中村桂子のレビュー一覧
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風が心地よい庭先で、残りを読み終えました。
DDTをやめさせた学者レイチェル・カーソンを知るのに最適な入門書でした。
中村桂子さんがカーソンを紹介しながら、生きものとしての人間が「本来の道」を歩むようにと教えてくださる熱量に打たれっぱなしでした。御歳90の大先輩に負けないように心がけます。
あとがきに書かれた「生成AI」への、とりわけ子どもたちのことを考えた警鐘は大事だと思います。
2020年代の生成AIは1950年代の農薬と同じく熟考すべきもの。
特に子どもの成長に関する危惧を捉え、子どもが言葉を覚える過程には、感情・感覚・非言語コミュニケーションなどの経験、他者との関わりが不可欠だとの力説。 -
Posted by ブクログ
ふと本屋で目に入って何となく買った一冊。
ダンバー数、集団の数が、生き物の脳の大きさと比例する指標である。
(現代人は、最大100人〜150人?それ以上になると、年賀状も義務的になる?。30人くらいがちょうどよい?自分の日頃関わる人とのやりとりを大切に思いやりを持って、生きたいと思った。原始からのヒトの進化の過程やDNAに、合っているんだろうなと。)
ヒトは二足歩行になって、脳の重さを支えられるようになって、脳が大きく成長していった。
大型動物が食べた、動物の死体や屍肉から、栄養価の高い骨髄を摂取できて、脳が成長していったという説もある。
二足歩行になったのは、環境変化で、食べ物が減り、犬歯が小さく、他の生き物との争いに弱い人間が、分担して、協力して、遠くまで食料を探しに行って、住みかにいる子供や仲間に、持って帰ることができるように変化していったということが一説。(弱さが進化に繋がったというのは温まる話)
だから、ヒトは平等に食料を分け与える。(マタギとかもそう)
火の活用による、細菌などからの食の安全性の活用や、生肉食などと比較した、消化スピードの向上とそれに伴う、生活の豊かさの向上、食べることの楽しみの進化。
人が持ってきてくれた食べ物が本当に食べて有毒でないかを判別するのは難しい。だから、人への信頼が大事。
親しい人、大事な人と、共に食事を摂ることは、大事なことだし、人間のDNA、進化の過程で、培われてきたことなのだなと、一緒にご飯を食べることを大事にしようと思えた。
(一人暮らしやコロナもあり、毎日惰性で食事をとりがちなので。)
何となく読み始めたのに、日頃の日常が、壮大なヒトの生命史と繋がっていることに気付かせてくれた、大切な一冊。 -
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今の世界、人は金融の奴隷、社会は支配欲への執着という構造で回っているのかなと思っていた矢先にこの本を読み、共感できる内容に一種の安堵感のような心地よさを感じました。
ただ、世界を動かしている(と思っている)人たちの中には、自然は人間が征服すべき対象と考える人も多いとも聞くので、現状からの転換の難しさも感じます。
土についての話はこれまであまり関心を持ったことがなかった分野ですが本書を読んで興味が出てきました。個人的には地表の舗装率について気になっていたこともあったので、今後、土のことにもすこし気にしながら、幸せに暮らすために何ができるのかを考えていきたいと思います。
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最近山が楽しすぎるのとyamapに超お世話になってるのがあり春山さんはどんな考えを持った方なんだろうと気になっていた本です
あと世の中がもっと“生きやすく”なればいいなと思うことがあり、でも“生きやすい”ってなんだろう?とも思っていて、個人的にそれをテーマに読み進めました
生きやすくなるためにはこうするとよさそう
①自分もまた自然であり生き物であることを知る
自然経験を通じ、自分もまた自然であり生き物であるので、存在としてここにいていいこと、に気付く
②自分の命の尊さに気づく
山に行けば、転ばないように歩いたり、お腹が空いて何かを食べたいと思ったり、気付かないうちに生きることに集中していて、自分の命を大切にしている自分がいることに気づくことができる
③自分を社会の物差しで測らない
社会の物差しとは新自由主義が生み出した競争の順位など
地球上に存在するすべての生き物はフラットであり、何かができなくても他によいところがあることに気づく
“自分が”大切だと思うことをする
④自分の命のときめきに素直に生きる
衝動に素直に生きる
素直でいれたら生きている意味や人生の奇跡性を実感することができる
衝動に素直に生きた経験は自分なりの仕事にもなっていく
これらに人が気付く助けになるような活動をしていけたらいいな
なんだかこの本を読む前に思っていた自分のやりたいことや目標は社会に競争させられてできたものでもあるなと思いました
さらに盲目に走り続けてきてしまったなとも思いました
今後の人生も今ときめいていることを実現するためにはこれからも競争に参加しなければいけない場面は多々あると思いますが
忘れずにいたい観点です
阿蘇山の草千里ヶ浜でどこまでも続く草原を駆けて自由だ!と感じた時、あれが命が外に開く感覚だったのかもしれない
AIとの付き合い方にも触れられていました
AIには検索すれば分かるような情報、知識を任せる
これからの人類の可能性は人にしかできないことである、遊び、コミュニケーション、余白にある
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「ふつうのおんなの子」のちから
中村桂子著
