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あたしってなんでこんな生きてるだけで疲れるのかなあ。25歳の寧子は、津奈木と同棲して三年になる。鬱から来る過眠症で引きこもり気味の生活に割り込んできたのは、津奈木の元恋人。その女は寧子を追い出すため、執拗に自立を迫るが……。誰かに分かってほしい、そんな願いが届きにくい時代の、新しい“愛”の姿。芥川賞候補の表題作の他、その前日譚である短編「あの明け方の」を収録。
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「生きてるだけで、愛。」
2018年11月9日公開 出演:趣里、菅田将暉、田中哲司
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Posted by ブクログ
えぇ、最近好みの本引きすぎでは… とても好き…これに関しては主人公が同い年なのも少しあるかもしれない。 そして巻末の解説が詳しく、言いたいこともほぼ全て含まれてるから感想が書きづらい…笑 なんだか濃い小説だったなぁ。好きな表現目白押し。(時々会う、ずっと笑顔で話を聞けちゃう友達みたいな感じの) 劇...続きを読む作家の方の小説、と改めて言われるととても納得だった。 ひとにおすすめしたい、とはまた違うけど、大事にもう一度読みたい。
すごいよかった。 過眠症で鬱と躁を繰り返す主人公。 彼の優しさで生き延びてる感じだけど、2人の世界がしっかりあるんだなあ。 2人が穏やかに暮らせますように。
言葉選びや比喩が最高におもしろいです。 よくあるようなの恋愛小説とは違う、不器用な愛の形に感動しました。 生きるって、愛だ。
何度読んでも20ページの「色気は生活に負ける」の一文の破壊力に圧倒される。わたしはこの文章を聞くためにこの本を定期的に読んでいるのかと思うほど。そう言えばしばらく前に映画も観たな。趣里が主演であまりにも適任だと思った。 たいして難しくもない献立を考えて材料を買いに行ったスーパーで突然どの種類の何...続きを読むを買えばいいかわからなくなってパニックに陥ったり、突然過去のことがフラッシュバックして詳細まで全部思い出して言葉にしないといけないような感覚になったり、帰宅後に味噌汁の具を買い忘れたことに気づいていい加減もう死のうと思った直後にマロニーを発見してギリギリで持ち直したり、幸せそうな地に足のついた人々と交流してもしかして今回はここでいけるかもと思った直後に情緒が暴走して手に追えなくなってやっぱり無理と全部放り投げて逃げ出したり。酔っ払ってバイト先のトイレを破壊したことはないけど酔っ払って合宿所の風呂を破壊したことはあったな。同じように不安定で自滅的な生き方しかできない男と共依存的に付き合っていた時期もあった。寧子の奇行の数々は程度の差こそあれわたし自身も身に覚えにあることがあまりにも多くて苦しくなるから目をそらしたくなるんだけど、そらすわけにもいかず、なんでだろう、でも結局そらせず、毎回最後まで読んでしまう。 たったひとつ寧子とわたしを隔てるものがあるとするなら、そういう鬱的な状況に陥りそうになったときにどうしたら立て直せるかが今までの経験上なんとなくわかっていて、それを本当にやばくなる直前に「しよう」と毎回必ず思うということだけだと思う。可能ならそういう最終段階的なところまでは落ちたくないと根底では思っているからそうならないために重い腰を上げなきゃいけないという謎の使命感がわたしの中にはずっとある。過去を振り返ってみるとわたし以上に寧子に近い行動・思考パターンをする人間が身の回りにいたから、それを間近で見てきたからかもしれない。 『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』も近々読もうと思ったけど、やっぱりもう少し先でいいな。次はなんか現実的な本読もう。
主人公に完全に共感した訳ではないがこの主人公を「ただのヤベー奴じゃん笑」としか言えない人は嫌いになる
ずしりと響いた。 自分が自分のことをわかってないのに、それを全部分かってもらおうなんて無理な話。 葛飾北斎の波を描いた絵が、現代の技術を駆使して撮った写真とちょうどぴったり重なって見えるその確率5千分の1。 それがうまくこの話を盛り上げてくれてて、実際にどんなものか見てみたくなったし、知ってから絵を...続きを読む見ると見方もかわって今では絵まで好きな作品になった。 本当にぴたりと重なってるように見えて、小説の内容は勿論、絵と写真、2度楽しめました。
