あらすじ
人の世の無常を感じ出家遁世した長明(一一五五?―一二一六)。が、方丈の草庵でもなお「汝すがたは聖人にて心は濁りに染めり」と自責せずにはいられない。この苦渋にみちた著者の内面と、冷静な目によって捉えられた社会とが、和漢混淆・対句仕立ての格調ある文章で描かれる。長明自筆といわれる大福光寺本のすべての影印と翻字を付した。
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岩波文庫の『方丈記』、まず表紙が良い。年月の経過を感じさせる上品な色合い、大昔の人が書き写した筆文字の上に印で押したような堂々とした「岩波文庫」。他の出版社とくらべても抜群に洒落ている。誰もが知る古典を倉庫の肥やしにせず、かといって変に安っぽく現代風に改変して台無しにするでもなく、しっかり現代に活かす絶妙なデザインではなかろうか。
それに手書き文字を見ていると、活字が発明される以前は本とはずっとこうして人が写して来た物だったのだなとしみじみしてきて、そうなるともう『方丈記』は自分にとって単なる歴史の記録ではなく、かつて自分と同じように、日々起きて寝て食べて、つまらない事にくよくよしたり、好きな事で大いにはしゃいだりしたであろう誰かが愛してきた随筆として、あらためて新鮮に生きてくる気がする。やはり装丁は大事だ。
内容も、鎌倉時代の古典だからと構えて開いたものの、思っていた以上に、すんなり意味が入ってきて面白く読めた。
もちろん1000年近い大昔の文章そのままではなく、現代人が読みやすいような形式にしてあり、全ページに古語や歴史背景の注がついた親切設計だからというのはあるだろう。おかげでちょっと分からなくてもそこを読めば99%普通に読めた。
そしてなんといっても母語なので、慣れ親しんだ表現もあれば、大昔も今も変わらない言葉も多く、言葉のリズムや響きからしてとんでもなく親しみを感じる。そこが大きい。鴨長明の文章と比べると、外国語は本当に外国そのものだ。語順にはめまいを覚えるし、辞書を引いても引いても無限に不明単語とイディオムが出てきて、多少分かるようになってきてもアウェイ感に苛まれる。
『方丈記』の文章が分かりにくいと感じる人たちはおそらく黙読しているのではないかと思う。その昔、読書とは音読だったと聞く。現代人もそれにならい、言葉の響きとリズムを楽しみながら、書かれている情景を思い浮かべ、それこそ鎌倉時代のペースで、ゆっくりゆっくり散歩をするように音読してみれば、見えてくるものは随分違うはずだ。
大地震や大津波等のアポカリプト的大災害が続いている今『方丈記』を読むと、今も昔も変わらない世の中が見えてきて、何があってもそんなに騒いで悲壮感に浸ることもないような気がしてくる。日々滞りないのが一番ではあるが、災害の存在そのものをあってはならない物とみなすのは自然を無視することだ。そもそも造山帯の上にある島国に自然災害が多いのは当たり前であって、温暖湿潤気候という生命豊かな風土と合わせて、自然の恐ろしさとありがたさを観念でなく己の現実として、いわば自然と一体化して生きて来たのがご先祖様たちであったと思う。『方丈記』にも酷い自然災害だけでなく、冒頭だけでも豊かな川の流れや朝露と朝顔の例えのような美しい自然が豊富に現れていて印象深い。なのにその子孫である我々が、自然を完全にコントロールし、征服することで生き延びてきた西洋人たちの思想を明治以降、必死に真似している。それこそ砂漠で履くために作った靴を田んぼで履いているようなもので、国土も人の心も疲弊して当然の話だ。
そこらの自己啓発本やセルフケア本に金を出すより、この600円弱の岩波文庫を買った方が、苛烈な資本主義に無茶苦茶になった現代日本人のメンタルヘルスは回復する。これは間違いない。
ただ、古文の基礎学習を受けていない場合はこれでも難しいかもしれない。国語学習から古文を無くしたら一般庶民はこうした文化の宝にも到達できなくなり、アウェイ感に満ちた舶来物を居心地悪く押しいただくしかない植民地の民になる。やはり基礎教育は国民の意識形成の根幹に関わるものなのだなと思うなどした。
ちなみに解説はあえて読んでいない。人の解釈を読み飛ばして分かった気になるより、直に鴨長明の話を聞いた方が得る物は多いと思う。
美術展覧会などに行っても、目の前にある絵画そっちのけで解説文を読むことばかりに時間をかける人たちがいるが、芸術は鑑賞者が知性や感性でもって作品と感応するという「体験」にこそ価値があるものではないか。古典文学も同じことだ。
