寺田寅彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
読み終わって今自分が生きる時代を思う
寺田さんの生きた大正〜昭和初期、あとがきの池内さんの生きる戦後の時代、そして2026年9月の今
科学技術の進化は相変わらずとまらず、AIや再生医療などで生活が便利になり人を救うこともあれば、
命や世界を破壊する加害性と危うさをずっと抱えて、謎は永遠に増えていく
世界のいたるところで戦争は終わらず、この国の政府や大企業は軍需に傾きはじめている
でも道端で見かけた百日紅の花は美しいし、
お隣さんに教えてもらった近所の和菓子屋で買ったお団子はおいしい
こう書いてみると寺田さんの生きた時代とあまり変わらないように思う
結局いつの時代も人間のやることは同じのかもしれない -
Posted by ブクログ
夏目先生がちらほら出てくることに感無量であり、漱石の『硝子戸の中』のよう。
こんな随筆たちというか書簡たちというものは、作家たちの私生活や思考はもちろん、当時の時代背景まで浮かび上がってきて本当に良いです。
75頁
“ルノアルの絵の好きな男がいた。”
え!!あ!!これ龍之介ですよね!!??ちがうかな
77頁
夢= AIにして良いです??
大正十三年四月、渋柿
雑草のことや三毛の墓の歌のこと、『懐手して宇宙見物』(大人の本棚)に収録の備忘録なんかにも出てきて、偶然にも同時読みしていて面白かったです
104頁
“太平の逸民”とは。注釈には、
世の中の平和なとき、世を遁れ隠れている人。たとえば夏目漱石『吾輩は猫である』に「要するに主人も寒月も迷亭も太平の逸民で……」とある。(「寒月」は寺田寅彦がモデルであるとされる。)
昭和三年五月、渋柿
231頁
忠犬ハチ公が死んだというエピソード
渋谷前のハチ公のエピソード、この時代の話しだったのか
昭和十年六月十二日
245頁
不審紙(ふしんし)
262頁
ガラス戸の話
晩年の話に、この『柿の種』の序盤に出てきた「ガラス」の天井の話
一貫している
267頁
ペシミストとオプチミスト
これ『懐でして宇宙見物』の方にも出てきたなぁ!
寺田寅彦 1878.11.28-1935.12.31(明治十年~昭和十年)
大正時代1912.7.30-1926.12.25 十五年間
1912明治四十五年 大正元年
1914大正二年 第一次世界大戦
1920大正九年 書き始め 寅彦42歳
1921大正十年
1923大正十二年関東大震災 寅彦45歳
“崩れ落ちた工場の廃墟に咲き出た、名も知らぬ雑草の花を見た時には思わず涙が出た。”
1926大正十五年 昭和元年
1927昭和二年
1928 昭和三年 寅彦51歳、松尾芭蕉『おくのほそ道』への連想が感じられる「羽越紀行」
1933昭和八年 寅彦55歳
“この書の読者への願いは、なるべく心の忙しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおあて読んでもらいたいという事である。”【自序より】
1935昭和十年 寅彦57歳没、最後の短文は亡くなる二ヶ月前、終盤の病床からの書き物はなんだか寂しさを感じた -
購入済み
初出が1934年ということで、日中戦争や第二次世界大戦前の暗鬱とした空気感を漂わせる。
原発事故が代表的だが、技術者や決裁者は「起こり得ない」ことなど無いということを改めて肝に銘じていただきたい。
災害大国の日本に住む身として、いつどこでも災害は起こり得ることを忘れずに備えたい。 -
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災害の多い日本だからこその随筆集。大勝から昭和初期に書かれたものだが、災害の様子も寺田寅彦の語る内容も、これって現在のことか?と思えるものばかり。
『天災と国防』昭和9年(1934年)11月
災害の無い時に準備をしなければいけないのに、それをせずに「非常時」と騒いでしまうことについて。
日本は、地理の問題として世界の国々との関係が特殊になり、多くの仮想敵国を想定して防衛の準備をしなければいけない、それと同時に、気象学的地球物理学的にも極めて特殊な場所であるので、常に特殊な天変地異に晒されていることを忘れてはならない。
日本は、陸海空の軍備の他に、科学的国防の常備軍が必要なのではないか?転々の強敵に対して常に国民一致団結して科学敵対策を講ずるのも愛国心だろう。
しかしこのように四方を天然の敵に囲まれているということは、日本人の国民性に良い影響を及ぼしている面もある。
