【感想・ネタバレ】悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記のレビュー

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Posted by ブクログ 2021年03月14日

この本は、著者・木村元彦によるユーゴ内紛のルポタージュである。
ピクシーことドラガン・ストイコビッチ選手の華麗なサッカーに魅了され、ユーゴスラビアサッカーを愛してやまない著者が
「サッカー」というフィルターを通して、自らの目と耳と足で体験した当時のユーゴ情勢を
一般人の目線でそのまま書き綴って...続きを読むいる。
なので、これまでレビューしてきた本(小説)とは根本的に趣が異なる為、点数による評価は控える事にした。
(何となく、小説と同じ土俵に乗せるべきではないと判断した為。小説とルポの上下関係だとか、そういう意味は全くない)

先にも述べたように、著者はユーゴスラビアという国をとても愛している。
が、ユーゴ内紛からNATOの空爆、そしてコソボでの独立運動に至るまでを
『セルビア側の視点』で書いている訳では無い。
見たまま、聞いたままを書き綴り、その上でセルビアが「不当に悪者にされている」としている。
つまり、『作られた悪者』だという。
セルビアはアメリカ及び西欧諸国連合により政治的に『悪者』とされたのだが、
実際に空爆が始まる前までは、ユーゴスラビアの地に住む人々はどの民族もそれなりに平和に生活してきたのだ。
サッカー選手も例外ではない。セルビア人もモンテネグロ人もアルバニア人もクロアチア人も、
同一のリーグで同一のチームで、仲間だったのだ。
そんな一般の人々が、政治的な決断により容赦なく分断され、空爆が開始された。
祖国から遠く離れた日本の地で活躍するユーゴスラビア出身のJリーガー達の気持ちを考えるだけでも、とても心が痛む。

日本という国はとても平和だ。
民族的な対立が皆無とは言わないが、少なくとも現在は、
このバルカン半島のような「武力行使」を伴う民族紛争が起こる程ではないだろう。
正直、この本を読むまでこの1990年以降のユーゴ内紛について、一般のニュースとしての意識しかなかった。
そしてこの本を読み終ったとき、その無知さ加減が恥ずかしくなった。
しかし、大半の日本人は自分と同様ではないかと推測する。
なぜなら、遠く離れた地で起きた想像のつかない内紛だから。
「だから日本人は平和ボケしているのだ」等という事をここで言うつもりは無い。
日本人であり、日本に住む限り、バルカン半島の民族意識を理解する事は非常に困難な事であろうから。

それでも、筆者のユーゴ愛とそのわかり易い文章のお陰で胸を痛める事ができた。
ピクシーの、マスロバルの、ペトロビッチの、そしてプラービィ(ユーゴ代表)の気持ちが少しだけわかった気がした。
彼らはどんな困難な状況でも、ユーモアを忘れない。そして心に「イナット(意地)」を秘めている。
セルビア人のイナット。それを思うだけでも胸が熱くなる。

ここまで心を揺さ振られた本は久しぶりである。サッカー好きならば是非読んで欲しい一冊だ。
サッカー好きではなくても、ユーゴの内紛に少しでも興味があれば読むべきかもしれない。
ユーゴ内紛の真実の一面が見えてくる、とても意義深い本であろう。

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Posted by ブクログ 2011年06月13日

サッカーと政治の冷たい現実

「 7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国」ピクシーことストイコビッチなど数々のタレントを輩出してきた多民族国家旧ユーゴスラビア。1990年代の内戦、紛争を経て、1999年にNATOによる空爆を受ける中、それぞれ...続きを読むのルーツを持つサッカー関係者が何を想い、何に直面し、何を感じたかを描いたルポ。

ジーコジャパンなるものがドイツで幕を閉じ、川淵キャプテンの大失言によって次期代表監督はジェフ千葉のオシム監督に向かって急速に動いている。マスコミは彼の身長や、語録、若手起用などありきたりなニュースで盛り上がっているが、残念ながら彼の出身について語られるものは少ない。「旧ユーゴスラビアの代表監督を務めた」というところで報道が止まる。それより先には行かない。川淵キャプテンが「オシムの言葉」という本を読んで感銘を受けたとコメントしているのにも関わらず、どうやらマスコミは本を読んでいないような印象を受けてしまう。

