バイリンガル、マルチリンガルの人の脳の特性を説明した本、といったらいいのだろうか。
複数の言語を習得するとよいこととして、以下のことなどが挙げられていた。
脳の白質、灰白質がともに大きくなる。
作業で取られてしまう部分を空けておくことができ、他の認知的なタスクに当てられることもできる。
もちろん高齢化すれば、脳の働きはモノリンガルの人同様に衰えるが、衰え方がゆっくりになる。
アルツハイマー病の進行を遅くすることができる。
常に脳内で複数の言語をコントロールしている状態になるため、脳の実行能力が高まる。
他の人が気づかない関連性に気づいたりするなどの、創造性が高まる。
こんな風に次々と挙げられていくと、そもそもバイリンガル信仰が篤い日本では、「そら、子供をバイリンガルにせねば!」となりそう。
(そういう人には、まず巻末の今井先生の解説から読むことを強くお勧めしたい。こうした「よいこと」はモノリンガルの人が言語を学んだり、他のことを学んだりすることの中でも高めることができる、とある。)
アメリカだと、外国語を学ぶインセンティブがなく、外国語教育への理解も低いと聞いたことがある。
移民が多く、日本以上に多言語環境なのに、むしろそれをよくないこととして理解している節もある。
そんな中では、本書のようにバイリンガル、マルチリンガルの人々の能力を強調して伝える意味があるのだろう。
日本とアメリカの文脈の違いを感じさせられる。
筆者は30年ほどfMRIを使って、言語を使う際の脳の働きを研究してきた人。
かつ、自身もルーマニア語を母語とし、ロシア語を学び、自分の意思で米国留学をし、さらに第二外語としてフランス語を学んだというマルチリンガルの人。
研究の中で、現在言語を扱うのは脳の局所的な部分ではなく、複数の場所のネットワーク的連関によるということが明らかになったそうだ。
頭部の衝撃などによる失語症になったマルチリンガルの人の研究も少数ながらあるようだ。
その症状の出方も多様で、片方の言語だけが損なわれたり、日によって話せない言語が変わるとか、話せる言語と考えることに使う言語が分かれてしまうこともある。
まさに、言語が脳の広い部分で扱われることの証拠だ。
エピジェネティック(遺伝子の発現のしかたを研究する分野)と言語の関係も考えられるらしい。
まだ十分な研究が出ていないそうだが、今後こうした研究の結果を読むことができるのだろうか?
後半は社会と「言語的なもの」との関わりを次々と取り上げていく。
言語と政治、言語とジェンダー、移民の子どもたちと学業成績の関係、言語の中に文化が埋め込まれているのか、動物・植物の伝達と自然言語の違い、人工言語、特にコンピュータ言語、遺伝子情報もコードである点では言語に似た体系性をもつ。
バイリンガルの創造性、言語習得の巧みさをもってすれば、自然科学の「言語」を習得するのにアドバンテージがある、という。
これも…可能性の議論としては受け入れられる。
ただ、最後まで読んできて何なんだが、バイリンガルをどういうものと定義するのだろうかと疑問になってしまう。
とりあえず、どちらも同じくらい流暢であること、と考えてよいのかな?
しかし、そんなことが実際ありうるのか?
多言語状態で暮らす人は多いけれど、生活で使う言語と教育や仕事の場面で使う言語などと分かれていることが多いそうだ。
とすると、同じような能力を各言語で身につけることは難しいだろう。
現実には、どちらの言語も十分には身につかないというケースがあるとも聞いたことがある。
バイリンガルになるには、そもそも一定以上の能力を持った人でないといけないのでは?
いろいろなことを考えさせられるし、この問題、まだまだ面白い研究が今後も続いていくのだろうかね。