ひこ・田中のレビュー一覧
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この本を読んでいるあいだにいろいろな本を読まざるおえなくなったので、時間がかかってしまった。
面白い本です。ひこ・田中さんが語る“子ども”の心理というか、子どもの心に映る世界にいちいち共感しながら読んでしまった。
ここに書かれている“子どもの物語”は多様なものであり、性差も存在しているが、俯瞰して流れている子どもが見つめる“大人の世界”へのまなざしは、今でも自分の中に眠っていたのを思い起こさせてくれた。
素晴らしい。
以下、“子どもの物語”の存在を語る部分一部抜粋”しました。
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自然の驚異や不可思議を、神という人間に模した存在に仕立てて説明したり(ポセイドン・アトラス・天照 -
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子どもから大人へと言う「成長神話」なき時代が来ていることをあぶり出した労作。
主に日本の子どもたちをめぐる主要なメディアを通して、近代とその後に肉薄している。自分の周りの現象のいくつかに合点がいった。
私は40代男性。いかに自分が成長神話ある時代に育ったかを自覚した。状況がどんなに困難なものであっても、成長を信じて疑うことは無かったのである。
・何者かに名前を与える行為は、それにアイデンティティを持たせる第一歩であり、その責任を任される。(DQ)
・なぜ女子用メディアが後付けになるかは現場の作り手の多くが男だったから。
・彼女たちは戦うだけではなく、自分たちの夢や悩みを実によく語り合う -
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『あした、弁当を作る』
最初は子どもの反抗期の物語かと思った。
でも実際は、ジェンダーバイアスや夫婦関係の歪み、その中で「子どもとしての役割」を強いられる姿が描かれていた。
成長するにつれて違和感を抱き、自分の要望を伝える子ども。
それを「笑顔」でかわそうとする親。その笑顔が時に嘲笑に見え、ゾクッとする怖さを感じさせる。
人が立場を揺さぶられたときの反応は、親子関係であっても目を背けたくなる。
それでも子どもはできる範囲で抵抗し、自立していく。
私自身もかつては子どもで、今は親。きっと数年後に直面するであろう時期に、少し備えるヒントをもらえた気がした。
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Posted by ブクログ
自分で自分の弁当を作りたい、
自分の衣類を洗濯したい、
自立に向けて喜ばしい一歩を踏み出したはずの中学生が、両親の反対を受け、親の庇護という名目で、支配下に置かれ続けようとするお話。
息子といるときは息子に甘えて夫の悪口を言い、夫がいるときは夫に頼り、息子の言動を逐一告げ口する母親。
「わたしはいつもタッちゃんのことだけを考えて生きているのに。生きがいなのに」
ぼくは、母親が世話をするための人形だ。ぼくは支配されている。そして、父親はそうしろとぼくに命令している。
愛情ということばを隠れ蓑にした、ぞっとするような母親の言動と、傲慢かつ威圧的な父親、
その中で揺らぎながらも、自らの意思を -
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主人公の少年のように
小学4〜5年生の頃夢中になって読んだ本。
小公女もあしながおじさんも。
お母さんにゴッホのひまわりを見た時の
感想を聞かれて言語化するのが
難しい理由を考えてみたり
翻訳本の翻訳者が違う時のニュアンスの
違いを考えたり、大人の意見が
人それぞれ違う理由も
主人公は一生懸命考えている。
今自分を振り返っても
確かにその年齢は
色々考えていたかもしれない。
両親の本部屋で見つけた古い
少女文学から考えが広がる。
そんな部屋が自宅にあって
こっそり持ち出して本を読める
環境が羨ましい。
結局カバーがしてあった本は
誰の本なのか、なぜカバーしてあるのか
わからないけれど、 -
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親離れの第1歩を踏み出したレッツに結構しんみりしてしまう本。レッツはあるときとうさんに本を読んでもらっていて「うるさい」と感じてしまう。とうさんのせいかな?でもかあさんに読んでもらってもうるさい。本がいけないのかな?でも自分で声に出して読んでみてもうるさい。場所がいけないのかしら。さんざん考えて試した末に、目で読みたいことに気づくレッツ。一人で読みたいといったときのかあさんとうさんの、レッツが成長したことの喜びと、もう読んでもらわなくていいと言われた寂しさが、全然そんなこと書いてないけど、3人の会話や間ですごーく伝わる。大きくなるのは嬉しいけど寂しい。結構しみじみしたレッツのお話でした。