寺田寅彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ物理学者、随筆家の寺田寅彦の入門編という位置付けの本。
自分の中では外山滋比古の本を読んでいるような感覚になりました。あ、褒めてます。
この本はなぜこの項目が取り上げられたのか背景などは存じませんが、確かに今でも通用する箴言はありましたが、そこまで感動・感銘を受ける箇所はなかったです。
「科学の中等教科書は往々にしてそれ自身の本来の目的を裏切って、被教育者の中に芽生えつつある科学者の胚芽を殺す場合がありはしないかと思われる。」「科学教育は・・・(中略)・・・法律の条文を暗記させるように教え込むべきではなくて、自然の不思議への憧憬を吹き込む事が第一義ではないか。」
教科書や授業はつまんないこと多いですしね。
「津波と人間」、「読書の今昔」は琴線に触れました。 -
Posted by ブクログ
久々に寺田寅彦に触れた気がする。
読んでいると、小学生の頃に感じていたような、季節の匂いや、人の家のよそよそしさ、祭の時の変な賑わいと一体感なんかが蘇ったのだった。
この一冊を読んでいると、色んな人が現れる。
いや、まあ、そんなことは当たり前なのだけど、腕のない人、足のない人、病んだ人、商いをする人。
それぞれにどこか、不整合な感じのする人たちが現れることに、逆説的な生を感じる。
また、家の中が見えて、声が聞こえてくる。
どんな暮らしを営み、表情をし、道端で物を売る声が響いているかが、よく分かる。
今の日本は、誰も彼も同じなのだ。
サラリーマンなんて言葉がいけないのかもしれないが、誰と誰が違うかなんて、ニュースに出て来る街並みからは見分けがつかない。
家の中も見えなければ、声もしない。
そういう、見えなくなった日々が、果たして寅彦のいた時代よりも「良い」のだろうか。
画面越しにしかコミュニケートが叶わず、そのことに便利さを感じている私たちは、ますます、お互いを見えなくしていくのかもしれない。
本当の一人は、きっと孤独ですらないのだ。
この頃に感じていた寅彦の、哀しさや寂しさを読んでいると、背景に沢山の人と生活がある。そう考えると、自分が考えていた寂しさの状態とは、もはや異質であるとさえ思う。
「騒々しい、殺風景な酒宴になんの心残りがあって帰りそこなったのか。帰りたい、今からでも帰りたいと便所の口の縁に立ったまま南天の枝にかかっている紙のてるてる坊さんに祈るように思う。雨の日の黄昏は知らぬ間に忍足で軒に迫って早や灯ともしごろの侘しい時刻になる。家のなかはだんだん賑かになる。はしゃいだ笑声などが頭に響いて侘しさを増すばかりである」
「なるべく新聞に出るような死に方を選ぶ人の心持は、やはりこの履物や上着を脱ぎ揃える心持もあるかもしれない。
結局はやはり『生きたい』のである。生きるための最後の手段が死だという錯覚に襲われるものと見える。自殺流行の一つの原因としては、やはり宗教の没落も数えられるかもしれない」
「売り声の滅びていくのは何故であるか、その理由は自分にはまだよく分らないが、しかし、亡びていくのは確かな事実らしい。
普通教育を受けた人間には、もはや真昼間町中を大きな声を立てて歩くのが気恥ずかしくてできなくなるのか、売り声で自分の存在を知らせるだけで、おとなしく買手の来るのを受動的に待っているだけでは商売にならない世の中になったのか、あるいはそれらの理由が共同作用をしているのか、これはそう簡単な問題でなさそうである」 -
Posted by ブクログ
ちくま日本文学全集035。
寺田寅彦。
夏目漱石の弟子で、物理学者ということだけは知っていました。
理知的で啓発的な作品を書く人、面白くないだろうなあという先入観があったんですが、冒頭の「団栗」というエッセイを読んでイメージがかわりました。ああ、こういう哀切なことを書ける人なんだ。
一番面白いのは「自画像」という、油絵を描き始め、自画像に取り組んだときのことを綴った作品。
吹き出しそうになるところもあります
それにしても、どの作品も端正な文章です。
学校の教科書にふさわしいぐらい模範的といったら悪口になるのかな。
やはり、頭の良い真面目な人だったんだろうと思う。
寺田寅彦は明治11年に生まれて昭和10年に亡くなりますが、巻の後半に進むに従って、戦争に突き進む世相を反映した言葉が作品の端々に出てきますね。
次は中島敦。