「オシムの言葉」の中では、もちろん彼の語録やサッカー観がたっぷりと詰まっているのだが、同時にボスニアで生まれ、内戦で家族と離れ離れになり、戦争に直面した彼の人生も描かれている。「悪者見参―ユーゴスラビアサッカー戦記」では、その戦争に直面したサッカー関係者の様子が刻々と記されている。

筆者は「オシムの言葉」と同様に木村元彦氏。7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国と表現された旧ユーゴスラビア。東欧のブラジルとも呼ばれ、サッカー界で有名な選手を多く輩出し、ワールドカップでは日本とも縁があるクロアチアとも切っても切れない国。そんな国で起きた生々しい悲惨な事実を知る上で読んだ方がいいだろう。自らの足で現地に赴き、ボバン、ストイコビッチ、ミハイロビッチ、シューケル、オーストラリア代表ビドゥカ(クロアチア系移民)など日本に馴染み深い選手、そして決して有名ではないかもしれないが、コズニク、ミレ爺さんなど多くのサッカー関係者の現実を伝えた一冊。これはサッカー関係の本というよりかは、一つの戦記かもしれない。
何が真実で何が真実でないか?フィールド上のプレイの奥底にある、民族意識、差別、戦争、別れの現実。日本のマスコミの伝達能力の乏しさ。様々な生き様と生々しい現実を知ると、オシム報道にも違和感を感じるかもしれない。私は個人的に旧ユーゴスラビアの内戦やコソボ扮装やNATOの空爆については恥ずかしながらほとんど何も知らなかった。サッカーを通じて知ったことを複雑な感情で受け止めている。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

『誇り』がストイコビッチに焦点をあてた本であるのに対し、これはユーゴスラビアサッカー全体に焦点をあてた作品。
そして、そのサッカーを切り口にして、ユーゴスラビア紛争やコソボ紛争などを見事に描きだしていると思う。

自分がワールドカップを見始めたのが、98年のフランス大会。そこにはユーゴもクロアチアも...続きを読む出てたけど、「統一ユーゴスラビア」の代表をみたかったなぁ。

ストイコビッチ、サビチェビッチ、ミヤトビッチ、ミハイロビッチ、ミロシェビッチ、ユーゴビッチ、シュケル、ボバン、ヤルニ、ボクシッチ、アサノビッチ、プロシネツキ…
こんなドリームチームが失われてしまったのは、本当に残念。もちろん仕方ないことなんだろうけど、一サッカーファンとしてはもう一度、このチームをみたい。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

90年代に起こったバルカン半島の悲劇を、
フットボーラーを通じて記している
「皆が仲良くすれば戦争なんて起きないのに」とか思っている人は読むべき

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

木村元彦氏のユーゴスラビア書籍第2弾ですね。誇りとともに、サッカーファンにはお勧めですね。今回はさらにサッカーだけでなく世界情勢まで含み、スケールアップした感じがしますは!儚くも美しいユーゴスラビアサッカーとその裏側にあるもの…

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Posted by ブクログ 2018年01月13日

サッカーはよく分からない。ルールは知っているし、日本リーグの頃は
閑古鳥鳴く国立競技場にさえ行った。でも、Jリーグになった最初の1年
だけは試合の結果も追っていたが、諸事情によりサッカー観戦を止めた。

ストイコビッチをはじめ、ユーゴ出身のサッカー選手は辛うじて名前を
知っているくらいだ。だ...続きを読むから、本書は読み通せるか不安だった。

案じることはなかった。多分、まったくサッカーを知らなくても読める。
副題に「ユーゴスラビアサッカー戦史」とあるように、旧ユーゴスラビア
全土をくまなく回り、選手や協会関係者、サポーターに取材し、試合の
経過も記されている。

それでも、本書を貫いているのはユーゴスラビアの現代史である。それも
世界中から「悪者」のレッテルを貼られたセルビア人への強い思い入れを
感じる。

第二次世界大戦でナチス、ソ連、連合国を相手にユーゴスラビア独立を
成し遂げたチトー大統領の圧倒的なカリスマで維持していたような国だ。
民族主義を厳しく禁止したチトーの死、東西冷戦の終結と続けばユーゴ
の崩壊は当然の結果だったのかもしれない。

