あらすじ
社会の価値観が大きく変わる時代、一丈四方の草庵に遁世して人世の無常を格調高い和漢混淆文で綴った随筆の傑作。精密な注、自然な現代語訳、解説、豊富な参考資料・総索引の付いた決定版。
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「〔一八〕 また、たいそうかわいそうなこともあった。見捨てることのできない妻や、いとしい夫をもっているものは、その愛情が相手より深いほうの人が、きっと先に死ぬのだった。そのわけは、自分は二の次にして、相手をかわいそうだと思うものだから、たまに手に入れた食べ物をも、相手にやってしまうからである。だから、親と子で暮らしているものは、きまったことで、親が先に死ぬのであった。また、母親の死んでしまったのも知らないで、乳のみ子が、いつものように乳房にすいついて、臥しているのなどもあった。」
—『方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)』鴨 長明著
「〔二一〕 また、同じころであったろうか。ものすごい大地震があって、ひどくゆれた。そのゆれ方といったら、なみなみのものではない。山はくずれて、川をうずめてしまい、海は傾斜して、海水が陸地をひたした。土が裂けて、水がわき出し、巌石が割れて、谷にころげ込む。海辺を漕ぐ船は波に翻弄され、道を行く馬は立つ足もとが定まらない。京都近辺では、あちらでもこちらでも、お寺の堂や塔が被害を受け、満足に残ったものは一つもない。あるものはくずれおち、あるものはひっくりかえった。塵灰が立ちのぼって、さかんに吹き上げる煙のようである。大地がうごき、家屋が破壊される音は、雷鳴とまったく同じだ。家の中にいると、すぐにでもおしつぶされそうになる。外へ走り出れば、地面が亀裂する。羽がないので、空を飛ぶわけにいかない。竜なら雲にも乗れるが、人間のかなしさ、それもかなわぬ。恐ろしいものの中でも、特に恐れなきゃあならないのは、ただ地震だなあと、しみじみ痛感したことだった。」
—『方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)』鴨 長明著
「〔二二〕 こんなにものすごく震動することは、しばらくで止まったけれども、その余震はしばらくはやまない。これが大地震のあとでなく、ふだんならびっくりするくらいの地震が、一日に二、三十回ゆれない日はない。十日、二十日と日がたつと、だんだんに間隔が遠くなって、あるいは一日に四、五回、二、三回、または一日おき、二、三日に一回などいうふうになったが、おおよそ、その余震は三か月ほどもあったろうか。」
—『方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)』鴨 長明著
「〔二三〕 仏教で説く四大種の中では、水・火・風の三つはいつも災害を起こすけれど、大地というものは、特別な変化をしないもので、安定しているはずである。昔、斉衡のころであったろうか、大地震があり、東大寺の大仏の御首が落ちなどする、ひどいことなどがあったけれど、その大地震も今度のはげしさにはかなわないということだ。そこで、今度の大地震を経験した人は、みなこの世がつまらないものだということを話しあって、少しは煩悩もうすらぐように見えたけれど、それから月日がたち、年が過ぎたあととなると、大地震のこと、それによって世のはかなさを嘆きあったことなどを、口に出していう人さえいやあしない。」
—『方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)』鴨 長明著
「〔二五〕 仮に、自分が人かずにはいらないつまらない身分で、権力者の隣に住むことになったとすると、たいへんうれしいことがあっても、そのままの気持ちをあらわして、大いに楽しむことができない。悲しみが痛烈であっても、あらわに声を立てて泣くことができないのだ。行動すべてについて不安で、何をするにもびくびくしている様子は、たとえてみると、雀が鷹の巣に近づいたようなものだ。仮に、貧乏で、金持ちの家の隣に住んだとすると、朝に晩に、みすぼらしい自分のみなりをはずかしく思い、家への出入りにも、隣のごきげんをとるようなことになるのだ。妻や子が、また召使が隣をうらやましがる様子が目にふれるにつけ、金持ちの家の人が、自分たちをばかにして、いばりくさっている気配を感じとるにつけて、自分の心が、気にすれば、気にするたびに動揺して、一時として、安まることがないのだ。かりに、隣家のたてこんだ土地に住むとすると、近くに火事があった場合に、類焼をまぬがれることができない。かりに、へんぴな土地に居住するとすると、よそへの往来にやっかいで、盗賊におそわれる心配が多い。また、権力のあるものは、欲が深いし、身よりのないものは、他人から軽く見られる。財産があれば、心配が多いし、貧乏なら、人をうらやむ心が強いというぐあいだ。他人にたよると、自分が自分のものでなく、他人の所有になってしまう。他人を世話すると、その人に対する愛情にひかれて、心の自由を保つことができなくなる。世間のしきたりにしたがえば、自主性を失って、窮屈だ。したがわなければ、非常識な狂人みたいに見られる。──どこに住んだら、どんなことをしたら、しばらくの間だけでも、わが身を安住させ、ほんの少しの間だけでも、心の不安を休ませることができるのだろうか。──人間に生まれた以上、とてもできそうもないことだ。」