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授業以外で初めて古文?の本を読んだ。本当に何が書いてあるのかわかんなくて読み終わるまで時間がかかったけど、鴨長明の「無常観」は痛いほど伝わった。すぐに移り変わり常に同じものはないこの世に執着する必要はない。今の私は、無常は寂しいと感じる。移り変わるからこそ、変化があるからこそ人は心動かされるし喜怒哀楽を感じる。人は変化することで生を感じる生き物だと思う。何事にも執着せずに悲しんだり嬉しんだりすることがない、真一文字の折れ線グラフのような生活はつまらないと思う。つまり人生ジェットコースター‼️‼️‼️
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養和ようわの飢饉(1181)。治承・寿永(じしょう・じゅえい)の乱(1180-1185)
死体の額に阿の文字を書く僧侶。阿は真実と求道心、吽は智慧と涅槃。
他人を頼りにすると、我が身は他人の所有物となる。他人をかわいがると、心は愛情のために使わされる。
庵(いおり)の西は見晴らしがよい。西方浄土に思いをはせる。
春は藤の花。紫の雲。
夏はほととぎすの声。冥土の山路の道案内。
秋はひぐらしの声。はかない現世の悲しみ。
冬は雪。積もり消えてゆく罪過。
朝、行き交う船を眺める。水上を船が通過したあとに残る波。桂の木に風が葉を鳴らす夕方。
松風の音に秋風楽(しゅうふうらく・雅楽)を重ねて合奏。水の音に流泉の曲。
つばなを抜き、岩梨を取り、ぬかごをもぎ取り、せりを摘む。
遠く故郷の空を眺める。
石間寺に参拝。
猿丸大夫の墓を探す。
桜の花、紅葉。わらびを折り取る。
木の実を拾い、一つは仏にお供え、一つは家へのみやげ。
静かな夜、窓から差し込む月の光に旧友・故人を懐かしむ。
山の中の景色は、四季折々に応じて尽きない。
静穏であることを望みとし、不安がないのを楽しみとする。
たまに、都に出て、自分が乞食のようになっていることを恥ずかしいと思うけども、帰って一間だけの庵にいるとき、他人が俗世間の煩わしいことに心を向けていることを気の毒に思う。
魚は水に飽きることはない。
鳥は林を願う。
私は、姿は僧であっても、心は煩悩に染まっている。迷った心が窮(きわ)まって自分を狂わせているのか。自問しても分からない。南無阿弥陀仏と二、三回言って、考えるのをやめてしまった。
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あまりにも有名な書き出し。和漢混淆、対句仕立ての文章は拡張高い。
漱石や鷗外が、傾倒していたのもうなずける話だ。『草枕』の冒頭はぜったい意識してるよね。
何より、読みやすい。辞書がなくても何とかなる。それに短いのもいい。だけど何度でも読めるところがまたいい。どの一句をとりあげても名文ですな。
「世にしたがへば、身苦し。したがはねば、狂せるに似たり」人の世を言い表してるよなぁ。とはいえ、働く場面ではいかんです。物事を仕上げるには執着しなくちゃね。
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2008年3月9日に一度、通読しています。
今回は、二回目です。
(2012年6月26日)
もうすぐ読み終えます。
これは、2012年にこそ、読むべき本です。
読もう。
(2012年8月6日)
ラストがよいね。
信仰に入りきれないから、文学。
(2012年8月7日)
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今回の東日本大震災を受け、改めて読んでみた。
日本は常に天災を受ける国、過去の歴史からこの国のあり方を模索しなくてはならないと思う。
※この方丈記で描かれた時代に、まったく時を同じくして法然上人が都に居たことを付記しておく。
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この薄い本が、800年の歳月を越えて、なぜ、今の世まで生き残ったのか?不思議といえば、是ほど不思議な事はない。
