あらすじ
ことばと出会い、ことばと育ち、
ことばを疑い、ことばを信じた。
『水中の哲学者たち』で一躍話題となった著者は、
ことばに支えられながら、世界を見つめ続ける――。
過去から現在までの著者自身を縦断し、
読者とともにこの社会を考える珠玉のエッセイ集。
【第一部 問いはかくれている】
日々生まれる「新語」。
新語は、現代社会が必要とするから生まれるはず――。
けれど、なぜ私たちはそのことばを作ることにしたのだろう?
新語の裏に潜む問いを探り出し、私たちの「いま」を再考する12篇。
【第二部 これがそうなのか】
幼少期を本とともに過ごしてきた著者。
これまでに読んできた数々の本の中から大切な言葉を選び抜き、争いの絶えないこの世界との対話を試みる。
過去に書き残されてきた幾つもの言葉から、私たちの未来を惟る12篇。
【著者略歴】
永井玲衣(ながい・れい)
1991年東京都生まれ。人びとと考えあい、ききあう場を各地でひらいている。問いを深める哲学対話や、政治社会について語り出してみる「おずおずダイアログ」、せんそうについて表現を通して対話する写真家・八木咲とのユニット「せんそうってプロジェクト」、Gotch主催のムーブメント「D2021」などでも活動。
著書に『水中の哲学者たち』『世界の適切な保存』『これがそうなのか』がある。第17回「わたくし、つまりNobody賞」受賞。詩と植物園と念入りな散歩が好き。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
「言葉」に対して問いを"見舞い"ながらその言葉の存在を深掘りしていく第一部。
横文字言葉、あーね、普通に、〇〇テロなど…何気なく自然と、軽々しく、雰囲気で使えてしまう言葉ではあるが、これらをちゃんと意味を理解しようとすると簡単には紐解けない背景があるようにも思えてくる。日本語の不可思議に触れる。
永井さんが提示するそれらの問いと切り口にはハッとさせられた。いままで考えたり言語化したことはないけど、なんとなーく感じている違和感とかモヤモヤを明らかにしてくれるような、めっちゃわかると共感しまくったり。ああ、日本語って奥ゆかしい〜。
日頃感覚で使えてしまっている言葉をちゃんと理解して、「自分の言葉」にして扱いたいと思った。言葉に対する意識変容が起きるような時間だった。
p.s. 先日読んだ『0.2秒を言語学する』とも通ずるものを感じた。日本語を使う私たちの不思議さ・曖昧さを認識させられたのでさらに印象的な読書だった。
第二部は、永井さんが「読書」や「他者との会話」を通じて感じてきた経験を体感する。
自分は狭い世界を生きているなと思わされる。家族、気心の知れた人、いつもの仕事仲間と心地の良い人たちに囲まれて、その範囲に収まっている。例えば、戦争の中にいる人、病気に悩む人たちが見えていないし、自分に都合の良い範囲を世界と思い込んでいる。
これからは自分が手に取ったことないような本をあえて手に取っていきたいし、わからないことをわかるようになること、突き刺さるような言葉に出会い、考えてみることの大切さを学んだ。
Posted by ブクログ
水中の哲学者たちと比較して、永井さんのシャープでまっすぐな言葉の切れ味や世界の切り取り方はそのままに、全体主義へ向かう社会を憂う影があちらこちらに見られた。語るための、誰かを守るための、社会をよりよく描くための言葉を紡ぎ出すのは大変だったんだろうなと思う。
特に印象に残ったのは飯テロのエッセイで、本来は絶対に並ばない言葉同士の摩擦が生み出す新鮮な感触や、組み合わせに失敗した時の不協和音を見事に描いていた。
本日刊行イベントに足を運んで直に話を聞くことができてよかった。
世界は不条理に溢れているけれどこの世に生まれてしまった以上は踊り明かすしかない。理論整然としている、100%純度の高い世界なんてなくて、ニョキっと生えている不条理を楽しむことが人生を少し豊かにすることだと思う。
Posted by ブクログ
初見の永井さん。
この人の言葉選びは逸材な気がした。
よほど繊細で、視野が広い方なのだろう。
好きなひとの相槌はあまり打ちたくない
はなんだか深くてグッときた。わかる気がした
この会話早く終わらないかな?と思ったとき
必然と相槌が多くなってしまう心理と
普通は好きなひとの話ならなんでも聞いてあげたいから相槌をたくさん打とうとするはずなのに
その時間と相手が尊くて、終わってほしくなくて、
人とは常に矛盾して、口と私は
また別物なのだ
なんだか気が晴れるいい本に出会った
Posted by ブクログ
永井玲の著書は全て読んでいる。新しい感覚に目覚めさせてくれたり、ことばにならなかった物事に気がつかせてくれる、私にとってとても大切な存在だ。(あ、『さみしくてごめん』は積読中でした)