半日で一気に読んでしまった 分かるようで分からないような難しい本 何もかも嫌になる 真っ先に自分が嫌になる 環境が嫌になる 周りの人が嫌になる でも残るのは愛 自分が嫌でも愛してくれる人がいる 嬉しいけれど… 「あたしはさ、あたしとは別れられないんだよね一生」
僕の寝床の、枕元に積み上げた文庫本の中から薄めの一冊を抜き取った。 『生きてるだけで、愛』 再読しました。 程度の差こそはあれ、僕自身、何もかも嫌になってしまうことがある。僕に限ったことではないな、誰しもが、そうだろうな。其方にも、そんなことがありましょう。 「いま、なんで苛々してたんだっけ?」さて...続きを読む。 顛末を、いちいち紐解いたりしているうちに治ってくる場合もあるけれど、堂々巡りに堂々巡り、持て余すことだって数えきれないほどにある。 「自分の機嫌は自分でとる」 言うだけなら何とでも言えるさ。 もはや、そんな言葉じゃ片付けられないし。 寧子の言葉には、時折り泣かされた。 わかります。わかります。わかりますとも。 読書を続けてきたことで“共感できる自分”に気づいた僕は、なんとかこの位置に留まり続けることができている。きっかけをくれた、かの人のことを、僕は恩人と呼びたい。大げさかな。大げさくらいが、ちょうどいいかな。
『ねえ、あたしってなんでこんな生きてるだけで疲れるのかなあ?雨降っただけで死にたくなるって、生き物としてさ、たぶんすごく間違ってるよね?』 厚生労働省の調査によると、1999年に204万人だった”うつ病等の気分障害”の患者数は、2023年には320万人と大きく増えているようです。全世界で...続きを読むは3億2000万人を超えるというその患者数。人口が増え続けていることを加味してもその疾患の多さには驚きます。 『鬱』の期間、外に出ることもままならず、二十日間以上も自室に閉じこもるという日々の中ではさまざまな感情も渦巻いてくるのだと思います。 さてここに、『最近は鬱なんて言葉じゃ重いってことで「メンヘル」なんてかわいい呼び方をされてるけど、早い話が精神的に浮き沈みの激しい毎日を送っていますというわけだ』と語る一人の女性が主人公となる物語があります。『そういえば母は雨が降ると一日中部屋から出てこない人だった』と振り返る女性は『あたしも今は雨が降ると、ベッドからどうしても動けない』と続けます。この作品は、そんな女性が『セックスに持ち込んでそのままずるずる転がり込んだ』先の男性と同棲する物語。そんな女性の危うい日常を見る物語。そしてそれは、『きっとあたしにはあたしの別の富士山がどこかにあるってことなんだろう』と北斎の「富嶽百景」に思いを馳せる物語です。 『女子高生の頃、なんとなく学校生活がかったるいという理由で体中に生えてるあらゆる毛を剃ってみたことがある。髪の毛、眉毛、脇毛、陰毛。まつげと鼻毛はさすがに無理だった』というのは主人公の板垣寧子(いたがき やすこ)。『親には泣かれたし、先生には怒られたし、友達には心配されたり見て見ぬふりをされたし、狂ってるとまで言われちゃった』という寧子は『浮きまくった女子高生』だった過去を振り返る中に『テレビの電源を切』ると『ここ二十日間で』観たテレビ番組を思い出します。そんな中に『唯一よく覚えているのはあれだ』と、『葛飾北斎の「富嶽三十六景」について追究する番組』を思い出す寧子は『五千分の一秒のシャッタースピードで撮った写真が画の構図と寸分違わなくて奇跡!』という内容に『きっと「ザッパーン!」の瞬間は北斎にとって脳細胞がしびれるくらい強烈で鮮烈な刺激だったのだ』と思います。そんな寧子は、『一ヶ月前、バイト先のスーパーで』『男に気安くデートに誘われて、「こんな冴えないやつにすらなんとかなるかもと思われてるんだ」と思った瞬間から、鬱に入』りました。一方で、『その男のことが好きだったとかいう総務部の獅子唐の素揚げみたいな女』から睨まれ、『何もかもが嫌に』なる中に怒鳴ったことで『バイトをクビにな』りました。そんな時、『寧子、起きてる?』と同棲相手の津奈木に声をかけられます。三年前、バイト先の『女子が開いたコンパ』で知り合い、『セックスに持ち込んでそのままずるずる転がり込んだ』津奈木のマンションで『精神的に浮き沈みの激しい毎日を送っている』寧子は、『枕元の時計』を見て、寝てから十七時間半が経過していることに気づきます。『過眠。メンヘル。