ウンベルト・エーコのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレフランスとイタリアの「老練愛書家」2人よる対談。タイトルからみて、紙の書物は絶滅するのか?という問題意識で手に取りましたが、それに関しての2人の答えは一貫していて、それよりも、ありとあらゆる情報が入手可能になった現代、私たちはどう情報と向き合ったらいいのか、本質的な示唆に富んだ視点が盛りだくさんで学びが多かったです。
・これから求められるのは、考えをまとめて結論を導く技術、真偽を確かめられない情報をチェックする方法
・書くという行為は常に危険を伴ってきたし、今でも変わらない
・過去がそのままの姿で我々のもとに届くということはまずない
・我々自身が情報提供者になり、善意で悪気なしに情報をねつ造することだってある。修正するには、延々と検証しつづけるしかないが、苦労が多すぎるので、結果的に野放しになる
・映像は人を欺く
・自己顕示は何によっても止めることができない
そのほか、面白かったのは、インターネットの方が先に姿を消す可能性だってある、とか、そもそも私たちが学んだのは傑作や偉大な歴史に偏っていて、それも「敵や馬鹿や間抜けが書いた」結果であるものが多いし、それよりも「珍説愚説」の方が豊穣で示唆に富む、とか。
こうして当たり前に、前提としてとらえてきたことを逆から見る気持ちよさ、というか、常識が揺さぶられる、何とも言えない爽快感を味わいました。
もう一つ、衝撃だったのが「誤りとか、思い違いとか、ばかばかしさとか、そういうものにどうしようもなく惹かれるんです。くだらないことが大好きなんです」と言い切っていたお二方。珍説や嘘が書いてある本を集めているのだそうです。その潔さといったら。
全体を通して、世界の広さと深さ、そして希望を感じさせてくれる本でした。
でも基本的に長くて読みにくいので、★は4つ! -
Posted by ブクログ
上中下3巻読み上げたけど、面白くなかった。
もっとテンプル騎士団のオカルト噺にのめり込めば良かったのかもしれないが、どうしたって阿保らしいと思っているから細々した陰謀論の数々は読み飛ばしちゃって、頭に入ってこない。薔薇十字軍、イエスズ会、マルクス、ヒットラーと話しが広がれば広がるほど馬鹿々々しくなってくる。
リアの解釈、元々これは伝票みたいなメモというのは似た話を読んだ覚えがある。ノストラダムス絡みでテンプル騎士団が藁を積んだ荷馬車に云々という話は只の伝票を無理やり陰謀と解釈したものだったかな。(ウロ覚え)
物語の最初にあったように、振り子のそばに潜む主人公。なんでこの場所かと思う。読み飛ばしたかなと思うけど、まあいいや。大団円で登場人物勢ぞろい。だけど全然感心しない。
終盤、ヤコボの青年期の一コマが再現されるけど、全体の物語と繋がっているだろうか。全然納得できない。
・残された三枚のファイルー訳者あとがき
何これ。訳者が(了)の後を書いたってこと?
ぶち壊しとは言わないけれど、何の意味があるの。
訳者は余計なこともしているけれど、凄い人とは思う。
ウイリアム・シェイクスピアを槍振兜志と記すぐらいに。
もしかして、読みなおしたら面白味があるかもしれないけれど、そんな気が起こらない。
池澤夏樹さんの解説にフーコーはダン・ブラウン「ダ・ヴィンチ・コード」を批判していたとあるけれど、与太咄ではあるけれど、「ダ・ヴィンチ・コード」の方がよっぽど面白いよ。 -
Posted by ブクログ
地元の本屋で下巻を見つけ、上巻と中巻を注文して併せて購入。
「薔薇の名前」「前日島」はだいぶ昔に読んだ。
主人公、カゾホンの名前は何故か触れられないまま話は進む。ページを捲っていくと、出版社ガラモン社に顔を出す主人公とガラモン社を運営しているベルボとディオタレーヴィ。登場人物は少ないけど、これは読み返したほうが良いかなと思った。
この後は主人公によるテンプル騎士団概略、アルデンティ大佐のキチガイ染みた話もスラスラ読めたし、面白かった。
ブラジルで過ごした主人公カゾホンには恋人アンパーロ、サンジェルマン伯爵のようなアッリエとの日々があり、ウンバンダの儀式に立ち会う。
そしてアンパーロとの唐突な別れ。
それにしても暗号のような言葉や生半可な科学知識がオカルトに繋がっていく有様の不思議なこと。
判らないことのまま次巻に向かう。 -
購入済み
難しかった
いくつか解りやすいものもあったけれど
ほとんど分からなかった、
これがエーコだといえばそうなのかもしれないけど。
ともかく、これから読む人は心して取り掛かってください。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ綺麗な本です。買わされます(笑)
電子書籍より紙の本がいいよ!という本ではなく。
書物はどんな風に扱われてきたのかということを、延々話し合っております。
その中で、データの儚さ、味気なさに言及しているのですが、私が小さい頃に愛用していたMDって、CDの次にやってきた媒体だったのに、ほんと滅びてしまいましたよね。
紙は、少なくとも紙以上にはならない(だろう)から、難点はあるけれど、何かに取り変わられる怖さはないのかもしれない。
一方、データや入力方式については、まだまだ新しくなってゆく。
それは紙にとっては脅威だ!とは思わなくて、紙に出来なかったことを、どう補うんだろうという、期待もあるのです。
私たちは「書かれたもの」に興味をなくしたわけではない。
この対談の中では、ひとつ、フィルタリングについて挙げられています。
膨大な書物の何を、誰がデータ化するのか。
書かれた内容の真偽をどう判定するのか。
そして、嘘が書かれた書物には価値がないのか。
紙が勝手にデータ化するわけはないので、誰かがその作業を担うわけですか……。
そこにイデオロギーを絡めて言及されています。
もう一つ、面白かったのがデータの消去の話。
「『検索』機能を使えば、ドキュメント内に出てくるある特定の単語すべてを検出し、マウスで一回『カチッ』とやるだけで消去できてしまうように、ある単語ないしある語群だけを地球上のすべてのコンピューターから消去してしまうような情報科学による検閲だって想像可能ではないでしょうか」
書物の歴史には、焚書という災厄が何度も繰り返されたけれど、そこには炎による破壊と再生という象徴的な意図を見出せる、とある。
なるほど、対してデータの世界は静かですね。
知らない間に、言葉が消えてしまう可能性や、如何に。