奥野克巳のレビュー一覧
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立教大学で教鞭を取る文化人類学の著者がプナンという狩猟採集民族について書いた本。
プナンとは、ボルネオ島(マレーシア、インドネシア、ブルネイの三つの国から成る)に暮らす、人口約一万人の狩猟採集民である。彼らは今日でも、資本主義社会の一端に巻き込まれながらも伝統的な社会を持ち続けている。
本書で紹介される通り、彼らの生活は我々の生活と何もかもが違う。
プナンの社会には、「おはよう」もないし、「ありがとう」もない。「ごめんなさい」もなければ、時間という概念もない。ないない尽くしである。
プナンは常に生活をひとつの共同体で完結させているので、我々が使う交感言語(伝達機能を持たないが、一体感を生み出すような社会的な機能を持つ話し言葉)を使う必要がない。だから、「おはよう」「さよなら」という言葉がない。
プナンは死と隣り合わせの厳しい自然に生きているので、あらゆる物を分け合い、協力することが当たり前なので、プナン語には何かをもらったときの「ありがとう」にあたる言葉がない。
プナンは「反省」をしない。
共同体の中のだれかの過失でみんなが損害を被ったとしても、当人の能力や行動が追求されることはない。失敗は個人の責任ではなく、以後の共同体としてのおおまかな方針に反映されるだけだ。だから当人も反省することはない。「ごめんなさい」にあたる言葉もない。
上記のように、プナンの社会は我々の社会とはまったく似つかないものである。
どちらが良いとか優れているとかではなくて、根本の発想からして違っている。そしてそれぞれの社会は相手方の社会の在り方から学ぶことが多くあるだろう。
プナンが「反省」をしないのは、彼らに発展や向上を目指すという目的がないからだと著者は述べる。
なぜ反省が必要かというと、ある事柄において「次はもっと上手くやろう、効率よくやろう」という価値観があるからだ。この根底の発想がない以上、反省する必要がないのだ。
必要がないから、存在しない。これは自明だ。
このことは特に我々に示唆を与えてくれる。
資本主義の専制の下、我々の社会は断続的で際限のない発展を続けてきた。しかし、現在我々はその成長の限界を目の当たりにしている。顕在してきたあらゆる環境問題、倫理的問題は成長主義の限界を示している。
その中で、脱成長主義にシフトしていくためにはプナン社会の考え方がその一助になるのではないか。そう感じた。
本書は、まったく未知の社会のイデオロギーを紹介し、読んだ人に新たな視点を与えてくれる本だと思う。少し長いが、読んでみて損はない良書。 -
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性・経済・宗教などの切り口で、現代日本の規範からは想像もできないような文化を持った集団を例に、文化人類学とはどういうものか、どういう思考をもって世界を見ると発見が得られるのか、といった事例が語られている。
文化人類学というとどうしても人とその文化が主眼に置かれるが、人の生活を構成する自然や生物も含めた人新世という考え方は、今までの自身になかった視点だったのでおもしろく読めた。
一番興味深かったのが、著者の思考の形成過程を旅と共に紹介する最後の章で、それまでの章で語られていた言葉がどのような背景を持ったものなのかがなんとなく想像できる。
文化人類学という学問に興味を持ったがどのようなものかわからない、といったタイミングで読むのが良さそう。 -
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ネタバレボルネオ島のプナンの人と暮らして著者が考えたことが書かれている。興味深かった。
ボルネオ島の森でプナンと一緒に暮らすことは、「大いなる正午」を垣間見る経験だった。
「大いなる正午」という比喩はニーチェの言葉で、「真上からの強烈な光によって物事が隅々まで照らされ影が極端に短くなり、影そのものが消えてしまった状態。」のこと。「影が消える」とは、世界から価値観がすべてなくなってしまった状態である。おおいなる正午とは、真上から強烈な光に照らされて影の部分がない、善悪がない状態である。
世界には固定された絶対的な価値観が存在しないということを、体験をとおして理解したと言っている。
私たちは、一生をかけて何かを実現したり、今日の働きで何かが達成されたりすることをひそかに心に描いて働いている。ところが、プナンは、これこれのことを成し遂げるために生きるとか、将来何かになりたいとか、世の中をよくするためい生きるとか、生きることの中に意味を見出すことはない。
