Posted by ブクログ
2014年08月04日
『オシムの言葉』木村元彦(集英社文庫)
私がオシムを知ったのは、ジェフ市原の監督をしていた頃からだろうか、でも本当に記憶にあるのは、テレビによく出始めた日本代表監督になってからだ。サッカーに関しては、それ程熱狂的なファンではなく、ワールドカップがあれば急に「日本頑張れ!」と応援するにわかファンの部類...続きを読むに入ると思う。だから、メディアの露出度が高い選手や、監督には必然的に興味をそそられてきた。しかし、オシムへの興味は違っていた。インタビューで放たれる深い言葉を聴き、彼の表情と視線を目にした時の彼への興味をひとことで言うと、『こういっ人物はどうやって作られるのだろうか?』というものだった。私が大抵人に興味を持つときは、ここから入る。そしてそれが、予め抱いていた想像と異なっている時に、その興味は倍加される。開成高校→東大法学部→財務省主計局局長なんてのは、何の興味も起きない。如何わしい'宗教の教祖'→専業農家の主婦→ガザの生まれ なんて人生の経歴があったら何はともあれ、その宗教に入信してみたくなる。(ここまで、あり得なければ誰でも興味は持つな)まさしく、オシムはそんな私の興味の対象で長い間いた。にもかかわらず、オシムに関す情報は意外と私を遠ざけていた。
やっとその興味を具体的に味わうことのできるチャンが訪れた。それがこの本『オシムの言葉』になる。
私がこの本で知ったオシムの魅力を4つの観点から伝えていきたい。①祖国ユーゴスラヴィアで育まれたオシムという人物、②オシムの求めたサッカー、③日本に与えたオシムの影響、④”憧れのオシム”という4つの枠を敢えて設定して語っていきます。
①ユーゴスラヴィアは「5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字」を内包するモザイク国家、そのその中のボスニア・ヘルツィゴビナの首都サラエボで生まれたオシムは、日本で生まれ育った私が想像すらできない、複雑な社会環境のなかで、生きる術を身につけてきた。実際に勃発した内戦のさなかで、異なった民族の選手たちを抱えてユーゴスラヴィアの代表監督を勤めていた。そんな艱難辛苦の時代にオシムが語った言葉「歴史的にあの地域の人間はアイデアを持ち合わせていないと生きていけない。目の前の困難とどう対処するのか、どう強大な敵のウラをかくか、それが民衆の命題だ。…今日は生きた。でも明日になれば何が起こるか分からない。そんな場所では、人々は問題解決のアイデアを持たなければならなくなるのも当然だ」これが彼のサッカーに向かう基本スタンスだ。余談だか、この本を読む前日に偶然にもアンジェリーナ・ジョリー監督の『最愛の大地』というユーゴスラヴィアの内紛を扱った映画を観ていて、内紛が勃発する前には、仲の良かった同胞が対立してゆく姿を見た、内紛の恐ろしさ、醜さを映像で見せられていただけに、このオシムの置かれた境遇が彼を創り上げた基礎になっていることを確信するに至った。
②私はサッカーの監督としてのオシムの評価をできる程、サッカーに対しての知識をもたない。だから、彼のサッカーに対する想いを中心に、彼にとってのサッカーをこの本の言葉を抜粋して伝えたい。「私の人生そのものがリスクを冒すスタイルだった…。この先、サッカー選手としてやっていけるかどうかわからな状態でも、私はリスクを背負ってサッカーの世界へ飛び込んだ。だから最初から、私はサッカー人としてリスクを背負っている」実はオシム、大学では数学の天才で教授への道が用意されていたにもかかわらず、サッカーへの道を選んでいた。この時、既に彼はサッカーで人生を歩む決意をしていたのである。そして彼のサッカー観を表す言葉「やはりサッカーというもいうのは、すごく美しいスポーツだと思っている。美しいサッカーをするチームがあるのなら、そこは美しいサッカーをするための練習をしているのでしょう。だが、ウチはまだ闘っている状態で、美しさからはかけ離れている。客観的にみたら、ここでは無理でしょうね。だが、それにどこまで近づけるかが大事でしょうね」試合に勝つために闘うが、勝つことだけにこだわらずその過程と先に意義を求める。まさに、オシムの人生そのものだ。
③日本に与えたオシムの影響 Jリーグの中でも運営資金の一番少ないジェフ市原の監督を引き受けたのもオシムらしい。名だたるビッグの倶楽部チームからの招聘にもかかわらず、自分のスタイルのチームを作り上げることができる環境と日本という国が好きということで、決意した就任だった。そしてその実績はスグに現れた。彼のチーム作りのモットーは「(一般的には個人プレーが強い人間を人々は好むが)、私はひとつのチームを作ることをまず考えて、その上で機能する選手を選ぶ。」この考えで、ジェフから日本代表に選ばれた選手も多く生み出している。彼が日本代表の監督をした時の選手たちはオシムの考えていることを忖度しながら、ゲームをしていたといったコメントを残している。それはオシムが日頃の練習のなかで「モチベーションを上げるのに大事だと思っているのは、選手が自分たちで物事を考えるのを助けてやることだ。自分たちが何をやるか、どう戦うのかを考えやすくしてやる。まずは自分たちのために自分たちのやれることをやり切るということを大事だという話しをする」言葉にあらわれている。④私にとってオシムは、直接接することが出来ない、憧れのメンターとしての存在。彼のサッカーの監督としての姿だけでなく、彼の苦悩の人生が彼を創り上げたという私の仮説は、その通りだと思うのだが、逆に同じ経験をすれば、同じ様な深みのある洞察ができる人間ができるというものではない。自らの経験を見つめる自分の目と心を通して真剣に人生に向きあっての結果であることも理解できる。私がオシムに憧れるように、自分の後輩たちにそんな目で見つめられわたらなんて光栄なことだろうと想像してしまう。最後にこの本の『オシムの言葉』というタイトルからこの本をもう一度振り返っておこうと思う、言葉がカジュアルになったこのSNSの普及した社会(実はそれより以前からだが)では、言葉の量に含まれる意味、意義の割合がかなり低下してきているようだ。それ故、本を読んでいても少し古い本やしっかり論を尽くして書かれた本は、難解で読み辛さを感じる位に、その相対的な言葉に含まれる意味、意義のおもさを感じることがある。オシムの言葉もしかり、ぎっしりと彼のメッセージが詰まっている。文章ではなく、会話として放たれる彼の言葉は相対的に更にその重さを感じる。「オシムの言葉」を通して彼を紐解くという発想は絶妙なものがある。
2014.07.25