飲茶のレビュー一覧
-
ネタバレ 購入済み
手軽な哲学史大全。
2024年12月読了。
前々から積ん読状態だったものから手を付けた。哲学自体は好きで、大学時代も講義を採っていたが、何せ古代から現代まで数多の星のごとく《哲学者が居るため》、フォローしきれずに終わってしまった記憶が強かった。
その後、社会人と成ってからもチョコチョコ読もうとするのだが、古代から現代までは果てしなく遠く、いつも『近代の途中』で断念していた。「哲学史大全」の様なものは沢山出版されているが、どうしてもカタログ的で喰い足りない印象に成り、遠ざかってしまってからもう数十年…。
五十路を過ぎて《これが最後のチャンス》とばかりに本書を購入したが、中々手に付けられず月日は流れ…、先日ふと思うことがあり『やはり死ぬまでにはキチンと概観だけでも理解しなくては』と思い読み始めた。
読みやすさ、ポイントの付き方、前後の哲学との繋がりや相関関係が、見事なまでに《要を得て簡潔に》書かれているため、本当に楽しい時間を過ごしながら読破した。この《読みやすさ》に特化した本は、市場には余るほど溢れているが、著者の『前後関係をハッキリさせること』『その人の主張のポイントを(例え本当は複数の主張が有っても)出来るだけ少なく簡潔に纏めること』に非常に力を注いでいる為、読者が《置いていかれない》工夫がされている点も非常に高く評価したい。
哲学は底の無い井戸のようなもの、これをスタートに現代哲学を新たな気持ちで勉強し直そうと決意した。そんな事を考えさせてくれた著者に対して、本当に厚く感謝したい。
』
-
Posted by ブクログ
飲茶さんの本は読みやすい。今回も読みやすかった。これも毎回だが、読みやすいからといって、理解ができるとは限らないと思っている。難しいところもあるが、科学が思いの外、正しくないとわかった。科学という論理的な分野でさえも、根底となる前提は主観だったり、人類がその歴史を歩んできた経験値。なんでもかんでも、科学的な証明ができるわけではないということは理解できた。そう考えると、この世界で確実なものはなく、白黒つけられるものはなく、全くグレーで曖昧な世界に生きているんだな。ネガティヴケイパビリティにも通じる世界。理解が及ばないだけかもしれないが、私はそういう白黒つけない世界に漂うことが好きだ。
-
Posted by ブクログ
前作の西洋哲学トーナメントに引き続き、本作では東洋哲学によるバトルが展開される。
西洋哲学が「ゴール(真理)を目指す」ものであるのに対し、東洋哲学は「ゴールした」ところからスタートする。
東洋哲学者は、西洋のようにそれまで築かれてきた哲学を批判したり打ち砕くことに躍起になったりはしない。
後世の人間たちは、先人の東洋哲学に対して「自分たちの解釈の仕方が間違っているんだ」と考え、「新しい解釈の仕方」を作り出し、その解釈の体系を発展させていく。
ーーーーーーー一以下、抜書きーーーーーーー
.
西洋の場合は、最初の哲学として「世界の根源とは何か」「絶対的に正しいことは何か」といったことを考えた。すなわち、西洋は「人間の外側」にある「何か」について考えたのだと言える。しかし、東洋の場合は、それとはまったく異なり、哲学者たちはみな、「自己」という「人間の内側」にある「何か」について考えた。そう、東洋と西洋は「関心のベクトル(方向性)」がちょうど逆だったのである。
.
『存在と無』は、二〇世紀最大の知的巨人であるサルトルによって書かれた「私」に関する西洋最新最強の哲学書であるが、実のところ、そのいくつかの洞察は、紀元前六〇〇年頃の東洋哲学者がすでに通り過ぎた場所なのである
.
だから、何も釈迦が突然そういう「境地」を新しく発明したわけではない。また、後に彼は、菩提樹の下で悟り、その境地に到達するわけであるが、それだって別に彼が人類史上初というわけではないのである。したがって、その意味では、釈迦は決してオリジナルな存在ではないし、突如インドに舞い降りてすべてを生み出した神のような存在でもない。釈迦は、ウパニシャッド哲学という脈々と受け継がれてきた古代インドの伝統を踏まえた上で存在しているひとりの人間であった、ということは覚えておいてほしい。
.
釈迦が偉大だったのは、古代インドの伝統として根付いていた当時最強のウパニシャッド哲学にたったひとりで立ち向かい、その誤解を正してインド哲学の潮流を正道に戻し、そのうえで「アートマン」という概念を否定した次の時代を担う新しい東洋哲学を生み出したところにあるのである。
.