なので「反省しない、感謝を伝えるべき言葉がない、精神病理がない、薬指という言葉と概念がない、水と川の区別がない、方位・方角がない」、、、という、わたしたちにとって「あるべきこと」がプナン社会にはない。とても興味深い。 -
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「マルチスピーシーズ民族誌」の考え方について、小説やコミックス、岩合光昭さんの猫あるきなどといった日常親しんでいる文学・芸術作品を入り口に解説。内容は難しいのだがある程度すんなりと読み進むことができる。
印象深かったのは「ぬいぐるみとの対話」を扱った項。
ヒトと人ではないものとの交流や交感のような感覚がなぜ起きるのか、あまり深く考えたことは無かった。
また、写真を撮ることと、狩りで動物をしとめることを同様の行動として見つめたことも無かった。
私にとって新しい視点が数多くあり、とても魅力的な本だと思った。
オーケストラを構成するそれぞれの楽器、各パートについて詳しく解説してもらいながら曲を聴くような、面白い感覚というか独特の波を感じるような文章も面白い。 -
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文化人類学者・奥野勝己氏による、ボルネオ島の狩猟民「プナン」の文化、観念を描いた体験記。物語は三人称視点から展開され、主人公はカフカの『城』からとった「K」と呼ばれる日本人青年(= 筆者)。
本書の主な項目は第1章「多自然」第2章「時間性」第3章「無所有」の3点で、現地での体験談をもとに、彼らの暮らしぶりや神話、世界観を詳らかに表す。
文体が三人称であるせいか、ルポというよりは小説っぽさを感じるものの、エピソードごとに細かく節になっているし、その中身は発見+エピソードトークのような社会学や人類学関連の書籍に一般的な形式であるため、伝わりづらさを感じることはなかった。
死者への視線や時間の概念と解釈といった、日本人とプナンで大きく異なる観念は非常に興味深い。読み手からすると時に奇異であったり、時に(日本人の)倫理的に怒りを覚えるようなものもある。そのようなエピソードを、実際に体験した「K」の感情や思考とともに読むことができ、これは大いに理解の助けとなっている。
その一方で、異文化を第三者の意見を踏まえず( 本書では、筆者の主観)、ありのまま受け止めて反芻するような読み方がしたい方には向かないだろう。
レビュー筆者は、プナンのことを本書で初めて知った。今後、彼らについて社会学や生物学等の観点からも学んでみたい。興味の導入として非常に優れた一冊だった。
※ピダハンやアモンダワなど、「時間の概念を持たない」とされる人々についても、本書と同様の形式で読めたらどんなに楽しいだろう。 -
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旅の楽しみは日常からの離脱。
自分が日頃属している社会の常識からの離脱。
そして価値観の逆転と新しい視点を得る。
それを究極まで見つめたエッセイ。
昔わたしを捉えたツィアビの演説のようなもの。
同じ社会に長期にわたって参与観察し続けた人類学者が、その面白さを各章でわかりやすく物語ってくれる楽しい本。
以下、章ごとの感想。
3 反省しないで生きる
プナンの社会では、誰かが悪いことをしたり失敗したりした場合、やらかした当人が反省することはなく、まわりの人たちの側が、そうならないようにするにはどうしたらいいか対策を考えるのだそうである。
何か問題が起きた場合、当人の反省に帰するより、当人の責を問わずにみんなで問題そのものに対して対策をした方が、当人のメンタルヘルスにもいいし、実効的な解決法にもなるよね。確かに。
4 熱帯の贈与論
もらったものは手元にとどめないで誰かに贈る。そのことが価値を生む。ポトラッチと並んで有名な理論。たぶん布施なんかとも通ずると思う。リンポチェさんなんかにプレゼントして、めっちゃ喜んでくれたと思ったのに、次に会うとその品物は違う坊さんが持ってたりするのはよくあることで、アレって何となく寂しいなと感じてしまいがちなんだけど、そうじゃないんだよね。ステキなものをもらったら誰かにあげるのが物惜しみしない良い心なんだよね。うむむ、本も手元にため込まないでみんな上げてしまうのがいいのかもにゃ。
5 森のロレックス
