速水健朗のレビュー一覧
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人間の脳はそれほど進化していないにもかかわらず、急速に進化し続けるテクノロジー。いつか人間の脳がその進化についていけず、パンクする時が来るのではないか。そんなことを考えていたときに発売され、気になっていた本。
炊飯器やエアコンなど、身近な家電ひとつをとっても、さまざまな機能が追加され、必要な機能以外のボタンまで増えて複雑になっている。さらにハードだけでなく、ソフトウェアやアプリも細分化されている。
例えばアクションゲームひとつとっても、攻撃ボタンが○だったり□だったり、R1ボタンだったりと作品ごとに異なり、操作を覚えるだけでも一苦労する。さらに、カメラの「少し押す」、スマホやタッチパネルの「長押し」のように、「押す」という単純な行為まで細かく分けられている。
ブルシットジョブをなくすためにテクノロジーを発展させてきたはずなのに、実際にはテクノロジーを使うための新たなブルシットジョブを増やしているともいえる。また、効率化によって一つの作業にかかる時間が短くなった結果、こなさなければならない仕事の量そのものが増えている。
では、なぜこのような社会になったのか。本書では、機械を使えないことを恥ずかしいと感じてしまい、ユーザーが不満を声にしにくいことや、機械の操作に慣れている開発者と一般ユーザーとの感覚の乖離などが、その理由として挙げられている。
そもそも人間には身体があり、五感を通じて世界のさまざまなものを理解してきた。それが文字やデジタル情報によってどんどん抽象化され、現実との間に乖離が生まれていることも、現代の「使いにくさ」の原因なのではないかと私は考えた。
テクノロジーは、単純化・効率化すれば必ず便利になるとは限らない。むしろ、効率化したことで新たな複雑さや不便さが生まれることもある。私たちは、テクノロジーの進化そのものだけでなく、「人間にとって本当に便利なのか」という視点から、その進化について考えていく必要があると思った。 -
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ダグラス・アダムスの法則
①生まれた時からあるもの
自分が生まれた時にすでに存在していたテクノロジーは「自然な世界の一部」として受け取る。
②15歳から35歳の間に登場したもの
新しくエキサイティングで、自分たちの世代の革命的なものとして歓迎する。
③35歳以降に登場したもの
自然の秩序に反するものや、不気味で理解しがたいものとして
拒絶反応(テクノロジー恐怖症)を示しやすくなる。
新書の文章とは違う引用だけど、これ、すごいな。
年齢によるテクノロジー受け入れ度合。
凄く頷ける。
でも何とかこれに抗って、インターネットやらSNSやらAIやらにチャレンジしているけど。
スマホのキー入力はへたくそだしな、、
この新書で言いたいことはここに集約されるような気がする。
QRコード、ジョブズのボタン嫌い、エレベーターの歴史、電気炊飯器の歴史、汽車、、、
元来人は保守的なのだ。昨日と同じことをしていたい。
そこに無人レジなんて来た日には、ってわけだ。
便利、効率的になるからいいじゃないか。これも正論。
でもそれについていけない人も、、、
結局時の経過で解決するしかないんだろうね。
いかにテクノロジーの進歩が速かろうと。
そういう意味では、、、古い考えが新しい人によって一掃されていくべきなのに、
いまだ男系男子のミトコンドリアにこだわるのは、戦争を知らない50代60代だったりする。
家父長制の象徴として残したいのか、世界に類を見ない2000年近く続いた王朝を気取りたいのか、、、
よそから来た王朝は継体天皇だけでたくさん。
天皇の子が天皇になる。普通の感覚の戦後世代が望むのはそれだけ。
あ、話がそれた。
価値観は難しい。
第1章 「情弱」だと思われたくない私たち
迷宮化する飲食店のタッチパネルとQRコード注文/「効率化」が生む、新たなブルシット・ジョブ など
第2章 めんどうな予約型社会の到来
「調整さん」が調整しきれないもの/官僚制と予約社会 など
第3章 エレベーターの歴史から見る機械のユーザーインターフェース史
怖がられていた時代のエレベーター/19世紀のエレベーターの恐怖「タワー・オブ・テラー」/スリーマイル島の事故とボタンの数 など
第4章 押しボタンはなぜ増殖したのか
ハイテク機器に惑わされることのない人生/スティーブ・ジョブズが考えた理想のマウスのボタンの数 など
第5章 「機械嫌い」から見るテクノロジー史――冷蔵庫・鉄道・高層階
