永井玲衣のレビュー一覧
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日常的な会話や、著者が行うワークショップのでの断片的な会話や言葉、その中で語られた言葉や語られなかった言葉。
また、日常にとどまらず、東日本大震災や世界で起こる紛争などについても言及しています。
書かれてはいない決して蔑ろにできない保存すべきことがあることについて書かれています。
私も日常生活で伝えられなかったことや、気を遣って相手に飲み込まれた言葉について考えさせられました。
それと今年ベトナムの戦争証跡博物館で見た被害の様子をそのまま残した写真の数々。これらの写真が訴えるものと、ここには保存されていない被害があるということについても考えないといけないし、忘れてはいけないと思いました。 -
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選挙に興味を持ち始めたものの、分からないことだらけで読んでみた本。
なぜ自民党は強いのかや、なぜ野党は勝てないのか、なぜ女性政治家は少ないのかなどをテーマに。
前半はデータに基づいた話しをしているので、ウッとなるが、分かりやすく書いてくれているので、初心者でも全然分からないということはなく読めた。1からと言うよりは、近年の選挙に絞られていて、そこも身近に感じられて良かった。
最後は哲学対話で締められている。
興味を持ったのに、具体的に話すのはタブーみたいな風潮でより分からなくなってく「選挙」。生活の中で感じている「選挙」のことが話されていて、もっと身近にみんなで考えてみたいと思えた。
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『水中の哲学者たち』でも感じたが、刻一刻とすぎていく瞬間を言葉として表現しているのが自分にとってはとてもすごいことでどういう風にやっているんだろうと思う。印象に残る一節も多い。自身ももっと世界をよく見て感じ、言葉を書き連ねたい。
## はずでした
「わたしたちの生は、無数の「そうであるはずだった」に満ちている。(中略)ひとが「はずだった」と言うとき、そのひとの心はとこかへ行ってしまったかのように見える。「はず」の二文字に、そっと感情が乗っているからだろうか。」
## 適切な保存
「こんなふうに目まぐるしく入れ替わっていく東京で、ひとつひとつを丁寧におぼえておくことはできない。どんなに意識をはたらかせ手いたとしても、どんなに写真を撮ってまわっていたとしても、少しすすけた仮囲いの白さしか、目に浮かんでくることはない。」
## 適切な説明
「歌集をひらき、言葉に向かい合う。そして気づかされる。そう、適切な説明とは、言葉がもちいられなくても、立ち現れるのだ」
## そのにおい
「においはやはり保存されにくい。言葉を失うような現実を前に、言葉にできないというかたちで強烈に保存されていることもある。(中略)また、においを知っているということは、そのひとが確かにそこに「いた」、そこにいきていたということだ。」 -
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前半部分は、著者の永井玲衣さんが、忘れることを嫌がっている事から「世界の適切な保存」だと思って読んでいましたが、後半にヒロシマの原爆や東日本大震災など、忘れてはいけないことを忘れないように、言葉を使って、世界を保存しようとして葛藤している様子を感じることができるようになってきました。僕は、個人的に写真を撮ることが趣味なのですが、「時が流れていかないように」というwebsiteを作って、撮った写真を公開していました。(閉鎖しました)永井さんが考えていたことと、同じようなことを僕も思っていたことが、共感を覚えました。日々消費されるコンテンツを、僕もただ保存したいと思います。
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この本を手に取ったきっかけは、情報番組で「自民党がなぜ強いかをデータで分析している」「選挙とは何かを座談会形式で考えている」と紹介されていた点に惹かれたからである。
本書によれば、自民党が強い理由としては、①小選挙区制において効率的に議席を獲得できる制度構造、②公明党との選挙協力、③野党が候補者を統一できず票が分散すること、④非都市部で組織団体や保護政策を通じて基盤を固めていること、⑤政治に不満を抱えながらも与党に投票する層が一定数いること、などが挙げられている。
また、(本書の説明を踏まえつつ私の理解を交えて言えば)投票率の低さも自民党に有利に働いている。特に「選挙に行かない層の中には野党支持者が多い」とするデータも紹介されており、この点をどう評価するかは読者に委ねられている。
