木村元彦のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「突然ガバチョ!」・「夜はクネクネ!」(何れもMBS)・「EXテレビ」(YTV)という、80年代~90年代半ばにかけて、それまでテレビバラエティーになかった番組が席捲した。それらの番組で人気を博した企画は形を変え、引き継がれていく。ダウンタウンの「笑ってはいけないシリーズ」、「鶴瓶の家族に乾杯」に代表される「街ブラ」、「開運なんでも鑑定団」等の元ネタとなっている。その企画を生み出したのが構成作家 倉本美津留。その異才ぶりをスポーツドキュメンタリーで知られた著者が、アシスタントディレクターを経て構成作家へと転身、松本人志との出会い、そして現在の非お笑い分野の仕事までを丹念な筆致で追いかけた評伝。倉本は様々な番組に関わるも、一貫して追求するのは「ドキュメンタリー的な笑い」。予定調和な笑いを排除し、「何が起こるか分からない、その意外性こそが面白い」…、企画をめぐってディレクターと口角泡を飛ばさんばかりの激論、放送事故もあり得る、キワキワのその一瞬に賭ける。その姿勢は時に攻撃的であり、時にアナーキーでありながらも、M-1の一次審査全3,000組のビデオにすべて目を通すなど、通底には笑いに対する真摯で貪欲な姿勢が今なおコンコンと湧出中である。本書一読後、youtubeで当時の番組を検索してしまう衝動に駆り立てられることお約束します。
-
Posted by ブクログ
ネタバレテレビに縛られる生活が窮屈になったのをきっかけに、少しずつテレビ離れをしはじめて、今ではテレビがなくても全く支障のない生活が送れるようになった。もっとも、家族はそういうわけでもないので、家にはテレビはあるものの、俺は茶の間にいる時についてたら観る程度で十分。
が、そういう生活になる前は、民放バラエティはなくてはならないものだった。日々のストレスを晴らすのに、酒とお笑い番組はうってつけの薬だった。高校・大学受験の時も勉強の合間に観るテレビや聴く深夜ラジオは、欠かせない安息の時間だった。
ヤングタウン
オールナイト日本
突然ガバチョ
夜はクネクネ
EXテレビ
ゴッツエエ感じ
明石屋電視台
M-1グランプリ…
これら全部に関わっている男、倉本美津留のドキュメンタリーがこの本である。既成の放送スタイルを嫌い、安易な番組編成を壊すために徹底的にバラエティを追求した男。そ之根底に流れる熱くて優しい想い。倉本さんの名前はこの本を読むまで、せいぜい番組内でちょいちょい弄られてるのを聴いてた程度だったんだが…。彼の感性で作られてきた番組が俺のストレスを癒やし続けてくれたことに、気付けたのが一番の収穫。
最近のバラエティ番組の薄っぺらさが嫌いである。スポンサーと視聴者からのクレームにばかりビビって、過剰にテロップを入れたり、商品名とかブランド名にボカしを入れたり。芸人は鮮度が命とかいいつつ、ダイソーで買ってきた便利グッズさながらに使っては捨て、飽きては捨て…。そのくせ、人を傷つけることは平気で放送してたりする。
ネットやゲーム機に負けたからと言われているテレビの衰退。俺は自滅に近い部分も大いにあると思っている。公共の電波を利用していることに特権意識を持ち、かといって責任を感じないマスコミ連中。腐った自尊心と無責任の塊の旧弊したバカどもである。
倉本さんの番組にもそういう要素がなかったわけではないんだけど、少なくとも彼や彼を取り巻く連中には「絶対オモロいもんを作ったる。テレビにかじりつかせたる」っていう意識と、生活に笑顔があることへのあくなき挑戦心があったように思う。視聴率とかスポンサーとか、そういうのは障害物であって乗り越えなアカンという気概。
もうテレビはオモロない。でもかつてオモロかったテレビ番組を作ってきた人のドキュメントは、レビューがこんなに長文になるくらい凄くオモロかった。人生を楽しむ上で参考になる1冊である。 -
Posted by ブクログ
ネタバレオシムの言葉2005
サッカーをモチーフに、時に自分の哲学を語る。プレーや試合についての言及が結果として深遠な人生の真理をついている。
旧ユーゴで代表監督を務め、その崩壊過程を全身で受け止めてきた。
稀代のアフォリスト(名言)
・新しい指揮官の第一声は少し長い演説になるのが常。
←自分を理解させるため
←舐められないため
・2チームに分かれてハーフコートで1:1をやれ。→片方の選手が押され始めても、漠然と見ている選手たちを叱責する。実戦で1:1が5秒も6秒も続くシチュエーションはない。早くサポートに行け!
