寺田寅彦のレビュー一覧
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私が私淑している寺田寅彦の本。
この人の頭の中を一度覗いてみたい。この人が見てる景色を見てみたい。きっと全く違う世界が広がっているのだろうと思う。知識の量によって入ってくる情報の量が変わると聞くので、普通の人が何気なく見過ごしている日常の中でも寺田寅彦ほど博学な人は些細な物事から多くの発見をし、いろんな考えや思いが巡るのだろう。
特に「浅草紙」は私の大好きな話。1枚のありふれた浅草紙からエマーソンのシェークスピア論やラスキンの剽窃問題論が思い起こされ、人も紙も作りが同じであることに彼は気がつく。
「価値のある独創は他人に似ないという事ではない。」「最大の天才は最も負債の多い人である。」「どんな偉大な作家の傑作でも――むしろそういう人の作ほど豊富な文献上の材料が混入しているのは当然な事であった。」
全ての人はあらゆる他人から影響を受けて、その切れ端で自分が作られている。同じように浅草紙もいろんな家庭のゴミ箱から集められた古紙やぼろきれで作られている。
浅草紙のような荒い紙は原料となる古紙やぼろきれがよくこなされずに残っているが、原料をよく精選しよくこなしよく磨けば、きめ細やかで美しい上質な紙となる。
人間も、沢山の人からいろんな部分を貰い受け、不浄なものを取り除いてよくこなされていてはじめて“上質”な人と言えるのだろう。
他人の意見を切り貼りしただけじゃない、それをもっと細かくして他と混ぜ合わせてよくこなしてようやく自分の意見が出来上がるのだろうかと思った。 -
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「科学の歴史はある意味では錯覚と失策の歴史である。偉大なる迂愚者うぐしゃの頭の悪い能率の悪い仕事の歴史である。
頭のいい人は批評家に適するが行為の人にはなりにくい。すべての行為には危険が伴なうからである。けがを恐れる人は大工にはなれない。失敗をこわがる人は科学者にはなれない。」
「科学者とあたま」を読んでふと道垣内先生の法律家の在り方を述べた話を思い出しました。「歴史上、世の中を変えた法律家はいないので、たかが法学と突き放すぐらいで良いと思います。世の中を変えているのは、哲学・政治・経済・科学技術ですね。せいぜい、そのような哲学者たちを邪魔しない法律家になってほしいです。法律というのは、どちらかというと社会の変化を邪魔しがちですからね。規制をすることにより、正常な発展が阻害される例はあまたあります。もちろん、あまり無茶なことが起きると困るので、『ここから先は駄目』という遠巻きの規制は必要ですが、必要以上の規制にならないように、自由度の高い社会にするという心懸けが必要でしょう。
では、法律学は人生を賭ける価値がないものかというと、そんなことはありません。社会にとって不可欠な存在であり、その操作に熟達している人はいつの社会でも必要な存在です。たかが法学、されど法学です。」 -
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ネタバレ寺田寅彦は、日本文化や日本事情の授業を担当した私にとっては、よく見ていた名前だったので、良書だと思っていました。で、実際に読んでみてそうでした^^
「天災は忘れたころにやってくる」という警告を発したということでも有名な寺田寅彦。この随筆集に収録されているのは、昭和25年ぐらいまでのもので、「天災と国防」という短編は昭和9年(1934年)、日本が中国大陸に侵略し始めていたころの時代に、書かれた随筆です。
この「天災と国防」は、随筆集の冒頭に収録されていますが、文明と災害というテーマで、「陸海軍の防備が十分であっても肝心な戦争の最中に安政程度の大地震や今回の颱風あるいはそれ以上の者が軍事に関する首脳の設備に大損害を与えたらいったいどういうことになるであろうか(20頁)」と、暗に身命賭してお国のために戦争するということを貴い愛国心・大和魂などとしていることに、疑問を呈し、批判的な文脈で述べています。なかなか読みごたえのある随筆集です。
この随筆集を編者である山折哲雄氏は、冒頭で寺田寅彦がいう自然の二面性、「厳父のごとき自然」と「慈母のごとき自然」について、「歴史的な背景を含めて科学的に明らかにした」と解説していますが、そのことを感じられるのがこの随筆集の最後に収められている「日本人の自然観」です。その短編の見出しを列記しますと、
緒言
日本の自然
日本人の日常生活
日本人の精神生活
結語
となりますが、文体・表現法は随筆的ですが、ほとんど論述的な構成で、これもまたかなり読み応えあります。
