飯田泰之のレビュー一覧
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良書だと思う。
科学のあり方について、大学の研究者やライターなど様々な人が語っていて、新書ながら内容が非常に濃かった。
科学というと、どうしても絶対正しいものだとか、必ず答えが用意されているものと思いがちだ。しかし、実際にはそうではなくて、不確実な面もあるということを忘れてはいけないだろう。そして、不確実な面もあるけれど、それをなるべく正しい答えを導き出そうとする、方法論についてはやはり信用に足るものだと思う。
今回の震災で、科学の見方が大きく変わった。研究者も一般市民も科学の見方について、もう一度しっかりと科学について、理解する必要があるのではないだろうか? -
Posted by ブクログ
常識とは,一般市民が「空気」として「なんとなくそう思う」,あるいは「なんとなくそう信じている」ところから生まれると著者は主張する。その常識は,やがて世間に受け入れられる中で「言説」として成立することになる。そういった傾向が社会のあらゆる側面にみられる中で,著者は,一部の天才と呼ばれる人間を除いては,統合的思考より,分析的思考が有効であり,私たちは分析的思考を駆使して今まで「常識」として受け入れられてきたものを分析しなおし,有用なものを見出す必要があると述べている。著者は,「虚無論法」や「自然論法」にも触れ,なぜそれらがダメな議論なのか,言説として信じられているものを見破る具体的な手立てを提示している。具体的には,5つの基準が導入され,それぞれの基準を実際に著者が応用させ,様々な議論を論破してみせている。大学生,あるいは社会人にとっても非常に有用な著書だと考える。
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Posted by ブクログ
トンデモ科学,似非科学など,人をダマす「科学もどき」が後を絶ちません。その内容は,「誰が見てもウソだろう」と思うものから,ちょっと見では気づかない科学っぽい話まで身の回りには実にたくさんあります。「誰が見てもウソだろう」と思うのにさえ誰かが引っかかるのは,人の弱さにつけ込むからでしょう。
福島原発の爆発事故によって放射能が飛び散りました。放射能は確かに危険だけれども,その危険性を必要以上に煽って,金儲けにつなげようとしている人もいます。本書でもそういう事例が何例も取り上げられています。ただ,こういう例は姿・形を変えて次から次へと出てくるに違いありません。一つ一つに対処している訳にはいかないのです。
だからこそ私たち一般人は,「科学的に考える」とはどういうことかをしっかり学んでおかなければならないのでしょう。
100の結果のうち自分の都合のいい結果を1つだけ取り上げて宣伝しても,それは事実であることは確かですが,報道されない「あとの99はどうだったか」をしっかり見ることのできる眼を持ちたいものです。
本書で2度も取り上げられている「2×2(4分類法)」という疫学的な見方」はとても役に立ちます。これだけでも身につけておきたいです。 -
Posted by ブクログ
震災後,政府不信とともに科学不信が蔓延していて,その結果いかにも胡散臭い情報に引っかかって騙される人が増えているようだ。その処方箋。
今回の原発などの問題は,科学自体の信頼性を損なうものではなく,科学が用いる方法論の有効性は,微塵も揺らいでいない。科学が有用であり,科学なしに現代社会の存続はありえないということは明らかなのに,従来の科学を忌避して損をするのはもったいない。
第一章は,ニセ科学の批判をずっと続けている物理学者の菊池教授が執筆。ニセ科学とは,科学でないのに科学を装って一般の人を騙す言説だ。血液型性格診断,マイナスイオン,『水からの伝言』,ホメオパシー,ゲーム脳等。巧妙な宣伝で信奉者を獲得している。
実は科学を非科学からどう峻別するかという「線引問題」には決着がついていない。でもだからといって極端な相対主義に走ると,「科学とそうでないものの区別など存在しない」となってしまって意味がない。ここでは「多くの科学者が科学と思うものが科学」という認識で話がすすむ。
科学とは,「再現性のある客観性的事実」で,メカニズムが未解明なだけではニセ科学とは言えない。ここでは「客観的」というのがポイントで,主観的な経験を短絡的に事実と結びつけるやり方はもちろん科学でない。超伝導のように,現象の確認が先にあって,あとから理論的説明が付いてくることも多い。
ただ,科学的に考えにくい出来事でも「自分は経験した」という人は存在する。そういう個人的体験を全否定することは間違い,と菊池教授は言う。個人的経験はその人にとっては本物。ただそれと科学とを別に考えてもらえるようにするのは,なかなか難しいんだろうな。
第二章は,科学哲学者の伊勢田哲二准教授。線引問題に詳しく,以前読んだ「疑似科学と科学の哲学」はとてもよかった。この著書を含め,科学哲学が従来取り扱ってきたのは,物理や天文学,生物学,化学などの事実解明的な科学。それをモード1科学と呼ぶ。
モード1科学を支える価値観は,CUDOSと言われるそう。共有主義,普遍主義,利害の超越,組織的懐疑主義。発見を共有し,えこひいきや利害を排除して,研究内容のみを鵜呑みにせず吟味して評価するという態度。これが重要なのだが,モード1に属しない科学でこれを徹底しようとすると不都合が。