→言われた通りではなく、相手の裏をかくための創意工夫をしながら練習しろということ
・休みから学ぶことは何一つない
・ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか?準備が足らないのです。
・一般的には、個人プレーが強い人間を人々は好む。しかし、私は一つのチームを作ることをまず考えて、その上で機能する選手を選ぶ。
・これしちゃダメだと人を雁字搦めに縛るだけ。システムはもっとできる選手から自由を奪う。システムが選手を作るんじゃなくて、選手がシステムを作っていくべき。
・サッカーとは戦術が一番と思っている監督がいるかもしれないが、一番強調したいのは、ボールを動かすということ。ムービングこそ。
・夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべき
・選手を見極めるのではなく、プレースタイルの幅の広がりや進化の可能性を見据えながら、オプションを常に追っている
・モチベーションアップとは「アメかムチか」ではなく、「選手が自分で考えることに向けてのサポート」
・私の人生は、リスクを負うスタイル
→数学かサッカーかで、サッカーを選択 -
Posted by ブクログ
『オシムの言葉』木村元彦(集英社文庫)
私がオシムを知ったのは、ジェフ市原の監督をしていた頃からだろうか、でも本当に記憶にあるのは、テレビによく出始めた日本代表監督になってからだ。サッカーに関しては、それ程熱狂的なファンではなく、ワールドカップがあれば急に「日本頑張れ!」と応援するにわかファンの部類に入ると思う。だから、メディアの露出度が高い選手や、監督には必然的に興味をそそられてきた。しかし、オシムへの興味は違っていた。インタビューで放たれる深い言葉を聴き、彼の表情と視線を目にした時の彼への興味をひとことで言うと、『こういっ人物はどうやって作られるのだろうか?』というものだった。私が大抵人に興味を持つときは、ここから入る。そしてそれが、予め抱いていた想像と異なっている時に、その興味は倍加される。開成高校→東大法学部→財務省主計局局長なんてのは、何の興味も起きない。如何わしい'宗教の教祖'→専業農家の主婦→ガザの生まれ なんて人生の経歴があったら何はともあれ、その宗教に入信してみたくなる。(ここまで、あり得なければ誰でも興味は持つな)まさしく、オシムはそんな私の興味の対象で長い間いた。にもかかわらず、オシムに関す情報は意外と私を遠ざけていた。
やっとその興味を具体的に味わうことのできるチャンが訪れた。それがこの本『オシムの言葉』になる。
私がこの本で知ったオシムの魅力を4つの観点から伝えていきたい。①祖国ユーゴスラヴィアで育まれたオシムという人物、②オシムの求めたサッカー、③日本に与えたオシムの影響、④”憧れのオシム”という4つの枠を敢えて設定して語っていきます。
①ユーゴスラヴィアは「5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字」を内包するモザイク国家、そのその中のボスニア・ヘルツィゴビナの首都サラエボで生まれたオシムは、日本で生まれ育った私が想像すらできない、複雑な社会環境のなかで、生きる術を身につけてきた。実際に勃発した内戦のさなかで、異なった民族の選手たちを抱えてユーゴスラヴィアの代表監督を勤めていた。そんな艱難辛苦の時代にオシムが語った言葉「歴史的にあの地域の人間はアイデアを持ち合わせていないと生きていけない。目の前の困難とどう対処するのか、どう強大な敵のウラをかくか、それが民衆の命題だ。…今日は生きた。でも明日になれば何が起こるか分からない。そんな場所では、人々は問題解決のアイデアを持たなければならなくなるのも当然だ」これが彼のサッカーに向かう基本スタンスだ。余談だか、この本を読む前日に偶然にもアンジェリーナ・ジョリー監督の『最愛の大地』というユーゴスラヴィアの内紛を扱った映画を観ていて、内紛が勃発する前には、仲の良かった同胞が対立してゆく姿を見た、内紛の恐ろしさ、醜さを映像で見せられていただけに、このオシムの置かれた境遇が彼を創り上げた基礎になっていることを確信するに至った。
