近衛龍春のレビュー一覧
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織田信長の死後に重臣達が後継争いを始めたように、豊臣秀吉の死後も同じく、有力大名達の抗争が始まった。特徴的なのは、全国の大名が西軍と東軍に色分けされ、切り取り御免の戦乱が列島規模に広がったこと。速戦即決で天下を手にした秀吉に対し、家康は慎重を旨とし、遅攻を得意としていた。その間に広がった戦乱を、筆者は丁寧に描いていく。
しかし、この争いは慶長5年9月15日に関ヶ原で西軍主力が敗れることで終結し、応仁の乱のように長引くことはなかった。戦力を広域に展開しつつ主力決戦により決着を図る。家康、三成の東西両将は近代戦に相応しい戦略眼と合理性を持ち、日本史上最大で最後の陸上会戦を展開した。
それにして -
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上杉家の武将はほとんど知らなかったので、エピソード等含めて非常に楽しんで読めた。
上杉家というと非常に強いというイメージしかなかったが、武将の裏切りが多く、大名としての基盤がとても脆弱だったということがよく理解できた。
基本的には各武将のエピソードの紹介集なのだが、それらが小説形式で書かれているため、無味乾燥な事実を知るのではなく、各武将に対して親しみをもって楽しんで読むことができた。
ただ、同じような名前と改名による名前の変化があまりにも多いため、一瞬顕景や景虎ってどっちのだっけとか、長尾と直江で混乱してしまう点が多々あった。まあ著者の責任ではないが。
後、揚北衆とか上田衆とか言う言 -
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「鬼佐竹」「坂東太郎」と諸国に怖れられた父・義重を超えて、一族悲願の“常陸の旗頭”となった佐竹義宣。
その所領は、常陸一国54万石余、旗下を入れれば80万石余にもおよび、兵に換算すれば2万人以上を出陣させられる強大な勢力である。豊臣政権下では、関東に移封された徳川家康の“目付役”を担うなど、絶頂期を迎えた。
佐竹一族の繁栄を助けた石田三成に恩義を感じる義宣は、秀吉亡きあと、天下取りの野望に向かって横暴をきわめる家康に不信感を抱く。さらには福島正則など武断派による襲撃から、三成の窮地を救った義宣は、日に日に憤りの念を強めていった。そして三成の挙兵を聞き、小山から引き返そうとする家康に、義宣は佐竹