鴨長明のレビュー一覧
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今になって、この年になって、初めて鴨長明の「方丈記」を読み通した。
あまりにも有名な冒頭の<ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。>は、高校時代に読んで以来、格調の高い名文としてずっと記憶に残っている。あのころは、訳も分からず、無常観に心引かれてもいた(今は、それがスケールアップしているが…)。
さて、方丈記の一部でなく全体を読んで分かったのは、その短さである。四百字詰め原稿用紙にして二十数枚にすぎない。さらに、この有名な古典にはこんなことが書いてあったのかという驚きであり、なんとも形容もできない感慨である。前半では、世の無常を示すと共に、鴨長明が体験した大火、辻風、飢饉、地震といった災厄が記されている。後半では自らの来し方や、方丈の庵を営んだ理由、そこでの暮らしぶりなどが事細かに書かれている。
とにかく鴨長明の人間性・キャラクターが抜群に面白い。現代風に言えば、親ガチャはまずまずで、和歌と音楽に優れていた。ところが、公務員・会社員的な挫折の後に出家し、方丈の庵を住み処とした。世の中で自分の望みが果たされなかった、才能を発揮する機会を失った、そんな男が後悔や愚痴を言っているように読める。世の中のはかなさ、無常を痛切に感じつつも、一生の終わりが近づいても仏の教えを全うできない自身をさらけ出している。しかも、それも詮無きことと思っているようだ。まったくもって憎めない、愛すべき男である。
方丈記が「枕草子」「徒然草」とともに日本三大随筆とされていると知識で知っていても、肝心な内容を知らなかった。果たして知ってよかったのかどうか。知らない方が幸せともいうが、「知ってよかった」と考えよう。私も一生の終わりに向かって突き進んでいるが、迷うことばかり。800年ほど前にも仲間がいた。
※読んだのは、「鴨長明 方丈記」(光文社古典新訳文庫)。詩人の蜂飼耳さんの訳。本書には方丈記の現代語訳、方丈記の原文、蜂飼耳さんのエッセイのほか、付録として「新古今和歌集」の鴨長明の和歌、鴨長明の仏教説話集「発心集」から説話一編が収録されている。かなりお得な本だ。
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Posted by ブクログ
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし。」
このあまりにも有名な冒頭は、読むたびに静かに胸に響く。漢語の硬質な響きとは異なる、大和言葉ならではのやわらかな響きと深い余韻が、意味を理解する前に情感を伝えてくれる。その余韻の中で、無常の感覚がすっと胸に染み入る。『平家物語』や『草枕』の書き出しにも通じるこの感覚から、改めて日本語の豊かさと力強さを味わうことができる。
本書は鎌倉時代に鴨長明によって記された随筆である。全体は大きく二つに分けられる。前半では度重なる災厄の記録を通して、住まいと生の儚さが無常観とともに描かれる。後半では、長明自身の来歴と、終の棲家となった方丈の庵での閑居の生活が静かに綴られている。この対比的な構成により、外界の不安定さと内面の静けさが際立ち、無常という主題が多面的に示されている。
出家遁世した長明は、一見すると無常を受け入れた静かな境地にあるように見える。しかし一方で、和歌や音楽などの風流を手放さず、俗世への未練や自らの在り方への執着も率直に語る。そこには、すべてを捨て去った者ではなく、何かに心を寄せたまま生きる人間の姿が浮かび上がる。
和歌にまつわる逸話も、それをよく示している。「瀬見の小川」の歌は当初正当に評価されなかったが、後にその価値が認められ、『新古今和歌集』に採られることとなった。長明はこれを喜びつつも、評価に一喜一憂する自分の心を自覚し、やがてそれさえも執着に過ぎないと受け流したとされる。この姿から、無常を理解するとは、ただ手放すことではなく、変化を受け入れ、揺れる心を抱えながら生きることなのだと実感させられる。
長明は、無常を理解しつつもなお何かに心を寄せてしまう。その矛盾の中に留まり続けた人だったのではないか。そのあり方は達観とは少し異なり、現実に生きる人間の姿に近い。無常とは外界の変化にとどまらず、人の心の揺れそのものにも現れる。その矛盾を抱え続けた長明の姿こそ、無常の感覚を身をもって示している。