②私はサッカーの監督としてのオシムの評価をできる程、サッカーに対しての知識をもたない。だから、彼のサッカーに対する想いを中心に、彼にとってのサッカーをこの本の言葉を抜粋して伝えたい。「私の人生そのものがリスクを冒すスタイルだった…。この先、サッカー選手としてやっていけるかどうかわからな状態でも、私はリスクを背負ってサッカーの世界へ飛び込んだ。だから最初から、私はサッカー人としてリスクを背負っている」実はオシム、大学では数学の天才で教授への道が用意されていたにもかかわらず、サッカーへの道を選んでいた。この時、既に彼はサッカーで人生を歩む決意をしていたのである。そして彼のサッカー観を表す言葉「やはりサッカーというもいうのは、すごく美しいスポーツだと思っている。美しいサッカーをするチームがあるのなら、そこは美しいサッカーをするための練習をしているのでしょう。だが、ウチはまだ闘っている状態で、美しさからはかけ離れている。客観的にみたら、ここでは無理でしょうね。だが、それにどこまで近づけるかが大事でしょうね」試合に勝つために闘うが、勝つことだけにこだわらずその過程と先に意義を求める。まさに、オシムの人生そのものだ。
③日本に与えたオシムの影響 Jリーグの中でも運営資金の一番少ないジェフ市原の監督を引き受けたのもオシムらしい。名だたるビッグの倶楽部チームからの招聘にもかかわらず、自分のスタイルのチームを作り上げることができる環境と日本という国が好きということで、決意した就任だった。そしてその実績はスグに現れた。彼のチーム作りのモットーは「(一般的には個人プレーが強い人間を人々は好むが)、私はひとつのチームを作ることをまず考えて、その上で機能する選手を選ぶ。」この考えで、ジェフから日本代表に選ばれた選手も多く生み出している。彼が日本代表の監督をした時の選手たちはオシムの考えていることを忖度しながら、ゲームをしていたといったコメントを残している。それはオシムが日頃の練習のなかで「モチベーションを上げるのに大事だと思っているのは、選手が自分たちで物事を考えるのを助けてやることだ。自分たちが何をやるか、どう戦うのかを考えやすくしてやる。まずは自分たちのために自分たちのやれることをやり切るということを大事だという話しをする」言葉にあらわれている。④私にとってオシムは、直接接することが出来ない、憧れのメンターとしての存在。彼のサッカーの監督としての姿だけでなく、彼の苦悩の人生が彼を創り上げたという私の仮説は、その通りだと思うのだが、逆に同じ経験をすれば、同じ様な深みのある洞察ができる人間ができるというものではない。自らの経験を見つめる自分の目と心を通して真剣に人生に向きあっての結果であることも理解できる。私がオシムに憧れるように、自分の後輩たちにそんな目で見つめられわたらなんて光栄なことだろうと想像してしまう。最後にこの本の『オシムの言葉』というタイトルからこの本をもう一度振り返っておこうと思う、言葉がカジュアルになったこのSNSの普及した社会(実はそれより以前からだが)では、言葉の量に含まれる意味、意義の割合がかなり低下してきているようだ。それ故、本を読んでいても少し古い本やしっかり論を尽くして書かれた本は、難解で読み辛さを感じる位に、その相対的な言葉に含まれる意味、意義のおもさを感じることがある。オシムの言葉もしかり、ぎっしりと彼のメッセージが詰まっている。文章ではなく、会話として放たれる彼の言葉は相対的に更にその重さを感じる。「オシムの言葉」を通して彼を紐解くという発想は絶妙なものがある。
