永井玲衣のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
日記は成した事を書くが、なんだかいちばん忘れてしまいそうな事を書かなくてはと思った。から始まるこの本は、ずっと自分の頭の中の思考や些細な気づきをこぼれ落ちる前に掬い上げる、実際に思った事を忘れてなかったものにせず「ある」という既成事実を残そうとしている。それらの中には問いがある、問うことは哲学なのか。著者は哲学者ながらも、堅くなく柔和で親近感をもてる人だ、今日の面白かったことをくすりと笑える内容もある。
念入りな散歩をする。私も散歩が好きで何があるわけでもなくモクモクと歩くけれどその時ずっと自分と対話している気がする、何か発見したりもするしふと何故だろうと思い出した事を深めて考えたりもする。
それを世界の奥行きを確かめるために散歩をすると書かれていて、この本は自分の本にしたいと思った。
哲学は常に誰もがしてるのではないか、否哲学はした事はなくさせられている。
タイトルにもある「さみしくてごめん」は130頁の
さみしさだけは誰とも共有できない、だから、わたしだけのもの。
と答えるこの一節を読めただけでも価値のある1冊。 -
Posted by ブクログ
「入試に出るかもしれない」作家シリーズ!ということで若手の哲学者らしい。小学生におすすめされていたのは「さみしくてごめん」だったが、とりあえず待ち人数の少ないこちらを読んだ次第。最近、「言葉」にこだわる人の本を立て続けに読んだが、言語学、短歌、ときてこの方のアプローチは「その言葉に隠れた問いは?」「はっと気づきをくれる言葉は何か」と言ったところか。
個人的に刺さったのは、「ラン活」。私よりも親戚が盛り上がっている昨今、とりあえず勝手には買わないでくれとメールした直後に飛び込んできた。
「その言葉を誰かが言うだけで何かが開始されたことがわかった。いやそれによって開始されたのではない。その言葉にによってすでに開始されていたことが告知されたのだ。」
「問わされてしまう。この問いしかないと思ってしまう。なぜなら就活というものの枠組にわたしがいることは確定しているからだ」
何か言葉があるとやらなければならない気になってしまう。断捨離、大掃除、先取り。そういえばこれらも気づけばその渦中にいるものであり、またその焦りに覆い重なるように「そんなものはやらない方がいい」派閥が攻勢をかけてくる。いや待てよ、ランドセルは基本全ての子どもが持つべきもの、就職は全ての学生がすべきもの、終活は全ての死にゆくものがすべきもの、そのゴールに逃げ道がないからこんなにも選択の余地がないのか。その分、掃除はしなくても死なない、先取りしててもいつかみんな同じレベルにたどり着く、そんな逃げ道があるから少し楽なのか。でももしかして、目標さえ固まれば走り切れる受験生体質の私には、もしかしたら「ランドセルを買わなくていい」という余地がある方が苦手なのかもしれない。そこにしなくてもいいかもしれないという選択肢の可能性を垣間見て、私は焦っている。ゴールテープ張ってくれたらそこまで走り切るのに。こっちに走ってきてもいいんだよなんて、言わないでくれればいいのに。
一つの言葉から広がる思考、深まる私の闇。
全く関係ないが、私の大好きな笑い屋の重藤くんが、突然、言葉を持つ一人の人としてページの間に立ち現れた衝撃は、誰と共有できよう笑。 -
Posted by ブクログ
著者がコロナ前、コロナ最中に書き溜めたエッセイ。
エッセイは、ことばがひとりぼっちで、出版を躊躇していたという著者。
それでも読みたいと言ってくれるひとがいて、手渡したいと思うわたしがいた。
ひとりでに語り手になることはできない。必ずきくひとがいて、わたしたちはようやく表現をすることができる。ただ考えていることがある。それもまた、きくひとがいて、ようやくことばになってくれることがある。
哲学者・作家である永井さんが、あるトークセッションで、「わたしたちは日常で哲学はよくしているが、対話はしていない。」と言っていたことがあった。
