ひこ・田中のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレぼくの家には「本部屋」と呼んでいる部屋がある。
その部屋で、ルカはカバーのかかった数冊の本を見つける。それは古い児童書だった。
ルカはこっそりとその本を読むことにした。
現代っ子のルカが淡々としながらも、揺れるお年頃を思わせる。
そこに読んでいる本が微妙に絡んで、本を読むこと、考えること、感想を伝えることがジンワリと染み込んでくる。
チビちゃん達に是非読ませたい。
けど、「小公女」「あしながおじさん」は先に読ませてからがいいのかなー。
最後のアンの本は手元にある本の方が古くて、ルカの両親は私より年下なのかも。
この本は何と言っても、会話がいい。
ちょっと、ハルキっぽいけど。
「部屋のあちこ -
Posted by ブクログ
借りたもの。
児童文学からサブカルチャーにおいて、「子供の成長」を描かなくなった理由を、時系列からその変容を解説。
ゲーム、アニメ、特撮の中で善悪二元論の矛盾とそれ故に多様になるスタイルの変容が様々な有名タイトルを例に上げ、丁寧かつ簡潔に書かれる。
教訓や成長譚からアイデンティティの話へとシフトしてゆく過程を紹介。
それはマスメディアの発達により、大人と子供の情報量格差が無くなったことを指摘。
子供向け番組と言えど、作っているのは大人であること、“子供”が何故“大人”にならなければならないかを説明できなくなっている事や、“子供”が目指す理想の“大人”の不在、社会的な世相の反映も含めて、その世 -
Posted by ブクログ
ネタバレ児童文学だけではなく、テレビゲーム、テレビヒーロー(特撮)、アニメ、漫画も射程にいれて、子どもを描く物語が成長を語らなくなったのはなぜかを解き明かしていく。
膨大な数のメディアの中で、流布したもの、人気を博したものをピックアップして、近代社会が内包していた、大人と子どもの差異の現象が、情報の肥大化の中で、進んでいった結果であると分析する。その差異がなくなったとき、子どもの物語は全く別の物語となり、もしかしたら必要がなくなってしまうのかもしれない、とする。
児童文学作家でもある筆者が出した分析である。価値の変質に気づいている作り手がおり、それを問題提起していることが重要なのかもしれない。
そ -
Posted by ブクログ
なぜ子供向けの本(文学、マンガ、アニメ、ゲーム、映画)は成長を描かなくなったのか。
結論には賛成できないけど、過程には傾聴に値する分析がたくさん含まれている。
著者の答えは、「そもそも子供という概念が近代に特有のものであり、大人という概念の合わせ鏡として生み出されたものにすぎない」「大人と子供の差は経済力と情報量の差であり、後者がなくなってきた以上、成長もなくなった」というもの。
前半はアリエスの『<子供>の誕生』だからいいとして、後半には賛成できない。むしろ、そういう、薄っぺらい大人観子供観に由来する成長観が病巣。
(もちろん、著者がこれを「そうあって欲しくはないが、事実として、歴史的経緯と