—『方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)』鴨 長明著
「〔三一〕 また、この山のふもとに一軒の柴で葺いた小屋がある。それは、この山の番人の住む所である。そこに、小さい男の子がいる。時々やって来て、顔を見せる。もし、退屈している時だと、この子をつれとして、歩きまわる。かれは十歳、私は六十歳。その年齢はたいへんなちがいだが、散歩で楽しむことは、まったく同じというわけだ。ある時は、ちがやの花芽を抜いたり、苔桃をとったり、ぬかごをかき取り、せりを摘んだりする。ある時は、山すその田にいって、落穂を拾って穂組みをつくったりもする。もし、天気のよい日だと、山の頂上によじのぼって、遠くふるさとの空を眺めたり、木幡山・伏見の里・鳥羽・羽束師を見渡したりする。こんな風光のよい土地でも、持ち主がないのだから、気の向くままに眺めて、だれにもじゃまされずにすむ。歩くのに道がよく、遠くまで行きたい気分の時は、ここから峰つづきに、炭山を越し、笠取を通って、あるいは石間寺に参詣したり、石山寺をおがんだりもする。あるいはまた、粟津の原を通って、蟬歌の翁の旧跡をたずねたり、田上川を渡って、猿丸大夫の墓にまいったりもする。帰り道には、季節季節で、桜を眺め、紅葉をさがし、蕨を手折り、木の実を拾って、仏前にそなえたり、みやげにしたりする。もし、夜になって心さびしい時には、いおりの窓から月をながめて、旧友のだれかれを思い、猿の声を聞いては、感傷の涙を流すこともある。近くの草むらの蛍は、遠いはずの槇の島のかがり火に見まがうこともあるし、夜明け方の雨が、なんとなく、木の葉を吹き散らす嵐みたいに聞こえる時もある。」
—『方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)』鴨 長明著
「山鳥がほろほろと鳴くのを聞いて、ふと父か母かと思い、峰の鹿が近く馴れて寄って来るのを見るにつけても、ここが世間から遠く離れているのがわかる。あるいはまた、埋み火をかき立てて、ねむれぬままの老の友とすることもある。恐ろしい深山というのではないから、梟の声もすごい感じはなく、かえって、ものあわれに聞こえるというわけだ。だから、こうして、山の中の情趣は、四季おりおりで変化に富み、興味のつきることがない。私でさえ、こんなふうに感じるのだから、もっと深く考え、高い識見を持っている人にとっては、以上に述べただけに限るわけではないはずだ。」
—『方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)』鴨 長明著
「〔三三〕 いったい、人間の友人関係にあるものは、財産のある人を大切にし、表面的に愛想のよいものとまず親しくなるのだ。必ずしも、友情のあるものとか、すなおな性格なものとかを愛するわけではない。そんなことなら、人間の友人なんか作らずに、ただ、音楽や季節の風物を友とした方がましだろう。人の召使というものは、賞与が特別に多く、恩恵をたくさん受けられるのを第一とする。けっして、いたわって使ったり、生活が平穏無事だというようなことをば問題にしないのだ。そんなふうだから、召使なんかなしで、自分自身を召使とした方がましだ。」
—『方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)』鴨 長明著
「〔三四〕 いったい、三界といわれる人間の世界は、ただ心の持ちよう次第のものだ。心が、もし安定していなければ、象馬とか七珍とかいわれる宝も、なんの役にもたたないし、宮殿や楼閣のような建物も、あったって仕方がない。今、私の住んでいる閑寂な住まい、それはたった一間の小家ではあるが、私自身でこれを愛しているのだ。何かのついでに都に出ると、わが身が乞食同様の姿になっていることを恥ずかしいとは思うけれど、帰ってきてここにいる時には、世間の人が名利にとらわれて、あくせくしているのを気の毒だと思うのだ。もし、私の言うことをあやしむ人があるなら、魚と鳥との様子を見たまえ。魚は、いつも水中にいて、その水がいやになることはない。魚でなければ、その気持ちはわからないはずだ。鳥は、林に住むことを希望している。鳥でなければ、その本心は理解できないのだ。私の閑寂な住まいの気分も、またこれと同じ道理だ。住んでみないで、だれがこのよさをはっきりつかもうか。わかるわけはないのだ。」