仏教とは、釈迦の哲学を知識として伝えるための教団なのではない。仏教とは、釈迦、そして、古代インドの哲人たちが到達した「あの境地」をみんなにも体験させようと、その方法を何千年も研鑽し続けた学徒の集団なのである。それゆえ、仏教のお経には、知識や教訓や生きるヒントが書かれているのではない。お経とは、読むことで釈迦や古代インドの哲人たちと同じ悟りの体験が引き起こされるよう、周到に緻密に計算された実践の書なのであり、そのためにこそお経は後世に伝えられ、そのためにこそお経は繰り返し読まれ続けるのである。
.
『論語』を読み、孔子の道徳的言説を学ぶことも大切ではあるが、僕たちが孔子からホントウに学ぶべきことは、「戦国時代、たった一介の学士にすぎなかった男が、歴史を正道に戻そうと、国家権力にも神秘的権威にも屈せずに立ち向かった」というその心意気、ハートの方にこそあるのである。
.
墨子は自らの思想を「兼く愛する」というところから兼愛と名づけた。この兼愛の名のもとに、墨子は「家族も隣人も他国の人もみな平等に、自分自身を愛するかのように愛しなさい、そうすれば戦争なんて起きないよ」と情熱的に説いたのである。
.
つまり、ある人は作物を植えることに専念し、ある人は家を建てることに専念し、互いにその仕事を分けあった方が効率的で、全体としても利益が大きくなるということだ。すなわち、荀子はまだ経済学すらない紀元前の昔に、分業のメリットをすでにうたっていたわけであるが、だからこそ万人が平等で同じであってはいけないのである。
.
だからこそ、老子は言うのだ。学を捨て、分別を捨てなさい、と。そうして、ついには「私がいる、私がやっている、私が見ている、私が触れている」と言った思い込み(分別)を打ち破り、行動や思考が自然にわき出るままに任せるという境地に到達しなさい、と。このとき、『私』は何も為さないただの観客となり、人生は映画のようにひとりで為されていく。この境地を老子は「無為自然」と呼んだのである。
.
日本において東洋哲学はいつはじまったのか? その答えは、仏像や経典が日本に伝来したときでもなければ、蘇我氏が物部氏を滅ぼしたときでもない。聖徳太子という日本を代表する稀有な智者が仏教の真髄を理解した、まさにその「瞬間」から日本の東洋哲学の歴史がはじまったのである。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ・ゲーデルの不完全性定理
‐第1不完全性定理:ある事務準のない理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が必ず存在する
‐第2不完全性定理:ある理論体系に矛盾がないとしても、その理論体系は自分自身に矛盾がないことを、その理論体系の中で証明できない
・不確定性原理:運動量と位置を同時に正確に知ることは不可能
・観測至上主義的見方「測定してねぇんだから、一も運動量もへったくれもねぇんだよ!決まってねぇんだよ!」
・コペンハーゲン解釈:矛盾をそのまま受け入れる、予測の道具として使いやすいから使われている
‐電子は観測される前は波のような存在であるが、観測されると粒子になる。
‐観測される前の波とは、粒子がどこで観測されるかという確率の波である。
・多世界解釈:結局コペンハーゲン解釈と同じ数式を解く
‐人間も含めて、すべての物質(宇宙)も「あらゆる可能性が重なり合った波のような存在」
‐宇宙とは、波のように漂う「巨大な可能性の塊」で、宇宙における、あらゆる可能性は、今ここに重なり合って存在している
・パイロット解釈:数式が難しい、使われていない(コペンハーゲン解釈の方が使いやすく、同じ結果が出せる)
‐空間を歪めるような未知の波が、先行して進み、それが粒子の動きに影響を与えている。
・ウィーン学団「論理実証主義」
‐理論を論理的関係(∧、∨、⇒、など)で厳密に整理すると必ず「実験や観測によって実証されていない部分が見つかる」、すべてが疑似科学となる
‐論理実証主義の問題:「いくら観測データを集めても、
すべての場合については何も言えない」、科学理論は確実なものには絶対ならない
・ポパーの決断
‐すべての科学理論は「反証不可能」な疑似科学
‐疑いを乗り越えて、何らかの科学理論を構築するためには、どこかで疑いを止める地点を<決断>しなくてはならない
・クオリア:主観的体験が伴う質感、赤い花を見たときの「赤い」という質感
‐意識上に起きている『この質感』の起源(クオリアの起源)を原理的に解明することができない -
Posted by ブクログ
先日「嫌われる勇気」を読み、哲学にも興味が湧き購入しました。
難しい内容かな?と思ったのですが、嫌われる勇気と同じ対話式で話が進んでいく構成となっており、とても読みやすかったです。イラストでの説明も多く用いられており、特に「永劫回帰」の説明についてはイラストありきで分かりやすかったです。
正直なところ、読み始めて半分くらいまでは何を伝えたい本なのか、なかなか掴むことが出来ませんでした。しかし、上記に挙げた永劫回帰の説明が終わったあたりから、話の束が1本に収束していくかの如く、面白くて夢中で読み進めました。
本著を読み終え「今、この瞬間を生きる」を胸に、日々を精一杯生きていきたいと思いました。