今回もとても良かった。しばらくはその余韻にぼーっとしてしまう。
第一部は『問いはかくれている』。新しいことばや気になることばに潜む問いを考える12篇。
第二部は『これがそうなのか』。著者が幼い頃から読んで強く感じたことばたちを深く掘り下げる、12篇。
第一部ではクスッとしたり、あーそうそう、でもそこまで考えたことなかったな、なんて、比較的軽く読み進めることができる。『若者の喫茶店のマスター化』なんて言い得て妙で、笑ってしまった。
それと比べて第二部は、こころに突き刺さってくることばたちがたくさんあった。新たな視点をもたらし、私に新しい風を送り込んでくれる。
まさに読む前の自分とは違う。ベタだけれどそんな気分だ。
『おれたちがこわいか?』何年経っても著者を追い回したその問いは、著者に新たな気付きをもたらす。『顔たちはそう問いかける。ここでは、わたしがふるいうる暴力の可能性と、そしてそれにどう応えるかが問われている。そしてわたしはおそらく「あなたは脅威ではない」とこたえるところからはじめたいのだと思う。』p310
世にはおぞましいことが溢れていて、気になりだすとそればかりが耳に目に入ってくる。最近文芸でもノンフィクションとあまり違わないフィクションが多く、そんな不条理も知る必要があるしむしろ知ることは大切だと思っているわたしだが、それでも少し疲れていた。
著者が教えてくれたように、わたしも"あなたはこわくない"という前提にたち、わからなくとも一緒に座って考えることからはじめたい。
Posted by ブクログ
永井玲衣さんの本を読んでいると、靴の中にある小石のような、前後ろ逆になった肌着を着ている時のような、日常では見過ごされるちょっとした違和感を掘り下げて観察している気持ちになる。私にはそれがとても新鮮に見えて、もっと言葉を、世界を知りたいと思わせてくれる。永井さんの本を読んで、私の中で生まれた言葉にならない違和感を言葉で表せるようになった。これからも楽しみにしています。
Posted by ブクログ
本に育てられてきた、本が先で世界が後だったという永井玲衣さんの「ことば」に問いを投げかけるエッセイ。永井さんが過去に触れてきた本やことば、そしてそれをもとにした視点や問いにたっぷりと触れられる一冊で、やさしくて贅沢で噛み締めるように読みました。どんなことにもことばにも問いはかくれていることにまず気付けたことがよかった。良い本だったよ〜〜
Posted by ブクログ
永井さんのこれまでの単著は全て読んでいますが、「この人にはどれだけの言葉の埋蔵量があるのだろうか?」と毎回圧倒されます。全く底が知れません。
本作で心に残ったのは、あとがきにあった以下の部分です。作家・建築家の坂口恭平さんが最近読んだインタビューで近い趣旨の発言をされていたので、自分の中で思わぬ共振を起こしました。
たった一言でも「これは!」という言葉に出会えれば人は生きていける、と。
『本を読むことも、対話の場をつくることも、言葉に出会うことだ。そこで起こること、起きていること、すべてを「わかる」必要はなかった。たった一言、たった一行、身体をつらぬく言葉に出会えれば、それだけで十分だった。』
Posted by ブクログ
「ことば」についてのエッセイ、と簡略化してしまうことが激しく憚られるほど、厚みのある、幾重にも「ことば」が積み上げられた、そんな一冊。
自分はインプット型だから、と半ば折り合いをつけていた私自身に、「自分のことば」を発見し、出会ってしまったそれにおそるおそる触れてみる勇気を授けてくれた。そう、誰かのことばを知るだけでは、不十分だったのだ。私が「私のことば」に出会うこと、出会うために必要不可欠である他者という存在、そこからまた生じる世界の奥行き。
ことばに支えられ、裏切られ、翻弄される私たちが、私たちのことばを手にして、他者にそれを手渡すとき、私とあなたの隙間にそれをおずおずと注ぐとき。希望も絶望もすべてをひっくるめた可能性が、私たちの眼前に立ち現れるのでしょう。
Posted by ブクログ
学生時代は数式で生きてきた理系なので言葉が分からなすぎて読書をしてこなかったけど、世界がグレーだと思い始めてから、本を読んでモヤモヤを漂う時間に心を揺さぶられつつ落ち着かせる日々。土を耕してならすような感覚。
言葉が、他人が、
理解できないことがあるが、きっとそれは開かれた可能性ということなのだろう。何気ない他者の言葉の中に含まれる絶望や祈りや希望、もしくは虚無。当たり前のように普通に発せられる言葉の中にいかなる問いを見つけるか、そこに物語を続けるケアというのもあるのではないかな
永井さんの本は前半で問うことをウォーミングアップして、後半でどっぷり深海の中に引き摺り込まれて彷徨って漂う感じがあって、とにかく後半が人間らしさを取り戻すもがきで揺さぶられる。今回もそんな本で好き