1 冷蔵・冷気嫌い 2 鉄道嫌い 3 高所嫌い
第6章 郵便的国家とマイナンバー的国家
人間はアンラーニングできない/テプラだらけのコーヒーマシンは「デザインの敗北」だったのか/ユーザーインターフェースこそが国の形である など -
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大山 顕 佐藤 大 速水 健朗 稲田 豊史 山内 マリコ 妹尾 朝子
何だか怪しいタイトルで期待してなかったんだけど、
面白かった。深かった。
日本の経済成長の歴史の縮図に、団地がある。
都市に人口が集中し、住まいが不足し、山を切り開き、
団地ができる。
そこに住むのは若い夫婦と子供が二人。
いまだにこの4人家族を標準家族と思っている人がいるのはこのせいか。
夫は仕事に出、妻は家を守る。団地を守る。
もて余す時間が「団地妻 昼下がりの情事」へと発展する。
女を縛る団地。
団地住まいの子はやばい、という言説も生まれる。
そして団地ができて50年、今や団地は独居老人の終の棲家、、、
大雑把に言えばそんな流れを、
多くの映画に団地が取り上げられていることから話を膨らませる。
家族ゲーム、ヱヴァンゲリヲン、小津作品、下町の太陽、
藤子不二雄は団地に否定的だったり、
ジブリの「平成狸合戦ぽんぽこ」と「耳をすませば」が
団地に対して両極端な見方をしていたり。
さらにNHKBSの「団地のふたり」まで。
団地の取り上げられ方は様々。
住まいの影響は大きいよなあ、、、
私自身は団地に住んだことはない。
物心ついたころから一軒家。近所に「公団」があったっけ。
建て直しの時だけアパート住まいだったな。あと赴任時代か。
そして最近のドラマでは
「しあわせは食べて寝て待て」がよかったな。
団地も肯定的な扱いだった。
この本はなぜかとりあげてないけど。
いずれにしても「日本」の縮図になっていた。
楽しく読めた。
序章 団地の誕生
第一部 団地はなにを映してきたか?
第一章 団地映画の誕生と高度経済成長の終焉 1961年~
第二章 社会のダークサイドの象徴として 1978年〜
第三章 団地ルネッサンスの夜明け 1994年〜
第四章 アフター『団地ともお』の世界線で 2003年~
コラム1 団地と「地霊」の物語 大山顕
第二部 団地はなにを作ってきたか?
第五章 団地と女の60年
コラム2 「団地」もまた物語を産み出す「場」――「侵入」と「脱出」 佐藤大
コラム3 漫画「団地で育ったヤバい私」 妹尾朝子 (うめ)
第六章 なぜ世界的映画監督は団地で映画を撮るのか
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自分も同年代の団塊ジュニアの世代なので、昭和、平成時代を追体験できてとても懐かしかった。21世紀になるまでは、まだ、パソコンもケータイもスマホもない、あるいは、一般に広まっていない時代で、人と人との間に距離があり、今よりもすっと切り離されていた。『大きな玉ねぎの下で』にもあったように、近くにいない人とは、手紙とか固定電話とかで弱くつながっていて、その道が絶たれると簡単には繋がれない。そんな時代はこの先体験できなそう。『大きな玉ねぎの下で』『オジいサン』本書と、たまたま昭和を感じる本が続いたので、この勢いで『イニシエーション・ラブ』を再読してみたいと思っている。
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«「当たり前」の前を考える»
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バブル世代を扱った物語やエッセイは今まで何冊か読みましたが、団塊ジュニア世代について書かれた本は読んだことがなかったため、興味を惹かれて手に取りました。
世代論なのかなと思いきや、1973年前後からの出来事や文明の進化を団塊ジュニア世代の筆者の目から冷静に綴るという内容だったのが新鮮でした。
(世代に関する言及では、筆者の速水さんが自身の価値観や置かれてきた状況を「団塊ジュニア世代のサンプル」と位置づけた上で、(テレビの放映内容の話など)「住んでいた地域が違えば見える景色も違うよね」というスタンスで書かれてていたのが、視野が広くて好ましいなと思いました。
実際、自身の無知を晒しだすようでお恥ずかしい話ですが、田舎で滅多に電車を使わない私はIT化が進んだ近年になってもなお、切符は駅員さんが穴を開けるものだと思っていたので、数年前に初めて自動改札を見て当惑したのを覚えています(笑)同世代の都会っ子の方にはありえない話なんだろうと思います。)
