ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
6pt
無の深淵が口をあけ虚無の底に降り立った中世日本に日本浄土教を大成した二人の祖師がいた。定住型の親鸞と漂泊型の一遍という、全く対照的な生き方と思索を展開した両者の思想を、原典に現代語訳を付して緻密に読みこみ比較考量、日本文化の基層に潜む浄土教の精髄を浮き彫りにする。日本人の仏教観や霊性、宗教哲学の核心に鋭く迫った清新な論考。
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
年末年始の読書その1。 多動症としては一遍上人に身体的な親近感を(勝手に)抱くが、親鸞・一遍いずれの浄土の教えも興味深い。 親鸞といえば『最後の親鸞』吉本隆明が印象深かったが、一遍と比較されることで見えてくる「親鸞」も勉強になる。 著者は禅宗を自らの前提として踏まえつつ、日本宗教としての浄土教に...続きを読む深い関心を抱いている、という。 そこもまた興味深い。 親鸞は「信」を突き詰め、一遍は「称名」を突き詰めていったのだという。信じることの困難を「他力本願」において実現することにおいてはきょうつうしているのだろうが、その突き詰め方は生半可なことではない、のだ、ということが読んでいてひしひしと感じられる。 「悪人正機」は、我々がその「悪」から逃れるすべをもたないからこそ、如来を「信じること」しかないということであろうし、 「南無阿弥陀仏」という「称名」さえあれば良いというのは、信や不信を超えてそこにたどりつかねばならぬ一遍の困難があったのだろう。 「信」という心(親鸞)と「称名」という言葉(一遍)の対照的で、「易行」だからこそ難しい道を歩いた2人の姿勢が身近に感じられる一冊だった。浄土の教えを考える入門として好適かと。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
親鸞と一遍 日本浄土教とは何か
新刊情報をお知らせします。
竹村牧男
フォロー機能について
歎異抄
日本仏教 思想のあゆみ
老子 全訳注
仏典のことば さとりへの十二講
禅学入門
ユダヤ教の誕生――「一神教」成...
『涅槃経』を読む ブッダ臨終の...
比喩表現事典
ウェルギリウス小品集
インテリジェンスの基礎理論
戦国大名の外交
「講談社学術文庫」の最新刊一覧へ
ブルーバックス解説目録 202...
JICA Magazine 2024年10月号:ジ...
小学館版 学習まんが人物館 広...
【無料お試し版】今のわたしにな...
世界一エグいニンゲンのトリセツ
世界中が受け入れないぶっ飛んだ...
講談社現代新書 解説目録 20...
「学術・語学」無料一覧へ
1位
NEXUS 情報の人類史 上下合本版
2位
2025年度版CAD利用技術者試験2次...
3位
お経から読み解く未来予言 仏教...
4位
「地震」と「火山」の国に暮らす...
5位
基本文法から学ぶ 英語リーディ...
6位
改訂版 中学校3年間の英語が1冊...
7位
星ひとみの天星術2025
「学術・語学」ランキングの一覧へ
空海の哲学
宗教に明日はあるか? 宗教間対話座談会
禅のこころ ――その詩と哲学
日本人のこころの言葉 鈴木大拙
入門 哲学としての仏教
はじめての大乗仏教
般若心経を読みとく 二六二文字の仏教入門
「竹村牧男」のこれもおすすめ一覧へ
一覧 >>
▲親鸞と一遍 日本浄土教とは何か ページトップヘ