近衛龍春のレビュー一覧
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弓大将 大島光義。正直これを読むまでこの老将の人生など知る由もなかった。歴史を紐解くとかなりきわどい人生ともいえるが、途中を省いても信長、秀吉、家康と天下の三英傑に仕えながら鉄砲の時代でもかたくなに弓を引き搾り洗浄に立った男の物語である
「九十三歳の関ヶ原」
それにしても道三の没落の戦から始まり、九十三歳で迎える関ヶ原。衰え知らずの弓の腕はその弓の軌道でさえもまげて次々と兵を倒していく。最近では大物武将ではなくこういった目立つ小規模の武将にスポットを当てた作品が多くなっている。
物語りを作り上げることができるのかと思いきや、この大島光義に関していえば前出の三英傑の人生ともかかわっているので、読みやすい!読み終えてしまえば平凡といえば平凡なのだが、なかなかに面白い! -
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織田信長の死後に重臣達が後継争いを始めたように、豊臣秀吉の死後も同じく、有力大名達の抗争が始まった。特徴的なのは、全国の大名が西軍と東軍に色分けされ、切り取り御免の戦乱が列島規模に広がったこと。速戦即決で天下を手にした秀吉に対し、家康は慎重を旨とし、遅攻を得意としていた。その間に広がった戦乱を、筆者は丁寧に描いていく。
しかし、この争いは慶長5年9月15日に関ヶ原で西軍主力が敗れることで終結し、応仁の乱のように長引くことはなかった。戦力を広域に展開しつつ主力決戦により決着を図る。家康、三成の東西両将は近代戦に相応しい戦略眼と合理性を持ち、日本史上最大で最後の陸上会戦を展開した。
それにしても、家康は遅攻の人である。伏見城攻防戦から関ヶ原まで2ヶ月、小山評定からだと1ヶ月半。秀吉は天下取りに臨んで岡山から京都府山崎までの100キロを一両日で走破して明智光秀を脅かしたが、家康は東京から関ヶ原の400キロに1ヶ月以上かけている。速戦を挑むなら、伊勢や丹後の東軍が残っているうちに近畿に達することができたはず。その場合、西軍は伊吹山と鈴鹿峠を固めて一旦は持久戦に持ち込んだだろう。東北の上杉、北陸の前田と諸大名の複雑な動向を見ながら、西軍諸将にお手紙攻撃を続け、慎重に勝機を見定めていたということらしい。
一方の三成は関ヶ原を決戦の地に定めていたようだ。1~2キロの幅しかない山間の盆地に、理想的な鶴翼陣形で野戦築城し、東軍を待ち構えていた。東軍の後背には毛利勢の諸軍を配し、陣形からいえば、多くの戦史家が指摘するように、西軍の完勝といえる状況を創り出した。
歴史にifはない。しかしさまざまなifを考えたくなるほど、両将の戦略は手が込んでいて、日本列島を将棋盤に見立てたように押したり引いたりの戦いを繰り広げた。15年後の大阪の陣まで含めて、結局は家康の老獪さというか、熟柿を待つ周到さが勝っていたことは、歴史が示す通りなのだけれど。 -
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上杉家の武将はほとんど知らなかったので、エピソード等含めて非常に楽しんで読めた。
上杉家というと非常に強いというイメージしかなかったが、武将の裏切りが多く、大名としての基盤がとても脆弱だったということがよく理解できた。
基本的には各武将のエピソードの紹介集なのだが、それらが小説形式で書かれているため、無味乾燥な事実を知るのではなく、各武将に対して親しみをもって楽しんで読むことができた。
ただ、同じような名前と改名による名前の変化があまりにも多いため、一瞬顕景や景虎ってどっちのだっけとか、長尾と直江で混乱してしまう点が多々あった。まあ著者の責任ではないが。
後、揚北衆とか上田衆とか言う言葉がよく出てくるが、ここら辺の意味や、そもそもの越後周辺の豪族(?)等の状況とかが開設されていれば、もうちょっと読みやすかったかなと思う。