「テクノロジーを使った道具が一度普及してしまうと、それ以前の生活の細部を人は思い出せなくなる。そこに今一度、想像力を持って挑む。本書はその試みである。」
(P266)
とあるように、1973年以降の出来事や時代の変化を思い出して振り返るという目的で書かれた本書ですが、特に興味深かったのはコンビニの話とパソコンの話でした。
コンビニについては、85年には夜中にいなり寿司を買いに行こうとする女性のCMが流れ、当時評論家の浅羽さんはコンビニに立ち寄ることを「精神の揺らぎ」と表現し、コンビニを「欲望を叶える場」と捉えたとのこと。
これを基に今のコンビニを考えると、当時はおそらく、おにぎりやお弁当、飲み物類を買う場だったところから、今はほんの数年前まで(チェーン店では)某全国チェーンのドーナツ屋くらいでしか買えなかったドーナツ類が平然と並び、「コンビニスイーツ」の種類が格段に増え、スイーツやお菓子、ラーメン等で有名店とのコラボがなされ、ついには出来たてを販売する店ができ始めと、当時の比では無いくらい「欲望」が拡充しているのが面白いなと思いました。
「便利になった」と一言で片付けてしまうこともできますが、これだけ欲望に塗れた場所が存在することに誰も疑問を持たず、むしろ欲望の拡充が奨励されているのかと思うと、コンビニってものすごく面白い場所だなと思いました。
今日も今日とて、もはや無意識のうちにコンビニに足を向けている私は、精神が揺らぎまくっています(笑)
パソコンについても、発売当時は遊び目的くらいでしか用途が無かったというのが興味深い話でした。
今では仕事に必須のメールやWord、Excel等も、コンピュータができて進化した後から生まれてきたものなのだと思うと、今は当然のようにセットで使っているものも、ひとつひとつが凄い発明品なんだなと感じました。
バブル世代からはひとくくりに「草食」という見方をされてきた団塊ジュニア世代のひとりの視点から見てきた歴史を見るとどうなるのかというのを垣間見られたのは興味深かったですし、何よりも、今当たり前だと思っているモノや事の裏側にどのような歴史があったのかを学べたのが面白かったです。
【ひとりごと】
半沢直樹シリーズに触れる中で、『ロスジェネの逆襲』で出てきた森山や瀬名といったロスジェネ世代のキャラクターが速水さんの目にどう映ったのかがとても気になるところ。この世代の方が外からの評価をどのように受け取っているのかを、もっと聞いてみたいなと思います。 -
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著者よりも少し後に生まれたX世代ではあるけど、ほんとうに面白く読んだ。グリコ森永事件の声明文が届いた日に日航機墜落事故が起こっているとか、銀座のアップル日本旗艦店ができたのは2003年なのか、とか。東北震災くらいまでの事件やカルチャーの濃度が濃すぎて、正直ここ10年の時間経過がなんとなく薄く感じるのは、きっと歳をとったからなんだろうなと少し寂しくなったりもした。あとがきに書かれていた、最初に世に出た時のフォーマットがなんだったかを忘れずに想像力を持った方が良い、というメッセージがとても響いた。クエストラブのミュージック・イズ・ヒストリーもぜひ読んでみたい。
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どう食べるかは、政治的選択でもある。
出版された2013年から、さらに日常的にオーガニックという言葉を目にするようになった2019年に読む。
理想を追求するのが左翼的な思考。
そんな風にお硬く考えてなくても、
自然と関心をもっていた「オーガニック」や「サステイナブル」といったテーマを、全編通して政治的側面として捉えられて(いや、言うまでもなく。といった感覚で)いたのが、新鮮でおもしろい発見だった。
フード左翼のジレンマについて書かれた部分は、特に共感。
オーガニック農業について、
サステイナブルではない。
左翼というのは、一般的に科学技術に肯定的だが、フード左翼の場合そうではない。
有機農法は従来の農薬を必要とする農法と比べて、倍の農地を必要とし、今後90億人まで増加し続ける世界人口の食事をカバーするには耕地が足りず、大幅な開墾が続き環境破壊が進む。
といった記述部分、こういった見解は初めて触れた。
解決する方法として、「遺伝子組み換え」の技術の活用について書かれていた。原材料ベースだと、20年以上既に食べられているという。
政治を政治として語るのではなく、
消費を通して政治的な視点をもつ、という試みがとてもおもしろいと感じました!
