あらすじ
芭蕉にとって、「おくのほそ道」とはなんだったのか。六百里、百五十日に及ぶ旅程を通して、芭蕉は大いなる人生観と出遭う。それは「不易流行」と「かるみ」だ。流転してやまない人の世の苦しみをどのように受け容れるのか。全行程を追体験しながら、その深層を読み解く。新書版『「奥の細道」をよむ』に、現代語訳と曾良随行日記を新たに付し、また大幅な加筆と修正を行った決定版となる。
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Posted by ブクログ
月日は百代の過客にして、行かふ人も又旅人也。
誰もが知っているであろう、「おくのほそ道」の書き出しである。
予も、いづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへて、去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立てる霞の空に、白川の聞こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取ものも手につかず、もゝ引の破をつづり、笠の緒付けかえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風は別墅に移るに、
草の戸も住替る代ぞひなの家
面八句を庵の柱に懸置。
と続く。
松尾芭蕉が、「漂泊の思ひやまず」に、旅に実際に出かけたのは、1689年。芭蕉は、1644年の生まれなので、40代の半ばのことであった。
深川を出発した、芭蕉と曾良は、松島に向かい、その後、平泉を訪ねた後、奥羽山脈を越えて、日本海側に出る。そして、日本海に沿って街道を西に向かい、大垣にたどり着くという旅程。その間、約5か月である。
旅の途中で、多くの有名な句を詠む、例えば。
行春や鳥啼魚の目は泪
夏草や兵どもが夢の跡
閑さや岩にしみ入蝉の声
五月雨をあつめて早し最上川
荒海や佐渡によこたふ天河
等は、俳句に明るくない私でも知っている句である。
私がイギリスへの留学に出かけたのは、44歳であり、ちょうど芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出かけた年恰好である。「漂泊の思ひやまず」というのとは少し違うが、いつかは、外国で暮らしてみたいと若い頃から思っていて、40代の半ばというのは、留学のラストチャンスだと考えて出かけたのである。私にとっては、大げさに言えば、人生を変える旅だったわけであるが、そのようなことを思いながら、この「おくのほそ道」を感慨を覚えながら読んだ。