2014.07.25 -
Posted by ブクログ
[一言に、人生が宿る]ユーゴスラビアと日本という2つの国のサッカー代表監督を務め、それぞれにおいて数字だけでは表すことのできない多大な足跡を残したイビツァ・オシム。「オシム語録」として注目を集めた彼の言葉の裏には、祖国の興亡や家族の離散という悲劇の渦に呑まれながらも、サッカーに人生を捧げ、前を向き続けた男の歩みが投影されていた......。ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞作です。著者は、ユーゴスラビアのサッカーならこの人の右に出る日本人なしとも言える木村元彦。
生まれながらにしての指導者とでも評せば良いのでしょうか、とにかくその視野の広さと洞察力の鋭さ、そして人間に対する敏感すぎるほど鋭敏な感覚にしびれるばかりです。ピッチ上では見ることのできない、聞くことのできないオシム氏の興味深い側面は、知れば知るほど惹き付けられます。会ったことないですが、きっと変な磁力みたいなものを側にいれば感じてしまうのではないでしょうか。
オシム氏が若き日にたどった、激動という言葉が生温いくらいの人生にはもはや言葉を失うばかりです。そして、そんな中でもチームを鼓舞し、選手を平等に扱い、そして守り抜いた姿勢には衝撃すら覚えました。サッカーを知らない人にも、というより知らない人にこそぜひ本書を入口にしていただき、野球もそうだけどサッカーもまた人生であることを感じていただきたいです。
〜サッカーと人生がこれほどまでに折り重なった監督はいない。〜
木村氏の取材力にも頭が下がります☆5つ -
Posted by ブクログ
ネタバレ旧ユーゴスラビアの国々への思い入れが深い作者によるドキュメタリー。
セルビアとマケドニアの対立を主軸に描かれる。
拉致や虐殺、そこにかかわってくるアメリカ。
何度も現地に脚を運び、つぶさに現状をルポタージュしている。なので各国の現在のありようがまざまざと浮かび上がる。貧しさや苦しみが。
もともとは民族融和が謳われていた国々で、他民族婚も多く行われていた国々で、近所同士がいがみ合い、騙しあい、果ては殺し合い...
そんな報復の連鎖を、国単位、団体単位、そして家族単位にまでインタビューをして描いている。
ジャーナリズムとは、ルポタージュとはかくあるべし。
その中で、劣化ウラン弾についての記述が心に残った。
原発などでゴミとして生じるのが劣化ウラン。もちろんこれも放射性物質である。そしてこれを爆弾にしたのが劣化ウラン弾。金属の硬度が高いため、良質な爆弾となる。しかし、もちろん打ち込んだ先に待っているのは被爆である。
半ば合理的に放射性物質を爆弾として処理するアメリカ。それを打ち込んだ先のセルビアで起こる被爆。ババ抜きのババのように、弱いものにまわされていく・・・ -
Posted by ブクログ
ジェフ千ユナイテッド市原や日本代表監督も勤めたイビツァ・オシムについて、本人へのインタビューやその半生をつづった本。監督就任後、脳梗塞で倒れてしまい惜しまれつつ監督の座を降りてしまったが、この人がそのまま監督をしていたらどうなったか?非常に残念で仕方がない。間違いなく、今の日本サッカーの躍進に貢献した人である。この本を読んでそれを感じざるを得なかった。
とても含みのある、そしてユーモアにも長けた言葉がひとつひとつ心に響く言葉。日本とは対極のような国で生まれ育ったからこそ培われたその意志。サッカーへの並外れた愛情。
自分の中にあるサッカー魂にも火がつきました。 -
Posted by ブクログ
名古屋のスーパースター、ドラガン・ストイコビッチ。1993年にプロサッカーリーグのJリーグが開幕し、沸き上がる日本の中で唯一取り残されたのが、名古屋の名古屋グランパスエイトだった。観るのも悲しくなるぐらいの弱さ。まったく希望の持てないチームに、市民はサッカーから遠ざかっていた。