あの人と話すと元気がもらえるのは?、コーヒーはなんで黒いのか?、パンとバターが合うのは?ほかに合うものは?など、日々の小さな問いをひとりでに考えていて、これは立派な哲学である。一方で、倫理観や社会的立場、タイパやわかりやすさなど、強い文脈に支配された議論や対話以外の、心から思った素朴でか弱い個人の問いをきき合う場が少ないという指摘だったかと思う。
きく、きいてもらうことから、始まる対話の場をアメーバーのように色んな場所に増殖させていきたい。
この本は、めちゃくちゃな世界や翻弄される自分や友人に、ツッコミを入れ続けるようなエッセイだ。テクノロジーと古の融合した、ごPDF化、おデバイス、生まれ変わったら何になりたい「めかぶ!」、空港の検査でペットボトルを一口飲むように言ったのに、飲むところを見ない空港職員、料理に入った虫よりも箸を渡しそびれたことを謝罪する食堂の店員、すぐにお皿を下げようとする店員さんとの戦いなど、ある場所だけに存在する価値観や自他の価値観のズレをことばにし、ツッコミ(問い)を入れていく。
読むと世界のめちゃくちゃさにあらためて、驚かされる。自分も心の動きをエッセイとして、残したくなる本だ。 -
Posted by ブクログ
「言葉」に対して問いを"見舞い"ながらその言葉の存在を深掘りしていく第一部。
横文字言葉、あーね、普通に、〇〇テロなど…何気なく自然と、軽々しく、雰囲気で使えてしまう言葉ではあるが、これらをちゃんと意味を理解しようとすると簡単には紐解けない背景があるようにも思えてくる。日本語の不可思議に触れる。
永井さんが提示するそれらの問いと切り口にはハッとさせられた。いままで考えたり言語化したことはないけど、なんとなーく感じている違和感とかモヤモヤを明らかにしてくれるような、めっちゃわかると共感しまくったり。ああ、日本語って奥ゆかしい〜。
日頃感覚で使えてしまっている言葉をちゃんと理解して、「自分の言葉」にして扱いたいと思った。言葉に対する意識変容が起きるような時間だった。
p.s. 先日読んだ『0.2秒を言語学する』とも通ずるものを感じた。日本語を使う私たちの不思議さ・曖昧さを認識させられたのでさらに印象的な読書だった。
第二部は、永井さんが「読書」や「他者との会話」を通じて感じてきた経験を体感する。
自分は狭い世界を生きているなと思わされる。家族、気心の知れた人、いつもの仕事仲間と心地の良い人たちに囲まれて、その範囲に収まっている。例えば、戦争の中にいる人、病気に悩む人たちが見えていないし、自分に都合の良い範囲を世界と思い込んでいる。
これからは自分が手に取ったことないような本をあえて手に取っていきたいし、わからないことをわかるようになること、突き刺さるような言葉に出会い、考えてみることの大切さを学んだ。 -
Posted by ブクログ
水中の哲学者たちと比較して、永井さんのシャープでまっすぐな言葉の切れ味や世界の切り取り方はそのままに、全体主義へ向かう社会を憂う影があちらこちらに見られた。語るための、誰かを守るための、社会をよりよく描くための言葉を紡ぎ出すのは大変だったんだろうなと思う。
特に印象に残ったのは飯テロのエッセイで、本来は絶対に並ばない言葉同士の摩擦が生み出す新鮮な感触や、組み合わせに失敗した時の不協和音を見事に描いていた。
本日刊行イベントに足を運んで直に話を聞くことができてよかった。
世界は不条理に溢れているけれどこの世に生まれてしまった以上は踊り明かすしかない。理論整然としている、100%純度の高い世界なんてなくて、ニョキっと生えている不条理を楽しむことが人生を少し豊かにすることだと思う。 -
Posted by ブクログ
偶然、電車で居合わせた人の談笑。すれ違った人からふとこぼれ落ちてきた一言。引き留めるほどではないけど、ちょっと気になる一瞬。たいしたことないそんな日常の一部を切り取って「適切に」保存しようと試みた哲学者の本。一言で言うと、感受性の器みたいな本だった。