そのなかで、何故、セルビアだけが「悪者」にされたのかは『ドキュメント
戦争広告代理店』(高木徹)に詳しく書かれている。

スポーツと政治は別物なんてのは綺麗ごとなんだと思う。有能なスポーツ
選手だろうが否応なしに政治に絡めとられて行くことがある。それを本書
は丹念に描いている。

「NATO STOP STRIKES」

本書のカバーにも使用されているストイコビッチの写真。名古屋グランパス
のユニフォームの下に着ていたTシャツの胸に、何故、この言葉が書かれて
いたのかが記されている場面では思いがけず泣かされた。

絶対的な悪者は生まれない。絶対的な悪者は作られるのだ。著者は言う。
その通りだと思う。

一方的に流されるプロパガンダに染まる前に立ち止まらなければならない。
旧ユーゴスラビアの問題のすべてをセルビアだけに負わせていいはずが
ないのだ。

本書は1998年から2001年までをストイコビッチを中心にしたサッカーと
いうスポーツに視点を置きながらユーゴスラビアを描いているが、その
ユーゴスラビアも2003年には消滅した。

七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、
二つの文字、一つの国家。そんなバルカンの火薬庫と呼ばれた国は
地図上から消えた。それでも、セルビア人に貼られた「悪者」のレッテル
は歴史上でつきまとうのかもしれない。

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Posted by ブクログ 2017年11月18日

われわれがさして関心がない事柄でも、マスコミの報道というのは知らずしらずのうちに耳にはいってくるもので、その点ではマスコミの力は大きい。

当時からテレビも新聞もあまり見ておらず、ユーゴスラビア紛争やコソボ紛争に特に関心があるわけではなかったけれども、セルビアに関する悪評はなんとなく知っていた。民族...続きを読む浄化という名の下に恐ろしい虐殺を行っているらしいということを。

NATOによる爆撃が開始され、それまで加害者であったはずのセルビア人が急に被害者になり、一般的には正義の側と思われていたNATOがどうもそうでもないらしい気配がただよってきて、セルビア人のサッカー選手であるドラガン・ストイコビッチが、母国への爆撃中止を訴えるデモンストレーションをピッチ上で行ったとき、正直、どう反応していいのかわからなかった。

セルビア人=加害者側の民族 ストイコビッチ=サッカーのヒーロー
このふたつをうまく結びつけることができなかった。

といってもそれから急にユーゴ問題に関心が高まったというわけでもなく、ユーゴ紛争はユーゴ紛争であり、サッカーはサッカーであって、前者は後者に較べてあいかわらず興味を引く話題ではなかった。その点はいまでもそうである。ただしこの問題の理解が少しだけでも深まったとしたら、それはイビチャ・オシムとこの本の著書木村元彦氏のおかげである。

本書は、「サッカーを通じて世界を観る」という言葉がピッタリのレポートだ。
著者は、紛争の中心地である旧ユーゴスラビア各地でサッカーとサッカー選手を取材して回る。
憎悪が蔓延しているこの地域で、縁もゆかりもない日本人フリーライターが、場違いにもサッカーのインタビューをして歩こうというのだから、非常に馬鹿馬鹿しいシチュエーションというか、聞かれた方がビックリするだろうし、まかり間違えば相手を怒らせて殺されかねないだろう。実際著者はコソボの武装組織に銃口をつきつけられ地べたに這わされるという目にあっている。

ではこれは無責任な傍観者のレポートなのだろうか。
本人は真剣のつもりでも現地人にとってはた迷惑でしかない、一人よがりのジャーナリストによる勘違いレポートなのだろうか。

そうではない。ここでは、人々の生活の中に息づいているサッカーというポーツを通すことによって、戦争という異常な現象が生活の中にどう入り込んでいるのか、その姿をまざまさと浮かび上がらせている。戦争というものを知らないわれわれにも、サッカーという共通言語を通して、その過酷さと無慈悲さを知らしめる。国際政治の中の大言壮語ではなく、生活のレベルで、戦争のもたらす悲惨な風景を浮かび上がらせている。それは、著者のまっとうな視線と筆力のおかげであるが、サッカーという国際的でありかつ個人に親密なスポーツが持つ力のおかげでもあるだろう。

その中で、著者はセルビアが負う悪名の不当性と、クロアチアやNATOの悪辣さ――まあ、どっちもどっちといったところなんだろうが――を、遠慮がちに訴えている。その誠実さと公平性は信頼に足るものだ。