人々は、過去の災害の経験を生かすことができる。関東大震災でも、昔から人が住んでいた地域の住居は無事だったが、新しく造られた小学校の多くが倒壊した。
寺田寅彦の知人は、多くの小学校が倒れたのは国辱中の国辱だ!と憤ったんだそうだ。これは人として正しい感情で、この感情を持っていれば良い国が作れるんじゃないかと思ったんです。
『火事教育』昭和8年(1933年)1月
ロシアの絵本で、実にわかりやすい火事教育のものがあるそうだ。そこで日本でも小学生にもわかりやすい絵本を作って学校や家庭で日常のものとして教えられないものか?と提案している。
ここで傷害されているロシアの絵本はたしかにとても良かった。
『災難雑考』昭和10年(1935年)7月
それまでずっと行われていたことが、不幸な偶然が重なり甚大な被害に繋がってしまうことがある。天災とは違う災難について。
そして責任について。
建築や計画にミスがあって人が死んだ時に、退職したりまたは死んでお詫びすることが「責任」といえるのか。設計ミスならその設計をした本人が、失敗を調べ上げ、そこから徹底的に安全な新しいものをつくることこそ「責任」なのではないか。
実際にあった良い例(胸のすくほど愉快な例)として、旅客機の白鳩(しろはと)号飛行機墜落事故について書いている。目撃者が全くいない事故で、飛行機の残骸を集め、一つ一つ組み立て直し、傷を調べ、なぜその傷がついたのかの実験を繰り返して、ついに原因を解明し、今後二度とその故障が起きないようにすることができた!
この解明を「推理小説の名探偵は謎を解いても次の犯罪を食い止めることはできないが、科学解明は次の事故を防ぐことができる」と言っている。ほうほう、推理小説好きなら、きっと飛行機事故解明ドキュメンタリーも楽しめそう。
『地震雑感』大正13年(1924年)5月
地震の概念、原因には何があるか、予報や日頃の備えについて。
『静岡地震被害見学記』昭和10年(1935年)9月
地震研究も行っていた寺田寅彦は、昭和10年(1935年)の静岡地震に調査に行った。
新聞報道ではまるで静岡県全体が壊滅しているかのような写真がたくさん出ていたようで、新聞が大げさに書くことは現在と同じ、いやこの頃のほうが強かったくらいだろうか?
寺田寅彦の見た現地被害、ボランティアの人々の様子など。
不思議な倒れ方をしている石灯籠があって、どのような地震の伝わり方をしたのだろうと首を傾げていたら、作業員が倒れそうで危なかったから倒したんだそうで、地震研究において人による被害をうっかりカウントしてしまうところだった(そしてそのうっかりは割とあるらしい)というのがちょっと面白かった。
そして多くの灯籠が倒れている中で立ち残っている物を確認したら芯棒がきっちりと通してあったのだとか。いつ起こるかわからない災害に備えることは、平時は無駄なようでもやっぱり大切だという次第。
『小爆発二件』昭和10年(1935年)10月
軽井沢のホテルで浅間山の噴火を見た!噴火(最初は噴火だとはわからなかった)の様子を文章で記載しているのはとても興味深い。映像や体感は、まさにそのものではあるけれど、それを文字にすることで自分の頭で再現できる。やっぱり文字ってすごい。
しかし山好きの人たちには日常的なのか、噴火しても「大丈夫ですよ〜」と山登りを続ける人もいたとか?そしてそんな人たちに、大袈裟ではなく適切に危険を伝えた駅員さんの様子に感心している。
『震災日記より』昭和10年(1935年)10月
大正12年9月1日の関東大震災と、その前後の日々の日記。大震災数日前の8月24日に首相の加藤友三郎が薨去したことから書かれているので、9月1日時点では「首相」というものはいなかった。
また8月26日には空に閃光が走ったなど前兆らしきものも書かれている。
9月1日の震災の時、寺田寅彦は上野の喫茶店にいた。上野でも寺社で灯籠や社務所が倒れたり、大木の枝が折れたなど被害があったようだ。しかし揺れの大きさ(これも地震を文字で書くことにより、読者が独自に体感できる)や、外に出たらカビの匂いが漂い、下谷方面からひどい土埃が飛んでくるのを見て多くの家屋の倒壊を感じ取ったのだそうだ。
そんななかで、人が日常を送りたがる感情も書かれる。昼食のお店では今まで体感したことのない揺れにみんな店から飛び出してしまい、お会計どうしよう…(戻ってきた店員さんに払った)とか、この後どこどこに行き、どこどこでお昼ごはんの予定だけど行けるかな、などと考える心理が語られる。
