永井玲衣のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
全国で哲学対話を行っている著者の新刊エッセイ集。日頃の体験や対話を通じて築かれ記憶を「適切に保存できるか」を多面・複眼で捉えようとします。イスラエルによるガザ侵攻に心を痛め、パレスチナの歴史と現在を適切に理解し、記憶として適切に保存することを語りかけます。哲学とは「問うこと」であり、多くの詩や短歌、大江健三郎などの作品を引用して、自問自答を繰り返します。世界をもっと「よく」みること。その中に入り込んで、てのひらいっぱいに受け取ること、この世界と向き合うための哲学エッセイ。苦手な詩や短歌の連続で不勉強で共感力に乏しい私にとっては、非常に難しい書籍となった。今回の読書経験もプラスにとらえ、見識を広
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Posted by ブクログ
・今年2回目の再読。この本を読んでから、他者に自分をひらく、ということについてずっと考えている。
・ふだんのあれもこれもぜんぶ哲学じゃん、という気づき。日常が問い。問うことは、他者との違いを知り、世界と、自分の解像度を上げていく行為か、と。
・幼い頃、なんで?と問われ、うまく答えることができず、しばらくの間ほったらかしにされた経験がある。それがおそらくトラウマになっていて、「なんで?」「どうしてそう思うの?」類の質問から避け続けてきたように思う。それは単純な問いで、ただ、わたしのことを知るためのものであって、決して責めているわけではない。それに気づいたのは、随分と時間が経ってからだった。な -
Posted by ブクログ
永井玲衣さんのいう「手のひらサイズの哲学」とは、世界に根ざしながら世界を見つめて考えること、らしい…ん?? この問いへの一つの探究を、「哲学対話」を通して掘り下げた哲学エッセイです。
哲学という言葉からくる堅苦しい印象からは程遠い、軽やかさを感じました。そう感じる理由は、世界の「わからなさ」について、永井さん自身が「わからない」自分を隠さず晒している点だと思います。
何かを深く考えることは、しばしば水中に深く潜ることにたとえられるそうで、哲学対話は、ひとと一緒に考えるから、みんなで潜ることになります。
永井さんは、哲学対話で中立的な立場で合意形成を支援する進行役(ファシリテーター) -
Posted by ブクログ
日常的な会話や、著者が行うワークショップのでの断片的な会話や言葉、その中で語られた言葉や語られなかった言葉。
また、日常にとどまらず、東日本大震災や世界で起こる紛争などについても言及しています。
書かれてはいない決して蔑ろにできない保存すべきことがあることについて書かれています。
私も日常生活で伝えられなかったことや、気を遣って相手に飲み込まれた言葉について考えさせられました。
それと今年ベトナムの戦争証跡博物館で見た被害の様子をそのまま残した写真の数々。これらの写真が訴えるものと、ここには保存されていない被害があるということについても考えないといけないし、忘れてはいけないと思いました。 -
Posted by ブクログ
選挙に興味を持ち始めたものの、分からないことだらけで読んでみた本。
なぜ自民党は強いのかや、なぜ野党は勝てないのか、なぜ女性政治家は少ないのかなどをテーマに。
前半はデータに基づいた話しをしているので、ウッとなるが、分かりやすく書いてくれているので、初心者でも全然分からないということはなく読めた。1からと言うよりは、近年の選挙に絞られていて、そこも身近に感じられて良かった。
最後は哲学対話で締められている。
興味を持ったのに、具体的に話すのはタブーみたいな風潮でより分からなくなってく「選挙」。生活の中で感じている「選挙」のことが話されていて、もっと身近にみんなで考えてみたいと思えた。
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Posted by ブクログ
『水中の哲学者たち』でも感じたが、刻一刻とすぎていく瞬間を言葉として表現しているのが自分にとってはとてもすごいことでどういう風にやっているんだろうと思う。印象に残る一節も多い。自身ももっと世界をよく見て感じ、言葉を書き連ねたい。
## はずでした
「わたしたちの生は、無数の「そうであるはずだった」に満ちている。(中略)ひとが「はずだった」と言うとき、そのひとの心はとこかへ行ってしまったかのように見える。「はず」の二文字に、そっと感情が乗っているからだろうか。」
## 適切な保存
「こんなふうに目まぐるしく入れ替わっていく東京で、ひとつひとつを丁寧におぼえておくことはできない。どんなに意