「日常を保存する」と聞くと多くの人が「日記」を思い浮かべると思うが、この人はそうではない。スーパーでレジ打ちしていた人や乗り込んだタクシー運転手の名札にふと目をやり、その名前をひたすらノートに記録していく。一見、狂気的な行為だが、それほどまでに日常を「適切に」保存したいと思っていたというのがこの本の始めに書かれている。
怠惰に流れゆくSNSは日常だけれど、“保存する/したい日常”にはならない。そういう意味で「体験すること」はまさに、世界の適切な保存に直結していると思う。本書の中では震災や戦争の中で生きる人たちの日常まで切り取られているが、私はそれを読んでいるうちに震災の二年後、旧友と東北へ行ったことを少し思い出した。更地になった街を前に友人も私も黙ってしまい、私は泣いている友人の後ろ姿をただ、眺めていた。ブログやSNS越しでは伝わらない粒度で私たちは同じ光景を見ていた。目の前にあるすべてが身体に刷り込まれていく。あの出来事から二年経っていた被災地の「日常」は20そこそこの自分たちにはあまりにも強烈で、圧倒的な解像度で私の中に保存されていった。
適切さ、そのちょうどいい加減はむずかしい。でも、塩素という単語を知らない子どもがプールのその臭いを「ああ、温泉に砂糖を入れたような匂いか」とこくこくと頷きながら言う世界との距離のとりかたはとても適切で、私たちはその純度をいつのまにか失ってしまうけど、日々そこには保存したい日常があることを見逃さずにいたいと思う。
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Posted by ブクログ
地面から数センチの場所に漂う香水の香りのように、普段なんとなく不意に浮かぶけど簡単に忘れてしまうような、いつでもそこにあるけど強く意識しないと忘れてしまうような、そういうものについて書かれている
そういう考えや疑問の答えがほしいと思って読む人にはおすすめしない
そういう考えや疑問、記憶の「適切な保存」について書かれているから。
行間に自分の記憶が不意に立ち現れて脳がトリップしたり、はっきりと答えが示されないまま考えを巡らせる文章にふわりと眠気が襲ったりして読むのに少し根気がいった それも心地いい疲労やった
終盤は実際の経験についての「保存」が試みられていて、事実に目を向けることで一気に読めた
そして今わたしも適切に保存したいと、この本の感想を打っている
これから何度も読み返したい一冊 -
Posted by ブクログ
永井さんの言葉は断片的で、ふわふわと不安定な世界に漂いながらも、いつも光を伴って帰ってくる。
不安やストレスに立ち向かう方法や、考え方を変えましょうって内容の本は数多くあるけれど、
この本は一緒に向き合おうよ、みんなで奥底まで潜って考えようよって言ってくれている感覚で、
自分の思考や感情を否定せず両手で掬い上げて向き合える感じがした。
私も普段、駅で足を踏まれてイラっとしたり、アイスの美味しさに感動したりと日々ちょっとした事で感情が動くけれど、
そんな一つ一つの感情の機微を何だろう?何で自分はこんな風に思ったんだろう?って心の奥底を覗きにいくような感覚、すごく好きだった。心の奥行を広げられる気がした。
特に刺さったのはP188のやさしさと親切のお話。
「とびきりやさしい人は何だかちょっと怖い。」の部分、何となく自分の中にあった恐怖心を言語化してくれたようでハッとした。 -
Posted by ブクログ
不思議な本。
「せんそうってプロジェクト」で、哲学者の永井さんと写真家の八木さんが「せんそうって」に続くことばを聞いたり、風景を写した本。
確かに、私たちは「せんそう」を知らないけれど知っている。私は戦場にはいないけれど、戦争が起きている時代に生きている。表向きはなんともないけれど、実はもう渦中にいるんじゃないかと疑っている。
岡真理さんに、「自分たちはすでにイスラエルに加担させられているのだ」と言われてハッとしたみたいに。
それはもう私の暮らしの中にしっかり織り込まれているんだ。
この本でも、「『なかったこと』にするとは、忘れることではなく、起こったことを語らないことだ」ということばが出てきた。なんだったけな。