モード1に属しないモード2科学とは,「応用の文脈における知」を指す。この場合,超領域的な状態が避けられない。すなわち産学連携のように,モード1科学的な価値観に属している以外の人たちも関わってくるので,CUDOSに忠実であることより問題解決が優先されてくる。
モード2科学では,「今は証明不十分でも問題解決につながるから使う」という姿勢が擬似科学と共通してくる。モード1,2の科学,擬似科学の間の関係はグラデーションで,はっきりとした境界はないが,明らかに科学の範疇に入るものと,明らかに擬似科学であるものの区別をつけることはできる。
それは「信用できる方法論があるのに、それを使わないようなもの」が擬似科学,という分類法。代替医療なんかも,信頼できる検証方法である二重盲検法で効果が見いだせないのに効果を主張する。有用な伝統的知識が発見され,広く利用されることがあるが,取り入れる側の態度が科学的であることが大事。
第三章は,松永和紀氏による「報道はどのように科学をゆがめるのか」。報道は注目してもらえなければ意味がない。そのため,人々に受け入れられやすいように問題を極度に単純化し,センセーショナルに恐怖を煽る傾向がある。科学者を登場させて「こういう説もある」と紹介すれば報道機関の責任は軽い。
エコナ発癌性問題(定量的検証を欠いた議論),遺伝子組み換え(組み換えナタネとイヌガラシの交雑騒動)などの事例を通じて,警鐘報道がもたらす擬似科学の独り歩きを指摘。メディアは誤報を訂正しないので(訂正情報はニュースバリューがない),科学的に間違った認識が社会に残り続ける。
第四章では,サイエンスコミュニケーションのありかたを問う。イギリスでは,BSE騒動の反省(信頼の危機)から科学コミュニケーションにおいて大きな方針転換があった。従来の「理解」重視から「対話」重視への転換だ。これを参考に考える。
伝統的な科学コミュニケーションでは,一般市民の科学理解(PUS)といって,知識のある者からない者へという一方的発信が主流だった。「正しい理解を広めれば不安はなくなる」とする考え。しかし,これではうまくいかなかった。この状況はいまの日本と相通じるものがあるなぁ。
科学への信頼を再構築するためには,科学者,政府,産業,市民の間の双方向的対話や,政策決定への参加を重視する「公共的関与」が必要になってくる。科学技術に関する意思決定を,誰がどうやって行なうのが良いのか,それも含めて議論していかなくてはならない。ただ,議論の前提として,一定のリテラシーはやはり求められるよね…。そこはやはり教育しかないのではという気がします。
付録に,片瀬久美子氏の「放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち」も収録。マクロビ,EM菌,米のとぎ汁乳酸菌…。…怪しすぎです。シノドスジャーナルで一部が読めるので,未読の方はぜひ。 -
Posted by ブクログ
経済や金融の本については、それなりに読んできていたのだが、それでもなかなか歯ごたえのある一冊であった。
国債を発行し続けても破綻しない条件に関する説明には興味が湧いたが、十全に理解できたかというと、心許ない。
そのほかの点で興味が湧いたのは、労働市場の流動化に関する論である。
雇用流動化というと、「従業員のクビを切りやすくする」という点に目が向けられがちだが、本書で説明されているように、年金制度・退職金制度などに鑑みると、むしろ従業員が辞めにくい面もあることに気が付く。
近時、人手不足が指摘されているところでもあり、過度に雇用流動化を警戒するべできではないのかもしれない。
雇用の維持は重要ではあるものの、さりとて保護しすぎることにはミスマッチなどの問題もあり、経済が良くなる方向での制度改革が進むよう願っている。
その意味では、(本書でも指摘されているように)失業給付の充実が必須なのだが、日本では「働いてないのに公的機関からお金をもらうこと」に対する非難が強いように思われ、そうした感情論によって建設的な議論が阻害される可能性はありそうである。 -
Posted by ブクログ
経済政策の専門家である著者による、現代に蔓延る間違った解釈、無用な議論「ダメな議論」について書かれた本。「ダメな議論」とはどういうものか、どのように生まれるのか、どのように我々はそれを見極めれば良いのか、が解説される。
情報過多で、フェイクニュースやなんちゃって評論家が跋扈する現代において「ダメな議論」を見抜く方法を知っておくことは非常に有用である。
内容の妥当性も高く、理解に易しい。
「ダメな議論」を見抜くためには以下の5つのチェックポイントがあるという。
①定義の誤解・失敗はないか
②無内容または反証不可能な言説
③難解な理論の不安定な結論
④単純なデータ観察で否定されないか
⑤比喩と例話に支えられた主張
どれも冷静に考えれば当たり前のことだが、我々は往々にして「熱」によってこれを忘れてしまう。つまり、我々は自分の信条に沿った言説を無批判に受け入れる傾向にあるし、無意識に都合の良い議論を好んでしまう。
だからこそ、自分が「ダメな議論」に巻き込まれることに常に細心の注意を向けなければならない。そして本書はそのための指針となる本である。
さらに「ダメな議論」を避けるための基本姿勢として下記が有用である。
①問題を適切に分割し
②個々のターム(用語)の定義を明確にし
③パートごとにデータによる検証を行う
問題に対して適切に対応し、無用の議論に巻き込まれないために、本書の内容を使いこなしたいと思う。