この本を読むことによって、われわれは、しらずしらずに染まっていた一方的なプロパガンタから逃れることができる。もちろんそのことによって私が何かができるというわけではない。けれども、そのことだけでも大きいことである。本書を読んだわれわれはもうストイコビッチに対して、あるいはセルビア人に対して、間違っても「この怪物め!」というような無知に基づく愚劣な言葉は吐かないだろう。日本の中で、そしてサッカーファンの中で、セルビア対する不当な偏見を中和するために果たした本書の役割はきわめて大きいと思う。

もしわが国が他の国々に較べてセルビア人に対する偏見が少しだけでも少ない国であるとしたら、それはおそらくこの著者のおかげだろう。私は本気でそう思う。

それにしても、こういうもろもろの苦しい事柄の中でも人は生きていかなければならない。
力づけてくれるものの一つとして、サッカーがあるのだろう。
サッカーをめぐる喜びと悲しみが、その役割を果たしているのだろう。

いや、そこまで断定したらいいすぎか。
サッカーにそんなものを求めてはいけないのかもしれない。

しかし、求めてはいけない、というきまりはないのも確かだ。

私自身は、そこまでサッカーに求めてはいない。
が、もちろん、そうであることを否定はしない。

それが幸せであるかどうか、それはまた別の問題としてある…

むむむ。
なにを言いのかわからなくなってきた。

ですから、これで終わりにしておきます。

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Posted by ブクログ 2014年12月08日

カバーの写真(”NATO STOP STRIKES"と書いたアンダーウェアを着ているストイコビッチ)のシーンは、TVのニュースで見ておぼろげながらに記憶に残っている。しかし、あの時ストイコビッチがどんな苦悩の中にいたのかを当時の自分は全く想像できていなかった。
著者の(あくまで、サッカーを...続きを読む題材にした)取材を通して、旧ユーゴが、そしてプラーヴィ(=タレントの宝庫だった旧ユーゴ代表)が、解体せざるを得なかった状況が見えてくる。少なくとも、当時のニュースを通してなんとなく信じていた「セルビア・ミロシェビッチ悪玉一元論」とはかけ離れたものであろうことが...。

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Posted by ブクログ 2012年08月30日

スロベニアとクロアチアには観光で行ったこと有り。あの時、世話になった人々(私と同年代の人もいた)は大変な時代を生きてきたのか。色々思う所がある。また読み直そう。

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Posted by ブクログ 2010年07月10日

ストイコビッチがTシャツにこめた「NATO Stop Strikes」のメッセージを当時ほとんど理解していなかったことを恥じました。

もっと、もっと、世界のことを知らないとダメだなぁ。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

ユーゴのサッカー代表チームを軸に政治情勢を論じた内容。政治勢力とそれに操られるマスコミ、という図式が見えてくる。

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Posted by ブクログ 2011年01月17日

ひょんなことからユーゴ・サッカーに興味を持ち、取材を開始した著者。
しかしそれは奇しくもユーゴ・サッカーが政治に、そしてユーゴスラビアという国家自体が国際政治に、翻弄され愛国心を燃え上がらせ分裂していく過程に立ち会うことでもあった。
昨日までの隣人に憎しみをぶつけ、それまで喝采を送っていたおらが村の...続きを読むスター選手に殺害を予告する民族主義・国家主義の勃興に胸を痛め、一方的な制裁措置やレッテル貼り報道への強い憤りを隠さない著者。
その“傾き”を問題視するネット書評を読んだが、個人的には気にならなかった。
というよりむしろ大いに“アリ”だと感じた。
現在も営々と行われている各国政府、代理人、報道・言論機関の(作為・不作為に関わらない)情報操作や誘導。
時計の針を戻すことが誰にも出来ない以上、このクソな現状を認識するためにも『ドキュメント 戦争広告代理店』で描かれたスマートなやり取りの裏で何が行われていたかを教えてくれる本書は貴重な一冊であると言える。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

我々は経験からスポーツと政治が残念ながら実は別物で無い事を知っている。
しかし、スポーツがいい意味でメッセージや希望を伝える役目を果たす事ができるのも事実。
そして、木村元彦氏も雨中でのピクシーのリフティングを見てバルカンに飛んだ。
今では『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ 』なんて新書ま...続きを読むで出版するバルカン事情の専門家(?)
私も多少ではあるけれど複雑なバルカン事情を知る事ができたのは、ピクシーのプレーに魅せられたファンであるためにこの本を手にした偶然なわけです。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

以前、ユーゴスラビアと言う国が有りました・・・。
『誇り誇り―ドラガン・ストイコビッチの軌跡』と共にどうぞ。

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