最終章の哲学対話では、「選挙とは何か」「選挙活動の開始をいつとみなすのか」「有権者はいつから政治家を注目すべきか」といった問いが提示される。有権者として、選挙期間中だけ政治家を評価すれば良いのか、それとももっと長いスパンで考えるべきかという問題提起には共感を覚えた。
総じて、本書は前半でデータ分析を通じて自民党の強さの構図を明らかにし、後半で哲学的な問いを通じて選挙の本質を考えさせる構成となっている。結論を押しつけず、読者に思考を促す点で、選挙への関心を深めるきっかけとなる一冊である。 -
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“あまりに物事がしんどくて、何もかもが立ち行かない時に、友人に「降伏だ」とメッセージを打とうとした。機械は、わたしの状況などつゆ知らず「幸福だ」と変換した。わたしは自分で自分のことを幸福と言ったことがなかったから、それを真新しい目で見ることになった。”(p.94)
“見ることは、変えることだ。自分自身を超え、変えていくことだ。世界は不適切に保存され、手渡される。それを、もっと見ようとする。見ることによって、知っていたと思い込んでいたものが変形する。知っていたと思い込んでいた自分が変わる。ならば、どうするかだ。
見るだけで終わることはできない。見ることは、わたしを当事者にする。共に生きるひとにする。そうしたとき、わたしはどうするのかというところまで、問われている。”(p.260)
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初めて読んだ哲学エッセイ。
哲学には興味があったけれど、深く考えすぎる自分の性格だと負のスパイラルに入ってしまうのでは?と恐れてなかなか手を出せずにいたジャンル。そんな中で出会ったのがこの作品!少し読んでみたらとてもカジュアルな文体で、評価も高かったので、「これなら飲み込まれずに読めるかな」と思って手に取った。
一章は哲学対話での出来事について書かれていて、あまり刺さらず、、、。
でも二章がとても面白い!
世間との馴染めなさや、自分だけの歪な世界、他者との違い、さまざまな生きづらさを、哲学というフィルターを通して見てみると、それは昔からたくさんの哲学者たちが悩み、答えが出ないまま問い続けてきた問題なんだと気づく。
自分の生きづらさも、長い歴史の中ですでに考えられていて、今も答えが出ていない「哲学」なのかもしれない、と思うと、すごく気楽になれる。
他者と本音で話すのが苦手な自分にとって、哲学対話はとても踏み込みにくい世界だけれど、それすらも「なんでだろう?」と哲学することができちゃう。
この人間特有の個性を、もっと楽しんでみてもいいのかもしれない!!
「哲学する」という言葉がいいなと思った。動詞として使えるのを初めて知って、なんだかしっくりくる素敵な言葉。 -
Posted by ブクログ
哲学者や哲学の歴史をわかりやすく紹介していく本かと思って開いたら…なんとエッセイ!
個人的にエッセイはあまり読まないので、集中するのに時間がかかりました。
というのも、エッセイってフィクション小説と比べて、一冊を通して伝えたいメッセージとか筆者の考え、綺麗な伏線回収みたいなものを感じにくいから、読後に「はぁ〜〜〜ほぇ〜〜〜」みたいな感情を得にくい。
私がそういうスッキリ感?達成感?やら深いメッセージを求めちゃってるから、相性が良くないだけなんですが…
本書にもやっぱり一貫したメッセージみたいなものは感じられませんでしたが、筆者の思考の海に入り込めるような文章は心地よかったです。
『存在と無』(=難解な本)を開いた著者の文字の見え方(存在とはばばばばばびぶぶべべぼ…)、意味のわかる単語だけがとびとびで目に飛び込んでくる感じとか、わかるわーってポイントも多数。
とくに好きな章は「信じる」。
百人一首や短歌にの解釈を、筆者の日常から捉え直す視点が面白かったです。
そして意外に感じたのは、
「哲学対話は共感の共同体でもない」という言葉。
哲学対話に参加してみたいとは常々思っているのですが、哲学対話というとどうしてもいわゆる互助会のような、連帯感を生むための取り組みというイメージもあったので…。
いい意味でその場限りの対話で、終わってしまえば個々人の日常に戻れるような場なのかなと思いました。
にしても、哲学って最も文系っぽい、というより最も理系から遠い分野だなぁと思いました。
この本、THE理系が読んだらどう感じるのかな。
水とか地球とか生命とかが当たり前に存在していることの不思議を考え込むこと。そんなん物理や生物学で説明できるやんって思われそう笑
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「私たちはひとと集まって話すことが苦手である。うまく考えられたとしても、それを適切にひとに伝えたり、話を聞いたりすることが本当に下手だ。考えを闘わせて、誰が一番強いのかを決めることが好きで、ひとに協力して意見を練り上げていくことがとても苦手だ。」
