木村元彦のレビュー一覧
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サッカーはよく分からない。ルールは知っているし、日本リーグの頃は
閑古鳥鳴く国立競技場にさえ行った。でも、Jリーグになった最初の1年
だけは試合の結果も追っていたが、諸事情によりサッカー観戦を止めた。
ストイコビッチをはじめ、ユーゴ出身のサッカー選手は辛うじて名前を
知っているくらいだ。だから、本書は読み通せるか不安だった。
案じることはなかった。多分、まったくサッカーを知らなくても読める。
副題に「ユーゴスラビアサッカー戦史」とあるように、旧ユーゴスラビア
全土をくまなく回り、選手や協会関係者、サポーターに取材し、試合の
経過も記されている。
それでも、本書を貫いてい -
Posted by ブクログ
われわれがさして関心がない事柄でも、マスコミの報道というのは知らずしらずのうちに耳にはいってくるもので、その点ではマスコミの力は大きい。
当時からテレビも新聞もあまり見ておらず、ユーゴスラビア紛争やコソボ紛争に特に関心があるわけではなかったけれども、セルビアに関する悪評はなんとなく知っていた。民族浄化という名の下に恐ろしい虐殺を行っているらしいということを。
NATOによる爆撃が開始され、それまで加害者であったはずのセルビア人が急に被害者になり、一般的には正義の側と思われていたNATOがどうもそうでもないらしい気配がただよってきて、セルビア人のサッカー選手であるドラガン・ストイコビッチが、 -
Posted by ブクログ
「ストイコビッチ戦記」というサブタイトルが思い浮んだ。
ストイコビッチがベンゲル監督の名古屋グランパスで活躍していたころは、現在ほどJリーグを見ていなかった。
博多の森にも来ていたんだろうな。彼を見逃すとは、なんて惜しいことをしたものだ。
われわれがピッチ上のサッカー選手を見るとき、そこで動いているのはわれわれの操り人形ではなくて、一人の人間であるということ、われわれと同じ感情と個々の歴史を背負った一人の人間であるということ、そのことをついつい忘れてしまってはいないか。
私は試合に敗れて怒るが、彼は怒らないかのように。
私は傷つくが、彼は傷つかないかのように。
これだけわれわれから応援さ -
Posted by ブクログ
★個人と民族と国家をまたぐのがまさにスポーツ★以前から疑問だったのは、資本主義の日本で育った選手が北朝鮮代表に入って、チームメイトとどのように交流するのかだった。本書はこの点にはあまり触れていないが、個人の責任とは全く異なる理由で苦境に置かれた選手たちとそれを支えた市政の熱い環境(Tリーグ)、そして離散者とマイノリティーのW杯であるCONIFAのルポは予想を超えたところで興味深かった。特にCONIFAは、参加チームを尊重するがナショナリズムの発揚は拒むところにスポーツの素晴らしさがある。
サッカーを通して民族と国家の狭間を描けるのは、著者ならではの分野だ。 -
Posted by ブクログ
ノンフィクション本。ミズノスポーツライター賞の最優秀作品を取ってるらしい。
読んだきっかけは施川ユウキ先生の『ド嬢曰く』で紹介されていたからなんやけど。。
面白かったです。凄かった、という表現の方がしっくり来るかもしれない。
オシム元監督について述べる時、どうやらサラエボの内戦などの世界情勢と切り離せないようなのですが、そういった歴史や世界各国に散らばっている関係者への取材を含め、圧倒的な情報量に驚かされます。
これらの背景を踏まえるがゆえに、オシムのインタビューや会見の問答にもより一層の深みが増しています。
単純に意味深な言葉を面白がるのではなく、それらを通してオシムの人生を描き出したい -
Posted by ブクログ
カバーの写真(”NATO STOP STRIKES"と書いたアンダーウェアを着ているストイコビッチ)のシーンは、TVのニュースで見ておぼろげながらに記憶に残っている。しかし、あの時ストイコビッチがどんな苦悩の中にいたのかを当時の自分は全く想像できていなかった。
著者の(あくまで、サッカーを題材にした)取材を通して、旧ユーゴが、そしてプラーヴィ(=タレントの宝庫だった旧ユーゴ代表)が、解体せざるを得なかった状況が見えてくる。少なくとも、当時のニュースを通してなんとなく信じていた「セルビア・ミロシェビッチ悪玉一元論」とはかけ離れたものであろうことが...。