結語にある氏の要約だけ引用しますと、「日本の自然界が空間的にも時間的にも複雑多様であり、それが住民に無限の恩恵を授けると同時にまた不可抗な威力をもって彼らを支配する、その結果として彼らはこの自然に服従することによってその恩恵を十分に享楽することを学んで来た、この特別な対自然の態度が日本人の物質的ならびに精神的生活の各方面に特殊な影響を及ぼした(143頁)」。前述の山折氏が、「なぜ今『寺田寅彦』なのか」と切り出しています。山折氏が編集したこの随筆集は2011年に角川学芸出版から出ています。そうです、あの「3.11」があった年です。そういう意味で、災害への警告・反省を促したものとも読み取れますが、今読み終えて思うに、暴力・武力がきな臭く出ている今でこそ、この本を読むことで、もっと人類史観的に立って考えた方がいいんじゃないかな?行動した方がいいじゃないかな?と思いました。
おススメの一冊です。 -
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ネタバレ物理学者である寺田寅彦の随筆集。短いものは1ページちょい、長い者でも10ページに満たない様々な文章が収められており、どれを読んでも楽しめます。
物理学者であるにも関わらず、文学者のような視点も備えた著者が見た大正と昭和の時代の移り変わり、そして関東大震災後の復興の様子もここから読み取れます。
体の弱かったらしい著者の、「泥坊のできる泥坊の健康がうらやましく、大臣になって刑務所へはいるほどの勢力がうらやましく、富豪になって首を釣るほどの活力がうらやましい。」という文章には、シニカルで滋味深い著者の力量が感じられます。折りを見てゆっくりと読み返したい本です。 -
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ネタバレ【本の内容】
「天災は忘れた頃にやって来る」の名言で有名な寺田寅彦の、地震と津浪に関連する文章を集めた。
地震国難の地にあって真の国防とは何かを訴える色あせぬ警告の書。
寺田寅彦が漱石門下の友人小宮豊隆に送った「震災絵はがき」のカラー図版十葉を収める。
[ 目次 ]
断水の日
事変の記憶
石油ランプ
地震雑感
流言蜚語
時事雑感
津浪と人間
天災と国防
災難雑考
地震の予報はできるか
大正十二年九月一日の地震について
地震に伴う光の現象
震災日記より
小宮豊隆宛書簡(大正十二年九月-十一月)
無題
[ POP ]
寺田寅彦(1878~1935)が漱石門下の友人、小宮豊隆に送った関東大震災の「絵はがき」のカラー図版十葉を収めた本書を読み、あの言葉を思い出す。
「天災は忘れた頃にやって来る」。
寅彦の名言は、残念ながら当たってしまった。
〈文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す〉という予言も、原発事故で実証されてしまった。
〈咽喉もと過ぎれば熱さを忘れ〉〈文明という空虚な名をたのんで……経験を馬鹿にし〉〈愚を繰り返している〉。
進歩したのは“物質”だけで、人間は少しも利口になっていない――。
「忘れる」という、前向きではあるが浅はかでもある〈人間界の自然の法則〉を明察する寅彦の見方は、いよいよ今日的だ。
いつまでも覚えていることが出来ない相談だとすれば、少しでも災害を忘れぬよう努力し、教育を徹底させるほかない。
これも寅彦の言だ。
『吾輩は猫である』の理学者、水島寒月のモデルになった物理学者の存在を忘れてはなるまい。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
古本で購入。
「天災は忘れた頃にやってくる」
と言った(と言われている)物理学者、寺田寅彦の短いエッセイを集めた本。
「なるべく心の忙しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」
という著者の願いを無下にした一読者ではあるけれども、夜ごと数編を読んで眠りにつけば、きっとゆったりした心持ちになれるだろう。
寺田寅彦の「気付き」の鋭さおもしろさに唸らされる。
いっこうに花の咲かないコスモスに、ある日アリが数匹いた。よく見ると蕾らしいのが少し見える。コスモスの高さはアリの身長の数百倍、人間にとっての数千尺にあたる。そんな高さにある小さな蕾を、アリはどうして嗅ぎつけるのだろう―
言われてみれば何てことのないような、だけど誰も気にもとめないようなことに、「あぁ、確かに」と思わされてしまう。
また、俳人でもある彼の目を通して見る東京の日常は、詩情豊かで味がある。