—『方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)』鴨 長明著
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習ったことはあるけれど、読んだことはない「方丈記」。
前半は大災害と出世の挫折、後半はその経験から辿り着いた自作の小さな家の良さを語る構成。
異常気象、ウイルスの蔓延、戦争…
現代でも大災害に見舞われることが増えてきた。
そんな中で、方丈記で「何が豊かか?」を問う鴨長明の考え方は、とても先見の明があったように思う。
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声に出して音読すると、この時代に吸い込まれていきます。
始めの部分は、誰でも一度は読んでいると思いますが、名作の古典の中でも短いので、古語でも苦にならないですよ。
古語でも読んだ方が味わいがあるでしょう。
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震災前は国語の授業で冒頭を暗唱する作品として知られ、震災後は千年前の震災の記録として注目された。が、全文通して読んだことがなかったので読んでみた。本文は読みやすく、現代語訳がなくても、欄外の注を参考にすれば十分読める。現代語よりリズムがよくて、かえって読みやすい。全文通して読んでみた感想は、その完成度の高さ。ラストにむけてきちんと内容が構成されている。孤独な男が、静かに美しく自分の人生をフェードアウトさせるべく書いた、という感じ。美しいが、なんとも寂しくてやりきれない。
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生きることが地獄であるなら、質素に静かに暮らした方が、悩み・欲望・人間関係・自然災害に振り回されず、マシな生活ができるかも。自然の移りゆく無常の様を観察せよ。猿の鳴き声聞いて涙が出るはワロタ。
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お盆の間に『方丈記』を初めてちゃんと読んだ。人間の営みはこの時代も今もまったく変わらない。
しかし同時に『72時間』歴代ベスト10を見たり、太平洋戦争の番組を見たりしていると、人生は生まれてくる時代と場所でまったく変わる。
これを何というのか。
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ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。教科書でも有名鴨長明「方丈記」1212年著。
解剖学者養老孟司さんがオススメしてたので読んでみました。鴨長明は下鴨神社の由緒正しい家系が父死亡後親類に疎まれ転落し出家。地震大火飢饉など天変地異を克明に描写財産や地位があったとしても明日のことなど分からないので執着を持たず生きることが大切だが齢60前になってもなかなか捨てきれないと吐露する。
平安時代も現代も人の本質は変わってないのかも
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還暦を過ぎて小さな庵にこもった鴨長明の一人語り。注釈を参照すれは現代語訳に頼らずともほぼ語りは理解出来る。有名な「ゆくかわのながれはたへずして...」をはじめとして、大変綺麗な言い回しが散りばめられている。しかし内容は鬱々としたもの。人間関係の難しさ、命の儚さ、地震、津波、台風、飢饉、疫病の凄まじさ、苦しみ。いつの世も変わらぬことを確認し自分を慰めたいとき、心に染みる名著だ。
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最初は古文から始まる為、こんなの読めないよ(*_*)と気落ちしそうになるが、分からないなりにも読み進めてみる。
この辺は、目が文を追っているだけ。あまり情景も浮かばず、こんな雰囲気かなぁ?と思ってもその上から自分で×とつけたくなるようなイメージ。
それが現代誤訳に入ると、一度古文で読んだ部分の現代誤訳だから、どんどん想像が出来る。
頭の中に情景が浮かんでくる。
そして、この人の生き方に私も賛同してしまった。
会社の方に貸して頂いた時は、こんなの読めるかしら?と思ったが、なかなか良い作品だった(*^^*)鴨長明の生き方、天晴れ!
