永井玲衣のレビュー一覧
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「水中の哲学者たち」というタイトルのように、ずっと透明できれいな、けれど水面も底もない水の中にずっといるような感覚だった。気持ちいいけど息苦しさもある、みたいなそんな感じ。
「わたしの人生は、わたしが決められて、本当だと思っていることにも、本当に?と問うてもいいのだ、と思った。」私は人生ではなく、歴史の授業に対して、恩師の授業開きで同じようなことを思ったな、ということを思い出した。「本当だと言われている歴史に対して、本当に?と問うてもいいのだ」と。私の今の職業の原体験だ。
「かと思えば、『存在と時間』『差異と反復』『物質と記憶』など、青春アミーゴの修二と彰さながらコンビ名っぽいものもある。 -
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読書というより、脳みそを眺めているに近い感覚。
エッセイでもなく新書でもない。
永井玲衣さんは哲学者であるけど、小難しい論文を書いている訳でもなく、そう思いました日記でもない。
でも、確かにふと私達も色んな事を思いふけり脳みその中の宇宙に飛び込んだりするような事を
取りこぼさず文章にしてくれている。
そしてくすっと笑える。取るにたらない言葉の事をはたと立ち止り改めて何故と思う時、それは「問い」だと言うけれどよくよく突き詰めて考えても面白い、これも一種の哲学なのかと身近に感じる道筋もできている。目次の「普通に」から「圧倒的に」が楽しく読めた。後半は戦争についての思い巡りもあり
それを読むのは読書 -
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ネタバレ私はきっと、この人の文章に何度も泣かされて、救われるのだろうと思う。
『なんとなしに生きてきたっていうことが、原発のあの光景をみて、あるいは福島のひとたちの被害をみて、こんなに暴力的なんだって。』
なんとなしに生きないことは、疲れる。でも、なんとなしに生きることは、暴力的。なんらかのカタチで、保存しないと。
『言葉とはつねに他者に向けて手渡されるものだ。その意味で、言葉を手放してはいけない。
言葉を失ったとしても、言葉をあきらめないことをつづけなければならない。普通じゃない、普通じゃない、これは普通じゃない。集中力を霧散させてしまうような誘惑と闘って、この感情を適切に保存しながら、手渡し -
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本や言葉を通じて世界との繋がりを築いてきた著者が、社会に出て他者と出会い、「これがそうなのか」と開眼する瞬間が描かれる。
しかし、その出会いは単なる確認作業ではない。
何度も繰り返される「世界の奥行き」という言葉に象徴されるように、平面だった世界が立体として立ち現れたとき、その深淵さに圧倒される。
子育てをしている人が口をそろえて「大変とは聞いていたが、ここまでとは聞いていなかった……」とやつれた表情で語る姿。まさに「これがそうなのか」という瞬間である。
「現実をそのまま肯定しないように注意深くあることは、繊細な集中力を要する」という一節は言い得て妙だ。白にも寄らず、黒にも寄らない、平均台を渡 -
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死ぬとは、なぜ私は日本に生まれてきてしまって、裕福に暮らしているのか。地球は滅亡してしまうんじゃないのか。家族がいつか死んじゃうんじゃないのか。
そういえば子供の頃にそんな恐怖に押しつぶされそうになって、しょっちゅう悪夢にうなされていた。すっかり滅亡しそうでゆっくり悪化していく地球環境に慣れ、やっぱ日本でよかったと安堵し、意外に人は死なないことに気づいてしまった。永井さんの本には、そんな忘れかけていた根本的な問いが溢れ、子供の頃の自分が横に並んで一緒にドキドキしながらページをめくっているようだった。
たまたまこの本を読み終えようとしていたある日、プラネタリウムでドラえもん達がミニチュア宇宙 -
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日記は成した事を書くが、なんだかいちばん忘れてしまいそうな事を書かなくてはと思った。から始まるこの本は、ずっと自分の頭の中の思考や些細な気づきをこぼれ落ちる前に掬い上げる、実際に思った事を忘れてなかったものにせず「ある」という既成事実を残そうとしている。それらの中には問いがある、問うことは哲学なのか。著者は哲学者ながらも、堅くなく柔和で親近感をもてる人だ、今日の面白かったことをくすりと笑える内容もある。