速水氏の文章は、時にやんちゃなのが、
身近に感じられてよいです。
個人的に関心のある分野で、面白いと感じる考察が詰まった本でした。 -
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【揺れて荒れて変えて】阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生する中、安室奈美恵がCDデビューし『失楽園』が人々の関心を捕らえた1995年。平成の中でも時代を画す重大事件が相次いだこの1年を振り返りながら、後代に与えた影響について考察を加える作品です。著者は、幅広い分野に関する著作を持つライターの速水健朗。
著者がまえがきで記しているように、懐古趣味を十分に満たすことができることはもちろん、1995年という1年が持つ重要性を改めて気づかせてくれる一冊でした。この年の出来事をどうまとめるかは人それぞれだと思いますが、議論の補助線として非常に参考になるかと思います。
〜1995年とは、それ以前に起こっていた日本社会の変化を強く認識する機会となった転機の年なのである。〜
1995年について記憶のある人にもない人にもオススメ☆5つ -
ネタバレ 購入済み
家探しは人生である
東京に住むならどこがいい?
そんな内容ではありません。
人は人を求め寄り添って生きていくのです。そんな究極の形であるのが東京という都市なのです。昨今の田舎ブームも以前に比べたら数倍の盛り上がりを見せているのでしょうが、如何せんもとの数字から見ると小さく、移住人口全体から見ると都市への人口流入は拡大しているのはメディアによる印象付けによるものとわかります。
縮小の時代に生きる我々はいかに住み生きていくのか?そんなことを考えさせてくれる本です。 -
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人が住む場所をもっと意識するのは引越しをするときかもしれない。引越しのタイミングは就学、就職、結婚、転勤など受動的な移動が思い浮かべられるけどもっと主体的に移動を意識して良いと思う。主体的に移動しやすい人を考えると結構範囲が限定されてしまうので移動力というのはあるのだなと意識することしきり。
東京の都市としての広さは海外を旅行すると実感する。とにかく東京は広い。私のような地方出身者は東京のつかみづらさに当初は戸惑ってしまう。本書では皇居を中心に5kmの都心枠を設定していたが、海外や中世の都市のように伽藍や広場、城を中心として意識することのない我々は、周縁を意識する方が多いかも知れない。山の手線であったり、国道環状線であったり、武蔵野台地であったり。行政区分である23区や東京都という単位でも捉えやすい。
私は海外に旅行に行くと、真っ先に一番高い建物に登る。展望台にあがると都市が見せたい展望が360度にわたって(これから頑張りたい都市は180度くらいにわたって)展開している。近年発展している都市が巨大タワーや巨大ビルを建てているのは中心を意識している感じがするし、既に出来上がった都市の輪郭を見直したいという意識も感じる。スカイツリーは新たな中心として東京の膨張を助けるのだろうか。
再開発以外の選択肢として新都市をつくるような国もよくあるのが興味深い。たいてい行政都市か、観光スポットの少ない商業地区なので観光客には馴染みがない。単なる印象だが、コンパクトな都市をつくる国が多い気がする。日本の首都移転なんかはこっちが意識されているのかもしれない。
総じて言えるのは東京は不気味なほど広くて面白くて語りがいがあるということ。 -
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食左と食右。政治思想で食の嗜好を切り分けるという着想が面白い。確かにファストフードやメガ盛りといったジャンク食を好む人間は,政治的にも右を志向する気がするし,オーガニック,マクロビ,有機栽培,ベジタリアンなどは意識の高い左側に位置するだろう。遺伝子組み換えハンターイなんかも思いっきり左寄りだ。
まぁ実のところはそこまで深いものでもなくて,知らず知らずに健康資本主義に絡めとられていたりする。でももっとまずいのは,皆が食左を追究する社会は到底持続可能でないということ。無農薬もGM・添加物の忌避も食の効率を落としてしまい,それでは世界の人口を養うことができない。著者も食右から食左に転向した口らしいけど,結局のところ食左は一部のアッパークラスの趣味とかファッションに留まらざるを得ないんだろう。自分は基本ノンポリだけど,どちらかといったらマジョリティの食右の方かな。 -
