永井玲衣のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
もはや“永井玲衣さんの著作だから”という信頼だけで手に取るので、内容をまったく把握しないまま読んだら、ことばについてのエッセイだった。
第一部「問いはかくれている」では、近ごろ耳にするようになった「あーね」「めしテロ」「口になった」「ラン活」「普通に」等の新語や、使い古された「よろしくお願いいたします」「圧倒的」「にわかファン」「はいチーズ」といった定型句について、独自の着眼点で考察をおこなっている。
ことばを考えることの底無しの面白さを再発見できた。
第二部「これがそうなのか」という章題は、著者がフィクションではない現実の事象をまのあたりにし、開眼していく際に呟かれてきた台詞でもある。
進研ゼミで見たやつだ!みたいなリアクションが愉快で微笑ましく、しかし世界とひとつひとつ対峙していく様子は赤子のようでもある。
〈初めに本があった。〉という一文は、ヨハネによる福音書さながら、本に育てられた者たちが己の自分史を綴るとしたら完璧な一行目になり得ると思った。
著者は最後に、精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点「浦河べてるの家」を訪問したときにエピソードを交えながら、『水中の哲学者たち』で「他者がこわい」と述べていたことを補足し〈「あなたは脅威ではない」と応えるところからはじめたいのだと思う〉という解にたどりつく。
〈傷つきやすい身体をもったひとびとが共に座っている。居心地悪く、緊張感がただよっている。だが、座っている。そのことの可能性を思う。〉
〈他者とともに座るとき、本を読むとき、また文章を生み出そうと原稿を書きつけるとき、他者に問われるとき、わたしはあなたと出会っている。他者は可能性である。広々とうつくしく、はりつめた可能性なのだ。〉
連れていってもらったそこで、眼下に広がる景色を目にしたような、なんだか泣きたくなるような清々しさがあった。
すぐに本の世界に逃げ込みたくなる私の服の裾をしかとつかんで留めてくれているような、確かさを感じられたのだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ
すごく好きだった。読みやすかった。
日記のパートは、おこがましいけど自分の日記と通じるものを感じてすごく好きだった。人の個人的な日々の記録に触れられることのおもしろさ。
83
「思いやりを受け取るために思いやりが必要なように」
130-131
「きみしさだけは、誰とも共有できないんです。」
他の子たちは、黙って聞いている。
「だからさみしさとは、決して共有できない、わたしだけのもの。」
わたしはそれを大切にしたい、と彼女は凛とした横顔で言った。
→この前心療内科で「最近さみしい?」と聞かれ、ああそれだとわかってしまったとき嬉しかったし悲しかった。嬉しかったのはしんどさの原因究明ができたから。悲しかったのは、さみしいことが現実だとわかってしまったから。けど、この文章を読んで、さみしさって大切にしたいとと思っていいものなんだ、と思うと、肯定できた。さみしさはマイナスだと思ってたけど、そうじゃない。愛ていいもの。これからさみしくてもそれを一概に嫌な方向に持って行かないようにしたい。大切なものだから。
190-191
やさしさほどわかりにくいものはない。わかりやすく出現するやさしさは疑わしい。他者を置いてきぼりにして発揮されるやさしさは、やさしさではない。それは目の前の他者に問いかけたり、考えたり、迷ったりして、つくられていくものだ。どちらかが一方向的に見せつける何かは、親切ではあってもやさしさではないかもしれない。
とびきりのやさしさとは、どこか目が合わない。「きみの足を洗ってあげる」と微笑もあなたの目は、どこか空洞だろう。わたしはあなたのやさしさを受け取るとき、目を合わせていたい。あなたにやさしさを届けたいとき、ぐるぐると考えながらも、それでも目を合わせていたい。揺れる瞳を、いつまでも見ていたい。
→ほんとうにそうだねって思って。
197
ただ存在するだけのトレーニング
→私もこれしたいと思った。生産性とかなにかいいことしなきゃいけない("いいこと"の定義もはじめからないくせに)と思っちゃうから、夜1人で何もしたくない時の自分を責めたりしちゃう。それで自分のことがいやになっちゃう。だから、存在するだけのトレーニングしたい。それだけでいいんだよねはじめから。
224
サッカー関係者の哲学研究者。怪しさ満点である。だが同時にとてもうれしい。世界はもっと、こういうわけのわからない人が、当たり前の顔をしてのうのうと座っていてもいい。
→まじでそう。今のところそうなる兆しはないけど、私は肩書きのわからないおとなになりたい。 -
Posted by ブクログ
水中の哲学たちが私好みすぎて、こちらもずっと読んでみたいと思っていました
永井さんには、この世界は一体どう見えているのだろう?
私に哲学を、なんとなく身近にしてくれたのが永井玲衣さん
考えることが日常になっている私にとって、負担になりすぎずに考え続けることの大切さをこの本でも教えてもらった気がします
この世界のすべてを、保存しておくことはできない
保存されていても、それは適切な方法ではないかもしれない
保存したいほど、大事にしたいものはなんだろう?
