あらすじ
「人間は生きものであり、自然の中にある」。大震災以後の社会は、この「当たり前」の原点からしか再生できない。まず誰よりも、科学者が一個の人間であることによって、出来ることがあるのではないか。人間も含んだ生きもの全体の歴史として「生命誌」を提示し続けてきた著者が、私たちの未来への熱い思いをこめて語る。
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Posted by ブクログ
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科学的とは多くの場合数字で表わせると いうことです。
東京への一極集中は、生きものとして生きるとい う生き方を許しません。しかも、多くの発信が東京からなので、社 会としての価値観や生き方の選択が東京で決められてしまうことに なります。北海道から沖縄までさまざまな自然の中でそれを生かし た暮らしを作っていくことが、「ヒト」としての豊かな暮らしにつ ながるのに、です。
生命誌の立場から、 一極集中は改めなければならないと言えます。
科学が明らかにしてきた知は放棄しない。しかし同時に、大森の示したような二元論 に基づく「科学」では、痛みや美しさの感じなどが語れないことは明らかなのですか ら、科学だけで世界を理解することはできないとする必要があります。
科学はすべてに答があるとするものです。しかも最近 は、答えるのがよいという風潮がありますので、答のない問いを問い続けることを大切 にしません。そのために、心は最もわからないものと思いこむのではないでしょうか。
ところが日本が近代科学を取り入れた時に、その基本にあるキリ スト教が多くの人々に受け入れられることはありませんでした。日 本の風土として培われた、自然の中に多数の神を見る文化は一神教 とは合いません。しかし、先進国となるためには、ある意味キリス ト教の申し子とも言える科学は、取り入れなければなりませんでし た。
このような考え方には、熊楠の日常にあった仏教が生きているよ うに思います。事実熊楠は、「科学哲学は仏意を賛するものとでも 見て」と言っています。西欧の科学を知識として学ぶだけでなく、 自身の中に取りこみ、それを仏教と組み合わせて新しいものを生み 出そうとする心意気が見えてきます。熊楠は科学を仏教の眼で見よ うというだけでなく、仏教も科学に眼を向けることで隆盛すると考 えています。
そのためにはまず、自然科学者であっても人文・社会科学を学ば なければいけないというのが当然言われることでしょう。
Posted by ブクログ
上品で淡々とした筆致だが、考え抜かれた言葉と表現。そして、根底にある信念。見事な本であった。個人的には、宮沢賢治についての、本当の幸せ、本当の賢さ論が発見であった。
Posted by ブクログ
科学の問題
人間を自然から切り離してしまった
科学が成立するのは数値化 数値化が切り落とすものを忘れて死物化することが問題の本質 生きている命を機械論的科学からは抜け落としてきた
科学が密画だとすれば、感覚、主観としての自然という略画も合わせて必要。重ね描きこそが今後大切になる。
科学(特に自然科学)者も哲学等の社会科学、つまり教養を学ぶ必要がある。
引用されている本はおそらくその道の人以外決して読みやすい本ではないと思われるため、この本からこの議論に入るることはとても有用だと思った。
Posted by ブクログ
この本を読むと、著者のライフワークである「生命誌」の根底となる考え方がよくわかる。
僕は中村桂子先生の本は文庫、新書であれば全部読みたいと思っており、本書は2013年の出版ながらその存在をお粗末ながら、書店で偶然見つけて知った。当然、さっそく手に取る。
著者は、2011年の東日本大震災後、科学科学技術が自然と向き合っていないとこを問題視する。それは、科学技術者が漏らした「想定外」とうい言葉にある。
自然が全て解明されていないのに、特定の数字をきめて計算するうちに、人間がすべてを設定できるという気分になり、その数字の中で考えるようになる。その結果、傲慢になる。科学者が日常的な生活者としての感覚をもっていないということだ。
「人間は生きものであり、自然の中にある」ことを繰り返し主張する。「活きた自然のと一体感」が重要。
この問題の解決方法を大森荘蔵を引用し、「密画的世界」(科学による理解)と「略画的世界」(日常的感覚での世界)との「重ね描き」と説く。
最終章で、日常感覚や思想性を求められるのは研究者に限らない。政治家、官僚、企業人などすべての人が、その専門からだけでものを見るのではなく、生活者、思想家であることが求められると説く。
企業人である僕は、思わずドキリとし、この本を読む価値に改めて気づかされた。
Posted by ブクログ
自然科学の分野に限らず、社会科学の世界でも同じことが言えるのではないかと思う。
専門分化が進むと、全貌が見えにくくなり、何のための学問であるのかを「人間学」として振り返り自問する。
ただ、商業ベースに乗らないこともあり、それが社会に理解されたとしても進歩と捉えられることはないのだろうと思う。
Posted by ブクログ
著者もあとがきで記しているが、あたりまえのことしか書いていない。あたらしいことも書いていない。「科学者は科学者である前に人間でなければならない」と繰り返し主張している。
実際は、研究者の世界も「経済効率優先で科学技術はそれを支えるもの」となっている。現代の世界観は要素還元から成立しているが、要素のみに注力しては全体像を見失ってしまう。
「木を見て森を見ず」と言うではないか。これからの科学は常に「森」を見ていなくちゃいけないのだ。
Posted by ブクログ
科学者ではない自分は、「科学」をどう受け止めるか、という点を中心に読んだ。
また、科学者の社会的役割についての筆者の見解もよかった。
前半部は読みやすく、後半部は少し読みにくかった。
再読・精読したい。
Posted by ブクログ
今まで読んだ本とは異なる雰囲気でとても楽しめた。具体的な例で中村桂子さんの主張がより明確に伝わり、納得できる部分も多くあり、共感できた。普段は便利な世の中で生き、なかなか気づかない「生きものとしての感覚」についても改めて自分の五感を用いて判断し、責任を持つことが大切と分かった。最新の科学や数字に頼りがちな世の中で、「生きものとして生きる、『自律的な生き方』」ができればなと思う。
Posted by ブクログ
科学は数値化し、そして死物化する。数値化を否定すると科学のいろんなところが問題になるが、そうではなくて死物化を問題にする。
研究者であっても人間であり、人間はまた生きものである、という、当たり前ではあるのに何か忘れられたようなことを、もう一度取り戻せ、ということを再三訴える本。キーワードは「重ね描き」「日常感覚と思想性」「環世界」あたり。言われなくてもわかっている、つもりだけれども…
Posted by ブクログ
最初の方は、あまり印象に残らず一般的なことになってしまっている。中盤から具体的な記載で面白くなってくる。ただ、和辻の「風土」の引用など、現在の多様化の世界ではどうかな?というような引用もある。
卒論に使うのは難しく、随筆として読むのがいいであろう。