「特に選んだわけではないにもかかわらず、わたしはわたしであることを引き受けねばならない。この数奇な事実を飲み込むのに、わたしたちは長い時間をかけて、たくさんの回り道をする。」
「ひとは一貫性、不変に憧れる」
「待つことはつらい。ただし待たされることを、待つことに捉え直すとき、それは決断の主体性を帯びたものになる」
「自由の尊重と、無責任な放棄は違うんじゃないですか」
「自由。あなたの自由。このおそるべきもの。」
「専門用語とは、物事を円滑に進めるための、ただの道具だ。〜〜〜 専門用語は、ギャルが「精神が非常の高揚している状態」を「テンアゲ」で済ませるみたいなものだと理解して欲しい。」
「ただ存在していることは、いたたまれない。だから、わたしたちは何か役割を得たいと思う。それは、アイデアを出す人だったり、議論を記録する人だったり、荷物を運ぶ人だったりする。もしくは、傘(さしている人だったり、ラベルを熱心に読んでいる人だったり、スマホをいじっている人だったりする。」
『あなたがたが生きる以前には生は無価値である。しかし、これに意味を与えるのはあなたがたであり、あなたかまたの選ぶこの意味以外において勝ちというものはない』サルトル
「悲劇」とはなにかというテーマで、悲劇とはままならないこと、という意見が出てきて、「でも人生もままならないことばかりですよね、そうなると人生は悲劇なのか?」と連想していくシーン
→「ままならなさ」とは人と比較して感じるものだと思っている。比較するものが近くの友達ぐらいだった子供時代、勉強やスポーツの出来から「ままならなさ」を実感していた。そして大人になっても外見とか稼ぎとか、ある人にはあるのに自分には足りていない要素を、「ままならなさ」として実感せざるを得ない。
→だから世間では「人とは比べないこと」「今ある目の前の幸せを大切に」とか言うけどそもそも人と比べることって悪いのか?比べるから感じるその「ままならなさ」をなんとかしようと努力することこそ、知能生物として進化してきた要因ともいえないか?
「中学のときの、あの快感がこびりついて、わたしはいまでもこんなことをしているのだ」
→大学時代に感じた達成感をいつまでも追い求めているのは私です。
「だってわたしは、ある人が「この後会えない?相談があるの」と思い詰めた様子で言うのを、心配よりも先に「やば、明日早いんだよな」と考えたことがあるし、泣きながら深夜に電話をかけてきた人の話を聞いて、相槌を打ちながら授業のレジュメを作っていたこともある。」
→小説でよく出てくる「ショックorめちゃくちゃ嬉しい出来事orとにかくびっくりする出来事が起こった時、どこか冷静な自分が、その時の自分の反応を俯瞰していたり相手の顔を見て今日は何色のアイシャドウしてるとか思ったりしてしまうこと」と似ている。 -
Posted by ブクログ
永井さんが、戦争についてどういう風に語るのかと思って読む。現在は戦争体験者が亡くなっているので、どのように戦争を語り継ぐのかという問題でもある。
読んでからずっともやもやする。あとがきに書かれているように、あまりうまくいっていないのではないか。あえて出典を巻末にまとめることで、無名の人の声も著名な書籍からの引用も区別がつかない一個人の声として読ませるのだが、匿名の個人の言い淀みまで丁寧に掬っている場合ではないのではないか。
この言葉なら自分の体感でも戦争のことがわかるというような個人の実感の話はもう読まなくてもいいかなと思う。事実を読む方がよいように思う。
たたずまいが美しい本。 -
Posted by ブクログ
自分自身を問い直すと、それまで自分の中にあった価値観や考え方が壊れて、代わりに新しい考え方が身につくことがある。それは一人で考えているときにも起こるし、誰かと話しているときにも起こる。
人は経験を積み重ねて成長すると言うけれど、実際には、これまでの考え方が一度壊れて、新しい考え方が自分の中にしっくり収まることなのかもしれない。
自分の中の何かが壊れることは、少し怖い。でも同時に、新しい自分になれるようなワクワクもある。人生は、そうやって何かが壊れ、また新しいものが身についていくことの繰り返しなのではないかと思った。
一方で、相手のアイデアを受け取ることは、相手の一部を受け取ることでもある。だから、それを雑に扱えば、相手との関係まで壊してしまうかもしれない。コミュニケーションには、いつもそういう怖さがあるのだと思う。
自分で考え、自分の中にあるものが壊れて、新しい考え方を得ることはよい。しかし、他人に干渉して、相手の中にあるものを壊すことにはリスクがある。
それでも、相手をよい方向に揺さぶり、新しい考え方を身につけるきっかけを与えることもできる。怖さはあるけれど、自分はそんなふうに、誰かによい変化を与えられる存在でありたいと思った。