長谷川櫂のレビュー一覧
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俳人の長谷川櫂が正岡子規について書いた文章をまとめたものである。特に、病床の子規が「悟りとは平気で生きること」と書き、悲惨な人生をも楽しんで生きようとしたこと、そのために身の周りの自然や人々を俳句や短歌で荘厳したとするところは、共感する。何よりも、巻末の長谷川櫂選の正岡子規句集二百八十六句がうれしい。「つきあたる迠一いきに燕哉」「我宿にはいりさう也昇る月」「蛍狩袋の中の闇夜かな」「大仏にはらわたのなき涼しさよ」「白魚や椀の中にも角田川」「紙雛や恋したさうな顔許り」「ずんずんと夏を流すや最上河」「六月を綺麗な風の吹くことよ」「我死なで君生きもせで秋の風「山茶花のここを書斎と定めたり」「雪残る頂一
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「和」とは何か、本書ではそれを和菓子から考えてみます。和菓子とは「江戸時代の終わりまでに完成していたお菓子」という定義があるようで、この定義に照らすと羊羹も饅頭も和菓子になります。しかしこれが「純正日本発」かというとまったくそんなことはなく、江戸時代よりもずっと昔に中国などから輸入されたものを起源としているわけです。
そのうえで著者は「和」とは外国からの「受容」「選択」「変容」という創造的プロセスを指すと結論付けます。これは納得のいく説明でした。
また本書では俳句の解説に多くのページを割いていますが、松尾芭蕉の有名な句「古池や 蛙飛び込む水の音」の解説が面白かった。それは現実世界の現象と「心の -
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なぜ切字を使うのか。
なぜ季語が必要なのか。
この2点に集中して解説してくれます。
特に切字のところが良かったのですが、それは俳句の型の4分類が明快だから。
1 一物仕立て 生きながら一つに冰る海鼠哉
2 一物仕立ての変形 山も庭に動き入るゝや夏座敷
3 取り合わせ 菊の香やならには古き仏達
4 取り合わせの変形 さまざまの事おもひ出す桜かな
私は以前から俳句には初見でやたら意味がとりにくいものがある、論理の飛躍について行けないものがあると感じていました。
既知のはずの日本語なのに、どのように読めばいいか混乱してしまうのです。
本書の4分類のように有限個のパターンのどれかだというなら、混 -
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ネタバレ「古池や・・・」の句で蕉風開眼した芭蕉が、その俳句の実践の場として、選んだ場所が歌枕の宝庫である東北(みちのく)であった。
そして杜甫や西行のような旅に憧れて旅に出るのであるが、訪れた「みちのくの歌枕」の地での夢と現実のギャップそして失望、そして日本海側での「荒海や」の句で代表される宇宙的な体験、最後に人間世界への浮世帰りと、その旅の中で新境地を悟る。つまり、宇宙的なものから「不易流行」、人間世界への回帰からは「かるみ」へと、芭蕉の俳句が昇華していく旅であった事が平易に語られている。
若い頃は誰でも、希望に満ち溢れている、ところが、長く生きていると、どうも様子が違う事に気づき始める。そして現 -
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宇宙はわれに在り
正岡子規『松羅玉液』
正岡子規を熱演する香川照之の姿を、一昨年から続いているNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』で見るたびに、なんだかもうむずむずしてきて、今まで飽きるほど(けっして飽きたりしていません、単なる比喩です)読んだ正岡子規を、たまらなくまた読みたくなったりします。
一応、手元には例のコンパクトな「ちくま日本文学全集 正岡子規」を置いていて、いつでも読めるようにしてありますが。
作品を読むだけでなく、正岡子規の場合は、どうしてもその結核のための夭折が、出会った小学生の頃から気になっていて、特にスキーで足の骨を折って動けなかった時とか、高熱が -
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現代俳人を代表する一人でもある長谷川さんによる俳句入門書。俳句の構造から始まり、「切れ」や「季語」といったものに関する解説、果ては類句の問題や文体・表記に関する問題まで、広く浅く説明をしてくれます。
すごくわかりやすい講義を受けている感じ。まず、アレが説明されて、コレが説明されて、ここでアレの伏線が回収される……というような、うまい講義の流れを体現しているかのような本ですた。
もう、ほんとにこれ読んだら俳句を始めたくなっちゃったよー。っていうことは、以前かいぶつ句会編『日本語あそび「俳句の一撃」』をレビューしたときも言っているんですけどねー。やっぱりワタクシ、熱しやすく冷めやすいタイプ -
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[ 内容 ]
芭蕉にとって、『おくのほそ道』とはなんだったのか。
六百里、百五十日に及ぶ旅程は歌仙の面影を移す四つの主題に分けられる。
出立から那須野までの禊、白河の関を過ぎてみちのくを辿る歌枕巡礼、奥羽山脈を越え日本海沿岸で得た宇宙への感応、さまざまな別れを経て大垣に至る浮世帰り。
そして芭蕉は大いなる人生観と出遭う。
すなわち、不易流行とかるみ。
流転してやまない人の世の苦しみをどのように受け容れるのか。
全行程を追体験しながら、その深層を読み解く。
[ 目次 ]
第1章 「かるみ」の発見
第2章 なぜ旅に出たか
第3章 『おくのほそ道』の構造
第4章 旅の禊―深川から蘆野まで
第5章 -
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月日は百代の過客にして、行かふ人も又旅人也。
誰もが知っているであろう、「おくのほそ道」の書き出しである。
予も、いづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへて、去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立てる霞の空に、白川の聞こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取ものも手につかず、もゝ引の破をつづり、笠の緒付けかえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風は別墅に移るに、
草の戸も住替る代ぞひなの家
面八句を庵の柱に懸置。
と続く。
松尾芭蕉が、「漂泊の思ひやまず」に、旅に実際に出かけた -
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長谷川櫂
NHK 100分de名著
松尾芭蕉 「 おくのほそ道 」
さすが100分de名著。俳句解説や名所紹介でなく、芭蕉の世界をわかりやすく説明し、「おくのほそ道」を読んでみたいと思わせる
おくのほそ道を紀行文というより、芭蕉が「かるみ」という境地に達するまでの精神史と捉え、俳句から 精神変化を読みとる構成
芭蕉の精神史のスタートを 「月日は百代の過客にして」ではなく、「古池や 蛙飛びこむ水のおと」としている。古池の句で開眼した心の世界を みちのくの歌枕の旅、無常観、宇宙観、現世の別れを経て「かるみ」に達したとするアプローチ
かるみ=苦難に微笑を持って乗り越える生き方
*不易