二十五歳』という寧子は、『過眠症の人間達が集う掲示板に「今日も起きられませんでした。十七時間半爆睡!鬱継続中でーす。死にたいぴょん(^O^)/」と書き込んでから、ベッドを抜け出します。『こたつの上の至るところに何か食べ物のカスらしきものがこびりついているし、部屋のあちこちにこの二十日間で新しく増えた本が積み上げてある』という居間を見て『何。あんた、部屋片づける時間とかないの』と言う寧子に『うん、今ちょっと忙しくて』と返す津奈木。そんな津奈木に『「あたし、今鬱だから」と言うと、津奈木は「うん」とだけ返事をしてこっちを見』ません。そして、『どっち食べたい?』と津奈木が買ってきた『牛丼とやきそば』を見せられた寧子は牛丼を選び電子レンジに入れます。次の瞬間、『何かが弾けるような衝撃があって突然視界がまっくらにな』り『なんでコタツ消さないの?』と怒鳴る寧子に『ごめん』と謝る津奈木はブレーカーを入れました。再び『あたためキーを押』したものの途中で『まだ全然温まっていない牛丼を中から取り出』した寧子。『特にこれが食べたかったわけでもないので、まあいいや冷たくてもという妥協』を選ぶ寧子。『自分という女は、妥協におっぱいがついて歩いているみたいなところがあって、津奈木と付き合ったのも当然のように妥協だった』と今の生活を思う寧子。そんな寧子の『メンヘル』な日常が描かれていきます。 “あたしってなんでこんな生きてるだけで疲れるのかなあ。25歳の寧子は、津奈木と同棲して三年になる。鬱から来る過眠症で引きこもり気味の生活に割り込んできたのは、津奈木の元恋人。その女は寧子を追い出すため、執拗に自立を迫るが…誰かに分かってほしい、そんな願いが届きにくい時代の、新しい’愛’の姿”と内容紹介にうたわれるこの作品。第135回芥川賞の候補作となり、2018年には、趣里さん、菅田将暉さん主演で映画化もされています。 そんなこの作品は兎にも角にも”キョーレツ!”です。”強烈”ではなくて”キョーレツ!”という書き方そのまんまにかっ飛んでいます。その理由はこの作品は全編にわたって『過眠。メンヘル。二十五歳』と自分のことを説明する主人公・板垣寧子の完全一人称視点で展開していくからです。では、そんな”キョーレツ!”な表現を幾つかご紹介しましょう。 まずは、『寝過ぎたせいで頭痛が地味に辛い』という『過眠症』の寧子の『十七時間半爆睡』から起き掛けの心持ちを見てみましょう。 『うめきながらバファリンを炭酸の抜けたコーラで飲んだあと、グラスをよく見ると黒い液体の表面にはリップクリームから溶け出した脂がテラテラ光って浮いていて、それだけで真冬の川に飛び込みたくなるほど気が滅入った』。 寧子はそんな滅入る気分をこんな思いにぶつけます。 『ああ、あたしの鼻からはがした毛穴パックを誰かに突き付けて不快な思いをさせてやりたい』。 しかし、次の瞬間にはこんな風に納得します。 『でももう三日も風呂に入ってないのは誰に抱かれるわけじゃなし、まあいい』。 あくまでも寧子の内心であって寧子がこんなことを考えているなんて誰にも分かりませんし、誰に迷惑をかけているわけでもありません。しかし、作品は全編にわたってそんな寧子の内面が吐露され続けるわけで、それは読者の心に直に飛び込んでくるとも言えます。これは、”キョーレツ!”です。そんな寧子は『鬱』状態にあります。つまり、読者は『鬱』状態の寧子の心の内を見ることができるとも言えます。さまざまに思いを深める寧子の表現を抜き出してみます。そこには『死』を希求する寧子の危うい姿が垣間見えもします。 ・『みそ汁の具を買い忘れたことに気づいていい加減死のうと思ったが、床に置いてあった段ボールの中にマロニーが入っていたのを発見し、ぎりぎりで持ち直した』。 ・『ねえ、あたしってなんでこんな生きてるだけで疲れるのかなあ?雨降っただけで死にたくなるって、生き物としてさ、たぶんすごく間違ってるよね?』 さらに次の表現では壊れていく寧子の内面が見えるようで思わず言葉を失います。『すでに溶けて凍結しつつあるスケートリンク状の道路を』一人歩く寧子…という場面です。 『ロマンチックな雪のイメージにはほど遠い、その野蛮で暴力的な音に合わせて、死ね、死ね、死ね、死ね、と一歩ずつ口の中で呟いてみる。なんで、自分が、こんなに、馬鹿みたいに、寝るのか、誰か、納得いく、説明を、しろ』。 独特な読点の打ち方によって、文章を読んでいても寧子の心の声が聞こえてくるようにリアルに文字を刻んでいきます。 『あれだけ、寝て、まだ、眠いって、あと、どれだけ、人生を、無駄に、することに、なるんだ』。 