Posted by ブクログ
京都では火事や地震で大きな被害にあい、庶民は飢餓などで苦しんで多数の人々が亡くなっていたという事を知り、新しい時代が始まる前はまさに末世のような状況が起こっていたという事を知った。
そんな状況だからこそ新しい世の中に期待したいという思いが鎌倉幕府を起こるようにしたのか?
800年以上も前の事でも目に浮かぶような内容だった。
Posted by ブクログ
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」
というのは、誰も読んだことのある方丈記の書き出し。
これだけ、読んで、分かった気になったのだけど、先日、「徒然草」を読んだ流れで、ついでにこちらも読んでみた。(すみません。ついでで)
これまで、どんな本だと思っていたかと言うと、「世の中は無常だね、世間に住んでいても空しいよね。山に引っ越して住んでみると、自然とか、季節の変るのはいいもんだね。ときどき、昔のことを思い出したり、好きな本を読み返したり。貧しい暮らしだけど、心はそれなりに満たされているね。まあ、こういうのも一つの執着なんだけどね」みたいなことが書いてあるのだろうと思っていた。
が、読んでみると、まさに「世の中無常」がどういうことか、ということを自分の体験した災害などを詳しく書いている。本当に、「世の中にある人とすみか」についての本です。
人やすみかが、いかにはかなく、移り変わって行くか、大火事や地震で、家(すみか)は焼け、こわれ、財宝は消滅し、人が亡くなり、子どもが亡くなり、親は泣き、愛する人のために食べ物を譲った人が先に死に、もやすものがなくなれば、仏像を壊してもやし、こうした悲惨さもときがたつと忘れ、また、同じような営みを繰り返す、というをこれでもか、と。。。
「無常感」といっても、「世の中つらいことばかり」というだけでなく、「常なるものはない、それが自然の流れ」とたんたんと受け止めたり、さらには「常ならぬことこそ美しい」と意味を見出したり、みたいなのがあると思うのだけど、方丈記での無常観は「世の中つらいことばかり」に近いかな?