そんな中、誰も期待していなかった空気の中に一人の男が入団した。そうドラガン・ストイコビッチ。リネカーという超大物外国人で大失敗をしているグランパスエイト。またどうせ期待外れだろう、名古屋市民はみんなそう思っていた。
しかし、その空気は彼の魅せる異次元のプレーで変えられた。言葉では表現できないスーパープレーの数々。説明は何もいらない。彼が魅せるプレーを見れば、彼の凄さが分かるだろう。
そんなピクシーが弱小チームだった名古屋グランパスエイトを変えた。名古屋だけでなく、日本のサッカーを変えた。
あまりにプレーが華麗なので、この本を読むまでこんな苦労があったとは知らなかった。あまりに複雑すぎて、この本をどう語っていいか分からない。しかし、彼の華麗なプレーがあったのは、この数々の苦難があった故に、より一段と輝いていたんだと思う。
文庫本で追加された後書きに、「誇りとは過去の実績に依存するものではなく、今を懸命に生きる自分の中にこそ存在するのだ」という一文がある。
どんな環境であれ、今をベストにすること。ピクシーが我々に教えてくれた誇りを胸に生きていこう。 -
Posted by ブクログ
サッカーと政治の冷たい現実
「 7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国」ピクシーことストイコビッチなど数々のタレントを輩出してきた多民族国家旧ユーゴスラビア。1990年代の内戦、紛争を経て、1999年にNATOによる空爆を受ける中、それぞれのルーツを持つサッカー関係者が何を想い、何に直面し、何を感じたかを描いたルポ。
ジーコジャパンなるものがドイツで幕を閉じ、川淵キャプテンの大失言によって次期代表監督はジェフ千葉のオシム監督に向かって急速に動いている。マスコミは彼の身長や、語録、若手起用などありきたりなニュースで盛り上がっているが、残念ながら彼の出身について語られるものは少ない。「旧ユーゴスラビアの代表監督を務めた」というところで報道が止まる。それより先には行かない。川淵キャプテンが「オシムの言葉」という本を読んで感銘を受けたとコメントしているのにも関わらず、どうやらマスコミは本を読んでいないような印象を受けてしまう。
「オシムの言葉」の中では、もちろん彼の語録やサッカー観がたっぷりと詰まっているのだが、同時にボスニアで生まれ、内戦で家族と離れ離れになり、戦争に直面した彼の人生も描かれている。「悪者見参―ユーゴスラビアサッカー戦記」では、その戦争に直面したサッカー関係者の様子が刻々と記されている。
筆者は「オシムの言葉」と同様に木村元彦氏。7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国と表現された旧ユーゴスラビア。東欧のブラジルとも呼ばれ、サッカー界で有名な選手を多く輩出し、ワールドカップでは日本とも縁があるクロアチアとも切っても切れない国。そんな国で起きた生々しい悲惨な事実を知る上で読んだ方がいいだろう。自らの足で現地に赴き、ボバン、ストイコビッチ、ミハイロビッチ、シューケル、オーストラリア代表ビドゥカ(クロアチア系移民)など日本に馴染み深い選手、そして決して有名ではないかもしれないが、コズニク、ミレ爺さんなど多くのサッカー関係者の現実を伝えた一冊。これはサッカー関係の本というよりかは、一つの戦記かもしれない。
何が真実で何が真実でないか?フィールド上のプレイの奥底にある、民族意識、差別、戦争、別れの現実。日本のマスコミの伝達能力の乏しさ。様々な生き様と生々しい現実を知ると、オシム報道にも違和感を感じるかもしれない。私は個人的に旧ユーゴスラビアの内戦やコソボ扮装やNATOの空爆については恥ずかしながらほとんど何も知らなかった。サッカーを通じて知ったことを複雑な感情で受け止めている。