なんと!プナンの人たちは時間や年月日の意識をほとんど持たないという。誰が誰よりも先に生まれたとか、誰それがなくなったのは自分が今の誰それのような年頃であった頃だ、とかは意識するのみであるらしい。将来どうしたいとか、そういうことを計画することもないし、誰かが亡くなると、そこに埋めて所縁のあるものを捨てその場所を立ち去るのだという。歴史もない。うわわわ究極のその日暮らし。その日暮らしができるというのは豊かだということ、何かに備える必要がないということ。
7 慾を捨てよ、とプナンは言った
プナンの人々が持たないのは、時間の概念だけでなく、所有という概念も、なのだと著者は言う。物なお金のみならず、知識や能力さえ個人で所有するという概念がないのだと! しかし、小さい子どもに「自分だけのものにしたい」という所有慾はあり、それは周りの大人によって否定される。もらったものはみんなで分けるように躾けられるらしい。で、近年になるまで貸し借りの概念もなかった、と。まるで原始共産制ではないですか。
全てのものを共有するプナンの社会では、格差もない代わりに個人の持つ向上心や努力も見られないのだ、と。ふぅん。ほんまかいな…。
8 死者を悼むいくつかのやり方
近しい者を亡くしたときの情動にどう対処するのか。日本では、死者に死者としての名前(戒名)を与えて死者とし儀礼の対象とするのだが、プナンは違う。死者はそこに埋葬し死者の持ち物は焼き捨て、残された者はその場所を放棄して立ち去り、残された家族はその名を変え死者の名を口にすることを禁じられる。死者の痕跡を消そうとする…それがプナンのやり方…。
他にも学校のこととか(当たり前のことながらプナンの人たちは学校に価値を見出していない)、選挙のこととか(選挙では、ケチじゃないというプナンの徳を体現している人、つまりお金をばらまく人に投票する笑)、人の社会の価値観はさまざまであることを思い知らされる。
自分の価値観を揺さぶって楽しむにはうってつけの本だよ!
本書の元になった連載の題は『熱帯のニーチェ』。この名もなかなか素敵である。 -
Posted by ブクログ
絡み合う生命 奥野克巳 AKISHOBO
人間を超えた人類学だという
つまりアニミズムが示す魂を見つめた話?
人類学者だけでは無いが有名になる多くの学者がことの内容を端的に伝えることよりも背伸びした言葉遊びを誇らしげに楽しんでいるように見える
成長期を過ぎての迷いが外目線へと向かわせて淀んでいるようにも思える
この本は自分の研究を語る上で
取り上げる人類学の解説本でもある
アニミズムを人間とそれ以外にわけ
あらゆるこの世の存在が
身体と内なる魂からなるモノとして捉え
さまざまに分析している
ヒューマニズムの人間主義を超えた
自然の一部としての人間を見つめる
マルチスピーシーズ人類学と言うジャンル
そもそも時代の流れに取り残され
昔の感覚を持ち続けている人達を
研究対象とした結果を現代に持ち帰り
旅人はその交流の中で
何を得ようとしているのか?
そこに嘘はないのか?
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Posted by ブクログ
立教大学異文化コミュニケーション学部教授で、人類学者の奥田克巳と、漫画家のMOSAによる、文化人類学をテーマとした漫画と解説。インドネシア・マレーシア・ブルネイにまたがるボルネオ島に住む、プナンという民族の生活を漫画で描いていて、そこにある自然や動物の様子やその人たちの姿などを親しみを持って読むことができる。いろんな描写を通して、プナンの生活において、動物やモノの中にも自分たちと同じ人間性を共通して見いだす考え方や、人に物をあげることを良しとするがゆえに平等な社会ができあがっていることなど、今日本などの社会の一般的通念が絶対ではないのだと思わされる示唆をしている。
プナンの生活それ自体も面白かったのだが、その生活や考え方の違いがどうして起きたのだろうか、という考察を奥田さんがしているところも面白いと思った。分け与える者が偉い社会なので、あげても「ありがとう」がないし、貸しても壊して返ってくるが、それが故に、貧富の差が小さく、本当に人望のある有能な人がリーダーとなり、また有能で無くなればリーダーではなくなる。こういう社会の考え方がどうして起こったのか、について、例えば農耕社会と狩猟採集社会が分かれたことに起因するかもしれないなど分析している。
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