荒俣宏のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
徴兵されて戦場に行くとなれば、死というリスクが目の前にはっきりと現れてくる。戦争などなく、病気になる可能性はありながらも、多くの人は70年、80年を超えて長寿を全うできる(現在なら100歳を超えても元気な人は沢山いる)。戦争という暗い空気が世の中を支配している。そこに自分が20歳前後の若者で真っ先に戦争に連れて行かれる可能性がある年頃なら、戦場という大きな恐怖、国のために自らの命を捧げることへの意義、自分がこの世に生まれてきた意味など、凡ゆる考えが頭の中を巡っただろう。「ゲゲゲの鬼太郎」の作者として誰もが知る水木しげる氏も、この時期、その様な苦悩の中で生きていた。同氏の代表作としては、前述の妖
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Posted by ブクログ
変なタイトル。
この本は2012年刊行の「0点主義 新しい知的生産の技術57」
に大幅加筆したものということだが、
元のタイトルの方が本の内容にふさわしい。
新タイトルでもいわんとすることはわからないでもないが、、
知的生産の技術だ、これは。
あるいは、今回の帯にある「AIに負けない勉強法」が
言いえて妙かもしれない。
「もてない」を自認する荒俣さん、
独自路線でいろんなことに興味を持たれたようだ。
その姿勢、好きだな。
冒頭の「『好き』とは一線を超えること」
こりゃまたいい。
これはおそらく人間にだけできてAIにはできない分野。
情熱。パッションともいえるかな。
これを失ったらおしまい -
Posted by ブクログ
荒俣先生の著作で読み通した最初の1冊になりました。
共感の嵐でした。
自分自身、やはり王道よりマイオウンロードの学びを実践したいといつも思っている。
勉強するにあたって一番大切なのはモチベーションであり、いかにしてモチベーションを維持するのか?と考えながら工夫することこそが、勉強における努力だと思う。
また、間違える権利についての話があったが、学校とは取り返しのつく範囲での間違える権利を行使できる場であってほしいとも考えた。
新しい事にチャレンジするための勇気は、基本的に加齢とともに衰えていくものらしいが、いくつになっても新しいことに新鮮さを感じられる若い感性を持ちたいものだと感じた -
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上巻は福沢諭吉とそれを取り巻く人々という構図だったが、下巻はやや福沢本人からは離れ、小泉信吉や川上音二郎貞奴夫妻、福澤桃介といった福沢イズムを受け継いだ人達についての話が主だ。各々福沢から学び取ったことが異なり、その比較が面白い。
終章は福沢諭吉の最晩年の大仕事、「修身綱領」の制作記になっている。慶應出身者であれば耳にタコができるほど聞かされるであろう「独立自尊」だが、そこに至るまでの過程が描かれる。無事に制作を終え、20世紀に入り福沢の生涯が閉じるところで物語は終わる。
福沢が内心で何を考えていたのか、真なる部分に触れることは難しい作業だ。しかし作者は膨大な資料に触れ、その復元をできる限り精 -
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夫に勧められて読んだ。読む前はなんだかよく分からないタイトルに怯んでいたけど、「はじめに」から面白くとても引き込まれた。
これは大雑把に言えば、自分が納得できる人生を送るにはどうしたら良いかということが書いてある本。そのための勉強法が、具体例などとともに説得力を持って載っている。
世間に惑わされず自分の興味をとことん掘り下げ、謙虚に生き、不利と思う状況でもプラスに変換する、人生を長い目で捉えるという様なこと。
個人事業を行う上でもとても参考になることが多かったし、何より読みやすかった。著者のことをあまり知らないので、他の著作も是非読みたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ多分本好きなら中学生位で読んどくものなのでしょうが・・・初めて読みました、大変好みでした。
いや、顔の長い怖い人が、というぼんやりしたイメージと、虚実百物語にちらっと出てきた実物の顔の長い俳優と、その半分、青いのモアイ店長という認識しかなかったのですが。 のっけからもえもえきゅんきゅんなサービスショット?だったため、あ、これこの二人が幸せになんないと嫌なやつや、と思ったのですが、 ゆかりさんが出て来た時点で嫌な予感はしたのです、あれ、これこのまま触れられないで終わるパターンですか?と。違うでしょ、「虞美人草」的?、兄への執着からねちねちゆかりさんにつきまとうパターンでしょ!と至極勝手に思っ -
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水木しげるが20歳やそこらの青年であり、
戦地へ赴く直前の手記に荒俣氏が解説を加えた一冊。
世間一般に知られたる水木氏のどこかとぼけたような達観は感じられず、
日々自分の価値観が変わっていっているような葛藤がそのまま記されている。
それにしても現代視点で見たときには、とても20歳が書き記したとは思えないような深い思索の跡がみてとれる。語彙も大変に豊かである。
これが往時の標準的な青年の姿であるならば、
現在の若者が幼稚化しているという論に逆らうことはできない。
荒俣氏の、手記の解説に留まらず「日記」という形態についての研究や水木氏がなぜゲーテを愛読していたか、を時代背景をもとに読みとく第2章