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男子の普通選挙が実現した共和制下のフランスで、ルイ・ナポレオンのクーデタが成功し、しかも、この独裁権力が国民投票で圧倒的な支持を得たのはなぜか?この問いをめぐるマルクスの自由で饒舌な語り口は、つねにレヴィ=ストロースやE・サイードのような思想家たちのインスピレーションの源泉でもあった。
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Posted by ブクログ
カール・マルクス(1818-1883)による19世紀フランスの階級闘争に関する同時代批評、1852年初版。1848年の二月革命に始まる第二共和制が、如何にして1851年のルイ・ボナパルトのクーデタによる大統領独裁と第二帝政を帰結することになってしまったのか、を論じる。19世紀フランス政治史について相...続きを読む当程度精通していないと、マルクスの文意を正確に捉えることは難しいが、巻末の年表(「政治党派と階級的基盤」「時期区分と階級闘争の構図」)が補助として役に立つ。 刻々と変化する情勢の中で繰り広げられる各階級の政治闘争の錯綜した様態が、マルクスの一種異様な情念とともに描かれており、それがいっそう本書を読みづらくしているのだが、この語りの騒々しさが、ちょうどドストエフスキーのあの喧騒じみた文体を思い出させる。本書はまるで異形の文学作品のようにも映る。 巻末に付論として柄谷行人「表象と反復」が収録されているが、歴史や政治の事象を考察する上で「反復強迫」「抑圧されたものの回帰」「象徴界」といったフロイトやラカンの精神分析の概念を援用することの意味がよくわからない。それは学問的に妥当性が認められるような議論なのか、或いは尤もらしいだけで根拠のないただの「解釈」に過ぎないのか。 □ 代議制の果ての独裁制 「同様に、民主派の議員たちはみな商店主であるか、あるいは商店主を熱愛している、と思い描いてもいけない。彼らは、その教養と知的状態からすれば、商店主とは雲泥の差がありうる。彼らを小市民の代表にした事情とは、小市民が実生活において超えない限界を、彼らが頭の中で超えない、ということであり、だから物質的利害と社会的状態が小市民を[実践的に]駆り立てて向かわせるのと同じ課題と解決に、民主派の議員たちが理論的に駆り立てられる、ということである。これがそもそも、一つの階級の政治的・文筆的代表者と彼らが代表する階級との関係というものである」(p67-68)。 「分割地農民の間には局地的な関連しか存在せず、彼らの利害の同一性が、彼らの間に連帯も、国民的結合も、政治的組織も生み出さないかぎりでは、彼らは階級を形成しない。だから彼らは、自分たちの階級利害を、議会を通してであれ、国民公会を通してであれ、自分自身の名前で主張することができない。彼らは自ら代表することができず、代表されなければならない」(p178)。 代議制において、「代表される者」と「代表する者」との結びつきは恣意的なものでしかない。自らを代表することができず、恣意的な誰でもいい誰かによってしか代表され得ない者が、代表されるということそれ自体に幻滅して、媒介的な代表=表象=再現前ではなく直接的な自他融合を求めることになる。「代議制/独裁制」の対立は、「主知主義的・理性的な熟議/主意主義的・暴力的な決断」「合理性/非合理性」「納得/陶酔」「逡巡/突破」「媒介性/直接性」「再現前/現前」「自他分離/自他融合」の対立であり、代議制を否定する者は前者の価値を否定して後者に魅せられていく。こうして、代議制に倦んだ果てに、代議制を超越した絶対的権威による強権的な支配体制、則ちファシズムを招来してしまう。これは、優れて現代的な現象ではないか。シュミットの議会主義と独裁に関する議論や政治的ロマン主義の議論にも通じる話なのだろうか。尤も、ボナパルティズムとファシズムをどこまで同一視し得るのか分からない以上、粗雑な連想に過ぎないが。 「決まり文句の権力に対する文句抜きの暴力の勝利」(p173)。 □ 唯物史観の実例 正統王朝派とオルレアン派は、それぞれブルボン家とオルレアン家の王政復古を掲げ、その理念によって相互に対立しているのだと自他ともに思い込んでしまっているが、実際は土地所有ブルジョアジーと金融・大工業ブルジョアジーという異なる経済的カテゴリー同士の身も蓋もない利害の衝突がその対立の本当の原因であった、と論じる以下の個所は唯物史観の典型例であろう。 「所有の、つまり生存条件の異なる形態の上に、独自に形作られた異なる感性、幻想、思考様式、人生観といった上部構造全体がそびえたつ。階級全体が、自らの物質的基礎から、そしてこの基礎に対応する社会的諸関係から、それらを創造し、形作る。それらは伝統と教育を通して個々人に注ぎ込まれるので、彼は、それらが自分の行為の本来の動因であり出発点をなすものだと思い込むこともありうる。オルレアン派も正統王朝派も、どちらの分派も、彼らの二つの王家への愛着が彼らを分離させたのだと、自分自身にも他人にも信じさせようとしたが、むしろ二つの利害の分裂が二つの王家の一体化を許さなかったのだということを、後に事実が証明した。