永代橋のたもとに電車の監督と思しき四十恰好の男がいて、右手に持った板片を振って電車に合図している。左手は1匹のカニを大事そうにつまんでいる。そうして何となくにこやかな顔をしている。この男には6つ7つの男の子がいそうな気がした。その家はそう遠くない所にありそうな気がした―
読んでいて知らず微笑んでしまうようでいて、どこかせつない感じのエピソードがいくつもある。
日々の生活に、そうした光景はきっといくつも通り過ぎていくのかもしれない。
僕の生には詩が足りない。 -
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本書は大正~昭和初期にかけて発生した天災等を題材にして、物理学者・寺田寅彦氏が科学的視点から考察・分析した随筆・論評の短編が12編収められています。
取上げられている題材は80~100年前であるにもかかわらず、その切り口、分析、問題点の指摘等は現代でも色褪せる事無く同意できる部分大であることには驚きます。さらに、その天災・災害の根本を問う姿勢は人間の拭い難い特質や神話・民族・宇宙・進化論様々に思い巡らして思慮に思慮を重ねており、文脈の端々から当時最先端であった量子論を意識したと思われる洞察や、果てはまだその存在すら科学的立場からは意識されていないはずの”複雑系”を匂わせるような見識も持ち合わせているように見受けられます。もっとも”複雑系”に関する感覚は科学的見地とは無関係に東洋的伝統から発したものかもしれませんが。
また、本書の特徴の一つに、科学者独特の感性で、(不謹慎承知でストレートに表現すれば)天災をある意味楽しんでいる(悪い意味ではない)表現が散見され、本音ベースで(なんてやつだ!)(ううむ、気持ちはわかる。。けどそれ言うと顰蹙かいそう!)(やっぱり、そう思うよね!)等々見解がわかれそうな表現があります。
本書で取上げられている主な天災・事故は以下の通り。寺田博士は、これらに関して自身の体験や現地に赴いての調査等の十分な裏づけの元に論評されています。
関東大震災(1923年9月1日)
静岡地震(1935年7月11日)
白木屋火災(1932年発生、文脈から判断して、東京都心の劇場か博物館か何かのビル火災)
航空機事故(日本航空輸送会社の旅客飛行機白鳩号というのが九州の上空で悪天候の為に進路を失して山中に迷い込み、どうしたわけか、機体が空中で分解してばらばらになって林中に墜落した事件)
浅間山噴火(1935年8月4日)
函館大火(1934年3月21日)
三陸地震(1933年3月3日)
また、本書巻末の解説も40ページ近くあり、かなりのボリュームがあります。この解説を読んでさらに「そうだよ。それだよ」と腑に落ちると思われる分析があります。やや長くなりますが、一部引用します。
必須の6つの視点
寺田の随筆の面白さは、正確なものの見方に起因しているものと思われた。寺田は身近な現象を科学的に考察することを意識して行っていたようだが、それがいつもきちんと正確に行われているから、そこから導き出される考えも非常に豊かなものになっているのだろう。この点は大いに参考になる。
どんな事柄や現象を見るときも同じだが、対象の正しいモデルを自分の中につくるときに欠かせない必須の視点というものがある。大まかにいうとそれは、「構成要素」「マイクロメカニズム」「マクロメカニズム」「全体像」「定量化」「時間軸」という六つの視点である。
これらのうちの一つでも欠けていると、その見方なり考えは抜けのある不完全なものになる。裏を返せば、寺田のものの見方にはこの視点がすべて入っているから、古い時代に書かれた随筆でも非常に豊かな考えを含んでいると感じられるのだろう。
一般のジャーナリストや文人からは発し得ないような解析力・表現・捉え方。また一般の技術系理学系専門家からは表現しえない文章力、その二つを備えた稀有な文章です。これを堪能したい方、また昨今記憶に新しい大震災と重ね合わせながら天災に関する随筆を読んでみたい方にはお勧めです。
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Posted by ブクログ
寺田寅彦という人は、科学者でもありながら文学にも通ずる人だったとのことで、この人の書くことがどんなものだろうと気になったので読み始めました。
自分が今やっていることは一体どういう意味を持つことなのか、正しいことなのか。少し立ち止まって考えてみる視点を与えて貰ったような気がします。日常に溢れる不思議に目を向けてみるということも視点として必要でしょう。何よりそうやって生きた方が面白いと思う。
小さな日常の変化は、日頃から観察する癖がないと気付かないことだと思います。
寺田寅彦さんはそういう点で、事象を観察する者としての科学者であり、生き方という軸を強く持った方だったのだと思います。自分も読んだからには真似をしたい生き方です。