早坂隆のレビュー一覧
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名前は知っているが具体的にどういう人かわからない永田鉄山がよくわかった。長野県諏訪市生まれの秀才。石原莞爾のような天才肌ではない。バランスのとれた人格と思考をもつ。人柄も真面目だが堅苦しいタイプではなかったらしい。第一次世界大戦を視察した経験からこれから起きる戦争は総力戦になると考え、陸軍の改革と国家総動員体制の在り方を構築しようとする。その方法は常に憲法と法律から逸脱しない漸進的なやり方だった。しかもその体制を整えるとこで戦争への抑止になると考えていた。しかし、天皇親政の急進的な革命的変化を求める皇道派と衝突。陸軍大臣を頂点とする秩序と規律を重んじ、非合法的な手段を嫌う永田は恨まれる。また関東軍の独走を抑えるのに腐心した。皇道派の相沢三郎が、怪文書を信じて永田を斬殺。翌年、二二六事件で皇道派が壊滅。永田が望んだ統制を取り戻すが、永田のいない陸軍に長期的視点と鉄の意志と柔軟な思考とバランスの取れた人格を持った人間はいなかった。永田を慕った東条英機などが跡を継ぐが、永田が極力避けようとした戦争に突入する。永田の前に永田なく、永田の後に永田なし。
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Posted by ブクログ
日本の夏の風物詩と言える高校野球が大戦の影響で中断された時期があるという事を知ったのは、中学生の頃に読んだ「紀元2600年のプレイボール」という大和和紀が描いた少女漫画だった。
昭和15年は神武天皇から始まった天皇の御代の皇紀2600年目にあたり、記念大会として盛大に開催された。「紀元2600年の〜」はそれを目指す若者たち(少々時代錯誤なメンバーなのだが)を描いていて、最終的には記念大会には出場できず、翌16年の大会が大戦の影響で中止され、選手たちも兵隊として招集されて・・・というストーリーだ。高校野球の再開は戦後昭和21年からである。
ところが、16年に中止となった高校野球は17年に1回だけ復活開催されていた。但し、主催が朝日新聞から文部省に変わり、「大日本学徒体育振興大会」という戦意高揚の国策が見え隠れする行事の一部としての復活開催であった。そのため朝日新聞主催の所謂夏の高校野球の「正史」には記録されていない「幻の大会」ということである。
本書はその幻の大会に代表校として出場した16校が戦った15試合の進行を辿りながら、選手や関係者に対するインタビューと残っている新聞記事を元に当時の選手や監督の想いを探って行き、当時の球児達の姿を浮かび上がらせる。
「野球は敵のスポーツだから、英語使うなとかの規制があったんでしょう」と安易に考えるのは歴史の複雑さというか機微を知らない。
もちろん、ユニフォームのローマ字表記が禁止されるなどの規制はあったが、まだ英語の使用は許されていた。そして、何よりも球児も観客も一体となってこの「野球」というアメリカ生まれのスポーツを楽しみたいという強い想いが戦争という陰鬱さに勝てていた時代だった。そういう時代の微妙なバランスを描けているのも本書の特徴かもしれない。
本書の中では、出場した選手たちがその後どうなったかについても語られている。もちろん、多くの選手は兵隊として招集され、あるものは命を落とし、ある者は生き残った。しかし、彼らにとっては戦争が幻ではなかったように、甲子園でも戦った大会も幻ではない。インタビューに答える人々の話は、皆等しく明るく、大好きな野球を思い切りで来た喜びに満ちている。
兵庫県の滝川中学の選手として出場した人が、戦後に進駐軍の米兵と野球の交流試合をした時に感じた感想が感慨深い。
「なぜこの人たちと殺し合う必要があったのだろう」