『おやすみプンプン』だけ、友人の勧めで読んだことがあり、この作品もその友人の勧めで読んでみました。
一部の読者がやたら作品を消費しているなぁというのが、本当に失礼な、素直な認識だったのですが、こんなに悔しくて怒りを感じる作品だとは思わなかった。
悔しすぎるというのが感想として大きい。なんでこんな悲しい悔しい思いしながら、虐げられた側がわけわかんなくなりながら生きていかなきゃいけなくて、死ぬ努力もしなきゃいけなくて、死んだら死んだで間違い扱いで、腹括れなきゃ弱いと扱われてしまうんだろうと。
小梅に対してひとつも感情移入ができなくて、しかし、友人は小梅にしか感情移入ができないと語っていたのを思い出して顔を顰めてしまった。どう足掻いても私は磯辺に共感してしまい(しかも彼が自己嫌悪を向ける部分に)、その受け止め方に「これこそ一番ダメな消費の仕方なんじゃないか」と不安になって気分が悪かった。
これは読まなければよかったということではなくて、作品としての強度が大きいので、自分自身の弱い精神性が揺り動かされて惑わされてしまって、当てられてしまったなぁという感想です。
自分自身の悩んできた精神性とか、虐げられる側の気持ちと加虐性とか、社会のくだらなさを考えては厨二病と自嘲する感じとか、なんかもう全部心当たりがあってずっと痛い。嫌すぎると思った。こんな解像度で世界を見てて、浅野いにお先生は無事なの?
送れなかったブログの返信。兄への憧れ、懐かしさ、恐れ、不安、不安定さの溢れる少年の言葉を、誰も知ることができないというのがとても現実だった。私たちは常に自分を虚飾して生きているところがあって、その本当の部分は、本当の話をすることでしか何の蟠りも無くならないのだと思う。
でも安易に快感と身体の接続コミュニケーション(きっと彼らの場合は本質的にはコミュニケーションではない)に逃れてしまいたくなるのもすごくよく分かってキツかった。
結局他人は本質的に理解なんてし合えないんだと思うと、厳しかった。だからこそ磯辺の欠片を持ったまま生きている小梅のラストシーンが、上滑りしているようで私にはグロテスクに見えてしまった。
読んでよかったと思う。