めなければいけない仕事も、レベルを落とさなくてはいけないのだろうか。
本書の談慶氏のような苦労も、成長のためには必要ではないかと思ってしまう。
人事部門で働いていて、日々葛藤の連続である。
規制は規制で必ず守る必要がある。
一方で、人材が育っていないのも確かである。
(落語家ではなく、会社の中で、である)
これからの時代に合った人材育成とは何なのか。
未だに最適解は見つかっていない。
一つ言えることは、天才と言われる師匠に師事することが、成長の近道である。
結局二流の人に教わっても、しかも厳しくされずに甘やかされたら、技を磨けるはずがない。
人間はそもそもダメな存在である。
しかし、芸が超一流な人は、希少ながら存在する。
談慶氏は幸せだと思う。
結局のところ、人生の価値とは、誰と出会うかで決まる。
人事担当としては、そういう素敵な出会いのサポートをできたらと思っているが、果たしてそれだけでよいのだろうか。
仕事の中でも技の継承が課題になっている。
一方で、テクノロジーの進化によって、仕事は大きく変化している。
かつては一流の技が必要だった仕事が、機械に代替されて、誰でもできる仕事になってしまう。
そんな時代に、人材の育成は本当に難しい。
試行錯誤しながらだが、見つけていきたいと思っている。
(2025/6/18水)

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2025年10月13日

Posted by ブクログ

何かを成し得たい人、そこまで大袈裟ではなくでも何かを目指す人なら必読の本だと思いました。個人的に今の自分がどれだけ甘えて生きているかを痛感させられました。

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2024年09月02日

Posted by ブクログ

立川談志の没後10年が経ち、弟子の立川談慶が書いた立川談志論。
私は談志の著書は全て持っており、弟子のもそこそこ集めてきましたが、キリがないので久しくやめていました。
ただ、次の惹句に惹かれて本書を買いました。
「弟子がやっと気づいた『本当の凄さ』」
本書を読んで、談志は「凄い」落語家だったのだと再認識しました。
その凄さを、著者は「先見性、普遍性、論理性」の3つの言葉で表現します。
先見性―それは、昭和40年に談志が著した落語家のバイブル「現代落語論」のラストに現れます。
落語界が勢いのあった時代、談志は「落語が『能』と同じ道をたどりそうなのは、たしかである」と言い切ったのです。
以後、そうはさせまいと、談志自身はもとより数多の落語家の活躍があったからこそ、今の落語界の隆盛があるのだと思います。
普遍性―それは、たとえば「たが屋」のオチを変えた点に表れます。
従来の「たが屋」は、刀ではねられた殿様の首が飛んで「たーが屋ー」というオチでした。
これに群衆が留飲を下げるのです。
しかし、談志はこれに「せこい下剋上のカタルシス」と異を唱え、たが屋の首が飛んで「たーが屋ー」というオチに変えました。
群衆の期待とは真逆の流れになったのに、それでも「たーが屋ー」と叫ぶ群衆の無責任。
それこそ、自身の持論である「人間の業」だと考えたのです。
いやはや凄い。
論理性―それは、先述の「現代落語論」と、その続編である「あなたも落語家になれる 現代落語論其二」を読めば一目瞭然でしょう。
著者は、談志の論理性を「普段からの不断の努力によって獲得された形質なのでは」と推察しています。
努力を「バカに与えた夢」と唾棄していた談志ですが、自身は努力家だったと著者を含め周囲の多くの人たちが証言しています。
談志の天才性は、「芝浜」の演出の変遷過程にも表れています。
「芝浜」が十八番だった先々代の三木助は、登場人物の女房を「良妻賢母型の古風な女房」として描いていました。
談志も当初、これを踏襲していましたが、徐々に「現代風なかわいらしい気質」を交えた女性像へと転換していきました。
そして、あの伝説の、よみうりホールでの「ミューズの神が降りた」高座が実現したのです。
すみません、談志フリークなのでつい熱くなって長くなってしまいました。
これでも触れたのは、まだ本書の10分の1くらいです。
談志のことになると熱くなってしまうのです。
全部書いていると日が暮れそうなので、このへんで。
遅くなりましたが、本書は、談志の凄さを論じた「客観的な談志論」と、そんな談志の弟子として師匠をどう見てきたのかを書いた「主観的な談志論」の大きく2部構成となっています。
9年間にも及んだ前座修行の期間が主となる第2部は、読み物としても秀逸。
著者が前座時代に婚約者を事故で失った経験があったなんて知らなかったので、思わず胸を締め付けられました。
いずれにしても、談志ファンなら読むべきでしょう。

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2022年03月05日

Posted by ブクログ

前半は談志の天才性について語っており、後半は著者ご自身が二つ目に上がるまでの軌跡を書いた本。著者自身はとても真面目ではあるけれども、とても不器用であり、時間はかかったものの二つ目になる軌跡が非常に興味深く読めました。師匠である談志のすごみや覚悟のようなものが非常に伝わってきました。著者ご自身にも共感できましたし、談志の考え方にも非常に共感が持てました。こういうとても激しくもあるものの愛情に深い師匠を得られた事は人生にとって本当に素晴らしいことだな、と感じたりもしました。

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2022年01月17日

Posted by ブクログ

弟子から見た師匠の凄さが 書かれていました。
亡くなったから 書けたのかな??
ご存命の時だったら 書いたら怒られたり??

本当に立川談志さんて 凄い人だったのですね。
気配りも 優しさも 兼ね備えていたんですね。

他の落語家さん達は 結構長生きしているので
油が乗り切った時とはいえ 残念ですね

まだまだ 生きていて欲しかったですね。

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2022年02月05日

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