平安末期の世相が落ちつかない不安定な時代に生きた長明は、人生の無常、有為転変の世相から離れ、出家して日野山に方丈の庵を結ぶ。そこで、四季の移り変わりに喜びを見出しつつも、悟りをひらくにはなお妄執があるのではないかと、反省しつつ心にもない念仏を唱える・・・。
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三大随筆の一つ。有名な書き出しの部分は歴史の授業などで知っていたが、読んでみる機会はなく、こんなに短いものだとは思わなかった。
長明の生きていた時代の天災などでの困窮の様子、長明の感じた無常観など勉強になった。
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学生時代に読んだ時には、その無常感に心打たれた気がしたが、中年になった今改めて読んでみると、出世競争に敗れた元貴族の泣き言の面をより強く感じた。これもまた新たな発見となった。
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不安定な世の中を不安がる気持ち、わかるわ~。と大いに共感しながら読んでいたら、解説に、中途半端な悟りで満足しているのが鴨長明の限界だったとか書かれていて笑った。
はい、繰り返す中途半端な生悟りには、自分でもうんざりしてます(笑)
西行も読もうかな。
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私的古典月間1冊目
実は通読したことなかった
序文以外はさほど名文でもないような
仏教的な中に老子的なものが後段見えた気がした
市古さんによるかなり長明に対して辛口な解説は面白かったし、かなり共感できた
プライドと現実に板挟みの人間らしい長明には愛着が湧く
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ゆく河の流れは~で始まる随筆。古典の解説本みたいのは読んだことあったけどそのものを古文で読んだことはなかったので、ネット上の解説とにらめっこしながら。徹底して無常観を貫けるのも、ある意味強い意志の表れで、単に究極ネガ思考というわけじゃないよね、と。
中高時代だったらその生き方を表層的にカッコいい!と受け取って斜に構えたりしたんだろうな、と思うと多少は年齢を重ねた甲斐があったと思うwでも無駄な欲を捨てて死生を考えるにはまだまだ早いので、しばらくはここまで無常に浸らなくてもいいやw
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恥ずかしながら序文しか読んだことがありませんでした。
俗世を捨てて安住の場所を見つけたのかと思ったけど、長明は未練たらたらなんですね。
出家した後も悩み続ける人間臭さが共感できます。
きっと僕も長明のように悩み続けるだろう。
800年近い昔の作品だけど未だに強烈に伝わってきます。
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すべてを捨てて
『シンプルに生きよう』と決め、ひとり悠々自適に過ごしてきたけど、
結局『シンプルに生きる』ということを捨てられない自分に気がついた。
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2012年は、方丈記が書かれてからちょうど800年らしい。
こないだ、8月5日付の朝日新聞で特集があって驚いた。しかも漱石とのつながりで。
24歳の漱石が、ディクソンに頼まれて方丈記を英訳したのは1891年。
その当時の書簡を読んだりすると、どんな心境だったのかわかって面白い。
鴨長明は、たぶんものすごい寂しがり屋だったんじゃないだろうか。
わざわざ隠遁しておきながら、子どもと遊んじゃったりするし。
ほかの本(無名抄)とかでも、まだ歌のことグジグジ忘れらんなくて、かわいいよな。
長明の、人嫌いで、でも人恋しいカンジ。
この味がわからなくては。
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とりあえず一般小説というカテゴリに入れたけど違うな(^^;)
それはあとで直すとして・・・
『ゆく川の流れは絶えずして もとの水にあらず よどみに浮かぶ泡沫は かつ消えかつむすびて・・・・』
というフレーズは中学だか高校だか、古文の時間に皆さん一部は触れていると思います。私もそうでした。