そして、私生活においては、ある人間が自分について考えたり言ったりすることと、彼が現実にどういう人間で何をするかということは、区別されるのと同じように、歴史的闘争においてはそれ以上に、諸党派の決まり文句や思い込みと、彼らの現実の組織や現実の利害とは区別されなければならないし、彼らの想像と彼らの現実とは区別されなければならない。オルレアン派と正統王朝派は、共和国の中でお互いが同じ要求をもって並んでいることを知った。どちらの側も相手に対して、自分たちの王家の王政復古を押し通そうとしていたとすれば、それが意味するのは、ブルジョアジーの自己分裂である二大利害――土地所有と資本――が、どちらも自分自身の優位と他方の従属を復古させようとしていた、ということにほかならない」(p62-63)。 □ 歴史の反復 本書冒頭の有名な一節でも論じられている、歴史の反復の問題について。これはどうしても科学的な議論ではなく「解釈」の遊戯にしかなり得ないのかもしれないが、たとえば日本の政治においても「維新」や「新撰組」などといった復古的な意匠が繰り返し呼び戻され続けているという事象を考えてみれば、やはり興味深い問題である。 「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として、と」(p15)。 「人間は自分自身の歴史を創るが、しかし、自発的に、自分で選んだ状況の下で歴史を創るのではなく、すぐ目の目にある、与えられた、過去から受け渡された状況の下でそうする。すべての死せる世代の伝統が、悪夢のように生きている者の思考にのしかかっている。そして、生きている者たちは、自分自身と事態を根本的に変革し、いままでになかったものを創造する仕事に携わっているように見えるちょうどそのとき、まさにそのような革命的危機の時期に、不安そうに過去の亡霊を呼び出して自分たちの役に立てようとし、その名前、鬨の声、衣装を借用して、これらの由緒ある衣装に身を包み、借り物の言葉で、新しい世界史の場面を演じようとするのである」(p16)。 「一九世紀の社会革命は、その詩情を過去から得ることはできず、未来から手に入れる以外にはない。社会革命は、過去へのあらゆる迷信を捨てないかぎり、自分をうまく扱うことができない。以前の諸革命は、自分自身の内容に関して自らを欺くために、世界史的追憶を必要とした。一九世紀の革命は、自分自身の内容に到達するために、その死者を埋葬することは死者に任せておかなければならない。以前の革命では言葉が内容を上回っていたが、いまでは内容が言葉を上回っている」(p20-21)。
読む前にWikiのナポレオン三世の項目は読んで、一通り第二共和政から第二帝政にかけてのフランスの状況は復習していおいた方がいいと思います。当時の状況がある程度把握できていないと読むのがつらい。
これも政治学のゼミで読んだものです。 今まで読んだ本の中で1位か2位を争うぐらい 難しい本でした…読むのに本当に一苦労しました(・ω・;) で、そんな難しい本なのに この本の3~5章の内容を まとめて発表する担当になってしまって。 もう本当に泣きそうなぐらい大変でしたが 逆に深く読むことによって内...続きを読む容がわかるようになり、 その後はとても楽しく読むことができました。 一番有名な文章はこちら。 「歴史は繰り返す。一度は偉大な悲劇として。 もう一度はみじめな笑劇として。」 この本はその「偉大な悲劇」である ナポレオンの登場と、「みじめな笑劇」である ボナパルトの登場を比較しながら ボナパルトの行った政治を見ていく、というもの。 いわゆるルポです。 面白かったのは、マルクスの独特な言い回し。 (まぁこれがこの本を読みづらくしている原因でもあるんですが。) たとえば、王政派を説明するとき 「古めかしいオルレアン朝や正統王朝のお仕着せを再び身につけ, 古めかしい馬上試合を再演している。」と述べている。 だがその裏では「王家を敬礼で片付け」とあり、 王政派の行動の二面性をうまく表現できているなぁと感心。 この本におまけ(?)として載っている 柄谷行人著の『表象と反復』も面白いらしいですが まだ読んでません。楽しみです。
岩波文庫で、二度読んだ。 平凡社で新刊が出たのでこちらも購入して読んだ。 ということは、都合3回読んだことになる。 ここに描かれるルイ•ボナパルトは階級闘争の中で偶々祭り上げられただけの平凡で馬鹿な男にすぎない。 マルクスの興味は、歴史上の登場人物には向かはない。 彼の関心は、民主主義を崩壊させた...続きを読む階級闘争過程にしかないからだ。 ルイ•ボナパルトという、下手をしたら江戸幕府を牛耳ってフランス帝国による明治維新を断行したかもしれない怪物に焦点を当てたのが、鹿島茂の怪帝ナポレオンだ。 この二著はセットにして読まなければならない。 1848年の革命から、1851年のルイ•ナポレオンによるクーデタまでを、何と一千年に一人の大天才(吉本隆明)マルクスが、ジャーナリストとしてルポしてくれるのだ。 こんな歴史読み物は他にない。 マルクスの著作の中では圧倒的に読みやすい。 しかし、当時の常識を前提にして、革命=民主主義の簒奪を皮肉な口調で語っているために、スラスラ読める代物ではない。 そんな時、鹿島茂の著作が力強い導き手となってくれるのだ。 鹿島茂の著作を副読本とする所以だ。
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