山﨑圭一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
タイトル通り、教科書的なこの本。
絶対に忘れないかと言ったらどうだろうか。
互いに影響を与えあった世界の国。
利権のため踏みにじったもの奪い合って破壊したもの。
どんな事が目的で何をしたのか今後に活かす意味でも読んでおくと良い。
有名な三角貿易について、奴隷・砂糖・武器があるが
奴隷の集め方として同じ地域でも部族が違えば捕らえて売る対価としてまた武器を得るという非常に自己中な事があったと言う。
同じ命、誰であれ家族がいて大切な人がいる。
お互いに思いやって生きていく事を考えなかったのは昔だからと言うだけではない。自分さえ良ければ良いそれ以外にない。
この頃は毎日のようにウクライナとロシアの戦争状態が伝えられる。
この21世紀に本当に戦争なんてしているならSDGsどころじゃない。
黙っていたって時間は過ぎる。
この本を通して今の日本に何ができるか、そんな事を考えさせられる。 -
Posted by ブクログ
地理学、というか気象学の基礎の基礎をいかに知らなかったかを思い知った。なるほど〜がいっぱい。
・季節風とは
陸地と海では温まり方、冷え方が違う。水(海)は温まりにくく冷めにくいので、陸と海に気温差が生じる。夏は陸の方が気温が高く、冬は海の方が気温が高い。また、空気は温められると上昇し、冷めると下降する。なので、夏は地面が温められて上昇気流が発生し気圧が低くなり、冬は地面が冷やされて下降気流が発生して気圧が高くなる。
風は気圧の高い方から低い方に向かって吹くので、夏は海から陸へ風が吹き、冬は陸から海に風が吹く。
・地球は、低緯度(赤道に近い方)から高緯度にかけて「湿潤」ゾーンと「乾燥」ゾーンが帯状に分布している。このゾーンが太陽の高度の変化により、季節によって上下する。(ゾーンのずれ) エジプトは乾燥ゾーンだが、ナイル川の上流(スーダン、エチオピアに位置する)では、雨季と乾季がはっきりしている「サバナ気候」にあたり、雨季になった時に増水し、耕作に恵みを与える。しかし、エジプトにとってそれはライフラインをナイル川上流の国に握られていることになるので(ダムの建設など) スーダン、エチオピアとは微妙な関係にある。
・ヴェネツィアが浸水(アクア・アルタ)するわけ
地球は低緯度から高緯度に向かって、低圧帯(熱帯低圧帯)、高圧帯(熱帯(亜熱帯)高圧帯)、低圧帯(亜熱帯低圧帯)、高圧帯(極高圧帯)と、低圧帯と高圧帯がシマシマにゾーンを作っている。低圧帯は上昇気流が発生しやすく雨がよく降り、高圧帯は下降気流で乾燥気味。地球は太陽の周りを傾いて回っているので、低圧帯と高圧帯の位置も季節によって南北に移動する。地中海はちょうどゾーンの境目に位置するので、「夏は高圧帯、冬は低圧帯」になる。つまり夏は雨が降らず、冬は雨が多くなりのだ。低気圧ということは海面を押さえている大気の圧力が低いということなので、周りを海に囲まれているヴェネツィアは冬に高潮になり、ここに強い南風が吹きつけ、アドリア海の奥に海水が押し寄せるとアクア・アルタが発生する。 -
Posted by ブクログ
宗教の本質は、純粋な心の救いなのか?それとも、組織の生存戦略なのか?
三大宗教の概略を学ぶ中で、私はそんな根源的な問いに向き合うことになりました。
個人の視点とマクロな視点では、宗教の見え方が大きく異なるという点に、深い学びがありました。
まず、マクロな視点から見ると、宗教には一種の組織論的な思想体系という側面があることを学びました。
個人の心の中にある純粋な信仰や幸福の追求がどれほどピュアなものであっても、それを維持するための教団という組織が立ち上がると、そこには生存本能のようなものが働くように見えます。
信者という構成員を増やし、時の政治権力などの外的環境にいかに適応していくかという、社会的な生存戦略に重きが置かれていくプロセスを感じました。
次に、その組織が拡大していく過程で、本来の創始者の思いとたもとを分かっていくという現象です。
組織が異なる時代や政治環境に適応しようとするとき、教義の解釈が都合よく変更されることがあります。
創始者が抱いていた平和への希求や教えが、組織の防衛や拡大という目的のためにカスタマイズされ、時には好戦的な論理に変わってしまう歴史に直面しました。
最後に、宗教と歴史が共有している、拡大の罠と解釈の分断という循環についてです。
宗教も、あるいは資本主義や共産主義といった歴史上の経済・政治システムも、拡大し続けなければ維持できないという共通の課題を抱えているように思えます。
袋小路に入った双方が目指す人類の幸福という根源的なゴールは近いはずなのに、わずかな手段や解釈のズレをめぐって激しい対立が起きてしまうことが、とても印象に残りました。
どちらかが一時的な勝者となっても、そのシステムが大きくなって新たな歪みを生めば、かつての敗者の視点が形を変えて再び現れ、同じような争いが繰り返されていくという側面があります。
個人の視点で見れば、宗教や思想は確かに心穏やかな救いになり得るものだと思います。
しかし、社会システムとしてマクロに見つめ直すと、人間は拡大と解釈の変更という、終わりのない循環を繰り返してきたのではないか、という学びを得ることができました。