寺田寅彦の実家は曙町(現在の文京区本駒込)で、建物は無事だった。しかし焼け出された多くの親族が集まっていて、翌日から食料を「うちばっかりこんなに食べ物持ち込んでごめんなさい…大人が20人いるんだよ…」と思いながら運び込んだとか、「暴徒が井戸に毒を入れたり、爆弾投げるといわれた」とい風評に「普通に考えて、東京中に投げる爆弾なんてどうやって調達するんだ!!」と怒りを見せている。
『函館の大火について』昭和9年(1934年)5月
昭和9年(1934年)函館の大火事について。そして日本人と火事の歴史。
『流言蛮語』昭和8年(1933年)8月
人々を惑わし、場合によってはとんでもない被害をも産んでしまう流言は、「源」を次々と取り次いでいってしまうことにより伝わる。
もし「源」の近くでリーダーや長老格の人たちが落ち着いていれば、そして人々も現実的にできるわけがないと考える余裕さえもてば、そんな流言は広がらないだろう。
適度な「科学的常識」を持ち、落ち着いて考えれば流言蛮語を止めることもできるのではないか。
『神話と地球物理学』昭和8年(1933年)8月
民族に伝わる神話には、その国土風土が表されている。日本神話でも速須佐之男命や八俣大蛇が暴れるときの様子はまるで火山のようではないか。
とはいっても、神々が自然現象の擬人化というのではなく、神々の荒ぶる様子や葛藤や戦いを描写するのに、その民族の自然現象を使いやすかったのだろう。
神話のなかに、国土の様子や、それによる民族魂の由来をみることだできるのではないか?
『津浪と人間』昭和8年(1933年)5月
津浪のこと…、いやこれ現代にもそのまま当てはまる…。
昔の人々や科学者の警告と人間の警戒心の追いかけっこ、非常時のための教育など。
『厄年とetc.』大正10年(1921年)4月
厄年にはいわれがあるんじゃないの?と調べたり考えたりする章。 -
購入済み
寺田寅彦らしさ。
寺田寅彦さんの本は難しいです。
数式や確率の話だとか、頭を使う文章が多いように感じます。けれどこの文章はとてもわかりやすいです。自分が物事に対してどう思っていて、どうすればよかったのかを淡々と書いていて、共感できる部分もあればクスッと笑える部分もある。
寺田寅彦さんの人となりがわかる、良い文章です。
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Posted by ブクログ
明治〜昭和初期にかけての日常のあれやこれやを著名な物理学者おじさん(おじいさんか)が好き勝手に考察して書く随筆。
当時の男性の書く文章で、やや難解だったけれど非常に面白かった。当時の世の中のこともわかり、とにかく大変に興味深い。
飼い猫のこと、絵画のこと、地震、火災、庭の植物、映画、音楽、ラジオ、研究、そして東京という町…。おじさんの興味は多岐に渡り、それらについて、驚くほど現代にも通じる感性で語られている言葉たち。
人間の営みの変化する様と同時にその普遍性を強く感じた。
そして、この人は現代に生きていたら間違いなくスタバで論文を読んでるおじさんになっていただろうな、などと勝手に想像して笑った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ震災の時からずっと読みたかったのですが、本屋で見つけられず、最近やっと購入できました。
昭和の災害について書かれた文章なのにそのまま今も通用する。全く進歩していないのかな日本人。
(読中)面白いです。そして文章がとても読みやすい。戦前の文章なので少し敷居が高かったのですが、すっと頭に入ります。
(読後)何回も読み返すべき本だと思った。
日本人の自然観は日本人の宗教観など精神部分にも触れとても興味深かった。寺田寅彦の時代からこちら、日本でも自然破壊が進み、里山は崩壊し、人の住むところはコンクリートとアスファルトにおおわれて久しいが、日本人の芯の部分はまだ変わっていないと、いいなと思う。 -
Posted by ブクログ
今でも十分通用する 寺田寅彦の災害についての随筆を集めた本。
防災や防災教育について多くの提案がされている。
「日本はその地理的の位置が極めて特殊であるために国際的にも特殊な関係が生じ、いろいろな仮想敵国に対する特殊な防備の必要を生じると同様に、気象学的地球物理学的にもまた極めて特殊な環境の支配を受けているために、その結果として特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命の元に置かれていることを1日も忘れてはならないはずである。」(天災と国防)
「神話と地球物理学」では、記紀の様々な記述は古代の天変地異を表現しているのではないかという記述がとても面白かった。
また、畑村洋太郎氏の解説も読みごたえがあった。