当時の私は人付き合いが苦手で友人も中々作れず、ひとの輪に飛び込んでいけないのを美化したかったんでしょうなぁ。
無常とか孤独とかがすごくカッコイイと思っていてこの方丈記の一説がいたくお気に入りでした。
さりとて、全文きっちり読みこなしたわけでもない辺りがお粗末さまでしたー。
Posted by ブクログ
身の程を知り、何事にもしがみつかず、自然を愛で、足るを知る生活。
が、多くは「無常」に耐えられなかったのか、余剰生産は搾取を生み出し、もはや引き返せないようになった。
現代の無常観は、「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず」ではなく、「行く川のながれは絶えずして、ほぼもとの水である」という、無常というより空虚に近い。
同じ「むなしい」でも今と昔ではその意味が異なる。
鎌倉時代、大きな火事、嵐、地震を通して、鴨長明は「完全なものなんてねぇな」って思って、無常を知り、足るを知った。
が、現代(の一部)では、そういったことが起きた時に、「完全なものをつくるしかねぇな」と思っている。無常を知らない。
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下鴨神社に行って帰ってきて読みました(鴨長明の「方丈」がある)。
無常観が貫かれていて、読んでよかったです。
疲れたときにはここに戻ってこればいいんだ、という安心感
いろんなものを捨ててね。
下鴨神社は糺の森の雰囲気と合わせて、高野山に似てました。
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実はすごく短くて、あっという間に読み終えることができる。
脚注とか全く見ずに読んだから内容はざっくりとしか捉えてない。
むしろ文章のリズムとかを楽しんだ感じ。
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この本は、読んだ年齢によって大きく印象が変わるのではないかと思った。
著者の万物流転、諸行無常で何をか栄華を望まんや、という姿勢は、今の時代においては「負け組」の発想を容易に連想させる。
著者の、才覚が筆致から溢れるような、現代でも無駄のないと感じるテンポのいい叙述で物事への執着心の無常を説く心の裏には、
彼の出自を絡めてみると、どうにも若き日の栄達を阻まれた世間への憾みが見え隠れするように読める。
これは自分が20代であるからなのかもしれない。
注釈も初心者に便宜的で、原文自体が平易な短文なので、初めて日本の古典に親しむという目的なら適切。
Posted by ブクログ
文章の調子がとてもいいです。冒頭の部分は名文として名高いそうです。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまるためしなし。」
声に出して読んでみるのもいいかもしれません。美しい文章です。
比較的平易な表現で、全体も短いので読みやすいと思います。古文でなにか読んでみたいけれど、難しそうでなかなか手が出ないというような人にお勧めです。
Posted by ブクログ
この歳になって、これほど有名な作品も通読したことがなかったというのは恥ずかしい限りです。今回は鎌倉期の随筆、鴨長明の「方丈記」。岩波文庫で薄かったので手にとってみました。
現代語訳はついていないのですが、和漢混淆文である上に注釈も適切だったので、私レベルでも何とかかんとか(最低限の)意味はとれたかなという感じです。
しかしながら、解説や注釈によると、その中に古今の古典・漢詩・和歌等に由来する表現が数多く散りばめられているとのこと。当然のことながら私のような薄学では思いも至らず、作品の理解という点では全く不十分、その楽しみも半減以下という体たらくです。
Posted by ブクログ
突然古典が読みたくなる時期が一年に一度くらいやってくる。
とりあえず岩波文庫の黄色のコーナーをひとしきり見渡して選んだのがこれ。
有名だし短いし読みやすいし中身は濃いしで、古典が読みたい願望をみごとにかなえることができました。感謝。
Posted by ブクログ
悩み、遁世し、それでも悟りきれず。
なんとなく親近感を感じつつも、その厭世観は鵜呑みにはできないな、と。
小賢は山陰に遁し、大賢は市井に遁す。
とりあえず、26歳の感想として。