永六輔のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
野菜でも魚でも何でも、食べ物に対してあなたと言う言い方をしている関係が、商品になった食べ物とのあいだにはなくなってしまったように思う
最近は信仰が生活の中に見えません。しかし、信仰は維持で古い子に向かう会うための用意なんです。信仰が人を救うとは思いません
若者と年寄りの間には、断層があるのは事実。だから、頑固さを期待しているのに、妙に物分かりよくされた時ってのは、寂しい。断層には埋める以外にも、端をかける楽しみがあるんです
今、この国で起きている事件はほとんどが想像力の欠如、つまり本を読んで考えると言う習慣を失った結果だと思います
民主主義の中で封建的な徒弟制度を持ちこたえてきたのが、芸人や職人の世界だったんです -
Posted by ブクログ
ネタバレ物語調ではなく、語録を集めた本です。
行く先々で警察に電話して、計量法反対の芝居をやって曲尺と鯨尺を売るから逮捕してくださいと言った話や
薬師寺の金堂修復再現時、メートル法の図面じゃないと許可おりない。尺で建てられたものをメートルで図面を書かないと国から予算が出ないから、尺と二種類図面を作る。役人がいなくなったら尺の図面で工事を進める話が面白かったです。
計量法は目的として「文化の向上に寄与する」とあるのだから併用を認めるべきというのはとても思います。
良い観客になるためには良い役者になるのと同じくらいの勉強が必要だという言葉があるというのも
共感するところでした。
職人仕事も同じで、
物を作る人に対して、こちらが勉強が必要なこともあります。
人間国宝と書いてあるとそれだけでよく見えて値段も高くなり、若いときはいい仕事をしたけど今はどうかなということもある。
職人だけに限らずこうしたことはあるでしょう。
おちょこ。一万円でも買うといったら500円だったとき
いいなと思ったらその物に負けたということだから、
勝った相手に礼を尽くす。
たとえ500円でも、一万円だと思ったなら一万円出すのが礼儀というのは新鮮でした。
十万円と言われたら一万円になるまで毎日通って値切りなさい。君がつけた値段なんだから。
5万円の醤油差し。気に入って何年も使えば一日あたり一円程度。みんながいいなと思ってくれて、食事も豪華に見える。それを考えたら安い。買い物とはそういうもの。
というのは確かに、そうだとは思うのです。
庭は座って見るもの。
たとえば銀閣寺も、盆栽だから木は古びるけれど
見た目は将軍が見ていたまま。
足利将軍がご覧になっていた庭をあなたは見ているというのは、考えてみればとてもすごいことです。
職人のお仕事は怖いものです。
90歳の仕立てのおばあちゃんが老眼だけど針に糸を通すのはできる。糸を通すのは目じゃなくて指先
というのもいかにも職人な感じです。
徳川美術館。職人が作ったものだから見て学んで欲しいから職人の入館料はタダというのは知りませんでした。素敵ですね。
お札の一万、千円札の縦は二寸五分、四枚で一尺
B判の元も尺寸
四六判は四寸×六寸というのは意外に知られていないようですが
こういうところも歴史がほのみえるところです。
藍の絞り染職人が自分の風呂敷が料理屋で額に入れて飾られていたのを見て、
包むものじゃなく額に入れるのに相応しいものになった、どこかで驕っていたなら恥ずかしいと仕事を辞めてしまうというのはすごいエピソードでした。
買った人が大事に思っているのだからそれはその人の楽しみ方で良いのではという気もするのですが。
陶芸 同じものを作っても芸術家なら物品税がかからない。職人にはかかる。今は廃止されて消費税というのも不思議な話です。
売るために品物をこしらえるのではなくこしらえたものがありがたいことに売れるというのは似ているようで違うところです。
プロだと自分で名乗ればプロになる職業が増えて、プロよりアマの方が腕がいい例が多くなったのは自分も感じます。
いい仕事をすると作家になり、伝統工芸・民芸ではなくなるというのはなんだか不思議です。
釣りをしないので知らないのですが、
値段と質で言えばグラスファイバーの釣り竿には負けるものなのですね。
丈夫になって折れなくなったから釣竿屋が倒産するというのは悲しいです。
もちろんこうしたことは他の業界でもあって、逆に倒産したくないから不誠実な商売をしているということも多いです。
着物は本来楽に着こなせる。堅苦しくしたのは着付け教室というのは心から同意します。
外材は電気カンナの方が綺麗に仕上がる。日本の道具は日本の素材で育ってきたというのも良い言葉です。
伝統工芸は100年前のままのやり方という条件が付いていて、ミシンが輸入されて100年以上経つのにミシンの仕事は伝統と見なされないのも変な話です。
素材も作りかたも100年前と同じでなければいけないのに、電気轆轤を使うような人も中にはいて、昔ながらのやり方でやっている真面目な人もいてというのは
買い手として目利きができるようにするべきなのだろうなと感じます。
確かに徒弟制度の世界は物だけでなく人も作ってきました。
いろんな業界で言われていることですが、職人が使う道具を作る職人がおらず、材料もないということに
もう少し危機感をもつべきなのではないでしょうか。
生活はしやすくなったけど暮らしはしにくくなったというのも本当にそのとおりだと思います。
感動するのは知らないことを知った時ではなくて、どこかで自分でも知っていたり考えたりしていたことと思わぬところで出くわしたときという言葉もはっとしました。確かにそういうところがありそうです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ‹内容紹介より›