長明の心を思い浮かべながら、その逸話にまつわる一首を紹介する。
石河の瀬見の小川のきよければ月もながれをたづねてぞすむ
長明の生き方は、心の揺れや迷いさえも否定せず、静かに受け入れる柔らかさを教えてくれる。私たちもまた、移ろう日々の中で揺れながら生きている。同じではいられない──その揺れの中にいること自体が、すでに無常なのかもしれない。 -
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『方丈記』は誰もが知っている古典文学である。しかし「その内容は?」と聞かれたら、せいぜい「行く川の流れは絶えずして」という冒頭文と、「無常観」というキーワードを答えるくらいが関の山。あなたも私も何となく、世捨て人となった作者がみずからの達観した境地を綴ったものと、勝手に想像していないだろうか。だが、この無常観にはちゃんと理由があった。それが「災害」である。
作者はその生涯で天災・人災を含め、五つの災害を経験している。その中には東日本大震災にも匹敵する大地震があった。昨日まで当たり前のように存在していたものがあっけなく消えてしまう。人も街も永遠ではない。『方丈記』が活写した年代は、六年に渡る源平の戦いも含んでいる。しかし、本作にその様子は一切描かれていない。われわれは歴史の授業で「誰と誰が争った」とか「誰それが権力を持った」というストーリーに慣れ親しんでいる。けれど、政治や経済だけが歴史を動かしているのだろうか。
解説を書く養老先生は、平安から鎌倉という時代の大きな転換に、この「災害」が深く関係しているのではないかと考える。本作に描かれているように、京の街はいまの東京と同じく、地方の物資を消費する都市社会である。震災で物流が止まれば、たちまち窮地に陥る。あれこれ手を尽くして田舎から物を運ぼうとしても、当然盗賊や海賊が狙っている。だから武力を持った人間が力を持つ。貴族の時代から武士の時代という転換には、そのような背景もあったのではないか。
『方丈記』という作品は、じつは大きな災害が起きるたびに再注目されてきた。堀田善衛の『方丈記私記』もそのひとつである。本書の巻末には『方丈記』の全文も収録されている。だから新たに原作を買い直す必要はない。南海トラフ地震が予感されるいまこそ、本作を再び読むときではないか。 -
Posted by ブクログ
三代随筆の一つである「方丈記」は、日本最古の「災害文学」とのこと。そうだったっけかー、学校で習ったんだろうけどすっかり忘れてました。
62年の人生の中で5つの災害を経験している長明。「遷都」も災害扱いなのね。
でもま、日本は自然災害がとりわけ多いから、被害の大小関わらず5つくらいは被災するのかもな。戦争も災害とするならそれはまだ経験がないけど、下手したらこの先あるかもしれないし。
いくら立派な家を建てても、いくら財産を蓄えても、災害に遭ったら全てなくなってしまうのに。身軽が一番。わかっているけど喉元を過ぎたら暑さを忘れる。これもまた人間。
ものがあっても無くても自分が満足してればいいのである。そんな【自足】の思想があれば他人のSNSなんて気にならない。
養老先生の解説も面白かったです。これからもし災害で被災することがあったら「方丈記」を思い出せるといいな -
Posted by ブクログ
1000年以上前の書物なのに現代にも通じる考えや共感出来ることばかり。冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして」、この一文で社会を表しているのがすごい。そうだよね。誰もが羨む成功者も豪華な家々も、川を流れている水と同じで、ずっと留まることは出来ない。時間が経てば、豪邸は朽ち果て、どんなにイケメンやスーパースターでも歳をとって老けるし、病気にもなって、次第にみんなから忘れられ、最後は一人で呆気なく死ぬ。この世の全てのものは栄枯盛衰である。大災害が起きれば、建物も人も全て一瞬で無くなってしまう。だったら家とか物に拘泥するのはバカバカしくないか?そんな、良くよく考えてみれば、当たり前だけど、大切で忘れがちなことを方丈記から教えられた気がした。
このことを心に持っておけば、人生につまづいた時に物事いつまでもうまくいくとは限らない、いつかは廃れるものだからな、と思えて楽になりそう。悟りを開いたような感じ。こんな風に生きて、気楽に生きれたらなあ。人生に辛くなった時は、方丈記を読み返したい。
発心集の「貧男、差図を好む」も面白かった。