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『ラーメンと愛国』に続き、期待を上回る面白さ。食を通じて政治経済に迫る、というアプローチが成功していて、「山路を歩いていたら、いつの間にか自分の住んでいる街を反対方向から見下ろす丘に出て、よく知っている景色なのにびっくり新鮮わ〜嬉しい」という感じ。
食への態度を「右翼か左翼か」と位置付けることで、食と政治経済の両方に新しい光を当てているのが素晴らしい。
食の面では、食べ物に対する価値観が単なる食べ物への価値観を超えてライフスタイルそのものへの価値観でもあることを示している。
政治経済の面では、政治的には保守ではなく革新(左翼)だが、政府ではなく市場を通じて企業をコントロールすべき(非左翼)という層を浮かびあがらせている。
いやまさにそれ私のコトです。
基本的人権とか自由といった、普遍的な価値が「伝統的」価値観より大切と思い、人類は進歩すると考えている。保守か革新かと問われれば革新。政府の役割は、規制により企業の活動を制限することではなく、適切に市場メカニズムが働いて悪いヤツが自然淘汰されるような場を作ること。
一方で、フードマイレージの少ない地産地消が望ましく、マクドナルドのようなグローバルファストフードより伝統的な文化が反映されているローカルフードスローフードが好ましいとも思っている。文化人類学を学んだ者として、世界がフラット化することは良くないことだと信じている。
ただし、それは関税や規制を通じてではなく、市場での競争(企業の工夫と賢い消費者の選択)によって実現されるべきと考えている。
與那覇潤の言葉を借りれば、江戸時代の中国の両方にブレている。
選挙のたびに「しっくりくる支持政党がないなぁ」と思っていたが、こういう分類をされるとびっくりピッタリハマるカテゴリーがあるのか。
食に関する価値観はライフスタイルに密接につながっているだけに「私」の価値観・選択肢の話しになってしまいがち。それを、最後に「私たち」の問題へと引き上げているのも素晴らしい。
急ぎ足になっているのが残念だけど、20世紀初頭のドイツとソ連の社会主義的な共同食堂、共同農場の目指したものと招いたものについての指摘は重要だ。
女性を家事労働から解放させるための、効率的なセントラルキッチン方式。共同生活するなら、たくさんの人に食事を提供するなら、金銭面でも労力面でも設備面でも、あらゆる項目でセントラルキッチン方式が効率的だ。キブツでも、学校給食でも、老人ホームでも、ファミリーレストランでも同じ。
日本の少子高齢化の現実を見ると効率的なセントラルキッチン方式は避けられない。
20世紀の共産主義国家でうまくいかなかった方法を21世紀の資本主義国家がどう扱うのか。
福祉やQOLにもつながる話し。奥が深い。
フード左翼の不都合な真実も明らかにされている。
フード左翼の主張は、美しいものの、問題をはらんでもいる。
例えば、らでぃっしゅぼーやのアピールの矛盾。日経デュアルの記事によると、「全国の野菜産地と契約。南の産地から北の産地へと出荷場所を変えることで、その季節の旬の野菜を長い期間楽しめるのがメリット」とうたっているらしいが、これは「人工栽培ではない、自然の恵み」なのは確かだけど「地産地消、フードマイレージ」の観点からは望ましくない(※らでぃっしゅぼーやは単なる例で、この矛盾は自然派フード左翼の矛盾)。
また、有機肥料無農薬栽培は非常に効率が悪いため、生産量が少なく値段も高い。リッチな人しか買えないし、世界の人口の大多数を飢えさせることになる。有機農業は地球を飢えさせる。これについて「遺伝子操作された農作物」を提示しているのも面白い。
化学肥料や農薬を受け入れるのか、遺伝子操作を受け入れるのか、貧しい者は飢えてもよいというのか。
オキュパイウォールストリート運動で「上位1%が富を独占している」と批判した人たちが、実は世界レベルでみれば上位3%という矛盾。
無邪気にナチュラル=善ではない。
最後に、ちょっとモノ足りなかった点。
フード左翼、フード右翼という切り口は実りの多い素晴らしい切り口だけど、それは「食べる」側の視点。
食を「食べる」視点ではなく「(献立を)考える」「用意する」視点からみると、積極的かつ日常的なフード右翼ってあるのかな?金銭面で仕方なくフード右翼、非日常イベントとしてフード右翼、ではないあり方。(考えにくい)
そうすると、フード左翼とフード右翼という概念は対称ではなく、理想と現実、充足と欠落、正規と逸脱という関係になる。であれば、「右翼から左翼への転向はあるが左翼から右翼への転向はない」のは当たり前。ここを掘ると何か出てきそうなのに、軽く触れて終わっているのがもったいない。