「お互い本気で勝負しなければダメ」-親は子ときちんと向かい合おう、伝えるべきはちゃんと伝えよう。父の手紙や母の遺言、さらには妻・娘の座談会など、著者自身の素顔をまじえつつ展開する紙上バラエティ!いよいよ六輔辻説法は佳境に。同時刊行の『夫と妻』とあわせ、人間関係のタテヨコを知恵の言葉で縦横に語りだす。
――――
まえがきには
「母の恩は海より深く、
父の恩は山より高し」
世界最高峰のエベレストも、フィリピン海溝には沈んでしまうのだから、母の恩の方が大きいということになるのだが…
と最初から「女の人を大切に」という『夫と妻』と同じ系統の話かと思っていましたが、むしろ子どもときちんと向かい合うことの大切さを強調した本でした。
中でも印象的だったのは、子どもが親に言われたくないと思う言葉のアンケート結果。
親の回答は「勉強しなさい」などの指示が嫌がられるのではというものでしたが、子供の回答は「あなたはうちの子じゃない」という存在の否定と、「あの子と付き合ってはいけない」という交友関係の否定でした。
特に、交友関係については、
(p.108)
近所でも評判が悪い、学校でもあの子は問題だという子がいたりしますね。▽そういうときに、「頼むからあの子と付き合わないで」と言っちゃうと、その子も相手の子も傷つけちゃうのです。▽これは、お母さんに勇気を出してもらいたい。▽勇気を出して、こう言って欲しい。「あの子は近所でとても評判が悪い。学校でも評判が悪い。だから、あなたはそばについていてあげなさい。あなたがついていてあげれば、あの子はなんとかなるから。あの子と絶対に離れちゃいけないよ、あの子と付き合ってあげようね。」▽こう言えば、子どもからすれば、親から信用されているということですから、すごくうれしいし、そう言われた友だちも、何かを感じ取ります。
と書かれていたことが印象的でした。
もちろん、程度問題もありますし、出版当時(2000年)とは状況も変わっていますが、子どもを信頼すること、そのためにもきちんと話をして「信頼できる「人」(子供ではなく)」として付き合えるようにすることが必要なのでは、と感じました。
「友達親子」のような関係性を持ち上げるものでなくて安心して読めましたが、とりたてて真新しいことが述べられているわけでもなく。
エッセイとしても、可もなく不可もなし、といったところでしょうか。 -
Posted by ブクログ
タイトルに恥じず「死」について徹頭徹尾書かれている。今の日本、宗教画人々に根付いていないため、人々は「死」に対して異常に恐怖を覚えている。という言葉に興味を持った。
水無昭善の本の中でも必ずと言っていいほど「死」への恐怖を持ち過ぎないこと。それは「生」への執着に変わる。と書かれている。実際の宗教関係者の話を読んでからこの本を読んだので、内容がすとんと落ちてきた。
宗教というのは有事の際の最後の拠り所だと思う。
宗教というのは本来、生きる道や心構えを示すものであって、特に日本の宗教にはその色が強いと感じる。
最近では宗教と聞くとネガティブなイメージが先行してしまうが、日本では神社に手を合わせた帰りに寺に行こうが、全くお構いなし。
これだけ寛大なのだから、心の拠り所の一つとして仏教の教えを紐解いてもよいと思う。 -
Posted by ブクログ
『大往生』『二度目の大往生』に続く永六輔ワールド第3弾。著者曰く、「僕はこれを一番書きたかった」とのこと。友だちのKさんに、紹介してもらいましたお勧めしてもらいました。
前半は職人語録、「語る」「怒る・叱る」「つきあう」に分けてたくさんの言葉が並んでいます。
「職業には貴賎はないと思うけど、生き方には貴賎がありますね」
「もらった金と稼いだ金ははっきりと分けとかないといけないよ。何だかわからない金はもらっちゃいけねえんだ」
「褒められたい、認められたい、そう思い始めたら、仕事がどこか嘘になります」
「自分の作品を自分で売るようになると、品がなくなります。自分の子どもを自分では売らないでしょう」
等々
後半は対談や講演録をまとめたもの、著者の話術にはまりながら楽しく読みました。
モノづくりだけでなく、教育・福祉分野などの対人援助の仕事にも通じるなと思いました。対象者と向き合い受けとめ働きかけ(対個人だけでなくその人の暮らす地域や社会含めて)、そのことによってその人だけでなく自分自身も変化していく。積み重ねの歴史を歴史があり、確立された理論も多く存在しています。何を身につけどう歩むか、よく考えていく必要があるなと思いました。
短時間で気軽に読めていろいろと考えられるお勧めの一冊です。 -
Posted by ブクログ
死に対する意識というものが、自分の中で変化したのだろうか?
高校生時代に読んだときには面白いと思ったのだが、今読むと、本の内容にそれほどには心を揺り動かされるところはなく、一部の一般人コメントにううんとうならされたり、クスリと笑う程度であった。
ただ、読み終えてみて、少なくとも「死」や「老い」「病」について、考えるきっかけにはなる。これらに人間がかかる率は100パーセントであるが、どうにも僕はまだそういうものを直視、考察を出来ていないらしい。
そうしたことを経たうえでなら、本書で理想として描かれているような、明るい死、理想的な死、というのにも、より思いが至るのかもしれない。
そういう意味では、「死」や「老い」などについての「入門書」的役割を果たす一冊、といったところか。