今八十代半ばの生物学者の書いた本です。2018年出版の本ですから、安倍政治絶頂のころ、戦争のできる国になりかげ新自由主義、すべて経済優先、科学信仰が叫ばれてたころの時代を憂慮されて、おんなの子の発想、人間観、社会観、を子供のころ読んだ本を土台にして展開してます。「あしながおじさん」「ハイジ」「モモ」「やかましむらの子どもたち」etc
中村先生は生命誌という分野の学問を確立してそれを基礎に平和、経済を多岐にわたり教えてくれてます。
コロナ後の、地球沸騰、戦争と経済成長一辺倒のこの時代に半分を占める女性の考え方が主流にならなければと思いました。 -
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お会いしたことはないけれど、ちょっとだけ、ある方を通じて存じている中村先生の著書
温厚なお人柄をかねがね聞いてはいた。本業の研究者としても、書き手としても一流であるということも。
この著書の中でご自身も書いていらっしゃるけれど、喧嘩したことない、人の悪口を言わない、聞き上手。
そばにいてくれるときっとすごく安心感を与えてくださるお人柄なのだろうな。
ちょっとしたことで動揺してイラっとしてしまう自分のなんと愚かなことか。
ここに出てくる名作はおそらく小さいころに読んだことのある人の多いことだろう、事実、赤毛のアンの故郷のカナダの島へは毎年多くの日本人が訪れるという。
でもなぜだろう、本が好きなのは昔からのはずなのに私は赤毛のアンも若草物語もちゃんと読んだことがない。
自分は読んでいないのに娘には今しか読めないから、と半ば押し付けるように与えたけれどやっぱり蛙の子は蛙。彼女も赤毛のアンは途中で放り出してしまったようだ。
時代背景が違うと読みづらいものなのだろうか。
唯一ハイジは本ではなくアニメを何度も見て大好きなキャラクターなので
すんなりと入ったけれど。
そんな私でもこの本のハードルは高くない。
むしろ、ああ、今からでも遅くない、ちゃんと読まなければ、と思わせてくれた。
ふつうのおんなの子って、うまく言葉で言えないけど、
先生のおっしゃりたいことはすごく伝わってくる。
素直で勇敢で・・・ -
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ネタバレ老いを悲しむことなく、毎日大切に生きて、生きていることに感謝しながら、いろいろと勉強していき新たな発見を得る。素晴らしい生き方。ぜひ真似をさせていただきたいです。
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・50歳代、60歳代、70歳代・・・とそれぞれの年齢の自分は一度しか味わえないのですから、その時を楽しむ方が人生を充分味わったことになるのではないかしら。そんな風に考えています。
・バカボンのパパのこのセリフは、「ありのままを受け入れる」というお釈迦様の悟りの境地に重なると開設されていました。~中略~私は「今を大切に」生きていこうとしています。
・「人間は何のために生きてんのかな・・」(満男)
~中略~「ああ生まれてきてよかったなって思えることが何べんかあるんじゃない、ね。そのために人間生きてんのじゃねぇのか。おまえにもそういう時が来るよ、うん、まあ、がんばれ」(寅さん)
・いままで土埃の中で体を洗ったこともないという人々が暮らすところに水が出るようになった時、真っ先に来たのが牛と馬と子供だったそうです。素直な気持ちで動く牛と馬と子供が大喜び。(中村哲、『わたしは「ゼロ弾きのゴーシュ」など』 -
Posted by ブクログ
将来、AIが個人の最適な職業を提案することが可能になったとして、それはどの段階で可能となるだろうか?
成人してから?赤ん坊の頃?それとも受精卵すら発生する前の両親の遺伝子を判定して?
原題は「Nature Via Nurture:Genes,Experience and What Makes Us Human」であり、若干の意訳がすぎるところがあるが、いつの時代でも両親の心配事となる「生まれか育ちか」論争に答えを出す一冊だ。
今の時代、親でなくとも子育てには環境と遺伝子の両方が影響していることに疑いを持つ人は少ないだろう。
特別な英才教育の環境を用意されたとしても、真剣に取り組む子もいれば、遊び回って手がつけられない子もいる。それは兄弟姉妹であったとしても同じことだ。
この性格の違いは、生まれによるどうしようもないものなのか、これからの環境次第で変えられるものなのか。
本書は「生まれと育ちの両方とも重要」ということを改めて語るものではなく、「遺伝子は環境を通して発現する」ことを説明する。
例えば、鳥類の刷り込み。
「最初に見たものについていく」という遺伝子なしには有り得ないし、それが親鳥であるかどうかは環境次第。
ヘビを知らないサルの子供に、ヘビを怖がる母猿の映像を見せると、ヘビを怖がるようになるが、花を怖がる母猿の映像を見せても、花を怖がるように教育することはできない。
もちろん、本書で取り上げられるのは動物の事例だけではない。
不幸にも幼少期に言語を学ぶ機会を奪われた子供は、成長後の如何なる教育によっても喋れるようにはならない。
被虐待児は、あるタイプの遺伝子をもっている場合のみ反社会的な行動を示すように育つ。
子供が犯罪を犯す確率は、実父母と養父母の両方が犯罪者であるときに一層高まる。
養父母が離婚したときよりも、実父母が離婚したほうが子の離婚の確率は高まる。
つまるところ、遺伝子とは、環境から情報を引き出す書庫であり、レシピであり、スイッチである。
意志や教育や文化の力を総動員したとしても、遺伝子情報を変えることはできないが、その特性は適した環境がなければ発現しない。
さらに付け加えるならば、遺伝子と環境の条件が揃ったとしても、最終的には"確率"の問題となる。
遺伝子と確率がどうにもできないものならば、適した環境を探し続けるしか、出来ることはないだろう。