寺田寅彦のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
物理学者である寺田寅彦の短文集。随筆でもなく短文。随筆は読者のために文章の装いが必要になるが、本書は日々過ごす中で起こった正直な思いが綴られている。時代を感じるところもあるし、いつの時代も変わらないと思わせるところもあり、人間というのは変えられないのだとしみじみと感じた。
何でもない柿の種でも、土によってはその果実は甘くも渋くもなる。この本を楽しめるか著者に試されているようだ。しかし肩の力を抜いてよく味わって読めば、楽しめる人は多いと思う。気が向いた時に適当にページをひらいて、コーヒーでも飲みながらゆっくり読みたい本。
本書は大正九年に始まる。年代順に並べているので、当時の東京の空気感も感じられて楽しい。
読み始めは語り口が小気味良く、楽しく読んでいたが、中盤からの関東大震災、著者の病状、戦争の気配と段々に影が濃くなっていく。
特に関東大震災が起こってからは日常の情景の観察と考察が増えているように感じた。日常が非日常に変わったこともあるが、もしかすると面白いことを言おうとするより、ふと思ったことをそのまま書く方が、余白が生まれて良いと思ったのかもしれない。
そういう意味ではスナップ写真に似ている。演出して情景をつくるのではなく、散歩中に目に止まった物をそのまま撮る。俳句の話題も多く出てくるが、俳句もスナップ写真に近い。それぞれの短い文章の中に感情の動きが収まっていて、色んな感動を味わえる。
普段の生活の中で「気になったこと」に意識的であるというのは、「普段」から抜け出す良い習慣である。それが俳句の人もいるし、写真の人もいて、絵の人もいるのだろう。感情は常に動き続けていて、何かの「かたち」にしなければそのまま流れて忘れてしまう。読んでいると日記でもつけたくなる。
忙しくしていると、こんな風に見つけながら生活できないだろうから、ちゃんと人生をゆっくり噛んで味わわなければ。
終盤になるにつれ、科学を職業としながら、俳句を愛し、人間的な心情を愛した人生の哀愁が滲んでいて少し切なくなってしまった。
随筆の名手と呼ばれるだけあって、文章がとても良い。書きすぎない、説明しすぎない引き算の巧さが文章を魅力的にしていると思う。こんな風に情景を書けるようになりたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ本と対話しながら感想を書いてました。それをそのまま転記します。ネタバレ注意です。
・寺田寅彦、夏目漱石の弟子。物理学者。
・一発目の「土の善し悪し」で、今と昔も環境に左右されるのは変わらねえんだなと思った。
・一節目からこの世の真理というか、当然の事をズバッと示された。共感する。日常と詞歌の間にはガラスがあるのみ。ただし穴が空いている。誰でもやろうと思えば通れる穴。通り抜けているうちに(触れているうちに)穴は大きくなり何時でも行き来できる。これはなんにでも当てはまる。俺だってギター弾かなくなったら下手くそになるし。
・p14,スッポンが鳴いた話好き。固定観念に囚われている人々を表現できている。何が証明されていて、何が証明されていないから結論はこうだ!と言える人になりたいなあ。
・p18,犬のあくび新聞。俺にもあくびが移った。
・p20,人と自然の間には、想像もできないような関係があるかもしれない。それはまさにその通り。所詮、学問を完璧に完成させることは人類滅亡までには不可能なのではないかと考えてしまう。不完全な学問を前提に生活しているのが我々。一方で、理論に基づいて機械等は動くからそれでいいじゃんとも思える。
・p21,巻雲はスースー雲。その通り。巻かれてないもん。スースーしとるもんな。
・p25,身の回りの些細な変化でさえ恐怖になる。共感する。俺親知らず抜いた時同じことを思った。ただこいつは俺より気にしすぎな人だったらしい。文末の「坊主になった」は、髪型の変化を嫌って意図的に坊主にしたのか?それか気にしすぎて病んで病気になった?割と好きな詞かも。
・p27,「非音楽的な耳」と決めつけるのはどうなのw
そういう曲が存在するのは知っている。それもまた何か意図があって作曲された曲と思うし、ピアニストとしてそれを表現したかった可能性もあるんじゃないか?もしくは非音楽的な耳の持ち主で、ただ記録更新したかっただけかもしれないね。
・p28,共感しかない。確かに目は閉じることができるが耳は閉じれない。鼻もそう。どんな進化を経た結果なんだ?生まれた瞬間からその状態。ただ、目が閉じられない状況もあるよねと突っ込んでしまったが、そういう話をしたいんじゃないんだろうからスルー。
・p29,宗教と科学の話。調べたところ、宗教は脳死で何かを信仰しているらしい。だから理不尽で筋の通らない言い訳をして戦争なんか始まるんや。てっきり、宗教の起源は科学と思っていたが、違うらしい。例えば、火を神とするゾロアスター教?アヴェスター?なんか、火起こしは科学やろ!なんて思ってしまうのだが…当時は科学が発展してなかったからしゃーないんかね?2024年に生きてるから昔の価値観は分からん!
