ウンベルト・エーコのレビュー一覧
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物語の舞台は1327年11月。
あくまでもフィクションなのだが、実はこの日付が重要だ。時は教皇のアヴィニョン捕囚の真っ只中。教皇ヨハネス22世と神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世との確執やフランシスコ修道会の「清貧論争」が相まって、物語に奥行きを生み出している。一見すると犯人探しのミステリー仕立てだが、横糸となる『異端審問』や党派対立などについて、ある程度理解しないと話についていけない。(久しぶりに世界史の復習をした気分)。特に、日本ではそもそも基礎知識が無い“ボゴミル派”や“ドルチーノ派”など、異端審問に出てくる教派。(勉強になりました)
物語は見習修道士だったアドソの回想という形をとっている。全てが遠い昔になってしまった過去を回想しながら、アドソの胸中に去来していたものとはなんだったのか。非常に深い物語だった。
アドソの手記には往古の文書のこんな一節が引用されている。
「あらゆるもののうちに安らぎを求めたがどこにも見出せなかった。ただ片隅で書物と共にいるときを除いては」
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1980年にイタリアで発売され、各国でベストセラーになった本書。1986年にはショーン•コネリー主演で映画化された(こちらは私も見た)。日本版刊行は1990年。著者は記号論学者。難解。でも面白くて、二週間ほどかけてじっくりと読みました。
本書は著者の構想メモなども追加収録した『完全版』で、読みでがあります。
北イタリアの修道院を訪れたウィリアム修道士とその弟子アドソ。ウィリアムは、数日前に起きた修道士の死について調べてほしいと修院長から依頼を受ける。閉ざされた修道院で起きた不可解な死。しかし、事件はそれだけでは終わらず…。
中世のイタリアを舞台にしたミステリーを縦糸にして、物語は修道院をめぐる大いなる謎に踏み込んでいきます。
謎に挑む修道士ウィリアムはイギリス人で“バスカヴィル家”出身。彼に同行し、後にこの手記を書く見習修道士の名はアドソ(ワトソン?)と、ミステリー仕立てですが、話はそう簡単にはいきません。面白い!
【余談】
読み通してみてよくわかった。映画版は非常に上手く物語のエッセンスを伝えていたんですね。映像化にあたっての時代考証も実に的確でした。本当に中世の修道院そのものの中で撮ったような見事さでした。
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ネタバレいつ死んでもおかしくない年というフレーズにハッとさせられた。
舞台は東方世界へ。奇想天外な種族たちはプリニウスの記述そのまんまだったのだなあ、と。新プラトン主義について曖昧模糊としたイメージだけしかなかったが霧が晴れた感じでした。最後の方で話のなかの「現在」にストーリーが追いつくところとか、ビザンツの歴史家が記述した、というような造りになっているところが憎らしい。老いてまた旅立つのもいいな。冒頭書いたフレーズが上巻下巻のどこにあったかは忘れてしまったが、読んだ時は「この時代だともう死ぬ年齢だよな」などと読んだときは思っていたがその少し後に同年代の友人が亡くなって感想が変わりました。現在でもいつ死んでもおかしくない年齢。そう言う意味でもいろいろ教えられた本。
いやあ、読書ってほんとにいいものですね。 -
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ネタバレカバーに騙された岩波文庫。
半年くらい前に読んだ思い出し感想。コンスタンチノープルの地図だけでごはん3杯はかるくイける。パリでの青春時代、後々の友人達との出会い。ローマ皇帝とウザいイタリア諸都市との関係とか面白い。面従腹背の諸都市と泥沼のイタリア戦争。その中での当時のパリの位置付けとかも含めてこれが同時代人のマンタリテなのか、とか思える。「薔薇の名前」よりはだいぶ読みやすい。イタリアの田舎出身でフリードリヒ皇帝の養子とか設定がうますぎる。当時の最下層から最上層までの視点を得るためのものか。大変勉強になる。こんな度胸と語学とホラの才能が欲しいと思えるアレッサンドリアの守護聖人。
いやあ、読書ってほんとにいいものですね。 -
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ウンベルト・エーコが90年代イタリアのジャーナリズムを舞台にした作品。売れないライターである主人公は、ある大富豪が発行準備を進める日刊紙の編集メンバーに採用され、創刊準備号(ヌメロゼロ)の発行に向けて行動を起こす。
その過程を描くこと中で、歪んだジャーナリズム/メディアのあり方を問うとともに、ムッソリーニの真実を明らかにする過程でもまた、断片化された事実を繋ぐことで出てくる真実も描く。よくある陰謀論ロジックだが、昨今の情報過多、かつセンセーショナルになりがちな報道を見ると、あながち伝え方によって「隠された真実」と「作られた真実」が出てくることも事実であると考えさせられる。
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誰もいない森の中で倒れた木は本当に倒れたのか
この議論は逆に言えば、森の中で木が倒れた音を聞いたと主張する者がいれば、真実となるということになる
この本は12-13世紀を舞台にした「法螺話」の話である
イタリア出身の主人公バウドリーノは我が半生は語られることによって真実となる、と第四回十字軍のさなか助けたビザンチン人に語り出す。
バウドリーノはフリードリヒの養子となり司祭ヨハネ(プレスタージョン)の王国を目指して旅をするが主人公の話そのものが虚実が曖昧である。更に旅の途中で聖遺物の偽造で金儲けを図るが、偽の聖遺物を売って儲けた金で本物の聖遺物を購入しようとする欺瞞。更に旅の先では様々な神学論争を戦わせ、真実が曖昧となる。
こうなると何が真実か、真実の条件は何かが不明となる
本書は真実かそうでないかの判断基準とは何かも問いかけてくると思う