【感想・ネタバレ】市民社会とは何かのレビュー

あらすじ

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市民社会(civil society)とは、国家とは別の「民間部門」なのか。それとも、「公共部門」とは別の、人々の連帯なのか。社会科学の基本中の基本概念を、西洋古代から現代の日本まで的確に説き起こした待望の概説書、必携の教科書。

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Posted by ブクログ

「市民社会」という言葉の系譜を明らかにした本。そしてその系譜をたどる作業により、安易に国家対市民という構図で国家批判を行う「市民社会論」を批判した本でもある。

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2011年01月15日

Posted by ブクログ

仕事において『企業市民』のような言葉を使うことも多く、使っていながらもかっちりとした理解が出ていないフワフワとした違和感を感じており、『市民社会』や『市民』の意味の変遷について、アリストテレスから、アダムスミス、ルソー、ヘーゲル、マルクスと歴史を追って外観いただいた本書は、自分の理解に大変役立ちました。八章での現代日本における議論は、日常に即して考えられて分かりやすく、終章のサマリーも有り難かったです。
一番最後は少し、急ぎすぎた感じもしましたが。。。

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2013年01月05日

Posted by ブクログ

「市民社会」の意味することをその使われてきたコンテクストから、丁寧に追跡している。
筆者の主張は、終章で簡潔に語られる。
「市民社会=市民団体」(日本での捉えられ方)論が期待をかけられるには2つの社会的根拠があると指摘する。
一つは、政府は頼りにならないという国民の政治的感覚、二つ目は資本主義に対する労働階級の社会的無力さ、という。
前者の問題について、代議制の政治制度の欠陥を補完するために、民意が反映される制度的回路の実現が必要と主張する。後者の問題については、新自由主義の構造改革のもとで行き過ぎた企業の営利活動をコントロールする必要があるが、それをできるのは「市民社会」でなく国家だと断言する。企業の行動の方向転換は政府の政策転換であり、それは政治的公共圏を通して、政府に規制を強化させることだという。
「市民社会=市民団体」に過度の期待を寄せることに警鐘を鳴らしている。
 筆者は最後の主張に至る根拠を用語の思想的変遷に求めている。言葉がまったく逆の(現代では)意味に変化してきていることはよく理解できる。やみくもに「市民社会」論を振り回すのでなく、その可能性と限界を押さえて、もう一度政治的領域へのアプローチを考えなければと思う。日本の「市民団体」は安上がりの下請けを押し付けられている感がどうしても否めない、と現場で感じる。そういう意味で「市民社会」は頑張ってはいけない、とも言えるな、と思ふ。

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2011年10月08日

Posted by ブクログ

市民社会という言葉はアリストテレ スの「政治学」で国家共同体を意味す る。スミスは文明した商業主義と意味 を変え、それを市民社会と定義したの はヘーゲルである。さらに現代では違った意味を持つ。多義性を孕んだ市民社会という言葉は何かを歴史的経緯から論ずる。

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2011年09月23日

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