宗教なんて今では戦争するためのツールにしかなってない気がする。科学の檻にぶち込んどかないとダメなんじゃない?要は寺田寅彦に同意する。
・美術評論家の点数付けの話、1+1は2という世界しかないと思い込んでいるヤツらの話。例えば、ベクトルは向きによって0-2の値を取るので1+1は2という考えは安直だ。固定観念に囚われているという話をしたいと思うのだが、寺田自信でその後(前か?)、俳句を例に、俳句のルールがあり、それに従ったものは俳句になる。従わなければ俳句ではない何かになる、と言っている。あくまで「美術評論」というものになるために1+1は2を使っているのであって、もしかしたら彼らも固定観念に囚われている訳では無いのかもしれない。ルールに縛られた評論家と作者の対話ではないか?
・p103,人形のような人の話。自分の意見(心)を宿さないと人形と同じという意図と捉えた。社会人になると、今までの自分を振り返ると心に突き刺さる。以下に「誰かの言いなり」だったかを痛感させられた。ただ今はどうであろうか?今は「これがやりたい」「こうあるべきでは?」等の自分なりの考えをやっと持てて来た気がする。人形から人になりつつあるのだろうか。そう願いたい。
・p219,個人的に好きな詩。仕事に忙殺されて、帰宅する際に幸せを感じることがあるだろうか?あるならそれは幸せなことで、社会人から一個人にしっかり戻れている証拠かもしれない。経験上、社会人のまま帰宅し、社会人のまま風呂飯を済ませる。寝るまで社会人かもしれない。なんと不幸なことかと今思う。幸せは色んなところに転がっているはずなのに、それを見つけることが出来ない。それは、土曜日と日曜の夕方まで社会人として生きているからなのでは無いだろうか? -
Posted by ブクログ
物理学者にして文学者、さらには音楽家だったという寺田寅彦のマルチな才能を垣間見ることができた。
自然現象や、動物の生態、人の行動特性とか、身の回りで生じていることへの観察眼が多角的で冴えている。
師匠の夏目漱石同様、猫が好きだったみたいで、可愛らしい側面も垣間見える。
晩年は、日々病に蝕まれるなかで、人間の身体について淡々と描き続けていた様子が分かった。
当時は、自由に海外旅行へ行ったり、インターネットで情報収集したりできない時代だったが、寺田氏は視野が広くて自由な発想を持ち、時には婉曲的に、ソフトに社会を批判していたのだろう。
他の随筆集も読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
東日本大震災直後(2011年7月)に編まれた、寺田寅彦随筆選である。編者の意図を超え、コロナ禍の現代に読むと、そのあまりにもいまの我々のために言ってるかのような言葉に溢れていて、びっくりした。
その幾つかを、以下に羅列する。
「天災と国防」(昭和9年)
・文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増す
・日本のような特殊な天然の敵を四面に控えた国では、陸海軍のほかにもう一つ科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然ではないかと思われる。
「流言蜚語」(大正13年)
・(大地震の最中毒薬を暴徒が井戸に投じたという噂に関して)いわゆる科学的常識というものからくる漠然とした概念的の推算をしてみただけでも、それが如何に多大な分量を要するだろうかという想像ぐらいはつくだろうと思われる。
・もちろん常識の判断はあてにならない事が多い。科学的常識はなおさらである。しかし適当な科学的常識は、事に臨んで吾々に「科学的な省察の機会と余裕」を与える。そういう省察の行われるところにはいわゆる流言蜚語のごときものは著しくその熱度と伝播能力を弱められなければならない。
「政治と科学」(昭和10年)
・他国では科学がとうの昔に政治の肉となり血となって活動しているのに、日本では科学が温室の蘭か何ぞのように珍重されている。
「日本の自然観」(昭和10年)
・現代の日本では、ただ天恵の享楽にのみ夢中になって天災の回避のほうを全然忘れているように見えるのはまことに惜しむべきことと思われる。