念入りな散歩をする。私も散歩が好きで何があるわけでもなくモクモクと歩くけれどその時ずっと自分と対話している気がする、何か発見したりもするしふと何故だろうと思い出した事を深めて考えたりもする。
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「入試に出るかもしれない」作家シリーズ!ということで若手の哲学者らしい。小学生におすすめされていたのは「さみしくてごめん」だったが、とりあえず待ち人数の少ないこちらを読んだ次第。最近、「言葉」にこだわる人の本を立て続けに読んだが、言語学、短歌、ときてこの方のアプローチは「その言葉に隠れた問いは?」「はっと気づきをくれる言葉は何か」と言ったところか。
個人的に刺さったのは、「ラン活」。私よりも親戚が盛り上がっている昨今、とりあえず勝手には買わないでくれとメールした直後に飛び込んできた。
「その言葉を誰かが言うだけで何かが開始されたことがわかった。いやそれによって開始されたのではない。その言葉に -
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新聞の4コマ漫画くらい気軽に読める哲学の本
読み始めた時 うわ〜文体苦手かも〜と思ってたのに知らないうちに慣れてた。
日常でそのへんに落ちてそうな話なのに、なぜ、なぜ、と考えていくうちに哲学になるのは面白かった。こんな言葉があるのかは知らんけどエッセイ的な哲学で、この話は刺さらないな〜と思ってもすぐ次の話になるのがありがたかった。
哲学書はよくわからん話を永久に続けてくることが多い。そして、だいたい胸焼けして読むのをやめる…。
読み進めていくうちに、哲学的思考って一つの物事をピントをいじって 多角的に考えることなんだなと実感できた。もちろん人の意見を聞いてピントを変えるでもよし。
面、人 -
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著者がコロナ前、コロナ最中に書き溜めたエッセイ。
エッセイは、ことばがひとりぼっちで、出版を躊躇していたという著者。
それでも読みたいと言ってくれるひとがいて、手渡したいと思うわたしがいた。
ひとりでに語り手になることはできない。必ずきくひとがいて、わたしたちはようやく表現をすることができる。ただ考えていることがある。それもまた、きくひとがいて、ようやくことばになってくれることがある。
哲学者・作家である永井さんが、あるトークセッションで、「わたしたちは日常で哲学はよくしているが、対話はしていない。」と言っていたことがあった。
あの人と話すと元気がもらえるのは?、コーヒーはなんで黒いのか? -
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「言葉」に対して問いを"見舞い"ながらその言葉の存在を深掘りしていく第一部。
横文字言葉、あーね、普通に、〇〇テロなど…何気なく自然と、軽々しく、雰囲気で使えてしまう言葉ではあるが、これらをちゃんと意味を理解しようとすると簡単には紐解けない背景があるようにも思えてくる。日本語の不可思議に触れる。
永井さんが提示するそれらの問いと切り口にはハッとさせられた。いままで考えたり言語化したことはないけど、なんとなーく感じている違和感とかモヤモヤを明らかにしてくれるような、めっちゃわかると共感しまくったり。ああ、日本語って奥ゆかしい〜。
日頃感覚で使えてしまっている言葉をちゃんと理解 -
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水中の哲学者たちと比較して、永井さんのシャープでまっすぐな言葉の切れ味や世界の切り取り方はそのままに、全体主義へ向かう社会を憂う影があちらこちらに見られた。語るための、誰かを守るための、社会をよりよく描くための言葉を紡ぎ出すのは大変だったんだろうなと思う。
特に印象に残ったのは飯テロのエッセイで、本来は絶対に並ばない言葉同士の摩擦が生み出す新鮮な感触や、組み合わせに失敗した時の不協和音を見事に描いていた。
本日刊行イベントに足を運んで直に話を聞くことができてよかった。
世界は不条理に溢れているけれどこの世に生まれてしまった以上は踊り明かすしかない。理論整然としている、100%純度の高い世界