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Posted by ブクログ
「市民社会」の意味することをその使われてきたコンテクストから、丁寧に追跡している。
筆者の主張は、終章で簡潔に語られる。
「市民社会=市民団体」(日本での捉えられ方)論が期待をかけられるには2つの社会的根拠があると指摘する。
一つは、政府は頼りにならないという国民の政治的感覚、二つ目は資本主義に対する労働階級の社会的無力さ、という。
前者の問題について、代議制の政治制度の欠陥を補完するために、民意が反映される制度的回路の実現が必要と主張する。後者の問題については、新自由主義の構造改革のもとで行き過ぎた企業の営利活動をコントロールする必要があるが、それをできるのは「市民社会」でなく国家だと断言する。企業の行動の方向転換は政府の政策転換であり、それは政治的公共圏を通して、政府に規制を強化させることだという。
「市民社会=市民団体」に過度の期待を寄せることに警鐘を鳴らしている。
筆者は最後の主張に至る根拠を用語の思想的変遷に求めている。言葉がまったく逆の(現代では)意味に変化してきていることはよく理解できる。やみくもに「市民社会」論を振り回すのでなく、その可能性と限界を押さえて、もう一度政治的領域へのアプローチを考えなければと思う。日本の「市民団体」は安上がりの下請けを押し付けられている感がどうしても否めない、と現場で感じる。そういう意味で「市民社会」は頑張ってはいけない、とも言えるな、と思ふ。
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