いわゆる「末法思想」的な厭世観がつよいですね。貴族の時代から武士の時代に大きくかわり、秩序が崩れ、天災も頻発するなかで、人生の条件は厳しいものだったんだな〜、と。
そういうなか、都の生活を儚み、山に小さな持ち運び可能な小屋を立てるわけなのが、その理由がちょっと面白い。都に定住すると、火事の延焼とかあって、災害時には食料も足らなくなるので、山で、小さな可動式の家にすむほうが安全だ、といういう主旨のことが書いてあったりする。
いわゆる、災害に対する都市の脆弱性ということですね。
なんとなく、アメリカの哲学者エリック・ホッファーが、大恐慌時に、ちゃんとした仕事に従事して定住するのは危険で、季節労働者、肉体労働者として、いろいろな土地を動きながら、港湾労働やったり、農場で働くほうが、安定しているのだ、といったこと書いていたのを思い出した。
常識的には、?も多い見解だけど、なるほどの面もたくさんある。
震災後の今読むのに、相応しい本なのかもしれない。
ここから、なにを読み取るかはいろいろあると思う。
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鴨長明が源平合戦の頃に著した作品で、『徒然草』、『枕草子』と並ぶ、日本中世文学の代表的な随筆のひとつ。
作者の鴨長明は、古来の名族で上賀茂・下鴨神社の氏神を祖とする鴨一族に生まれ、7歳で従五位下の位階を授けられたが、18歳の頃に父が病死した後、一族の権力争いに敗れ、挫折感を噛みしめる20代を送った。そして、同じ時期に、本作品にも記される、安元の大火、治承の辻風、福原遷都、養和の飢饉、元暦の大地震という天災・人災に遭遇し、こうした体験がベースとなって、晩年に、「無常」をテーマとする本作品を書き綴ることになったのだという。
日本人は、「永遠なるもの」に美を感じ取る西洋人と異なり、「移ろいゆくもの」にこそ価値・美を感じる、即ち、「無常観」は日本人の価値観・生き方の最大の特徴とも言えるが、本作品の「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。」という第一章は、古今の作品の中でも、それを表す最も美しい文章のひとつではなかろうか。
本書には脚注、解説、年表等も付いており、時代背景などの理解に役立つ。
Posted by ブクログ
方丈記は以前読んだことがあるのだが、新たに角川ソフィア文庫版で再読した。
地震、台風(竜巻?)、火事、飢饉などの災害の記録として貴重なものだろう。そして平家物語冒頭と同様の無常観が著者のパースペクティヴを支配している。
この無常観はもちろん、仏教由来のものであり、鴨長明は出家して「隠遁」したのであるから、その地点に立っているのは極めて自然だ。
しかし現在の我々は「隠遁」する場所を失ってしまった。
隠遁がゆるされない無常の世界をいま生きている。この本を読みながらそんなことを実感した。
なお、この本は注釈が優れていて、現代語訳をいちいち参照しなくても読み進めることができた。
Posted by ブクログ
方丈記について調べてみようと思い立ち、いくつかの解説書をパラパラとした結果にレジでお会計をしていたのがこの本でした。
章立て構成がよいのか、とても読みやすそうな感じがして手にしたわけですが、実際に読みやすかった。
この本を読んでいると何故か心が軽くなる気がします。
Posted by ブクログ
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
の名文から始まる有名な古典文学です。
遠い昔に国語で習ったことがあるのでしょうが、全く覚えておらず、ちゃんと読んだのは初めてでした。
意外だったのは、人生観のようなものを語るのみでなく、遷都、辻風、大火、飢饉、地震といった人災、天災についても克明に記録しているところです。特に飢饉のパートはその凄まじさがよく分かる文章でした。
最近読んだベストセラーの「限りある時間の使い方」という本に、他人の目を気にせずに自分のやりたい事に打ち込むことが人生の満足度に貢献すると書いてありましたが、世俗を捨てて小さな庵を結び、自身の思うままに暮らした鴨長明の生き方は、まさにそれを実践したものだったと思います。
Posted by ブクログ
裏表紙の解説より。
「ゆく川の絶えずして、しかも、もとの水にあらず」の一文から始まるこの作品は、枕草子、徒然草とともに日本三大随筆に数えられる、中世隠者文学の代表作。人の命もそれを支える住居も無常だという諦観に続き、次々と起こる、大火・辻風・飢饉・地震などの天変地異による惨状を描写。一丈四方の草庵での閑雅な生活を自讃したのち、それも妄執であると自問して終わる、格調高い和漢混交文による随筆。参考資料として異本や関係文献を翻刻。
Posted by ブクログ
方丈記の全文および現代語訳が読んでみたくて、手に取ってみました。意外と短くて、そして鮮烈。長明のように生きれるとは思わないものの、「なるほど」と思うことも多々ありました。