わからないものをわからないままに
わかることを、目標や目的にしない
強く、優しく、そして美しさを感じるエッセイ -
Posted by ブクログ
この本を説明することがとても野暮に思える。要約できない本、しない方がいい本。AIが書けない文章。哲学的だけど詩に近い。
自分以外の人の感覚はどれだけ言葉を尽くしても、同じようにわかることはない。伝わることはない。
しかし、伝えようとすること、わかろうとすること、そのために話をすることはとても大切である。
例え適切でない保存であっても保存することから始まる対話があり、それ自体は決して無意味ではない。
前半は哲学対話の体験やフレーズから作者の日常を観察し言葉を紡いでいくエッセイに近い短編集。
後半は東日本大震災、コロナ、ガザ、広島などテーマが変わる。
なんにせよ、読む時々自分の状態で受け取れるものが大きく変わる本。要約が向かない本。 -
Posted by ブクログ
哲学研究者である永井玲衣さんのエッセイ集。難しいことを一緒にぐるぐる思考するものもあれば、つい声をあげて笑ってしまうものもある。多くの話は哲学対話の場面をきっかけに著者が気になったこと、興味を持ったことについて書かれている。
前にも哲学対話の本を読んだことがあるが、哲学ってつくづく面白いと思う。生産性ばかり追い求める資本主義社会に疲弊する現代人はかなり多いだろうし、その大多数が気晴らしを求めて消費に走っているように思う。服、食事、映画、音楽、、、読書でさえもその内側にあるかもしれない(その人の心持ちに依る?)。新しい物、新しい体験、新しい知識。それでも人は満たされない。欲の先にはさらなる欲しかないからだ。もちろんそれらは悪ではないけれど、もし満たされない自分を肯定できないなら、一度立ち止まって哲学してはどうか?
哲学はモノを必要としない。ふと浮かんだ問いを立てて自分や他者と対話する。問いに良いも悪いもなく、ただただ深く思考する。必ずしも正解を求める必要はない。難しいよね、わからないよねと共有することが哲学の喜びの根幹でもある。
お気に入り
「さみしくてごめん」
「突然の雨にみんなで降られることが好き」という言葉に感動した。とてもわかる。けどそれを言葉にした人を初めて見たし、その理由も頷ける。また、女子校での哲学対話で、「さみしさだけは、誰とも共有できない」と言った生徒、そしてサルトルの「恭しき娼婦」のラストシーン、それらを通して、さみしさの核にある温かさに触れることができる。人はそれぞればらばらで孤独であること。その状況を「分有」している点においてのみ人と人は繋がれるのだ。
「きみの足を洗ってあげる」
やさしいと親切は違うこと。やさしすぎることは危うさを孕んでいること。学ばせてもらった。私は他者を見つめたやさしさを持ちたい。
「穴だらけの幸福」
幸福とは何か。その答えを全員が押し並べて似たイメージで持っていることに違和感を持つ。あたたかくて、やわらかくて、充足しているイメージ。きれいすぎる。なるほどプルリブスってドラマはまさにこういうところを皮肉っている、というか警鐘を鳴らしているのか。自分の、自分だけの幸福についての言葉を探したい。
「ただ存在するだけ運動」
上でも言及した通り、生産性のないものは弾かれる社会で、ただそこに「ある」、つまり「存在する」ことを意図的にしてみようという試みの話。北海道で見たサクラマスを思い出した。大きな流れの中に無謀にも飛び込み、滝登りに何度も挑む彼らに感動しながらも、ただ呆然と見ていた。忙しなく形を変えていく社会の中でその流れに逆らってでも自由に、自分の好きなように表現して生きることができるかな。あのサクラマスのように、挑み続けたい。
「ただ、考えたい」
「哲学はどんな時に役に立つか」と問われた著者の話。この話は本編最後に置かれていて、ここまで読んでいたなら、この問いのくだらなさというか、ナンセンスさがわかると思う。役に立つという発想がまさに生産的な答えを引き出してやろうという表れである。考えることや生きていくこと、そんな途方もなく大きなテーマから些細なことまで、とにかく問い続けることを大切にしたい。役に立つとかよりも、ただそんな生き方がしたいのである。 -
Posted by ブクログ
ネタバレコロナ過の中で書かれたという、日記とエッセイ。日記の部分がたんたんとしてシュールですごく面白かった。他人の何気ないひと言、ちょっとした出来事から広がるイメージや余韻がなんとも言えず可笑しいのだ。終わるジェノベーゼ、適当に作られたレモネード、いちごジャムの中の鮭の瓶、小生のパワーポイント、ニーチェになるカント。「これでええ?」はつい声を出して笑ってしまった。日常の瞬間瞬間への感性の鋭さが感じられるというか、疑問への瞬発力が高い。
後半はエッセイになっているが、言葉になる前の感覚をできる限り丁寧にすくい取ろうとしているような文章で、結論のようなものにはあえてたどり着かず、ただ漂っていくようなエッセイである。もどかしくもあり、優しい気持ちにもなりという感じ。日常って私が思うより不定形でぐにゃぐにゃしてるものなのかも、と思った。それを楽しんで暮らしてみたい。 -
Posted by ブクログ
日常的な会話や、著者が行うワークショップのでの断片的な会話や言葉、その中で語られた言葉や語られなかった言葉。
また、日常にとどまらず、東日本大震災や世界で起こる紛争などについても言及しています。
書かれてはいない決して蔑ろにできない保存すべきことがあることについて書かれています。
私も日常生活で伝えられなかったことや、気を遣って相手に飲み込まれた言葉について考えさせられました。
それと今年ベトナムの戦争証跡博物館で見た被害の様子をそのまま残した写真の数々。これらの写真が訴えるものと、ここには保存されていない被害があるということについても考えないといけないし、忘れてはいけないと思いました。