いかがでしょうか。私が読んできた作家さんの中では金原ひとみさんが描かれる世界に近いものを感じますが、自分ではどうにも抑えられないマイナス感情の渦巻きの中に読者を捉えて離さないこの作品世界。さまざまな思いが去来する作品でもあると思いました。 そして、この作品でもう一つ忘れてはならないのが、どこかで見たことがある、と言うより知らない人などいないであろう葛飾北斎さん「富嶽百景」の「神奈川沖浪裏」の有名な版画がピンク地で描かれているところです。よく見ると富士山の上空にハートのマークが二つ描かれているのがピンク地と合間ってなんだか可愛らしさを演出してもいます。どうしてこの版画がドーンと表紙になっているのか?それは、作品冒頭間もなくに寧子が見たテレビ番組の記憶として印象的に語られていくからです。寧子はその版画のイメージが現代科学で検証されていくのを耳にします。 『五千分の一秒のシャッタースピードで撮った写真が画の構図と寸分違わなくて奇跡!』 しかし、そんな説明を聞いても『ただの偶然って言葉で片付けてしまうにはあまりにも一致しすぎていて、とりあえずあたしはそこに説明できない何かがあったんだと思わずにはいられない』と考えいく寧子。そんな寧子は彼女らしい表現でこんな風にその感覚を描写します。 『きっと「ザッパーン!」の瞬間は北斎にとって脳細胞がしびれるくらい強烈で鮮烈な刺激だったのだ。ドーパミンがドバドバあふれてきちゃって、本当なら見えるはずのない光景がビガーッと脳裏に焼き付いたに違いない』。 この表現の独特さは『鬱』状態にある寧子の中に深く刻みつけられてもいます。そして、そんな場面を読む読者にも鮮烈に刻まれるものでもあります。そんな版画をピンク地で大胆に表紙に表現するこの作品。これはすごいです。 そして、そんなこの作品は上記した「富嶽百景」に付された二つのハートマークが象徴するように”恋愛物語”という側面でも見ることができます。三年前、コンパで『隣の席に偶然座ったのが眼鏡をかけてぼんやりしたこの男だった』という津奈木とある意味運命の出会いを果たした寧子は、当初『この男と付き合うことはねえな』と思い、二人の違いをこんな風に形容します。 『担任が正面から見た新幹線に似ていて勉学に励む気にならないという理由で高校を中退しかけるような、就職活動を尻が半分出そうな丈のスカートをはいて回って全滅しているような、どこにいっても浮いてしまう女』→ 寧子 『見るからに静かな場所を好むであろう草食動物』 → 津奈木 なんだか強烈至極な表現ですが、二人の違いがよくわかります。しかし、津奈木の部屋へと強引に上がり込み、『セックスを無理矢理迫った』先に『行くところがない』と寧子は居座り始めて三年が経過します。物語はそんな好対象な二人が同棲する日々を描いていきます。しかし、『恋愛っぽいことをしていたと思える時期は確かにあった』と寧子が過去を振り返る通り、そこに描かれていくのは、どうして津奈木が寧子のような”キョーレツ!”な女性との暮らしを捨てないのか、どこかお互いの存在を意識し合う関係性が継続していくのか、この不思議感が読者を物語に引きつけてやみません。そして、”キョーレツ!”な印象そのままに、物語はその勢いを一切失うことのない中に幕を下ろします。強烈な余韻を残すその結末に「生きてるだけで、愛」というインパクトある書名に込められた本谷さんの思いを強く感じました。 『地面を踏んでいるはずなのに足下には何もなくて、そもそもあたしの周りには触れるようなものが一切なくて、自分は何にもつながってないんじゃないかと甘っちょろい妄想で押しつぶされそうになるのだ』。 そんな不安感に苛まれ、『鬱』と共に生きる主人公・寧子の視点で描かれたこの作品。そこには、”恋愛物語”の一つの姿が見え隠れする中にさまざまに思いを深めていく寧子の姿が描かれていました。”キョーレツ!”な表現の頻出にインパクト最大級なこの作品。有名な「富嶽百景」のイメージが上書きされそうにもなるこの作品。 あまりにかっ飛んだ感覚世界の描写の中に、『鬱』という言葉がどこまでも重く響く、そんな作品でした。
躁鬱病のヒロインのままならない日常と葛藤を描く。 自分のことは自分が一番嫌いで知りたくもない、というメンヘラの根幹にある苦痛が鮮やかに描写されている。この作品が沁みてしまう自分もまたメンヘラなのだ。津奈木ぃ〜助けてくれ〜。
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